第10話 律動する世界
清算せよ、払拭せよ。されどその身は我が手中にありて───
×××
『───ッ。』
気がついたら、眠ってしまっていたようだ。
どれくらいの時間が経過したのだろう。
思い当たる最後の記憶を掘り起こしながら、月明かりの差し込む窓辺に目をやった。
(傷ついた騎士さんを守りたいと思いながら、相手の力量を見誤ってアーサーさんを傷つけてしまった…全部私のせいだ。)
一命をとりとめたアーサーは、目前のベッドで安静に休んでいた。
ぼんやりと時の流れる静寂に包まれたその部屋にいると、以前にも似たような場所にいた事を不意に思い出す。
寝ぼけまなこを擦りながら、窓辺へ歩み寄り、その窓を開けてみる。
すると少し汗ばんだ身体にちょうどいい気持ちのいい風が入ってきた。
街中に灯るいくつかの明かりが遥か下方に見える、隔壁の線を目でなぞるとそこが迎合の区画であることが分かる。
戦闘着の時刻設定が正しければ、今は夜明け前…なるほど、確認した世界地図によれば王都オーラムは大陸のほぼ中心に位置している。
市場に並ぶ商品の中には、鮮度が重要視されるような食材や物資があり、そういったものの物流の動きは夜明け前から始まるということだろう。
そして今度は、上を見上げてみる。
そこには、もう二度と見る事がないと思っていた美しい星々の、燦々とした煌めきが黒いキャンバスを埋め尽くすほどにあった。
地球もかつてはこんな美しい夜空をしていたのかと思うと、ふと目からは涙がこぼれ落ちる。
(ここまで来るのに、色んなことがあって、お母さんとももう二度と会えないかもしれないけど…それでも。)
溢れるそれらを人差し指で払いのけて、もう一度星空を見上げる。
(それでも、立ち止まることだけはしたくない。だって、約束したもんね。必ず後から来てくれるって……だから、この涙はその時のためにとっておくよ。)
窓を閉めて椅子に座ろうとした時、扉を静かにノックする音が響いた。
ベッドに横たわる隣人に配慮し、どうぞと小さく声を掛けると奥からは格式高い装衣を身にまとい権力者の象徴ともいえる立派な口髭を携えた老齢の男が入ってきた。
「なんじゃ、起きておったのか。」
『ザッカルースさん、こんな遅くにどうかされましたか。』
夜分に尋ねてきたのは、ザッカルース・ニアラスト。
裁定の王槍の実質的な管理者にして、王都にまつわる医療魔術の第一人者。
今回この方のご厚意によって、アーサーさんの命は救われた。
私からしたら、礼をしてもしたりないほどの恩人である。
「いや、その後小僧の調子はどうかと思っての。ちょっくら様子見に来たんじゃよ。」
『そうだったのですね。私が見ていた限りは、よく眠っていたので問題はないかと。』
「ふうむ…」
眉間にシワを寄せながら、翁はアーサーの眠るベッドへ近寄った。
「静かすぎる…寝息が聞こえんぞ…」
『え………』
背筋が凍りついた。
これまでの短い人生の中で数々のものを失ってきた私にとって、この場所では守れるものは全部守ると心を決めた。その誓いも、早々に破ってしまうことになるのかと思うと、自身の不甲斐なさ、力不足を痛感する。
「悪いがこっちに来て手を貸してくれ。」
その声の端々には抑揚はなく、起こった事態に対しての適切な措置を取り行う医者としての義務が感じられる。動揺を隠せない私とは、人としての器量の違いが感じられた。
『私は何をすれば……───』
「いいから、こっちへ来い。」
翁のそばに近寄ると、彼は静かに大笑いした。
「なーんての、冗談じゃよ。小僧はグースカ寝とるな。」
その屈託のない笑顔に、こちらの張り詰めた心労は絆された。
『あなたが言うと、真実味が増します…悪い冗談はおやめください!』
「小僧の身体は見た目ほどヤワじゃない。安心せい。それより、心配なのはお前さんの方じゃ。なにか悩んでるように見えたんでな、ついつい。」
心の中に秘める思いは重く、苦いものがおおい。
展望の足元にすらまだ私はたどり着いていないのだから。
けれど、これは私の問題だ。
一人で背負わなきゃいけない、私の中の戦いだ。
「言わずともいい。ただ、思いつめるのはよしな。お前さんはまだまだ若い。」
「失敗なんて、しまくればいいんじゃよ。中には取り返しのつかない事だってあるじゃろう。」
「そんな時には、信頼できる誰かを頼れ。お前さんにはきっとそんな仲間が増えるさ。」
そう言い残し、部屋を出ようとする。
