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転入とその騒動 Ⅰ

 梅雨。

 それは一年で最も憂鬱な季節。

 中途半端にムシムシして、汗で下着の中が蒸れるわ、雨降るわでもう最悪の一月ちょっと。

 そして、私の英林中学転入日当日も、当たり前のように空を雲が覆い、ポツポツと雨が地上に降り注いでいた。

 私は窓から外を眺めながら黄昏る。

 

 ああ、神様が泣いてるのかな……。


 そんな脳味噌が融けそうなアホらしい事を考えて、私は現実逃避していた。

 背後から聞こえてくるのは、生徒たちの歓声。

 今か今かと、季節外れの転入生に期待を寄せている純情な少年少女の姿が容易に想像できた。


 て、転入なんて余裕だよっ! 私は異世界でもやってこれたんだからっ!


 そうだ。

 私は人種も何もかも違う世界で三年という月日を生き抜いたのだ。

 その私がこの程度――――しかも年下の子供たちに動揺などするはずがないじゃないか。

 私はほっと息を吐いて、空を見上げた。


「嫌な天気……」


 私の不安は全部、この天気のせいなんだ。







「深谷さーん!」


 教室のドアが開けられ、担任の先生に呼ばれる。


「ひ、ひゃいっ!」


 覚悟をしていたはずなのに、私は奇声を上げながら、全身をビクンと震わせた。

 膝が笑っている。

 ロボットのような、ぎくしゃくとした動きで、私は教室に入った。

 担任の先生――――まだ年若く見える山中由美子先生が生温い笑みを浮かべていたのは、気のせいだと思うことにした。


 私は教壇の前に直立する。

 背後で、山中先生が私の名前を黒板に書き込む。

 私は真っ直ぐ前を向くことができない。

 何故なら、こうして下を向いていても、四方八方からクラスメートの視線が痛いくらいに突き刺さっていることが分かるからだ。

 クラスがザワザワしている。

 私に対する悪口じゃないかと想像するだけで、気が気じゃなかった。


「はーい、皆! 静かにっ! この子が今日から転入してきた深谷 姫さんです。名前から分かる通り、深谷つかさくんの親戚でもあります。家庭の事情でこんな中途半端な時期の転入になりましたが皆、仲良くするように! さぁ、深谷さんも挨拶を」


 山中先生に促され、私はようやく顔を上げる。


「っ!」


 私に対する視線。

 それは悪意ではない、興味津々な空気を感じる。

 中でも、男子生徒からの視線がものすごかった。


 こんな露骨な視線……初めてかもっ……。


 下心。

 目に見えないはずのそれが、形となって感じられる気がした。

 ネットリと全身を嬲られるような不快感。 


 つかさは……こんな目で私を見たことないのに……。


 こんな視線を毎日のようにぶつけられると思うと、早くも気が滅入ってくる。

 って! 早く自己紹介しないとっ!


 何事も始めが大事である。

 陰気な女とレッテルを張られるのは遠慮願いたいものだ。

 私は意識的に笑顔を浮かべる。

 そして、異世界で習った淑女の礼を意識して、丁寧に頭を下げた。


「は、初めまして! 深谷 姫と言います。こんな時期の転入になりましたが、仲良くしてくれると嬉しいですっ!」


 言い切って、顔を上げると、一人の男子生徒が手を上げていた。


「なんですか? 立浪くん」


 山中先生が男子生徒――――立浪くんの名を呼ぶ。

 すると丸坊主で、いかにもお調子者のスポーツ少年といった感じの彼は、立ち上がり、大声で言った。


「姫ちゃんって彼氏いる?」


「えっ?」


 私は呆気にとられて固まった。

 彼氏? しかも初対面で姫ちゃんって……。

 馴れ馴れしいにも程があるでしょ!


