第038話 ミーミル大聖堂 第六階層
◇◇◇ ミーミル大聖堂 第六階層 ◇◇◇
三階層分くらいの長い階段を下り、六階層へと到着した。壁や床が深緑色の石壁なのはこれまで通りだが、所々剥がれており、土の感触を味わうことができる。雑草も生え、石壁の間からは草花が顔を出していた。
そこは、このダンジョンへ入る前の庭園のような広場だった。
灰色の石柱が何本も立っており、崩れて倒れているのもある。周囲が森から石壁になったくらいの違いはあるが、それ以外はそっくりだった。
木々がつけている葉も、これまでと同様に毒々しい紅紫色をしている。壁沿いに設けられた水路には、紫色に濁った泥水が流れている。立ち込める臭気が、俺の気分を悪くさせた。
そして一番の問題は紫の濃霧だ。庭園の奥へ進もうにも、その先が霧で覆われていて見えない。槍で風を起こして霧を払いながら、なんとか歩を進める。
「明らかに異様な雰囲気だな……ここが最下層か?」
「まだ断定はできないけど、この階層に何かがあるのは確かね」
お互い、警戒を強めながら奥へと進むと、大きな鉄の扉が道を塞いだ。また開けられない扉かと思ったが、力を合わせて押してみると、ギリギリと音を立てながら重い扉が開き始めた。
霧が足元を覆い隠すように床一面に広がっており、天井には黒い霧のような『もや』がかかっていた。部屋の中央を横切る水路には紫の泥水が流れていて、強烈な異臭を漂わせている。水路に架かる短い橋を渡ると、奥には石の床が何段も重ねられた祭壇のようなものが見えた。そして、その中央に佇む不気味な影。
身の丈三メートルくらいで、横幅が広い。黒い斑点が特徴的で、人間のように手足が長い巨大な蛙だ。ウシガエルのような茶色の肌をしていて、はっきり言うと気持ち悪い。
大きくなっただけじゃない。黒と紫が混じり合う闇の波動を体から立ち昇らせ、異様な殺気を放っている。これまで戦ったどの魔物よりも強いと、俺の直感が言っていた。
「お前たちが、侵入者、か」
その巨大蛙は奇妙な声色で、片言のように抑揚のない言葉を発してきた。初日に魔物と話していなければ、驚いていただろうな。
「ちょっと! あのカエル、喋ってるわよ!」
グラドリーネは魔物の声を聞いたことがなかったのだろうか、ひどく驚いた様子だ。
「カエル、じゃない。おで、の名は、バエル。お前らは、排除、する」
こいつの名前は『バエル』というらしい。蛙の、バエルか。名乗ってくれて助かった。相手のことを知るには、まず名前からだ。
「ここまで来たら戦うしかないわね。本気でやらないと死ぬわよ、ヒロト!」
「わかってる! ……来るぞ!」
覚悟を決めてヤツを見据えると、大きな口から糸状の唾を吐きかけてきた。まだヤツとの距離はかなりあったので危なげなく回避するが、かなりのスピードだ。それに連発も可能な、厄介な攻撃だった。唾が付いた石の床が煙を上げて溶け始めるほど、あれは強力らしい。相変わらず、魔物の唾は恐ろしいものばかりだ。
糸の唾を避けると、今度はジャンプして飛び掛かってくる。蛙らしくジャンプ力はかなりのものだ。あの巨体でのしかかられたら、一溜まりもない。
「切り裂け! エア・スラッシャー!」
俺が狙われている隙に、グラドリーネが魔法を詠唱していた。無詠唱魔法と違い、集中して詠唱すると威力が格段に上がるというのは聞いたことがあった。無数の風の刃が蛙の吐いた唾の糸を切り裂きながら、巨体の腹に命中する。並みの魔物なら防御も能わず、バラバラに引き裂かれるであろう強力な魔法。蛙の体にはわずかに切り裂いた跡が付いたが、それも黒い雷のような火花を上げながらすぐに塞がってしまった。
