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1匹目



 ぽかぽか温かな昼下がり。

 トタン屋根の上に一匹のネコがまどろんでいました。ごろんと我が物顔で寝転がり、うつらうつらと舟をこいでいます。キョーコは思わず


「あーあ、いつかネコになってみたいな」


 と、小さく呟いてしまいました。

 ネコは気楽です。

 好きなときにご飯を食べて、好きなときに眠って、好きなときに思いっきり遊べます。しかも、勉強をする必要もないのです。算数の宿題に頭を悩ませることもありませんし、退屈な漢字練習に明け暮れることだってありません。

 だから、キョーコは自由なネコが羨ましくて羨ましくてたまりませんでした。


 そんな ある日――奇跡が起こったのです。


「あなたの願いを叶えてあげますよ」


 石蹴りをしていると、かぼそい声が聞こえてきました。


「だれ?」


 キョーコは振り返ってみましたが、不思議なことに誰もいません。ただただ、膝丈くらいの草がぼうぼうと生い茂るばかりでした。大人はもちろん、子どもの姿も見当たりません。

 キョーコは小鳥のように首をかしげました。しかし、確かに声は聞こえたのです。キョーコはもう一度、今度は少し大きな声で


「だれ?」


 と、話しかけました。


「私ですよ」


 すると、どうしたことでしょう。草むらがカサカサ揺れ始めたではありませんか。そして、ぴょこんと白い塊が飛び出してきたのです。

 キョーコはびっくりして尻もちをついてしまいました。


「おどろかないでくだはい、キョーコちゃん。私はキョンです」


 声の主は、白いキョンでした。

 角はもちろん、頭の先から尻尾の先端まで、ため息をついてしまうくらい白いのです。こんなキョン、いままで見たことがありません。キョーコが目をまるくしていると、キョンは言葉を続けました。


「あなたの願いを叶えに来ましたよ」

「わたしの願い?」

「そうです! 叶えたい願いを言ってごらんなさい。サンタさんにお願いするみたいに。私は貴方の願いを叶えましょう。欲しいものでもかまいませんよ?」

「うーん……欲しいものかー」


 キョーコは空を睨みつけながら、腕を組みました。

 欲しいものはたくさんあります。それこそ、指の数では足らないくらいです。新しいゲーム、とろっとしたクリームがたっぷり入った洋菓子、甘い甘いアイスクリーム、それから、デパートのショーウィンドーで見たキラキラ光る指輪、それから、それから……一つ欲しいと思うと、次から次へと思い浮かんできます。

 キョーコは、すっかり悩んでしまいました。


「ねぇ、一つだけ?」

「一つだけですよ。サンタのトナカイも、持ってくる贈り物は一つだけでしょう?」

「うーん……」


 ふと、そのときです。

 ネコが石垣の上を歩いていく姿が、キョーコの目に飛び込んできました。ネコは悩みごとなんて一つもないかのように、ゆうゆうと歩いています。

 キョーコは、ぴんっとひらめきました。


「わたし、ネコになりたい!」


 お菓子もゲームもアクセサリーも、お金を出せば買うことができます。ですが、いくらお金をつんだところで、ネコになることはできません。

 すると、キョンはニッコリほほえんで


「分かりました、ネコにすればよいのですね」


 というと、優しい声で歌い始めました。


「くるり くるり 星よ めぐれ

 おちて おちて 流れ星 おちて

 かなえろ かなえろ かがやく星よ」


 次第に、キョーコは温かいお風呂にぷかぷか浮いているような気分になってきました。焼き立てのクッキーみたいな甘い香りもしてきます。瞼もだんだん重たくなってきました。

 キョンの歌は続きます。


「かわいいほっぺに 六本のひげ

 くりくり目には 黄色のひとみ

 やわらかい耳を ぴんっと立てろ」


 キョーコは、はっと気づきました。

 歌にあわせるように、キョーコのほっぺにビョンっっヒゲが生えたのです。慌てて鏡を見ようと、ポケットに手を入れようとしますが、どうしたことでしょう。もうすっかり、ネコの手になっていたのです。てのひらだった場所には、ぷにぷにしたピンク色の肉球があります。健康そうに日に焼けた腕には ふんわりとした白い毛が生え、身体も縮み始めて、袖はぶかぶかになってきているではありませんか。

 やがて、服がすっかりぶかぶかになって、もうすっかり脱げてしまった頃――キョーコの姿は、小さな白いネコになっていました。


『すごいすごい! わたし、ネコになってる!』


 口から出てくるのは、人間の女の子の声ではありませんでした。もうすっかり、ネコの声です。にゃーにゃーと、鈴のような声でした。


「そうでしょう、そうでしょう。ゆっくり新しい生活を楽しみなさい、最期まで」

『うわー、すごい! ありがとう、キョンさん……あれ?』


 そのときには、キョンの姿はどこにも見あたらなくなっていました。

 コンクリートの道には、キョーコと着ていた服しかありません。


『ま、いいか。あとでお礼を言えばいいや』


 キョーコは、ひとまず近くの屋根にぴょんっと登りました

 風は白い毛を撫で、ヒゲがそよいでいます。年代物の瓦屋根は、ほんのり温かく寝転がるのにピッタリでした。


『うー、気持ちいい……いい風だな……』


 ごろにゃんと、身体をのばします。

 清々しいくらい青い空を見上げると、わたあめのようなくもが、ゆっくり渡っていきました。

 とんびが、ゆったりと気の向くままに回っています。

 車の音も 波の音もとおく、うつらうつらまどろむのにピッタリでした。もし、家にいたらお母さんから「ごろごろしてないで、早く宿題やりなさい!」と怒られていたでしょうが、いまのキョーコは自由気ままなネコです。いくらゴロゴロしていても怒られません。