「隣の部屋にベッドがある。少しは横になって休め。」
翁がドアノブに手をかけた刹那───
『私は、未熟者です。これからも、たくさんの方にたくさんの迷惑をかけてしまうと思います。』
『それでも、生きていて…いいのでしょうか。』
少しの沈黙の後、翁は口を開いた。
「お前さんが救わなければ、死んでいただろう騎士がいる。やつがお前さんに会いたがっていた。感謝を伝えさせてほしいと。」
「あの十三騎士に名を連ねる王都の最強たる一角ですら、命の恩人には礼を尽くすのだ。お前さんの勇気ある行動は、もっと多くの人間の命を、そして心を生かすことができるんじゃないかと、ワシはそう思う。」
『ありがとう…ございます…』
それから翁は部屋を後にした。
×××
───ゆっくりと瞼を開く。
目を覚ますとベッドで横たわる代行者に寄りかかり眠っている、よく見た顔の少女がいた。
心做しか、少女は疲れた表情に見える。
それもそうかと、ありきたりな見当をつけてみる。
気がつけば久々に眠った気がした。
睡眠などはこの身体に本質的に不要なものだったので、眠ること自体が時間の浪費でしか無かったはず。
しかし根源が与えられない今、こうして人間のように原始的な方法で体力の回復に務める他ないのが実状だった。
(睡眠では根源の回復は見込めないか…傷の治りも遅い。こりゃ手詰まりか…)
今後の方針について考え始めた時、部屋の奥の方から年老いた男の声がした。
「お目覚めかい?よく3日間も眠ったものだ。」
目をこすり、辺りを見渡すと小綺麗に整頓された必要最低限の家財と複数の大型医療機器らしきものが目についた。
部屋の広さは、人ひとりが不自由なく生活できるほどの空間で、ベッド右手の壁にある趣の漂う木枠作りの大窓からは心地の良い日差しが差し込んでいた。
ゆっくりと歩み寄る壮年の白衣の男に聞くべきことは、いくつもあったが……咄嗟に口から零れたのは傍からは可笑しな問いだった。
「なぜ俺は………生きている?」
何者かが、いや高確率でこの白衣の男が介抱したに決まっているのに、誰にも愛されなかった代行者には自分より下級な存在に面倒をかけるなど、考えがたい事だった。
翁は大笑いし、手に持っていた湯気の立つ温かそうなドリンクを落としかけた。
「やっと喋ったかと思えば、妙ちきな事を言うやつだ。」
「"高潔な死を選ぶにはまだ早い"」
「英雄伝説に刻まれた一節、まさに今のお前にはピッタリの言葉だな?」
白衣の老人が軽い咳払いのあと自慢げに発言したその言葉をアーサーはよく知らないといった表情を示す。
すると、翁は眉を釣り上げ驚きの表情をしてみせた。
「オーラムを含めた大陸全土を開拓し、築き上げた始祖の一人、大賢者アルバート初代陛下の格言を知らんのかね?」
この国の建国者にして、偉大なる人間の言葉。
時には聖句として扱われまともな教育を受けない者でもその人の名や言葉を知るものは多い。
アーサーが小さく頷くと今度はやはりか。といった腑に落ちた顔をした。
すると翁はいざこざの後何があったのかを順を追って語り始めた。
テスラが自身と負傷した騎士をここへ搬送してきたこと、ここは王都の中心に存在する裁定の王槍という建物の内部だということ、
この建物は雲より高いところに最上階が存在するいわば、世界の灯台として機能していること。
この円筒状の超高層建設物が、ただの技術力の誇示や他国への牽制ではなく、世界を見通す観測所であることはこの地に生まれたものなら誰もが知っていること。
そして未来を見通す力を持ったとされた大賢者アルバートの言葉を、この周辺地域一帯を含む国々で知らぬ者はいないこと───
「まあこれ全部、一般常識の範囲じゃな。お前さん、おそらくこの世界の者じゃないんだろう」
そう聞き返されるとアーサーは苦い顔をした。
そんな突飛な事を平然と思いつくこの男は、真実を直感で見抜くような才があるようだった。
そして真実を知ってなお自身を介抱したという点についても気になった。
「この世界には、俺みたいなやつ…つまり他の世界から来た者が何人も居るのか?」
「詳しい数は分からぬが、少なくはないな。ここには、そういった者を観察したり調査するための専門的な装置や機関が設けられておる。」
アーサーは、ひどく落ち込むこともなく冷静に現状を分析し打開する策を考えていた。
力は失われ、目的の達成も困難、おまけに依頼主からは助言も貰えず…といったどん詰まりであること。
