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転入とその騒動 Ⅵ

 そのあまりにも予想外な人物に、私たちの誰も反応する事ができなかった。

 初対面の時とは違い、広瀬さんは英林の長袖の制服を着ている。

 そんな中、私がただ一つ分かった事。

 それは、広瀬さんの手の中に凶器が握られていること。

 刃渡り十五センチほどの、庖丁だ。

 夕日を浴びて不気味に光るその凶器に、私は言葉を失う。


「ひ、広瀬さ――――」


「広瀬!?」


「恵!?」


 動揺する私。

 だけど、私以上に動揺している人物が、この場には二人いた。

 

「ふふっ」


 中川さんと田宮さんのその反応に、広瀬さんは狂気じみた笑みを浮かべている。

 二人を順番に、舐る様に視界に収め、やがて私と立浪くんの番がくる。

 私の顔を見た瞬間、広瀬さんは一瞬だけ眉根を寄せた。

 だが、それ以上は何もアクションを起こさずに、興味は中川さんと田宮さんの二人に移った。


「久しぶりぃ……」


 ゾッとする感情の籠らない平坦な声。

 人の恐怖を煽る様な、口角を釣り上げただけの不気味な笑みを浮かべながら、広瀬さんは一歩を踏み出す。


「「――――っ!?」」


 そして、当然というべきか、中川さんと田宮さんの二人は、一歩後退した。

 広瀬さんは凶器を握りしめているんだ。

 いくら相手が華奢な少女で、田宮さんが荒事に慣れているとしても、迂闊な事はできない。

 そして、それは私と立浪くんも同様だ。


 ど、どうなってるの……どうなってるの!?

 つい先刻まで、私と中川さん、田宮さんの対立だった。

 状況は正直良好とは言えなかったけど、シンプルな構図。

 しかし、気が付けば場は混沌とした様相を呈していた。

 

「…………おい! な、何しに来たんや今更!」


 同じクラスなのだから当たり前だけど、面識はあるようだ。

 中川さんと田宮さんが、揃って私達のいるベッドまでジリジリと後退してくる。

 それでも、田宮さんの語気はさすがというべきか、衰えない。

 反対に、中川さんは凶器を見た瞬間から、怯えきっている。

 震えを押し殺すように、自分の両腕を握りしめていた。

 少女として、当然の反応。

 だけど、私はその様子に、少しだけ違和感を感じていた。


 当たり前と言えば、当たり前だけど……でも、中川さんってそういう子じゃない気がする……。


 あくまで、気がするだけで、確証はない。

 ただ、私の中川さんのイメージは、参謀タイプで、プライドの高い女王様気質の子という印象だ。

 それは、クラスの人間関係にも表れている。

 その中川さんが、この状況に、こんなに怯えを露わにするだろうか?

 むしろ、広瀬さんと面識のある分、凶器を持っていようがいまいが、高圧的に出るような気がしてならない。

 だって、彼女は今、田宮さんと一緒にいるのだから。

 中川さんは他の誰でもなく、田宮さんにだけは弱みを見せたくないはず。

 少なくとも、私が中川さんなら、そう思う。


 そんな中川さんが恐怖を露わにできるのは、きっと身に覚えがあるんだ。

 それも、田宮さんと共通して、広瀬さんに狙われる理由が……。


「中川さん……」


 私は近づいてきた中川さんに、小声で話しかける。

 中川さんは「何よ!」と言いたげに、顔をこちらに向けた。


「広瀬さんとの間に何かあったの?」


 遠まわしに聞いている暇はない。

 すると、中川さんは声を荒げた。


「そ、そんな事、あんたに関係ないでしょうがっ!」


「!?」


 ば、馬鹿!? そんな大声だしたら!


