久々のお風呂!
「ふぅ……」
最後の洗い物の水気を切って、一息つく。
同時に、ポンコツの私にも、洗い物ぐらいはできるのだと、程度の低い達成感に浸る。
「姫ちゃん、お疲れ!」
深谷ママに、ポンと頭を軽く撫でられ、私は意味もなく、だけど自然に笑った。
「そう、それそれ」
「え?」
「姫ちゃん笑ってた方が絶対いいわよ。いろいろ大変だろうけどね」
「…………」
どうやら、愛想笑いをしてた事を見抜かれちゃってたらしい。
恥ずかしさと同時に、嬉しさ。
「今日は疲れただろうから、お風呂に入ってきたら?」
「!」
お風呂!
異世界ではちゃんとしたお風呂がなくて、サウナや水浴びばかりだった。
私の顔が輝いたのが分かったのか、深谷ママはすぐさまバスタオルを用意してくれた。
「お風呂はここね」
「…………」
脱衣所に案内される。
先に入ったらしい、未散の服や下着が散乱していた。
「あの子ったら……」
その惨状を見て、深谷ママが呆れたように手で顔を覆う。
「あ、あはは……」
私は苦笑いしかできない。
深谷ママがそれらを整理し、脱衣所を出ていく前に、思い出したように言った。
「着替えは姫ちゃんがお風呂に入ってる間に未散のお古を出していおくからね!」
「あ、ありがとうございますっ」
脱衣所のドアが閉じられる。
「ふぅ……」
二度目の溜息。
今日はすごく疲れた。
でも、仕事をして、家事までしている深谷ママは私の非ではないくらいに疲れているだろう。
本当に、感謝の念しかない。
それにしても――――
未散のお古かぁ……。すっごく複雑だなぁ……。
それに未散も嫌がるんじゃないかな?
「お風呂……入ろ」
私は考えるのをやめ、服を脱ぎ始めた。
浴室に入ると、サウナとはまた違った懐かしい熱気に自然と頬が緩む。
シャワーを出し、ちょうどいい温度のお湯になっているのを見計らってから、豪快に頭から被った。
「あぁ~気持ちいぃ……」
全身の筋肉が弛緩するのが分かった。
細かい粒子の水に打たれ、一気にリラックス状態になる。
一通り、全身を濡らした後、私はウキウキした気分でシャンプーを手に取った。
「シャンプーだー!」
感激である。
異世界には、油で簡易に作れる石鹸しかなかった。
シャンプーのパッケージには薔薇の絵と共に、華やかなローズの香りと書かれており、ワンプッシュ掌に出してみると、すごくいい匂いが浴室に広がる。
これ! これだよ! あっちの石鹸は無臭だったからなー。
掌でシャンプーを泡立ててから、意気揚々と頭頂部に馴染ませる。
優しく、優しーく。 ゴシゴシしちゃダメなんだよね? 確か……。
向こうでメイドの言っていた事を思い出しながら、洗っていく。
自分で洗髪するのも、何年ぶりだろうか。
それくらい、私は生活面ではメイドに頼り切っていた。
頭頂部を泡立たせると、次は後頭部、毛先へと降りていく。
洗い残しがないか、全体的に指を通してみてから、私はシャンプーをしっかりと洗い流した。
「ふぅっ!」
すっきり、すっぱり洗い流すと、爽快な気分だった。
試しに、毛先を鼻先に近付けてみると、シャンプーのすごくいい匂いがした。
わぁーすごーい!
なんだか、すごく嬉しい。
変な匂いがするよりは、いい匂いがした方がいいに決まってる。
「さぁーて……次は」
ボディーソープ!
柑橘系!
未散から漂っていた香りを思い出し、私はさっそく使ってみた。
スポンジを濡らし、ボディーソープで泡立てる。
それで肌を擦ってみると――――
あれ? なんかチクチクするかも……?
スポンジはすごく柔らかい素材にも関わらず、違和感があった。
異世界では掌で直接全身を撫でまわされ、悶絶して毎回おもちゃにされていたから、スポンジの方がいいかなって思ったんだけど。
まぁ、私の肌ってすっごい弱いからね……。
あっという間に日焼けするし、すぐ赤くなるし。
色白だから、赤くなると本当に目立ってしまう。
ニキビができたりしたら大騒ぎだ。
スポンジで擦ったことが原因で、何か肌のトラブルを起こす事は避けたかった。
仕方ない……手で洗おう。
「んっ」
脇腹や内ももに触れると、どうしてもビクッてなってしまう。
他人に触られたからそうなるのかと思っていたが、どうもそうではないようだ。
私が我慢して、隅々までしばらく洗ったのち、洗い流す。
おぉっ! スベスベになった気がする!
私は満足げな笑みを浮かべ、浴槽につかった。
「ふぃぃ……」
肩まで浸かると、情けない声が出た。
今日はいろいろとあったが、それらがすべて、お湯に溶けてしまいそうな心地。
あれもこれも、深谷ママとつかさのおかげだ。
「あれ?」
そこで私は、今更ながら、ある事に思い至る。
つかさのあの怪我……。
切り傷、刺し傷。
少なくとも、普通に生活していて、できるものではない。
「あれは……どこで?」
誰が……?