「回復、しているの……? 風の中級魔法なのに、まるで効果無いじゃない!」
魔法を使う者に狙いを変更したかと思うと、すぐに飛びつく。俺よりも速く動ける彼女に命中することはない。だが、ジャンプして後退した直後に長い舌が彼女を掴み、きつく巻き上げられる。間髪を入れずに、舌を鞭のようにしならせて床や壁に叩きつけた。
異常なほど伸びるその舌の力は強く、自力で振り解くことができないようだ。叩きつけている自分の舌もダメージを受けているはずだが、ヤツの持つ回復力のためか、構わず何度も振り回していた。
「この野郎!!」
全身から湧き上がる怒りに身を任せ、足と腕にエルスが送り込む。高速で舌を斬り抜け、なんとかグラドリーネを解放することができた。白い煙が立ち昇るが、緑の衣は溶けずに済んだようだ。だが、強く締め付けられて何度も叩きつけられた体は相当なダメージを受けていて、剣を地面に刺して何とか倒れないように踏ん張っていた。
斬られて床に落ちた長い舌は、ビクンビクンと何度か跳ねた後に霧散する。バエルは舌を斬られても平然としていて、みるみるうちに再生していく。
「ヤツは俺が引き付ける。その間に、回復を!」
返事も無いが、今はできるだけはやく離れたほうがいいだろう。ヤツにグラドリーネを集中攻撃させないよう、全力で相手をしなければならない。
床に転がる火の魔石を走りながら拾い上げ、エルスを送って投げつける。水棲生物なら、火に強いということはないはずだ。だがその威力を確かめる前に、ヤツの飛ばした唾によって相殺されてしまう。想像以上に素早く、賢い。行動も的確で隙がない。
防戦一方で、攻撃するチャンスが欠片もなかった。糸の唾による遠距離、舌による叩きつけなど、素早い波状攻撃を回避するのが精いっぱいだった。追い打ちをかけるように、小さな手から紫に輝く闇の光球を放ってくる。ガーゴイルが使ってきたものより一回り大きいものを連発してくるので、避けるのが大変だ。
こうして一方的に攻撃を許している展開が続いたが、何の作戦もないわけではない。グラドリーネが回復する時間さえ稼げれば、いずれ逆転の目は出てくるはず。
「もう許さないわよ! そこのカエル、覚悟しなさい!!」
まき散らした糸の唾を切り裂きながら、伸ばした舌を貫通する風の刃。衝撃を受けた蛙は、俺への攻撃を一旦中止して後方に飛び退く。ヤツの体の表面は頑丈だが、中身はそれなりに柔らかいことは確かだ。
「もう大丈夫なのか?」
「いけるわ! 私に傷を負わせたこと、後悔させてやるわよ」
「よし! 二人ならやれるはずだ!」
蛙の攻撃を一緒に受けないよう、お互いに距離を取る。一方が狙われたときに、もう片方が攻撃を仕掛ける。かなりの強敵だが、恐れることはない。やれることをやれば、必ず勝てるはずだ。
「俺から、行くぜぇ!!」
床に落ちている火の魔石を拾いつつ、突撃する。糸の唾と闇の光球を避けつつ、舌が伸びるタイミングを狙う。近づけば大ジャンプをして場所を移すなど、先ほどとは打って変わって防戦になる蛙のバエルだが、ついに舌を伸ばして俺の体を狙ってきた。
「これでも食らえ!」
舌が出ているということは、すなわち口を大きく開けているということ。唾も同時に出せるわけじゃない。かなり恐ろしい攻撃だが、そこが最大の弱点だ。
拾った火の魔石を点火し、喉の奥に投げつける。体が赤くなったかと思うと、舌を引っ込めてのたうち回るカエル。効果は抜群だったようだ。
「「今だ!」」