「なーに話してるのぉ?」


 案の定、中川さんの大声は広瀬さんの興味を引いたのか、幽鬼のように近寄ってくる。

 一歩進むごとに、庖丁の切っ先がユラユラと獲物を探すように揺れるのが恐ろしい。


「う、動くな!」


 田宮さんが声を張り上げる。

 だが、それで止まる人間がいるはずもなく、広瀬さんはまた一歩、私たちに近づく。


「こっち来んな言うてるやろ!?」


 この場にきて、ようやく田宮さんが怯えを見せ始めた。

 それでも、チラチラと中川さんの様子を伺うあたりが、二人の歪な関係を感じさせた。


「と、止まれ……や……」


 声にも震えが混じる、

 無理もない。

 田宮さんの目と鼻の先に、もう広瀬さんはいるのだ。

 広瀬さんは狙いを定めるように庖丁を田宮さん目掛けて構える。

 そして、衣替えしたばかりの夏用のブラウスのボタンを庖丁でつつき始めた。

 こうなってしまえば、私達はもう息を飲むしかない。


 ――――どうしようもない。

 そう思ったのは、どうやら私だけだったようだ。


「きゃっ!」


 私は下から跳ね飛ばされる。

 言う間でもなく、立浪くんが起き上がったのだ。

 

「いっつ……」


 床に転がり落ちた私は、強打した肩を抑えて、蹲る。

 私は立浪くんを見上げた。

 立浪くんは口の動きだけで「ごめん」と呟いた後、堂々と広瀬さんに向かっていく。


 立浪くん!? そ、そんな刺激するような真似したら!


 しかし、私が制止の声をかけようとする時には、すでに立浪くんは広瀬さんの間合いに入っていた。

 恐れを知らない立浪くんは硬直した田宮さんを背後に突き飛ばし、広瀬さんと距離を開けさせる。

 すかさず広瀬さんが距離を詰めようと迫るが、立浪くんはなんと自分の身体を間に入れて、割って入った。


 危ないってぇ! 何考えてんの!?


 本当に立浪くんが何を考えているのかが分からない。

 いや、普通に考えたら、私達を守ろうとしてくれているんだろうけどさ。


 それとも何か……立浪くんには考えがあるの?


 立浪くんと広瀬さんは元クラスメートであり、何らかの繋がりがあるのかもしれない。

 何か、今の広瀬さんを翻意させる作戦でもあるんだろうか?


「ひ、久しぶりだな……広瀬」


「ん? ああ、立浪……だっけ? 話すの初めてじゃん……」


 庖丁の切っ先を揺らしながら、まるで今気づいたと言わんばかりに、広瀬さんは立浪くんに声をかける。

 広瀬さんの庖丁は今まさに立浪くんに向けられているというのに、それをまったく気にした様子もないのが逆に恐ろしい。


 てか知り合いじゃないの? 話すの初めてって……。


 立浪くんはすごいいい人なのかもしれない。 

 でも同時に、すごく馬鹿なのかも。

 そんな失礼きわまる感想を抱きながら、私は状況の推移を見守る事しかできない。


 私にできる事は多くない。

 でも、生きてさえいてくれれば、重症を負っていようと助けることができる。

 私は私で気を張っているしかない。

 いつでも、動けるように!


「ずっと学校こないで心配してたぞ……げ、元気か?」


「うん! すっごく元気ぃ~。こんな事できちゃうくらい!」


「――――っ!」


 中身のない会話。

 だけど、邪魔された広瀬さんの苛立ちは順調に溜まっているようで、田宮さんにしていたように、庖丁の切っ先で立浪くんのシャツのボタンをトントンする。

 立浪くんは時折緊張で息を詰まらせながらも、引き攣った笑顔を浮かべていた。


「そ、そうか……。元気だな、広瀬は」


「…………」

 

 ボタンをトントンから、グリグリに変わる。


「こんなことやめてさ! 学校来いよ!」


 グリグリから突き刺すように押し込む動作に変わった。


 そ、そろそろまずいって! なんで立浪くんは煽る様な事言うんだよっ!

 学校来いよなんて、明らかな地雷ワードじゃん!


「皆待って――――」


「あのさぁ……」


 庖丁を一旦離し、広瀬さんは下から立浪くんを睨み付ける。


「お前邪魔。どかないと殺すよ?」


 それだけハッキリとした口調で広瀬さんは言った。


「っ!」


 立浪くんはゴクリと迫力に押された様に生唾を飲み込む。

 でも、それは一瞬で、観念したように目をつむると、唐突に頭を下げた。


「ごめんっ!!」


 ある意味で男らしい潔さのある謝罪。

 だけど、私にはまるでチンプンカンプンだ。

 

 なんで謝罪? 命乞い?