 ただ――しばらく満足げにゴロゴロしていましたが、少しずつ飽きてきました。

 キョーコは後ろ足で耳の裏をこすりながら、次に行く場所を考えます。


『えっと……よし、まずはあそこに行ってみよう!』


 キョーコは、まっすぐ走り始めました。

 石垣の上に飛び降りると、一歩、また一歩と慎重に歩きます。

 ネコの目を通すと、生まれ育った町が、見知らぬ町のように映りました。なにせ、すべてが大きいのです。通学路ですら「あれ? 本当にこの道だっけ?」と分からなくなってしまいます。

 キョーコは少し不安になりましたが、それよりもドキドキした気持ちが胸いっぱいに広がっていました。ずっと気にもとめていなかった石垣の冷たさ、名もしらない小さな花が醸し出す優しい香り――そのすべてが新鮮でした。


『やっとついた!』


 十分ほど歩いた頃、ようやく目当ての場所に辿りつきました。

 学校です。もちろん、土曜日なので玄関は閉まっています。ですが、なんて運がよいのでしょう。玄関にカギがかかっていません。キョーコは、ドアのすきまに(はな)をおしつけ、するりと通り抜けました。


『ふふ、侵入成功ー!』


 休日の学校は、しんっと静まり返っていました。

 誰かが笑う声も、怒鳴り声も、音楽室の歌声も、先生の厳しい声も聞こえません。時計のカチコチなる音だけが異様に響き渡っています。

 しかし、学校探検の魅力に比べたら、なにも怖くありません。


『よーし、学校たんけんだ!』


 キョーコはまっすぐある部屋に向かいました。

 もちろん、職員室です。

 先生たちがパソコンに向かい、仕事をする場所――ということは知っていたのですが、学校探検でも入れさせてもらえず、いまだ謎の場所でした。職員室の前を通るときは、息をひそめ、先生たちが何をしているのか、耳をすませて歩いたものです。もちろん、先生たちは真剣に仕事をしているときがほとんどで、声も音も聞こえてくることは稀でしたが、ときどき、先生たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくるのです。放課後、こっそりのぞいたときなんて、せんべいの袋を開けようとしたいたのを知っています。

 キョーコは一度でいいから、職員室に入ってみたいと思っていたのでした。


『しつれいします。』


 職員室には誰もいません。

 がらんとした大きなへやに、ずらりとパソコンと机がならんでいます。どことなく、コーヒーのかおりがしました。


『どれが、だれの机なんだろう?』

 ひょいっと近くの机に飛び乗り、散策を始めました。

 先生の机は、一つ一つちがいました。

 ある机には、先生と家族の写真が立てかけたり、また ある机には子どもたちからのプレゼントに丸つけ途中のテスト、そのとなりの机は、たくさんの本、そして、次の机には――


『あ、わたしのノート!』


 その机には、たくさんの紙やノートが積み重なっていました。その一番上に、キョーコの名前がかかれた青いノートがありました。おそらく、キョーコの担任――クルミ先生の机でしょう。


『クルミ先生、ぜんぜんかたづけてないや。ということは、あっちが中園先生のつくえかな? あっちは、なんにもおいてない。きれいだなー』


 大量の紙をバラバラ落としながら、ひとまずクルミ先生の机をあさります。前足をつかって引き出しを開け、中に顔をつっこみました。ここも紙だらけです。みんなのテストもありました。難しい漢字や数字の書かれた紙もあります。作りかけの計算プリントもありました。録音機やデジタルカメラ、何に使うのかさっぱりわからない塊――あさればあさるほど、さまざまなものが飛び出してきます。

 まるで、宝探しをしているみたいでした。前足で紙をかきわけるたびにワクワク心が躍ります。


『おかしとか、おもちゃとかないかなー』

「キャーっ、ネコ!!」


 突然、耳を貫く悲鳴が飛び込んできました。

 キョーコは弾かれたように顔を上げます。

 中園先生です。手で口をおおっています。


『あ、中園先生!』


 キョーコは喜んで呼びかけましたが、中園先生の顔は真っ青でした。


「こら、ネコ!! 早く出ていきなさい!」


 しっしっと、中園先生が手を払います。キョーコが慌てて避けますと、先生の手がバチンっと机にあたりました。もし、当たっていたら、白い身体に赤い痕がハッキリついていたことでしょう。背中の毛が、ぞっと逆立ちました。


『わたしだよ、先生!』


 キョーコは全力で呼びかけましたが、先生は気づいてくれません。

 このままでは、殺されてしまいます。キョーコは死に物狂いで逃げ出しました。他の先生の机を蹴りとばしながら、必死に足をうごかします。そして、息も絶え絶え、やっとの思いで窓から外に飛び出しました。


『はぁはぁ、疲れた……』

 

 キョーコはブランコの陰に身を潜め、ようやく足を止めたのでした。






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