第023話 勉強会
隣にあるはずの温もりが消え、肌寒さに気が付いて目が覚めた。
二日続けて全裸で寝ることになっていたが、朝の風は冷たく、急いで服を着る。
窓を開けると薄い水色の世界が広がっており、まだ人の活動する時間ではないことを知る。
町の中央のダンジョン入り口付近には鉄で作られた大きな日時計があるが、この部屋の窓からは見ることができない。
ポーチから髭殺しと名付けたミニマムダガーを取り出し、あまり生えていない顎髭を剃る。
顔を洗い、便所を済ませると、ようやくぼんやりとした頭が起きてくる。
冒険者の朝は早い。食堂に着くと、既に数名の冒険者は食事を終えるところだった。
これからダンジョンに潜るんだろうか? その割にはダンジョン内で見かけない気がする。地下迷宮以外のダンジョンに行っているんだろうか。
カウンター席に座り、朝食をエルノアの母親である女将さんに頼む。
朝食を終える頃になっても、エルノアは姿を見せなかった。魔石の使い方や金属の種類について色々聞いて勉強したいと思っていたんだが……何かあったんだろうか?
いや、昨日は色々あったんだが。それはまあ置いといて。
じいさんの店に行って何か作業でもしているんだろう。
締めのコーヒーを頂きながら、次の行動を考えていた。
今後のことを相談しながら決めたかった。やろうと思っていることはいくつかあるわけだが、何から順番にやるのが効率が良いか、二人の意見も聞きつつ決めたい。
「女将さん、エルノアが帰ってきたら俺は城へ行ったって伝えてもらえますか?」
ちびちびとコーヒーを飲みながら、女将さんの小さな背中越しに声を掛ける。
「はいよ、ヒロちゃん。ところで『女将さん』じゃなくて『お義母さん』と呼んでもいいのよ? フフッ」
「――ッ!?」
衝撃的すぎる言葉に、コーヒーが別の器官に入りそうになった。間一髪のところでギリギリ噴出さずに済んだが、まだ喉のほうに違和感がある。
「今朝、あなたの部屋からエルちゃんが出てきたのを見たわよぉ。昨夜はお楽しみでしたね、フフッ」
あまりの恥ずかしさにわざとらしく「ゲホゲホ」と咳払いする。できればそれ以上言うのはやめて下さい。
「そ、それじゃ、伝言お願いしまーす……」
逃げるようにして宿屋を後にし、城へ向かう。十時頃にサリナと約束しているが、日時計を見る限りだと今は七時半ぐらいなのでそれなりに時間がある。
ダンジョンへ行くという選択肢もあったが、万が一ということもあるので一人で行くのは極力避けようと思う。
じいさんの店へ寄ることも考えた。エルノアもいそうだし、行ってもいいんだが……。
特に用事もないし、作業の邪魔をするのは悪いということで消去法で城へ行くことにした。
城門はもう開いていた。朝は何時からやっているんだろうか。
他の地域にある城へのゲートも城の中にあるということから、様々な移動のために早くから開放していそうなものだが、それを担当する兵士は朝早くからの仕事ということになる。
最も、深夜だろうが早朝だろうがダンジョン入り口の見張り役などもいるから、連中の仕事はどれも大変そうだ。
衛兵に軽く会釈しつつ入る。大広間には兵士すらほとんどおらず、がらんとしていた。
「グリムってどこにいるんだっけ……」
つい思っていたことを呟く。これまでの行動からして城に住んでいることは間違いなさそうだが、部屋などは全く知らなかった。呼びに行くにしても、城の奥へ勝手に入るのは色々とマズいだろう。
「呼んだか?」
「へぁっ!?」
背後から声がしたと思うと、眼鏡を掛けた青髪の魔法使いが立っていた。相変わらず白いローブを羽織っていて、襟で口元が隠れており、いつも変わらず仏頂面をしている。
そして、神出鬼没である。人の気配が全くしないのに、近くで立っていることがよくある。おかげで、これまでにも何度か驚かされていた。
「あのさあ……急に出てくるとびっくりするんだよ。もうちょっとマシな現れ方はできないのか」
特に返事もない。探す手間が省けたということで良しとしよう。
大広間から繋がる通路を通り、食堂へ入る。この世界に来て最初に食べたのが、この食堂のカレーだ。訳も分からず鎧の魔物を倒し、隣でグリムと話ながらカレーを食べていたのを思い出す。
「今後のことをどうしようか考えていてさ。ここに転生してから今日で三日目、少しずつ生活には慣れてきたつもりだけど、やっぱりまだ知らないことが多すぎるんだよな」
「君は目覚ましい成長を遂げているように見えるが、何か不安なことでもあるのか」
「ステータスにしても、アイテムにしても、知らないことだらけなんだよ。全てを知っておかないと、いざというときに苦労することになる」
「君は全てを知ろうとしているのか。僕と同じだな」