 …………それとも、やっぱり何かあるの?


 パッと思いつくのは――――


 中川さんと田宮さんが関わっているとなると……。


 それはまさしく、今私が陥っているのと同じ――――


 イジメ?


「何なのよぉ……立浪ぃっ」


 今も頭を深く下げる立浪くんを広瀬さんは鋭い目で見ている。

 苛立ちは最高潮で、いつ爆発してもおかしくない。


「ごめん!!」


 もう一度、立浪くんは力強く言った。


「このっ!」


 広瀬さんは堪忍袋が切れたとばかりに、立浪くんを蹴りつけた。

 ガシガシと何度も何度も……。

 立浪くんは時折喚き声を上げるだけで、頭を下げ続けた。

 それが五分くらい続き、広瀬さんが息を荒げながら蹴るのをやめる。

 立浪くんの蹴られた部分は青く変色しており、決して立浪くんが苦痛を感じていなかった訳じゃないのが分かる。


「立浪ぃっ! 今更なんなのよっ! そこどけよっ! 私はあいつらに――――」


 殺気交じりの視線が中川さんと田宮さんを射抜く。

 二人は金縛りにあったかのように動きを止め、視線から逃れるように顔を背けた。


 立浪くんもういいよ! そこどいて!


 何かがあったのは間違いない。

 だけど、どう考えても立浪くんは関係ないはずだ。

 謝るべきは他にいるでしょ!


「な、何よ」


「な、なんだよ……」


 自然と中川さんと田宮さんを見てしまう。

 二人は居心地悪そうに顔を見合わせるだけ。

 この期に及んで、謝罪しようという気持ちの欠片すら見せない。

 

「何もしてやれなくて、本当にごめん!」


 その間も、立浪くんは頭を下げ続けている。


「俺知ってた。広瀬がイジメられてること……。それを見て見ぬふりしてたんだ……。それでお前が追いつめられて……こんなことになって……俺にも責任がある! だからごめんっ! お願いだから思いとどまってくれ!」


 やっぱり広瀬さんはイジメられてたんだ。

 広瀬くんが知っているという事は、クラスで広瀬さんがイジメられているのは周知の事実だったのかもしれない。

 立浪くんが責任を感じるのは仕方のない事かもしれない。

 だけど、それでも立浪くんが悪い訳でもない。

 人はそんなに綺麗な生き物じゃない。

 オーガナイザでの日々に、私はそれを深く学んだ。


 そして広瀬さんも同情の余地がある。

 少なくとも、今回の件については……。

 悪いのは――――


「中川さんと田宮さんも、一緒に謝ったらどうかな?」


 気が付けば、私はその言葉を口に出していた。

 

「は、はぁ?」


「……ふざけんなよ」


 さすがの二人も、反論に力がなかった。

 命の恐怖に晒されて、少しは現実を知ったということかな。


「いい加減にしろよ!! 中川! 田宮!」


「――――!?」


 二人に追い打ちをかけるように、立浪くんの怒声が降りかかる。

 その声はまだ幼さを残しながらも、紛れもなく男のもので、二人は総身を震わせた。

 そして、またしても無言で顔を見合わせると――――


「ご、ごめん……なさい」


「わ、悪かった……」


 その場で頭を下げた。

 そのふて腐れたような謝罪の声の中に、しかし明らかに悔恨の意を垣間見た。

 本気で怯えて震えるその様子からも、よく分かる。


 だが、しかしだ。

 こんなものは所詮茶番にしかすぎず。

 少し前の二人と同じく、広瀬さんには出来の悪いコントにしか見えないこともまた事実。


「な、なんだよぉそれぇ……なんで謝ったりするんだよぉ……」


 にも関わらず、広瀬さんは泣いていた。

 ずっと欲しかったものを与えられた涙ではなく、むしろ逆。

 欲しかったものをひょんな偶然で浚われて泣いているように見えた。

 それくらい広瀬さんは覚悟を持ってここへやってきたんだろう。


「ふざけるな……ふざけるな! ふざけるなぁっ!!」


 涙を振り切って、広瀬さんは怒りを発露する。

 昔から追いつめられた人間の行きつく先は同じ。

 ――――ヤケクソだ。


 広瀬さんが庖丁を振り上げる。

 

「うあああああああああっ!」


 絶叫とともに駆け出す。

 切っ先が狙うのは中川さん!