声を上げると同時に、地面を蹴って飛び掛かり、互いがすれ違うようにしてカエルを斬り裂く。確かな手応えを感じてヤツを見ると、体がもう少しで真っ二つになるというところまで深手を負っていた。しかし、絶命させることはできず、これまでよりはゆっくりとだが傷が塞がっていく。
ブオー、ブオー、というヤツの鳴き声が静かに響き、消耗しているように見える。先ほどまで体を覆っていた闇の波動も、かなり薄くなってきている。
「もう、怒った、ぞぉぉぉぉぉぉ!!」
これまで茶色の肌だったカエルの体表が、炎のように真っ赤に染まり、体が膨れ上がる。細かった手足も、ガッチリとした筋肉が付いたように見えた。
「フンガァァァ!!」
赤く染まったその巨体が、直線的に俺を目がけて飛んでくる。これまで以上のスピードで近づき、拳を振り下ろしてきた。その一撃は間一髪のところで回避し、ヤツの拳が地面を割ったと思うと、腹に強烈な痛みを感じた。
どうやら舌を伸ばして俺を攻撃していたらしい。気付いたときには、壁に激突していた。この世界に来てから、一番の痛みだ。骨の二、三本やられていてもおかしくないほどの衝撃だったが、なんとか立ち上がることはできる。
「ヒロト、避けて!」
どこからか声がしたと思うと、眼前に紫の光球が十数発向かってきていた。これを全て避けきるのは、不可能だ。一瞬、死を思い浮かべたかもしれない。
咄嗟に、地面に四散している光の魔石を手に取って投げつける。ディスペル・マジックの効果がどこまで効くかはわからないが、少しは減ってくれるはずだ。
光球が俺の周辺に炸裂し、煙が立ち込める。自分がどれくらい攻撃を受けたかはわからないが、まだ意識はあった。手探りでポーチから回復薬を手に取り、飲み干す。
一本、二本、三本。ここで惜しんでいたら、この戦いには勝てない。
そう思ったとき、体がビクンと跳ねた。体が熱い。骨が溶け、全身がバラバラになるような強烈な感覚に襲われる。側に転がる空の容器を見ると、一つはエルノアの母親から強引に渡された謎の薬のものだった。そういやそんなものもあったなと思い出していると、体から痛みが引いていき、同時に、何か熱いものが込み上げてくる。
「うおぉぉぉぉぉぉ! あっちぃぃぃぃぃぃ!!」
大量の『熱』が、全身を駆け巡る。エルスだ。血の流れと共に、体中でエルスを感じる。これまで腕とか足とか、部分的に集中させることがあったエルスの力が、今は全身に溢れていた。これなら、強くなったバエルとも戦えそうだ。だが、攻撃手段を用意しておく必要がある。
近くに散在している魔石から火と土の魔石を手に取り、お手製の爆弾をいくつか用意してポーチに突っ込む。ふと手を見てみると、赤く火照っているように見える。
「ハッハッハ! 待たせたな、リーネ!!」
ヤツと熾烈な戦いを繰り広げていたところへ駆け寄る。あの薬を飲んでからというもの、動きたくて仕方がない。破壊の衝動を掻き立てられ、意識が『何か』に持っていかれそうだ。
「ちょっと、動けるなら手伝いなさいよ! っていうかあんた、赤いわよ!?」
「バエェェェル! 俺が相手だ!!」
蛙の化け物に向かって転がっていた火の魔石を投げつける。小さな火炎が巻き起こるが、今のヤツに対しては全く効果がなかった。
「許さ、ないぃぃぃ!」
手の平に巨大な闇の光球を浮かべ、投げつけてくる。少し前は恐ろしかったこの球も、何故か大したことのないものに感じる。飛んできた球を払いのけるようにして左手の甲で弾く。グラドリーネが火球を剣で跳ね返していたことがあったが、こんな感じなのか。
「魔法なんざ効かねえんだよ!」
何度も光球を放ってくるが、それを全て弾く。隙ありと見たのか、光球の間からヤツの舌がうねりながら向かってくる。
