第032話 死せる泉の森
風呂に入ったのにまたローブを着たグリムを説得し、なんとか『女の子用』の服を着させることに成功した。
自分の目で見て、ようやく判明した謎。グリムは、女性だった。
「だから言ったじゃないですか。……女の子の体、そんなに見たかったんですか?」
「ち、違う! 断じて違う! いや、違わないけど! そういう目的じゃなかったんだよ!」
顔の一部以外、体の全てが隠れるような野暮ったいローブから上下セットのパジャマに着替えたグリムは、可愛らしい女の子だった。
表情も、少し柔らかくなっているような気がする。いつもは、何かを睨むように鋭くした目を変えないで、常に冷たい表情をしていたのだが、今はどこか穏やかな顔でリラックスしているように見える。
「どうだ、その服。エルが選んで買ってくれたんだぞ」
「五階層で守ってもらったお礼ですから。気に入ってくれましたか?」
「……うん、ありがと」
思いのほか、気に入った様子だ。風呂上りなのもあるだろうけど、頬に朱が入っていて生き生きとしているように見える。こうして女の子の格好をしていると、男と間違えるわけがないんだけどな。
「明日のことなんだが、俺はグラドリーネとダンジョンへ行く。二人は一緒に行けないみたいだから、他のダンジョンへ行ったりしないで待機しといてくれ。ヘイムダルに行ったりしてもいいけど、危険なことはしないようにな」
ポーチから金貨五枚ずつを渡す。これで二、三日は飯を食ったりするのには困らないはずだ。宿代を一週間分前払いしておいたので、銀行にある二万Gを除けば手持ちのお金はかなり少なくなってしまった。
「明日中に戻れればいいけど、無理だったら戻るのは明後日になる。休暇と思ってゆっくりしといてくれ。早めに晩飯を済ませて、夕方以降は街に出ないようにな」
夜の街には何があるかわからない。俺がいないときに何か起こってしまったら最悪だ。二人にはよく注意してもらわないといけない。
「君は、心配性なんだな」
「大丈夫ですよ、なるべくグリムさんと一緒に行動しますので」
エルノアが笑顔を見せると、グリムも微笑みを返した……ように見えた。
グリムもエルノアもそう身長は変わらないのだが、二人が姉妹だったらエルノアのほうがお姉さんだろうな。
「それより、ヒロトさんも気を付けてくださいね。私たち二人を置いてパーティ解散なんて嫌ですからね」
「そうだ。君に死なれては困る。僕の興味は君の体にあるのだからな」
「心配はお互い様ってことだな。ま、俺も死ぬ気はサラサラないし、グラドリーネもいるから油断しなけりゃ大丈夫だろ。明日も早いし、そろそろ寝るとするか」
明日は朝六時に集合だ。遅れたとあれば相手の信頼を損ねてしまうし、ダンジョン攻略にも支障が出る。なるべく、ダンジョンで一晩過ごすなんてことはしたくないからな。
明日への興奮と少しの不安を抱きながら、暖かい毛布に包まれた。
◇◇◇◇◇◇
何時間寝たのだろうか。起こされることもなく、自然に目が覚めると、エルノアは既に起きてメイド服を着ていた。部屋の隅にある燭台の蝋燭に火を灯し、テーブルの上で何か作業をしているようだ。
顔を洗い、いつものように顎の髭を剃っておく。活動するごとにぼんやりした頭が動きだし、準備の速度も上がっていく。
グリムもいつの間にか起きていて、既にローブを纏っている。窓を開けてもまだ太陽は目覚めておらず、辺りは薄暗いままだった。
「それってもしかして、ゆで卵か?」
鉄の鍋に入っていたのは、ぐつぐつと煮え立つ湯に浸かる卵だった。鍋の下にコンロなどはないのだが、中をよく見ると赤い魔石が輝いていた。
「火の魔石で水を沸騰させました。台所も具材もないので、このようなものしか作れませんが」
家から持ってきていた鍋などで、簡単に料理ができるらしい。本格的にダンジョンへ潜るなら、食事のことは真剣に考えたほうが良さそうだ。いずれにしても、帰ってきてからだな。
「今朝の分は、この卵を加えたサンドイッチです。もう少し待ってくださいね」
俺が持っていく分のゆで卵とは別に、サンドイッチに入れる分も用意していたようだ。
それはエレンさんの宿屋で食べた朝飯と同じように美味しく、活力を満たしてくれた。
