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出逢い 〈過去編 その1〉


ここから一気に7話、シェイネの過去をお送りします。

魔女シェイネが『糜爛(びらん)の呪い』を纏うまで。



(イザボー・)シェイネは、その可愛らしい唇に微笑を浮かべながら、白く小さな手を地面にかざしていた。


やがてうっすらとその手の下の地面から紫がかった煙が、湯気のように立ち登る。


シェイネの赤みがかった綺麗な茶色の瞳が、満足そうに細められた。


「ひゃあ···」と、か細い鳴き声がしたかと思うと、細長い黒猫がトコトコと歩いて来、シェイネの足元で、く、と体を縮こませて、ひょい、と肩に跳び上がった。


「ヨーン」

シェイネはそう言うと、その小さな肩に器用に飛び乗った黒猫の背を優しく撫ぜた。


黒い艷やかな毛の並ぶ黒猫の背は、太陽の優しい光を浴び、ところによって緑にも見える淡い光で輝く。

細く小さな手で、慈しむように撫で、この上ない幸せを感じながらシェイネは再び口を開く。


「あの方がいらしたのね。ちょうど良かったわ、今、一段落ついた所だったから」


シェイネはヨーンを肩に乗せたまま、溢れかえるように薔薇の咲き誇る庭を抜け、自宅のテラスへと進み一度家の中へ入る。


つけていた前掛けを外し、汲んでおいた水で手を洗い流す。

そうしていると玄関の方から声がした。


「今、参りますわ。さぁ、ヨーン。そろそろ降りてくださるかしら?」

クスクス笑いながら傍らの黒猫を見やる。

ヨーンは金色の瞳を少し細め、スト、と床に降りるとソファの上に陣取り、クルっと丸まってしまった。


シェイネはその姿を微笑みつつ見やり、自身の黒く真っ直ぐな髪を整えた。そして玄関へと向かう。


戸を開けると、そこには日に焼けた大柄な男が立っていた。

「シェイネさん!こんにちわ、ご機嫌はいかがですか?」


人の良さそうな笑顔を浮かべ、心なし体を縮こませるようにして玄関に立つ男は、その手に野菊をまとめたような花束と、大きく育った大根を二本持っていた。


「スタイレーン様、今日もいいお天気で。大変麗しゅうございます」

にっこり笑ってシェイネは答える。


スタイレーンは、おずおずといった風に花束と、大根を差し出した。

「これは、その、先日のお礼です。おかげさまで馬も元気になって」


シェイネは花束を受け取ると小首を傾げた。



スタイレーンはこの街の警らを取り仕切る隊長である。

街の各所に設置した待機所に、様々な雑品を運ぶのに警ら隊所有の馬車を駆り出していた先日、何を思ったか突然馬が興奮しだし、(いなな)き鋭く後ろ足で大きく立ち上がってしまったのだった。

スタイレーンはじめ警らの者たちは慌てた。

大きな馬車をひいたまま暴走すれば、どんな事故が起こるか計り知れない。

そこへ濃い紫の外套を羽織った人物が近寄って行った。

フードを深くかぶっている為、人となりはさっぱりわからない。が、その肩の細さと、フードから覗く小さく赤い唇で女性と知れる。

スタイレーンは傍らの部下に、事故を防ぐべく幾つかの指示をすると暴れ馬に向かう女性のもとへ駆け出した。

他人を守るとき、自分の身を一切顧みないのはスタイレーンの悪い癖だ。今回もその癖がしっかりと出ている。

だがそのおかげで、今のスタイレーンの周りからの厚い信頼と評価があるのだから、一概に悪い、とも言えない。

外套の女性は、嘶く馬をものともせずに近寄り、その手をかざす。

「危な···っ」

スタイレーンが思わず口走る。

馬は興奮したまま高く上げた前足を地響きとともに叩きつけ、今度は後ろ足を上げるべく力を込めていた。

スタイレーンの頭の中は、女性をこの背に庇うか、それとも後ろに大きく投げ飛ばしてしまうか、二者択一を迫られぐるぐると回っていた。

すると、

「ブヒヒィン···」

始まりと同様に突然に馬が落ち着く。

ぷるんぷるんと頭を振り、ブシィーと息を吐いている。

外套の女はかざしていたその手をそのまま馬の頬に当て、優しく撫ぜ始めた。

スタイレーンは小さく息を吐くと女性に近づき話しかける。

フードを外しこちらを見やる女性、それが、シェイネであった。



「綺麗なお花を、ありがとうございます。スタイレーン様。ですがこのお野菜は···?」


野菊を受け取り、大切そうにその手に抱えるシェイネは、スタイレーンから見てまるで、女神のように慈愛に満ち溢れていた。


スタイレーンは眩しい光を見るように目を細める。そして自分の持つ大根に泥がついていることに気づき、伸ばしていた手を心なし自分に引き寄せた。


「これは今、そこの農家のおばちゃんがくれたんです。今年はいい出来だって」

少し玄関から下がり、土の上で泥を落とそうとはたく。


その姿を見ていたシェイネは口に手を当てて、ふふ、と笑った。

「それでしたらそのお野菜はスタイレーン様の物でございましょう」


スタイレーンは、ふるふる、と頭を振る。

そしてシェイネを真っ直ぐに見つめた。


「シェイネさんはご存知ないでしょうが、このあたりの畑は、貴女が来られる前まではもっとやせ細っていたのです。こんなに肥え太った大根など採れませんでした」


スタイレーンに見つめられつつもシェイネは微笑みを絶やさない。パチパチ、と、大きな瞳で瞬きをしただけだ。


「天気の悪い日や、暗くなる夕方になど、貴女がお散歩している姿を皆が見ています。何か···良い肥料を与えてくださっている、と、申す者もおります」


スタイレーンは大根を再びシェイネに渡すよう腕を差し上げながら近づいた。


「見ている者は見ております。我が街のため、ご助力いただきましてありがとうございます」


シェイネは思案するように口に手を当てていたが、やがてその手で大根を受け取る。


「あ···っ」


「わっ!···とっ」


片手に野菊を持つシェイネの細い腕では、二本の大根は大きく重すぎた。


床に落ちそうになる大根を、慌てて支えたスタイレーンは、シェイネのほんのすぐ傍まで近寄る。


ふわ、と、花のような、砂糖菓子のような、甘い香りがスタイレーンの鼻をくすぐる。


「はっ!わ!すいません!重いので私がお運びいたしましょう!!」


ピィーン!と直立不動の格好になったスタイレーンを、シェイネは目を丸めて見やると、クスクスと笑いながら体を引いた。


「それではこちらまで、どうかお運びくださいませ。お口に合うかはわかりませぬが、煮付けをお作りいたしましょう」


スタイレーンは自分の失言に気づいた。


運ぶと言ったからにはキッチンまで進むということ。

女性の一人暮らしの家に入り込むなど、紳士にあるまじき行為。


しかしシェイネはなんてことないといった風で、軽い足取りで中に入って行ってしまった。


奥で声がする。

「まぁ、ヨーン。そのクッションはお気に入りなの。爪とぎはあちらでなさって?」

と笑っている。


スタイレーンは覚悟を決め、なるべく周りを見ないよう、息をしないよう、できれば存在も消えてしまうよう、願いながらシェイネの家の中に入っていった。

次回12月8日公開予定です

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