ギリギリのところで舌を避け、上から槍を突き立てて大地に刺す。これで、舌を戻すことはできない。
「うまいもんくれてやるよ! よ~く味わうんだな!」
二度あることは三度ある、ということだ。再び舌が飛び出て口が開いたままになっているそこに、お手製の爆弾を投げ入れる。爆弾が炸裂し、体が一度大きく飛び跳ねた。口からは黒い煙が立ち昇り、舌が千切れて霧散する。
だが、あいつの再生力はまだまだあるようだった。相当なダメージを負っているのか、舌がなかなか復活しない。
「ヒロト、大技を仕掛けるわ! 少し時間を稼いで!」
「よっし、任せろ!」
ヤツが完全に治る前に、再び攻撃を開始する。体が思うように動かないのか、俺の猛攻が全て命中する。手を休めることなく、再生が追い付かないように徹底的に斬り刻んだ。
再生しきっていない舌がだらっと口から出て、閉じることができなくなっていた。すかさず爆弾を突っ込み、さらに爆発させる。ポーチに残る爆弾全てを、次々に投げ入れる。何度も何度も風船のように膨れあがり、ついにヤツはほとんど動かなくなっていた。だが体の表面が再生しているのを見ると、未だに絶命していないことは確かだ。
「今だ、リーネ!」
「私の全力、受けてみなさい!」
グラドリーネのほうを見ると、光輝く剣を高く掲げていた。周囲から光の粒が集まり、剣をより輝かせる。掲げた剣の先にある天井付近には、バチバチと火花が散る青白い雷が集まっていた。
「光れ稲妻! 轟け雷鳴! はぁぁぁっ!」
高く跳びあがり、剣に雷を宿す。彼女自身が、閃光となった。
「天雷神剣!!」
バエル目がけて垂直に落ちる、光速の剣技。それはまさしく『稲妻』そのものだった。
轟雷と共に突き立てられた剣は、バエルを貫いて地面に刺さる。いや、『バエルだったモノ』と呼ぶべきか。残っているのは背中などのごく一部で、肉体の中心部をさらけ出す。そこには黒々とした魔石のようなものがあり、今も輝きを失っていなかった。
グラドリーネが、弱々しくこちらに戻ってくる。消耗が激しいようで、足が細かく震えていて、立つのがやっとというところだ。
「どう、だったかしら? あれが私の本気よ」
やりきった表情で、ついに倒れかける。抱きかかえて移動し、離れたところに彼女を静かに座らせる。遠目でバエルの死体を確認すると、そこにはバチバチと火花が散り、残る雷光の中に黒い稲妻が混じっていた。あれは再生のときに発生するものだ。
『許さ、ないぃぃぃ! 逃がさ、ないぃぃぃ!!』
頭に響くヤツの怨念。やはり、生きていたか。
ゆっくりではあるが、地面に倒れるバエルの肉体が再生しているのがわかる。これ以上、元に戻られると今度こそ勝てないだろう。やるなら、今しかない。
「しつこいやつは嫌われるぜ」
俺の全身に流れるエルスは、まだ残っていた。『万象自在』によって溜められたエルスを腕とガヴァレリストに送り、強く握りしめる。槍を回転させて持ち替え、準備は万端だ。
「往生しろ、バエル!」
全身にみなぎるエルスによって、超人的な跳躍力を発揮する。ヤツの体を見下ろしながら、槍を投げつけた。俺が持てる力を全てつぎ込んだ、渾身の一撃。
俺の手から離れた槍は、宇宙に輝く星々(ほしぼし)のような光の粒を纏いながら、バエルに向かって彗星のように落ちる。ヤツの黒い水晶にぶつかった途端、周囲が光で満たされ、何も見えない。
なんとか着地すると、槍を放った場所には大きな窪みが出来ていた。バエルの体も、グラドリーネの剣も、俺の槍も、全て跡形も無く消し飛び、後に残っていたのは通常の魔物とは違った一際黒い魔水晶だけだった。
*02/15 技の名称を変更




