勘違いされました
そして、やって参りました深谷家!
「ここが僕の家だよ」
「そ、そうなんだー」
知ってる。てゆうか、ついさっきまでこの家のすぐ近くにいたしね!
「あっ」
そうして、私は大きな失態を犯したことにようやく気付いた。
「どうしたの?」
「ナ、ナンデモナイヨ?」
私……未散に一度顔見られてるじゃんっ!!
「ただいまー」
「お、おじゃましまーす……」
おずおずと、つかさの後に続いて玄関をくぐる。
「…………わぁっ」
私は小さく感嘆した。
何故なら、玄関から見える深谷家の様子は、三年前とまったく変わっていなかったから。
清潔感で溢れるフローリング。
靴は壁際の収納に綺麗に納められており、百合の花が飾られ、品のいい香気に満ちている。
このどこか潔癖そうな空気本当に懐かしいな……。
潔癖そうに見えるだけで、実際はそうでもないしね!
本格的に、帰ってきたんだという実感に私は浸る。
今まで、どこか現実味がなかった。
三年前とあまりにも変わってしまったものが多かったからだ。
でも、こうして三年前と変わらない風景に出会え、私は思わず涙ぐむ。
「ちょっと待ってて。とりあえずズボン着替えてから、母さんに話してくるから」
「うん。……お願いします」
だが、じっと涙を私は堪える。
つかさにはこれ以上面倒な奴だと思われたくなかったし、年上としての矜持もあったからだ。
つかさは自室への階段を登ると、血で汚れたズボンを、真新しいズボンに履き替えてくる。
そのままリビングにいる母親の元へ向かい、さらに数分して、つかさはリビングから玄関に戻ってきた。
「とりあえず、中に入って」
「わ、分かった……」
き、緊張するなぁー!
つかさが用意してくれたスリッパを履いて、私もリビングに向かう。
三年前までは毎日、まるで自分の家のように闊歩していたのに、私は今とても緊張している。
たとえ親友であっても、三年も顔を合わさなければ再開時には多少緊張するものだろう。
三年という月日の長さを私は実感していた。
「…………」
玄関とリビングを隔てる一枚の扉。
それをつかさが私に先行して開け、すぐ後にベッタリ引っ付いてくぐった。
心臓がバクバクと煩い。
わ、私は記憶喪失で記憶を思い出そうとすると頭痛がして、何も覚えてなくて――――
私は頭の中で設定を反芻する。
記憶喪失だけでも怪しいのに、言動が支離滅裂だと、ただの頭のおかしい人になってしまう。
……三年も心配かけて、ごめんなさいっ! 今だけ、少しだけでいいので私を助けてくださいっ!
覚悟を決めてリビングに入ると、私は懐かしい笑顔に迎えられた。
「いらっしゃい」
三十代後半にも関わらず、皺も肌のシミも少なく、若々しい素顔。
身体はまるで二十代のように絞れており、未だ抜群のスタイルは健在であった。
何よりも、タレぎみの目が彼女の印象を可愛らしく、また柔らかくしていた。
深谷ママ。
未散とつかさだけでなく、私にも同じくらいの愛情を注いでくれた人。
幼稚園に通っていた頃、私が深谷ママに密かに恋心を抱いていたのは、誰にも秘密だ。
その存在は何一つ変わることなく、私の目の前にあった。
「――――っ!」
泣くな! 泣くな! 泣くな! 泣くな!
まったく……涙腺が緩くなって仕方ないなー。
「は、初めまして……」
唇を噛みしめて、ペコリと頭を下げる。
すると、深谷ママは育ちの良さを示すように、突然やってきた私に対して、会釈を返してくれる。
そして、そのまま椅子を勧められた。
「し、失礼します」
ロボットのようにぎこちない動きで、私は勧められた椅子に座る。
つかさは、そんな私の隣へ腰を下ろした。
「それにしても――――」
座った私とつかさを確認して、深谷ママは過去を懐かしむように語りだした。
「早いものねー。つかさちゃんがガールフレンドを連れてくるなんて……。もう中学生だものね。私も歳をとる訳だわ」
ふぅ、と色っぽい溜息を吐きながら、深谷ママは私とつかさを微笑ましく眺める。
どうやら、つかさはまだ詳しい説明はしていないらしい。
私が横目でつかさを見ると、つかさは頬を羞恥で染めながら、慌てて弁明する。
「か、母さんっ! そういうんじゃないから! まず話を聞いてよ!」
「あら? 恥ずかしがらなくてもいいじゃない。 彼女さんにも失礼じゃない? ねぇ?」
ねぇ?と聞かれましても……。
私は愛想笑いを浮かべながら、しっかりしろという意味も込めて、つかさの脇を肘で小突く。
「母さん! 真面目な話なんだ! ちゃんと話を聞いてくれないか?」
つかさは姿勢を正し、真剣は顔で告げる。
すると、深谷ママの表情が少しだけ変わった。
俺とつかさとの間にある、只ならぬ空気を敏感に感じたのかもしれない。
「あー、そのー……あのー」
だが、次の一言がつかさの口からどうしても出てこない。
道端で出会った記憶喪失の女の子を連れてきちゃいました! なんて言うには相応の覚悟が必要だろう。
でもつかさ! ここが男の見せ所だぞっ!
私は顔を俯けて、深刻な風を装う。
相手の同情に漬け込むようなやり方は心苦しいが、もう後に引けない。
「母さん!」
キッと決意したようにつかさをどこか凛々しく見える顔を深谷ママに向ける。
しかし――――
「――――分かったわ」
それに先んじて、深谷ママは確信を得たような表情を他ならぬ私に向けた。
「え?」
突然矛先を向けられた私は戸惑う。
もちろん、私も当事者なのだが、深谷ママが何を確信したのか、まったく分からない。
「彼女さん……うちのつかさが本当にごめんなさいっ!」
「えっ! ええ!」
深谷ママは突然立ち上がると、なんとその場で土下座をした。
私は困惑と展開の速さについていけず、頭がクラクラしてきた。
とにかく深谷ママをこのままにしておく訳にはいかず、何とか頭を上げてもらおうと近寄る。
「か、母さん……何して……?」
つかさも私と同じくらい戸惑っている。
深谷ママはそんなつかさに、私でも数度しか見たことのない怒りの感情を露わにした。
「つかさ! 自分が何をしたか分かってないのっ!? いいから貴方も頭を下げて謝りなさい!!」
「はあぁ!?」
つかさと私はその場に立ち尽くす。
私はその傍らで必死に頭を働かしていた。
現在の状況にデジャヴがあった。
ドラマ好きの未散に毎日のように見せられた物語の中に、似たようなシーンがあった。
私はそれを思い出し、顔を青くした。
そして、そう考えてみると、決して突飛な想像という訳でもないことに気づく。
今までの会話の流れ、年頃の男女二人、突然の紹介、深刻な表情――――
まさか、まさかまさかまさかっ!
焦りと同時に、猛烈に恥ずかしい。
つかさは右往左往している。
確かに、男の子には理解しづらいかもしれなかった。
私が無言で深谷ママに近づき、耳元であることを告げた。
「本当?」
深谷ママは問う。
「……はい」
私ははっきりと頷いた。
「はあああああぁぁぁっ……」
深谷ママは大きく息を吐き出して脱力する。
そして、何事もなかったかのように椅子に座って言った。
「ごめんね~。ママ勘違いしちゃった!」
「あはははは……」
私は笑うしかなく、つかさは最後まで首を傾げていた。
恥ずかしいからつかさには教えてあげない!