2.ハルからの頼まれごと
「うっ」
四月末の実力テストの結果を見て、思わず声を上げてしまった。
五十人中三十五位って……標準以下ってことだ。中学時代はクラスで十番内だったのに……って、それはすごく調子の良かった時だけどね。
聖クロスに入ったから私も一位集団の仲間入りだ! と思ってたんだけど甘かった。
当然のことだけど、受験を勝ち残ってきたのはみんな同じで、ここには同レベルの生徒が山ほどいる。いや同レベルどころか、私の必死のスパートなど軽くこなしてしまう人たちが存在していた。
中等部からそのままいるエスカレータ生はそういう人たち。私にとってここは山頂だったけれど、通過点でしかない人たち。
余裕の表れとして、勉強だけで手一杯の私とは違って、なんかキレイなのよね。
化粧をしているわけじゃないのに、みんなぴかぴかしてる。
愛想のないおさげだって、私とクラスメイトとでは全然違って見えるっていう。
入学式の祝辞でつまずき、自己紹介もコケて、毎朝ある小テストで息も絶え絶えなところを、実力テストの結果でトドメをさされ。
今の私って、バラ色どころか受験生だった頃よりサイアクな生活を送っているかも。
のろのろ帰り支度をしていると、井上涼が魅力的なウィンクをくれた。
「奈美、あたし今日部活だから。また明日ね」
つられて私も笑顔になる。
「うん。また明日!」
そう。それでもなんとかやっていけるのは友達ができたから。紹介してもらった友達、涼はボーイッシュで面倒見のいいお姉さんタイプだ。
「涼サマ!」
「練習頑張ってくださいね!」
「応援してます!」
「みんな応援ありがとね。がんばるよ!」
きゃー、と廊下で歓声が響いている。
親衛隊がいるほどの(ここは女子高だってば)人気演劇部員だったりする。
涼から、演劇部に入る? と誘われて、それもいいかもと思ったけど、見学だけで遠慮した。女子高なのに体育会系のノリだ。すっごく厳しかった。私にそこまでの根性はない。
「帰りましょう?」
猫のようにするりと近づいてきたのは伊集院桜子。
実は桜子、聖クロスの理事長の娘らしい。
桜子と涼は中等部からの友達で、涼一人だとあっという間に下級生たちに囲まれるのに、桜子がいるとみんな遠巻きなる。見た目的にも美しいカップルだから、間に入るのに気がひけるのかもね。
私はどうかって?
たまたま日直が桜子と一緒でなかったら、こんなきらびやかな二人と口をきくこともなかったと思う。それくらい別世界の友達だ。
「うん。あ、私、駅でシャーペン買いたいんだけど、一緒に」
「寄り道はいけないわ。お買い物は連休中にしたら?」
完璧な笑顔につられて私も笑顔で答えた。
「そだね」
そして気づかれないように小さくため息をついた。
山の中の学校だから最寄り駅は一つしかない。そこで寄り道なんてしたらすぐにばれてしまう。ばれたら罰掃除が待っている。
着る立場になってわかったんだけど、この制服は地味なわりにすごく目立つ。団体でいてもそうだけど、個人でいても学校の名前を背負っているようなもの。
聖クロスの生徒は寄り道なんてしない。大声で話さない。漫画なんて読まない。買い食いなんてもっての他!
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
瀟洒な門をくぐる時は一旦立ち止まって学び舎と先生にお辞儀をする。
学園の敷地から出ても家に帰るまでずっと誰かに監視されているようなものなのに。
あ――……。
こんな調子で三年間過ぎていくんだろうか?
好きなことを我慢して頑張ったのは何のためだったのよ。私が夢見ていた高校生活はこんなのじゃなかった。
昨夜見たドラマの話題で盛り上がり、化粧やピアスで身を飾り、素敵な彼氏をゲットする。そしてデートや友達とお茶するためにバイトして、楽しい場所や美味しいお店のチェックに励む。
聞いてみたら、桜子も涼もドラマは見ないらしいし、校則が厳しくてとてもじゃないけどパーマや化粧、ピアスはできない。彼氏を作るにも近くに男子校や共学校はないし、バイトは禁止されていて、学校帰りにお茶しようったってそんな場所もない。
ううう。
それ以前に現実問題として、授業の進みが早くてみんなから遅れないためには予習と復習が欠かせない。すると結果的に学校と家との往復だけで精一杯になるわけで。
あぁ、こんな受験生と変わらない生活なんて望んでなかった。
「どう思う? ハル」
『どうって』
電話の向こうで幼なじみの親友が言葉を濁した。
『しょうがないんじゃない? だってナミの入った高校って有名なバリバリ進学校じゃん。それにナミが入りたくて入ったんでしょ?』
「それはそうだけど。私が思っていたのと全然違うのよ~。休み時間、みんな何してると思う? 予習か宿題だよ? 休み時間だっていうのにさ~」
『それって結局アンタの下調べが甘かったんでしょ』
「……」
もっとも過ぎて言い返せない。
確かに私はあの制服を着ることしか頭になくて、聖クロスが家から二時間もかかることすら知らなかった。
こういう時は話題転換に限る。
「ハルはどう? 今の学校に慣れた?」
『うーん。まぁ友達はまださぐり合いって感じだけど……ちょっといい感じの男の子は見つけたよ。ここのバスケ部にもだんだん慣れてきたし。って言っても、まだまだかなぁ』
「ふぅん」
まだまだと言いつつもすっかり新しい学校に慣れたらしい親友の言葉は、電話の向こうより遠く感じた。
『あ、そうそう。ナミの高校って年代物の洋館が使われてるんだよね?』
「へぇそうなんだ。そう言われてみればかなり古いかも」
『なによ、知らなかったの? まったくナミは興味のないことには全然なんだから』
「悪かったわね。私が聖クロス選んだ理由は制服なんだから!」
『はいはい。それは散々聞いたって。それよりその元洋館よ! なんかさぁ、そういう所って秘密の部屋とかありそうじゃない?』
「は? それって映画でよくある、ロウソク台を動かすと隠し通路が出てきたり、本棚の本を抜くと隠し扉が出現するアレ?」
『それそれ』
「相変わらずそういうの好きなんだ」
ハルは冒険モノの小説やゲームが大好きだ。
小さい頃は冒険ごっこで裏山や細い路地を駆け回り、小学校や中学校でも探検と称して隅から隅まで歩いたものだ。
『うちの学校、古いくせしてそんな噂のカケラもないんだよ。もーやんなっちゃう。だからさ、そっちの学校の噂ちょっと調べてよ』
「ええ? 私だけで? ハルも来てよ~」
『ナミんとこ、生徒じゃないとおいそれと入れないでしょ』
確かに門にはいつも守衛さんがいる。
『中等部からいる人なら何か知ってると思うんだ。聞くだけでもいいからさ~。お願い!』
「う……ん」
『あ、ごめん。母さんが呼んでる。じゃ、よろしく~』
「ちょっ。ハル?」
そのまま電話は切れてしまった。
も――。相変わらず勝手なんだから。
私はそんな趣味にまでエネルギーをさける余裕なんてないのに。ハルの能天気さがうらやましい。
でも。
そだね、聞いてみるだけは聞いてみよう。
桜子も涼もエスカレータ生だもん。