「中川さん! 避けて!」


 反射的に、私はそんな事を口にしていた。

 私は中川さんとは仲良くなれなかった。

 そして今日、反抗した。

 でも、中川さんに傷ついて欲しかった訳じゃない!

 絶対に!


「え……え?」


 しかし、切っ先に定められた中川さんはまったく動けない。

 そこで、いつも通り田宮さんを見ようとする。

 だが、そこにはいつもいるはずの田宮さんはどこにもいない。

 田宮さんは広瀬さんが駆け出した瞬間、中川さんを見捨ててとっくに逃げ出していた。


「う、うわあああああああっ!」


 私は視界の端で、保健室から大声を上げながら逃げていく田宮さんを見ていた。


「中川ぁ! 死ねっ!」


 まるでスローモーションのようだった。

 中川さんの身体に庖丁が吸い込まれる寸前、そこに割り込む影があった。


「うぐっ!」

 

 悲鳴。

 

「立浪くん!!」


 私は駆け出す。

 立浪くんは中川さんを庇って、その身に庖丁を突き立てられていた。

 立浪くんはその場に膝をつく。


「ううぅ……」


 真っ青な顔で、腹部を立浪くんは見た。

 そこには庖丁の柄だけがあり、刃の部分は深々と立浪くんの中に消えている。

 堪え切れず、立浪くんはお尻をつき、上半身をゆっくりと仰向けに倒した。


「立浪くん! 立浪くん!」


 必死に呼びかける。

 まだ意識はあった。

 だけど、その苦痛によって、立浪くんの表情は刻一刻と歪んでいく。


「う、嘘……そんな……」


 中川さんは立浪くんの倒れる様を見て放心状態に陥っている。

 そして――――


「こんな……こんなの! 嘘よ! 嘘っ!!」


 頭を掻き毟り、走り出した。

 ついさっきの田宮さんのリプレイでも見ているかのように、振り返ることすらせず、保健室から走り去ってしまう。


「このっ!」


 中川さんも、田宮さんも……最低っ!

 自分の事しか考えてないの!?


 中川さんにとって、立浪くんは自分を守ってくれた人だ。

 そんな恩人を見捨てて、走り去っていくそのメンタリティーは私の理解を超えていた。


 最低! 最低! 最低っ!!

 初めから分かり合えるはずなんてなかったんだ! あんな子っ!


「うぁ……なんでぇ……邪魔するのぉ……?」


 滝のように大粒の涙を流しながら、広瀬さんは唇を噛みしめる。

 恨みの籠った視線を立浪くんに向ける広瀬さんに、私は――――


「グダグダ言ってるんじゃないっ! 立浪くんが死にそうなんだよ!? 立浪くんは広瀬さんの事だって助けようとしてたのにっ!」


 ああ、もうっ!