薄暗い帝都の朝を歩く。これだけ朝早くでも冒険者や商人たちとすれ違うことが多いが、それでも昼間や晩飯時の帝都と比べると明らかに静かだ。
「あんたたち、早いね」
待ち合わせの場所である『ゲート』に、エルフのグラドリーネが到着する少し前に来ていた。正確な時間がわからないので準備が出来次第ここへ来ていたのだが、どうやらタイミングとしては良かったようだ。
「それじゃあ、行ってくる。二人とも変なことに巻き込まれないようにな」
「はい。ヒロトさんも頑張ってきてください!」
二人に見送られながら、グラドリーネとゲートに入る。行き先は彼女に任せれば大丈夫だ。
「ミーミルの町へ!」
光の粒が集まり、俺とグラドリーネを包むように渦へと変わる。
ゲートの外で待つ二人を見ながら、視界が光で遮られ、意識が溶けていった。
◇◇◇◇◇◇
新たな町に着いた。四つの石柱が屋根を支えているだけの簡素なゲートだった。そこには職員も誰もおらず、通行証の確認などもない。入り口という入り口もなく、東西南北どこからでも入ることができる。帝都やヘイムダル王国のような重要な場所でもない場合は、確認されないこともあるみたいだ。
ゲートがそのような簡素な建物だったことからすぐに察しはついたのだが、どうやらこの町、かなりの田舎のようだ。というよりは、寂れている。木造の小さな家が点々(てんてん)とし、町の周囲には森が広がっている。朝早いこともあって、人は見かけない。
「なんていうか、のどかな町っていうよりは随分寂しい感じがするな」
「そりゃあ、ね。今や老人くらいしかいないところだし。栄えていた昔の名残で『町』ってついてるけど、正直今じゃ村って言ったほうが正しいわね。水が悪くなってから、作物も自分たちで食べる分くらいしか育たないみたいだし……」
水が悪くなった、か。昔流行ったってい疫病と関係があったりするんだろうか。
「ま、ここは単なる通過点だから。馬を借りて、森の奥まで行くわよ」
そういえば、彼女がいた場所は『死せる泉の森』だったっけ。この町の奥にある森が、それなんだろう。
「あの家の人に馬を借りる約束をしているから」
一番森に近い家を指差し、さっさと歩いて行く。馬小屋付きで、町の中では比較的大きい建物だ。
扉をノックすると、中から白い髪と白鬚をしている老人が出てくる。特に変わった特徴もないし、俺と同じランダー族だろうか。歳の割にはフサフサした髪の毛をしている。グラドリーネがいくらかの硬貨を渡し、馬を借りていく話を済ます。
「俺、馬乗れないんだけど」
「えっ!? もう二人分払っちゃったわよ」
「すまん、後ろに乗っけてくれ」
乗馬を挑戦してみてもよかったが、落馬して頭を打ったりしたら最悪だからな。今は最も安全な方法を取るべきだ。
「ゲートが使えるようになって、馬に乗る人もだいぶ減ったって聞くけど、あんたもそうだったんだ」
若者の車離れみたいなものだろうか。まあ、ゲートがあれば町の移動に苦労しないんだから、必要はなくなるよな。車とバイクの運転免許ならどっちも持っているんだが、この世界では役に立ちそうもない。
馬に鞍を装備させて、身軽にまたがる。身長百六十五センチくらいのエルフだが、一挙手一投足が軽く、身のこなしの良さがわかる。彼女が背中につけていた剣と盾を代わりに背負うが、既にバックパックを背負っていたので少々窮屈だ。
グラドリーネの手を借りて俺もなんとか乗ることができた。
「しっかりつかまってなさいよ」
体を密着させて彼女の胴体に左腕を回すと、柔らかな重みを感じる。エルノアほどではないが、発育が良いのは確かだ。袈裟掛けにした革のベルトが胸の谷間に食い込んでいたので、昨日からその大きさだけは確認済みだが。
髪の毛からは、花のような果実のような、爽やかだがどこかフルーティーな香りが鼻孔をくすぐる。この時代に、シャンプーかそれに代わるものがあるんだろうか。
ケツの痛みを耐えながら、馬の軽快な走りで鬱蒼とした森を駆け抜けていくと、いつの間にか紅紫の霧が周囲に立ち込めており、天から差す光を遮っていた。
それからほどなくして崖に到着すると、グラドリーネが任務を果たした馬を解放し、元いた家へ帰るように囁く。崖から見下ろした場所は、さきほどと同じく紫の濃霧で覆われていて地面が見えなくなっていた。