まさかグリムが自分と同じという扱いをしてくるとは思ってもみなかった。俺からすれば、対極の位置にいる人間だと思うが。
「知りたいことから知っていけばいいだろう。いきなり全てを知るのは不可能だ」
「つってもなあ、何から知っていけばいいんだか、それがわからないんだよな」
知りたいことは多い、だがどれから手を付けていけばいいのかもわからない。
何の知識が足りなくて、どれを知るべきか、わからない。
「気になったことから知っていけばいい」
気になったことか。そうだな、グリムの性別とか気になるが。
俺はグリムのことを何となく男だと思ってしまっていたが、エルノアが見る限りでは女だという。性別不詳なこの人間のことを知る必要があるだろうけど、それを聞くと「僕のことは気にするな」と言われてしまうので、聞くのはやめておこう。
「そうだな、気になるのは……レベルだな。昨日と今朝を比べると、レベルと体力が『1』しか上昇していない。ステータスがいきなり上がるわけはないと思っているが、幼竜や巨眼生物を倒して一ずつしか上がらないのはどうなんだ?」
ギルドブックを開き、自分のステータスを確認する。
名前:ヒロト
種族:ランダー
職業:戦士 Lv3
HP: 320
腕力: 99
技能: 15
知性: 5
魔力: 0
体力: 32
敏捷: 18
魅力: 9
AC: -25
昨日はレベルが『2』になり、体力も『31』になった。今日はそのどちらも『1』ずつ上がり、レベルが『3』、体力が『32』となった。HPは体力の十倍の数値みたいなので、現在は『320』だ。
「説明しよう。レベルは寝るごとに『1』しか上昇しない。しかし、経験値は蓄積されている。どれだけ魔物を倒して経験値を稼ごうが、一晩であがるレベルは『1』だけだ。次の日、魔物と戦っていなくてもレベルが上昇するだけの経験値が蓄積されているなら、寝ることで次の日にレベルが上昇することになる」
「寝る子は育つってことか」
「そうだ。睡眠というのは人間にとって重要な意味を持つ。寝ないことには、レベルが上がることはない。と、こういうことを言うと勘違いする人間もいるのだが、昼寝程度の浅い睡眠では意味がない。夜、活動しないときにしっかりと休むことが大事だ」
なるほど。それなら大丈夫だ。昨日の夜は……何か色々あったが朝までぐっすり寝たし、この世界に来てからというもの、テレビやインターネットを見て夜更かしすることもないので、結構早めに寝ているからな。
「じゃあ、魔法について教えてくれ」
「君が見たことのある魔法のうち二つは『儀式魔法』と呼ばれるものだ。一つは、君を転生したときに使った魔法。もう一つは、昨日使った儀式魔法を打ち破る魔法だ。はっきり言うと、この魔法は普通一人で行うものではなく、複数人で発動させる。僕は特殊で一人でも発動できるが、一般的には大人数で行うものだ」
グリムのやつ、さらっと自分が凄い人間ってことをアピールしてきやがる。本人は全くそのつもりはないんだろうけど。転生の儀式魔法なんて特別な人間でも簡単に使えるものじゃないだろうしな。
他にも、町と町、ダンジョンと町を繋ぐ魔法陣『ゲート』も儀式魔法で作られたものらしい。ダンジョンにあの魔法陣を作るのは、相当苦労したそうだ。
「精霊を使役し、命令して放つのが『精霊魔法』だ。君も一度、五階層で魔術師が火の玉を放っているのを見たことがあるはず。あれは、己の持つエルスと空間にあるエルスを使い、精霊に火を起こさせるように命じて発生させたものだ」
途端にわからなくなる。エルスの使い方は少し理解していたが、精霊に命令するというのがわからない。
「前にも言ったが、君は魔力がゼロだ。普通、どんな人間でも少しは持っているもので、ゼロという人間は君以外に知らない。おそらくそのせいで、君は精霊と関わり合うことができないのではないかと推測される。つまり、『精霊』という概念を、理解することができないんだ」
「エルスは何となくわかるんだけどな、スキルを習得したおかげで、使えるようになったし」
エルスは力そのものだ。槍を強く握ると、そこにエルスという力が集中する感覚。俺の【万象自在】というスキルは、溜めたエルスをさらに集中させることで、力をより高めるものだ。
「本来ならばそれと同じように『精霊を使役する』という感覚がわかるはずだ。まあ、魔力がゼロの人間に魔法は使えないだろう。これに関しては、諦めることだな」
折角異世界に来たのに、魔法を使用することができないという。といっても、習得したスキルによってそれに近いことはできるんだから、今となっては特に不満もない。
食堂で始まったグリムとの勉強会は、まだまだ続く。