 私まで泣けてきた……。

 本当に、皆どうかしてる。


「姫ちゃん……ごめんな……」


「立浪くん! 大丈夫だから!」


 苦痛に呻きながら、それでも立浪くんは泣いている私を気遣ってくれる。

 私の方こそ、酷い事をしてしまったのに。

 そして、立浪くんは広瀬さんを見た。


「な、なによ……」


 どんな恨み言を言われるのかと、広瀬さんは慄き、一歩下がった。

 そんな広瀬さんにも、立浪くんは言うのだ。


「こんな事になっちまって……ごめんな……」


「っ……ぅっ……なんでぇっ……」


 それは他のどんな恨み言よりも、広瀬さんの心を強烈に打ち抜く。


「私が……なんでぇ……こんなっ……! ごめんなさ、い……立浪ぃ……ごめっ……」


 跪き、懺悔する。


「……気にすんな」


 立浪くんは、明るく笑った。

 広瀬さんは、今度こそ、罪悪感と悔恨の涙を流す。


「姫ちゃん……」


「なに?」


 まるで死期を悟ったかのような穏やかな声色。


「もう俺が死んだらさ……広瀬の味方してやって欲しい……俺が許してるって皆に伝えて欲しい」


「……もうっ」


 本当に馬鹿げた願いだ。

 そんな事しちゃったら、私まで悪者になっちゃうよ。

 やっぱりまだ中学生だね。

 立浪くんのご両親が、どれくらい立浪くんを愛してるのか、全然分かってないよ。

 って、私が言っちゃだめだよね。

 私なんて、家族が大事だなんて言いながら、我が身可愛さに先延ばしにしてる弱虫だもん。

 だけど、今だけは、それを棚に上げて言わせてもらうね?


「馬鹿……」

 

「はははっ……バレたか……」


 庖丁を抜いてないおかげで、出血量はそんなに多くない。

 このまま救急車を呼んでも、普通に助かるのかもしれない。

 だけど、そんな不確かな方法よりも、より確実で、より多くの人が救われる方法がある。


 特別だよ、立浪くん。

 誰にでもするって訳じゃないんだからね?


 まず初めに、私は広瀬さんに声をかける。


「広瀬さん! 手伝って!!」


「えっ?」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔。


「立浪くんを一緒に助けるよ」


 その一言で、広瀬さんの表情が変わった。


「助けられるの?」


 疑念と期待に満ちた瞳に、私は力強く頷いてみせる。


「私に……できることなら!」


 広瀬さんは、縋る様に聖女わたしを信じてくれた。









「今から庖丁抜くから、傷口をシーツでしっかりと押さえて! 力一杯ね!」


 まず、ハサミでベッドのシーツを切り取り、広瀬さんに渡した。

 広瀬さんに頼む役割とは、言う間でもなく止血だ。

 

「で、でも……こういう時って抜かない方がいいって聞くけど……」


 庖丁を抜くと言った時の広瀬さんの反応は不安一色だった。

 今でもそうだけど、なんとか抑え込む。

 そのために、私は自信満々な態度をとった。


「大丈夫だよ。特別な方法があるんだ」


 私にしかできない事。

 それを行使するのに、迷いはない。


「…………信じていいんだよね?」


「うん」


 いつになく素直な広瀬さん。

 元々は、こういう子なのかもしれない。

 そう思うと、中川さんと田宮さんへの怒りが湧いてくる。

 そもそも、彼女たちがいなければ、広瀬さんは不登校にならなかったし、つかさが刺されることもなかったんだ。


「じゃあ行くよ?」


 庖丁の柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。

 血が湧きたち、それを抑え込むように広瀬さんがぎゅっとシーツで抑え込む。

 幸いなことに、立浪くんは数分前から意識を失っており、引き抜く際の痛みを感じさせることはなかった。


「ふぅ……」


 無事に庖丁を引き抜く。

 真っ赤な血に染められた庖丁は異様な迫力を伴っている。

 広瀬さんが、庖丁から目を逸らす。

 シーツはあっという間に、紅く染まっていく。

 私は一瞬だけ広瀬さんの存在を気にしたが、迷っている時間はなかった。

 立浪くんの頭を膝枕のにして持ち上げ、唇を寄せた。

 か細い吐息。

 生きている証であるその体温。


 大丈夫だからね、立浪くん。今、助けるからね……。


「セットアップ! 聖女起動!」


 燐光が舞い上がり、広瀬さんが驚愕の声を漏らす。


「清浄なる光よ。人々から遍く痛みを取り払いたまえ……」


 きっと、つかさと出会ってなかったら、立浪くんの事、好きになってたと思うよ……。


 燐光の中、唇が重なった。

 舌を絡ませ、唾液を交換する。


 光が収まった時、立浪くんは嘘のように穏やかで健康的な寝顔を浮かべていた。

 




 

 学園編はもう少しゆっくりと、日常をやるべきだったと反省しています。

 もしかしたら改稿するかもしれませんが、とりあえず完結させます。

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