魔女とは 〈現代編 その5〉
ワルドーが持ってきてくれた、あるじさんの本は、そのすべてがとても古いものだった。
「ほわぁ〜、すっごい。おばぁちゃんの家でも見たことないようなご本···」
5,6冊ほど、まとめてドン、と小机に置いたワルドーは、ミイナが開いた本を横から覗いた。
「そうなのか?あまり興味がないせいで知らないんだ。あるじが適当に選んで持たせたんだが、こんなもので良かったか?」
ミイナは大切そうにページをめくっていた手を止め、嬉しそうにワルドーに笑いかけた。
「あるじさんが?ありがとうございます!もうすっごい楽しそう!」
ワルドーは薄手のカーテンを引き、日光がベッドに当たらないようにしてからドアに向かった。
「じゃ、おとなしくしててな」
魔女とは
例外なく黒魔術を修めた魔道士である。
死した屍を操り、悪魔を喚びよせ、妖かしをまとい、炎を操り、稲妻を呼び、呪いを振りまき、人を惑わせ、意のままに操る。
かつて各地で起こった魔女による甚大な被害。
ミイナが今手にするのはそれらが書かれた本。
後学の為記載された記述本であった。
魔女は、見た目は人間と大差ない。
怪しげな瞳の色を有することが多い。
人間を心から憎んでいて、たちまちのうちに呪いをかける。
その方法は様々で、気まぐれで、各々その魔女が飽きるまで、呪いをかけられた人間は永続的に苦しむ。
ミイナは、そ、と本を閉じた。
薄い本だった。
他のものより一回り小さく。
大きな本の、その間にひっそりと挟まっていた。
きっと、ワルドーもあるじさんも気付かなかったのだろう。
ミイナは窓の外を見た。
狂ったように咲き誇る薔薇。
蔓を誘引すれば可能とはいえ、壁に伝いあんなに高くまで咲き誇る薔薇。その先端は屋根にまで届きそうだ。
ふ、と、庭に咲く薔薇の垣根を縫って、あるじさんが歩いているのが見えた。
時々足を止め、下を見やり、手のひらをそこにかざすようにしている。
ミイナは目を眇め、こしこし、とこすった。
あるじさんの足元から煙が立ち昇ったように見えたのだ。
駆虫剤の散布···?
いえ、下から上に登ったように見えたわ。
それに、霧吹きの作る粒という感じではなくて、もっとこう···紫の煙のような···。
ぎゅぅぅっと、布団の端を握りしめる。
紫···赤い瞳···300年前の本···。
糜爛···焼けただれ······。
ミイナは左足の膝を立て、その足首に触れてみる。
『たくさんの、人を、助けたいの』
そうよ。私は人を助けるの。
どうしてもおっちょこちょいで、普通にしているつもりでも周りに迷惑をかけるから。
意識してる間にお返しをしてあげたいの。
足首を動かしてみる。
まだ力は入らない。
カチャカチャと、食事の準備をしてくれるワルドー。
その、ボコボコと幾何学に、捻られ隆起し、へこんだ頬を見ながら、ミイナはつばを飲み込んだ。
「私の住んでいる街ではね、ここいらの事を『シェイネの森』と呼ぶの」
カチャ、と、ワルドーの手が止まる。が、再び動き出した。
「そうか」
ミイナは自分の指を弄びながらも続けた。
「シェイネっていうのはね、魔女でね、触れた人の皮膚を焼けただれさせるというのよ」
ミイナの前にフォークを置いた手を、ワルドーはさっと引っ込めた。
彼の手のひらは、いつでもたった今火の中にくべたかのようだ。
「貴方、何か、困った事が起きていないかしら···」
うつむき加減で見上げるように覗き込むミイナの瞳。
心配そうに光が揺らめく。
「困っているのは君だろう。俺には何も、起きていない」
ため息を一つつき、ミイナは思い切ったように顔を上げる。
「あるじさんのお名前は?あの人、貴方に、何か、酷いことをしているのではない?」
すくっ!
ワルドーは勢い良く立ち上がった。
「彼女が俺に?何かしただって?いいや、しているのは俺だ。いつでもやらかすのは俺達だ。もしも猜疑の念があるのなら、山中腹の小屋まで連れて行こう。いつでも人がいるわけではないが、そのうちに街にも降りれよう」
ワルドーの声は静かだった。
どこか諦めたようになだらかだった。
だがミイナは嗚咽が漏れるほどに泣きそうになり、心底悲しい気持ちになった。
なんだろう、悲しいわ。すごく、すごく、寒いわ···。
ポロ、と、ミイナの頬を涙が伝う。
「ごめんなさい。貴方を、怒らせるつもりはなかったの。いつも良くしてくれて、ありがとう」
ワルドーは首を振る。
「骨がくっつくまで置いているだけだ。俺の勝手で。ただそれだけだ」
ばたん、と、ミイナの部屋を出たワルドーは、両手拳を固く握りしめた。
人を避けるイザボーを、擁護するのはかえって仇となる。
理解させた所で、またしても使い捨てようとする。
弱い奴らだ。
力がないことが
罪になることだってあるだろうに。
次回より、時系列でいう最初の物語、過去編を7回に分けて一挙公開いたします。
過去編その1、12月5日公開予定です