名前決まっちゃった
「姫ちゃん!」
深谷ママは、そう私を呼んだ。
「はいっ!」
私の名前を呼ばれ、私は当たり前のように返事をする。
私は今日から、深谷 姫――――そう名乗る事になった。
私はそうなった経緯を、少しだけ回想した。
深谷ママが作った料理を食べ終わった後、深谷ママは私、つかさ、未散の三人に言い放った。
ちなみに私も料理を手伝っていたのだが、開始五分にして戦力外通告を受けたのは、思い出したくない事実であるので割愛する。
「今から彼女の名前を決めましょう」
満面の笑み。
しかし、反論は許さぬといった体だ。
「まぁ、必要かな?」
つかさは賛成。
「名前決めなくたって自分のがあるでしょ?」
未散は相変わらず疑念に満ちた視線を送っている。
私が記憶喪失だなんてまったく信じていない様子だ。
大正解!
「皆の賛成が得られた所で、まずは貴方は何か希望はあるかしら?」
深谷ママの視線が私に向く。
未散は不満そうに口をとがらせていた。
「えっと……希望とか、そういうのは……」
希望があるかと問われると、本名である蓮しか浮かばない。
しかし、それを口に出せるわけもなく、私はおまかせを選ぶ。
なんか変な名前だったら、その時に言えばいいよね?
深谷ママを信頼しています!
「そう?」
私が全幅の信頼を寄せた深谷ママはニンマリ笑う。
なにか深谷ママには考えがあるようだ。
「私はね……姫ちゃんって言うのが可愛いと思うなー」
……おおぅっ……。
「姫ちゃん?」
「ひぃ~めぇぇちゃん?!」
つかさはしっくりこないのか、首を傾げ、未散は無駄にドスを聞かせた声色で鼻で笑った。
私としても、うん、遠慮したい感じ。
「なに? 不満でもあるの?」
深谷ママは深谷ママで、名前に自信があったのか、私達の反応を訝しんでいた。
「ドレス着てるし……こんっなに! 可愛いし! 姫ちゃんってすごく似合うと思わない? ねぇ?」
「は、はぁ……」
それを私に同意を求めないでほしい。
私が同意しちゃったら自意識過剰の痛い子みたいに思われそう……未散に。
「てかさ! 記憶喪失の子がドレスって普通に考えておかしくない?」
「うっ」
相変わらず未散は痛い所を突いてくる。
いや、でもまぁ、普通は疑問に思っちゃうよね、そこ。
「料理の時も思ったけど、姫ちゃんは良い所のお嬢さんだと思うのよ」
あれ? いつの間にか姫ちゃんで定着しちゃってる!?
「外出中に頭をぶつけたり、ショックな事があったりして、記憶を失っちゃったのよ」
うぅ、嘘ついてごめんなさい! 全部設定なんです!
「お嬢様ねぇー? 世間知らずのお嬢様が嘘ついてるだけなんじゃないの?」
「何のために?」
未散の適当なくせに鋭い意見に、つかさが理由を問う。
「さぁ? 庶民の生活を知りたいとかじゃないの?」
「……姉さん……アニメの見すぎだよ」
「うっさい!」
未散がつかさの頭を軽く叩く。
「とにかく!」
未散が鋭く私を射抜く。
「事情があるなら早く白状しないさよ」
「っ!」
女の子にしては身長があって、中性的な美貌を持つ未散は迫力があった。
ここ何年か、威圧どころか明確な悪意を向けられた経験のない私は、容易く怯んでしまう。
「姉さん、姫恐がってるよ。それくらいにしてあげたら?」
助け舟を出してくれたのは、以外にもつかさだった。
そして、つかさまでも私を姫と呼ぶ。
「つかさ……あんた一体どっちの味方なわけよ?」
「そ、そりゃ……べ、別にどっちの味方でもないって!」
しかし、敵意が自分に向きかけたと分かるや否や、つかさは一歩後退する。
つかさ! 踏ん張れ!
「そういえば、あんたがこの子連れてきたんだったわよね?」
「そ、そうだけど……」
「あんた……何か知ってるんじゃないの?」
「し、知らないって!」
風向きが悪くなったのを感じ取ったつかさの顔が青くなる。
「ああ、そっか。私と買い物行く待ち合わせをすっぽかしたのも、この子に会ってたからなんだ?」
「そ、それは関係ないだろ! そりゃ約束破ったのは悪かったと思ってるよ! でも、困ってる子を放っておけないだろ!?」
「つかさ! 私とあの子どっちが大切なのよ!?」
「そういう問題じゃなーい!」
どんどんヒートアップしていく言い合い。
私は何もできず、仏像のように固まっていた。
そんな私の肩がトントンと叩かれる。
振り向くと、深谷ママだった。
「洗い物、手伝ってくれる?」
「は、はい! で、でも、また迷惑かけちゃうかも……」
「いいのいいの。可愛い女の子にかけられる迷惑なら喜んで!」
「じゃ、じゃあ……」
私は立ち上がり、自分の使った食器を持ち、深谷ママの後に続いて台所に向かった。
「私の事……大事じゃないんだ……約束破ってもいいんだ……」
「そんな事ないって! 姉さんの事は大事だよ!」
「だったら証明してよ……」
「証明? ……どうすればいいの?」
「次の休みは遊園地――――」
つかさと未散の喧嘩は佳境に入っている。
どうでもいいけど、痴話げんかみたい。姉弟だよね?
「姫ちゃーん」
「はーい! 今行きまーす!」
私の名前も結局姫なんだ。
他の候補が上がる事すらなかったな。
でも、ま、深谷ママがいいなら、それでいっか!