嫌な、予感がした。
お風呂から上がってリビングに行く。
つかさは自室に戻っているようで、いない。
深谷ママと未散が揃ってドラマを見ていた。
相変わらずドラマ好きなんだなー。
昔はよく深谷家に泊り、毎日のようにドラマを見ることを強要されていた。
恋愛系のドラマばかりで、男の子だった私には少し退屈だった。
深谷ママとつかさの背後に立ち、ドラマを眺めてみる。
「あら? 姫ちゃんあがったのね」
「あ、はい。気持ち良かったです」
「そう。それは良かったわ」
和やかに私と深谷ママは言葉を交わす。
しかし、その穏やかな空気に割り込む一つの刃!
「ちょっと! それ私のパジャマじゃない!」
「…………」
まぁ、そうなるよね……といった感じ。
ちなみに、私が着ているパジャマは、ピンクでフード付きで、アニメ調にデフォルメされた子犬がそこかしこにプリントしてある。
子供っぽいけど、フカフカの生地で気持ちいいし、外出する訳じゃないから、可愛くて私はけっこう好みだった。
「未散ちゃんはもう着ないんだから別にいいじゃない」
深谷ママがテレビに顔を向けたまま言う。
「そういう問題じゃない! あの子が着てるのが嫌なの!」
未散は私のいる前でもズバズバ言う。
昔からこんな感じだったけど、友達はいるのか心配になってくる。
まぁ、未散はカッコイイ女の子ってタイプだから、そういうのも許されるのかもしれないけど。
私が同じような態度をとったらハブられるのは確実だろう。
人によって許されるキャラと許されないキャラがある。
とりわけ、女の子同士の間だと、その線引きは男同士よりもはるかにシビアだ。
私もこの世界で生きていくなら、その辺りの事を考えておかなければならない。
神輿になるか、媚びるか。
媚びるスタイルでいくなら、この先は茨の道になるだろう。
かといって、私が神輿になれるかというと、無理だろう。
だって可愛いくらいしか取り柄ないし……。
『お前じゃないと……ダメなんだっ!』
『自分の言ってること分かってるの? ……貴方、私の親友と付き合ってるのよ?』
『分かってる! ……分かってるさ……それでも……お前が――――』
『――――全然分かってないっ!!』
ドラマはクライマックス。
どうも、男と恋人とその親友の、三角関係を描いたドラマらしかった。
見ていると、なんとなく昔よりも面白く感じる自分がいる。
感情移入とか、そういう問題ではなく、理解不明なワクワクしたものが沸き上がってくる。
その裏で――――
「絶対嫌!」
「…………未散ちゃん」
深谷ママと未散の言い合いも佳境を迎えようとしていた。
どちらかといえば、未散優勢。
深谷ママとしては、どうして未散がここまで頑強に反対しているか、測り兼ねている様子。
たぶん、私が身元不明というのもあるんだけど、つかさと深谷ママが揃って私をプッシュしているのも、気に入らないんだろう。
「はぁ……未散ちゃん……そんな事でどうするの? これから姫ちゃんは未散ちゃんの部屋で寝泊まりするのに……」
「え?」
「はい?」
唐突な深谷ママの言葉に、私と未散は固まる。
「マ、ママ? 聞き間違いだろうからもう一度聞くけど、今……なんて?」
震える声で未散が尋ねる。
心情は私も同様だった。
「だ・か・ら! これからしばらくの間、未散ちゃんのお部屋に姫ちゃんも寝泊まりするの!」
「はあああああああっ?!」
未散の大声が木霊す。
私は耳を塞ぎ、深谷ママは眉を顰めた。
「未散ちゃん? もう夜の遅いのにそんな大声で――――」
「そんなのどうでもいい! ママ本気!? 私は絶対認めないんだから!!」
それはそうだろう。
私は明らかに未散に嫌われている。
私が文句を言える事ではないが、ものすっごく肩身は狭いし、未散のストレスも溜まるだろう。
「しょうがないでしょう? 私はパパと同室だし、つかさちゃんと同じ部屋で寝てもらう訳にも行かないじゃない?」
「リビングのソファーがあるじゃない!」
未散は今現在座っているソファーを指さす。
「わ、私もそれでいいです」
むしろ、そっちの方がいいです!
ソファー最高!
「ダ~メ!」
だが、深谷ママは聞く耳を持たない。
「私とその子の関係分かってる!? 私いろいろ酷い事言っちゃったし……その子も私の事嫌ってるだろうし……」
「――――!」
未散! 少しくらいは悪いと思ってたんだ!?
「だからこそよ。 姫ちゃんにしばらく家にいてもらうなら、仲良くなった方がいいじゃない。同じ部屋で過ごして、私とじゃなく、二人で話し合いなさい。それが嫌なら未散にリビングで寝てもらうわ!」
ビシッ! と深谷ママは未散に言葉をぶつける。
未散は涙目になりながら「う~!」と呻き、しかし反論はもうしなかった。
ドラマは裏切りを知った恋人が親友にナイフで襲い掛かるシーンで終了した。
なんとなく、他人事ではないような気がした。