ひとまずは撤退すべき状況だが、敵が何者かどんな規模で何を成そうとしているのか。
それらが不透明である以上は、撤退行動すらも危険が及ぶ可能性が考えられる。
「アンタは、医者だろう?心や他人の考えを読み取る能力でも持っているのか?」
こういった手合いには、小細工は通じないことを知っていたアーサーは単刀直入に疑問を投げかけた。
「多少の感情の機微くらいはな。心の底に眠る潜在的なものは見ることは出来ないが、ある程度は心理を汲み取ることが出来る。」
「なぜ俺を助けた。身元不明で何処だか分からない世界からやってきたであろう異端者の俺を」
「あの世で恨まれちゃ、寝覚めが悪かろう?」
「それに……」
翁はテスラの方を見た。
「あんな顔で頼まれては、断るに断れんよ。」
×××
目覚めてから小さな気付きがあった。
それは根源を使用しきって中身が空になった感覚と塞がった腹の中に何かが蠢いている感覚だ。
亡霊と名乗ったやつが体内に呪詛のようなものを施したのだろう。
命に直接的に関わってくるようなものでないことは察しがついたが、情報があまりに少ない。
これ以上 、他人に情報を共有するわけにはいかない。
場合によっては、俺の正体をも露見するハメになるかもしれないからだ。
なんとしてもまずは野郎の足取りを掴み、この術を解除させる必要がある。
その後には正義の鉄槌を加えてやろう。
ベッドから起き上がり、衣服を着替え始めると翁は慌てた様子を見せた。
「まぁまて、そう急くな。まだ腹の傷も完全に治ったわけじゃない。それに…」
「傷はもう大丈夫だ。助けてもらったことは感謝する。俺はアンタに何を返せばいい?」
すると翁は困った顔をした。
「はて……そうさなぁ。」
「こういう時に、何をするのが適切なのか俺にはわからん。アンタの真逆で俺には人間の気持ちってやつがてんで理解出来ないんだ。なんせまともな教育ってのを受けた覚えは無いからな。」
自信を持って言うことかとザッカルースは呆れた顔をした。
「……治療費を請求するってのが筋だが、そんな様子じゃとても金を持っているとも思えんし…あぁ、そうじゃ。」
なにかを閃いたような目つきでこちらに振り返る。
「ならば、テスラ…と言ったかの。その子を護ってやってくれ。」
護る───だと?
今はこいつは、俺より遥かに高い戦闘能力を有している。
むしろ、護ってもらいたいのはこちらの方だ。俺に出来ることと言えば、せいぜい敵の目を引きつける肉壁になるのが関の山。
「たったそれだけの事でいいのか?」
「あぁ、そうじゃ。だが口で言うのは易い。何があっても守り抜くことをワシに誓ってくれ。」
この誓いを破り、裏切りを成した瞬間に、俺の存在価値が無くなる…それもいいだろう。
元々、名誉なんて俺には要らない。
人望も信頼も代行者には不要だ。倒すべきやつはきっちりと倒す。恨まれようが殺されようが使命を果たす。
その為だけに俺は存在してるのだから。
「あぁ、いいだろう。護ってやるとも。この俺の全霊をかけてこの娘は護る。」
すると、翁は懐から分厚い魔導書のようなものを出した。
「よろしい。では、貴殿に加護を授ける。仮不死の加護をな。」
「仮不死の加護?」
「王都に古くから伝わる、強力な加護じゃよ。致命的な攻撃を受けた際にそれが引き金となって発動する、大回復の加護。三度だけその命を吹き返す事ができる。」
「しかし、この加護には副作用もある。三度使い切った後に強烈な激痛が全身を引き裂くかのごとく押し寄せるんじゃ。精神力が衰弱してる状態だと最悪死に至ることもある。」
「いのちをだいじにってやつか。まあくれるっつうなら、ありがたく頂戴しておくぜ。」
魔導書を勢いよくめくった後に、翁はそれらしき詠唱を始めた。
ページ上の空間に読み上げた文字らしきものが浮かび上がり、霧散した。
「よし、これで完了じゃ。」
「あと伝言じゃ。お主とそこな娘に会いたいと言っている奴がいる。名はダールトン。お前たちが救った輝ける十三騎士が一人。王槍の内部構造は複雑じゃから、この地図を頼りに行くがよい、わしは忙しいんでここいらで退散させてもらうぞ。」
ザッカルースが部屋を退室した後、アーサーは着替え終わるとテスラを起こし自分たちを待つという十三騎士ダールトンの元へ向かうのだった。
×××
「あれが、最重要事項か。なんとも異なヤツじゃのう。戦闘能力も特殊な力の気配すら感じない。しかし、絶対的にいえるのは人間ではない…ひとまずは経過を見守るとするかのう。」