その濃霧から突き抜けて生える、異常に高く伸びた大樹が崖のずっと向こうまで続いており、グラドリーネはその先をじっと見ていた。
「……やっぱり、霧が濃くなってる」
「魔物の影響か?」
「恐らくね。さて、先へ進むわよ」
指を差したのは、大樹から横に伸びる枝だった。枝というよりは、並みの木の幹と同じくらいの太さがある立派なものだった。
「まさか、ここを渡っていくのか?」
「毒の霧の中を進んでもいいわよ? 私は上を行くけどね」
「無茶を言うな。このために腕試しをやったのか」
「そうね。ジャンプ力が無ければ連れていけないし、弱くて戦えないのもダメ。たった二つの条件を満たす人間、全然いなかったのよ」
ついでに報酬ゼロの条件も加えたほうがいい。むしろそれが一番の原因だと思う。
とはいえ、そのおかげで今こうして一緒にいられるわけだから、俺からすると良い条件だったということだ。
枝から枝へは、およそ二十から三十メートルといったところだろう。エルスの力を完璧に使いこなすにはまだまだ経験が少なすぎるが、連続でジャンプしていくことだけに集中すればある程度は持つだろう。最初から全開で行かず、ギリギリ届く程度の力加減をここで身に着けるくらいの覚悟で臨めば、大丈夫なはずだ。
「さあ、行くわよ!」
掛け声とともに、グラドリーネの足元に小さな風が巻き起こる。見るからに風属性の魔法を使って華麗に枝へと飛び移る。
【万象自在】を意識し、エルスを足に送って大地を蹴る。この距離なら、問題なく跳んでいけそうだ。次の枝で待っていたグラドリーネも、それを見るなり次から次へと飛び移っていった。
崖のときはそれほど気にしなかったが、実際に枝に飛び移るとその高さに驚く。高所恐怖症だったら、この光景を見ただけでも卒倒するだろう。それに、自分の足元が不安定なのも、気分を悪くさせる原因のひとつだった。
枝から枝へと跳び移る度に、少しずつ高いところへ渡っていくのがわかった。大樹が相当な高さまで伸びているのもあるが、底が最初に見た時より明らかに遠い。
三十本ほど、大樹を跳んで渡っていっただろうか。ようやく向こう岸である崖に到着し、枝ではない安定した大地を踏みしめた。溜め込んだエルスの大部分を消化してしまったようで、肉体的にも怠さを感じる。何度も立ち幅跳びを繰り返したら、今みたいな気分の悪さになるだろう。
「大丈夫? これくらいで疲れてたら、先が思いやられるわよ」
「なんとかな。すぐに良くなるって」
バックパックから水筒を取り出し、一口だけ飲む。スポーツドリンクのような、ほのかな甘みのある果実のジュースだ。そんな俺を横目に、彼女は全く息が乱れていなかった。エルフの魔法が凄いのか、体力に自信があるのか、あるいは両方か。
眼前に広がるのは、巨大な崖の壁だった。その真ん中にちょこんと扉がつけられており、近くで見ると高さ五メートルはあるような古ぼけたものだった。周囲には、人工的な石柱がいくつも立っており、中には倒れて壊れてしまっているのもあった。
扉のある崖の壁には、木の杭のようなものが埋め込まれていた。扉から見て左と右にそれぞれ一本ずつ埋め込まれているそれは、車のタイヤほどの大きさの円柱で、これを押し込むにはかなりの力が必要そうに見える。
「この杭を同時に押せば、扉が開くはずよ。私一人じゃ無理な理由が、これ」
「片方ずつじゃ駄目というわけか」
せーの、で同時に力を込め、木の杭を押し続ける。最初こそびくともしなかったが、数ミリ動いた途端に軽くなり、ゆっくり押すだけで自然と杭が崖にめり込んでいく。同時に、中央の重く分厚い扉が軋みながら開いていく。
無言で目配せしながら中に入ると、そこには木の蔦で覆われた、誰にも手入れされていない教会があった。周囲の木々が毒々(どくどく)しい紅紫色の葉をつけており、見るからに毒を持っていそうなキノコなども生えている。小さな池も濁っており、腐った水で一杯になっていた。
「ここが、ダンジョンなのか?」
「そうね。以前エルフの仲間がここに来たときに魔物に襲われたと言ってたし、間違いないわ。どんな敵が来るかわからないから、注意しなさいよね」
盾を手に取り、剣を左手に持つ。グラドリーネは、左利きだった。
俺も気を引き締め、槍を持つ右手に力が入った。
「さあ、ダンジョン攻略と行くわよ!」