 そう思ったのは私だけではないようで、クラスの皆は冷めた視線で立浪くんを見ていた。

 しかし、立浪くんはそんな視線など意に介さない様子で、再度問いを重ねてくる。


「で、どうなの?」


「う……あっ……い、いません……」


 無視する訳にも行かず、それだけを答える。


「おう! そっか! なら俺と付き合ってよ! 一目ぼれしたっ! 好きだっ!」


「…………」


 輝かんばかりの笑顔での告白に圧倒されそうになる。

 歓迎ムードだったはずのクラスの雰囲気はいつの間にか立浪君の周囲を残し、氷点下まで下がっている。

 私もあまりにも突然の事で、口をパクパクと閉口させることしかできない。

 そんな私に、一人の少女が助け舟を出してくれる。


「……立浪、いい加減にしなさいよ。深谷さん困ってるでしょ?」


 嫌悪感も露わに立浪を睨み付けたのは、髪を茶髪に染め、耳にピアスをつけ、清楚な印象の制服を与えるはずの制服を大胆に着崩した少女。

 どうもこの少女がこのクラスの女子の中心なのか、少女が立浪に不平を口にした途端、クラスの雰囲気が変わる。

 一瞬にして、クラス中の女子から立浪くんに敵意が集中したのだ。


「な、なんだよ!」


 その一糸乱れぬ敵意を前にして、ようやく立浪君は踏みとどまる。

 

「……分かんないの?」


 感情の籠らない少女の声色。

 冷徹な視線。 

 立浪くんはその迫力に息をのみ、無念そうに一言謝罪を口にしてから座った。


「姫ちゃん、悪かった」


「は、はい」


 私もまた、雰囲気に飲まれたまま、首を縦に振る。

 正直な話、立浪くんの告白は嬉しかった。

 誠意のあるなしは別として、好きだとはっきり言ってくれる人を嫌いになる人はあまりいないと思う。

 ただ、やっぱり状況を考えて欲しかったなぁ。

 

 私は助けてくれた少女に目くばせし、軽く頭を下げる。

 少女はニカッと笑って、席に着いた。


「あー、まぁいろいろ大変そうだけど、頑張って!」


 そんな山中先生の無責任な一言と同時に、私は自分の席となった窓際の一番後ろに座るのだった。








 一時限目が終わると、件の少女が取り巻きを引き連れて、私の席へやってきた。


「あっ、さっきはありがとうございました」


 私が改めて感謝の言葉を口にすると、少女は軽く手を振って答える。


「いいよ、いいよ! 気にしないで! そんなことより私は中川なかがわ 椿つばき。よろしくねっ!」


「よ、よろしくお願いします」


 おどおどと答える。

 もっとしっかりしないとダメだと分かっていても、なかなか上手く行かない。

 それは偏に経験不足な面があるからだろう。

 なにせ、私には未散以外に対等な女の子の友人は一人たりともいたことがないのだ。

 だから、一般的な女の子同士の付き合いというものを知らない。

 知っているのは、オーガナイザでよくしてくれたメイド達の裏で、派閥争いが起きていたこと。

 その派閥争いの渦中にいるメイドに、女同士の友情がいかに面倒かを毎日のように愚痴られた結果、身に付いた知識くらいだ。


「もうー、同い年なんだから敬語はいいってー! 気楽にいこ?」


 中川さんに肩をバシバシ叩かれる。

 私が愛想笑いを浮かべていると、取り巻きの少女たちが次々に声をかけていきた。


「うちは田宮たみや 由紀子ゆきこや!」


 ショートカットに健康的に焼けた肌。

 引き締まった肢体をしているのが、服越しにでも伝わってくる。

 運動神経抜群そうな田宮さん。


「……周防すおう 由奈ゆな……よろしく。由奈ちゃんって呼んでいいよ……」


 色白を自負している私よりも肌が白く、さらに私よりも華奢なのが由奈ちゃん。

 身長も私よりも低く、まるで小動物のような雰囲気がある。

 

 そんな個性的な三人に囲まれ、私は四苦八苦していた。


「姫ちゃん――――あっ、立浪の真似してるようで嫌だけど、姫ちゃんって呼んでいい?」


「う、うん」


「そっか。ありがと! 姫ちゃんはどこから転入してきたの?」


「あっ、岡山から……」


 ガンガンと積極的に来る中川さんの質問をなんとか交わしていく。

 ちなみに、深谷家の親戚設定や、転入前の住所なんかは、入学前に打ち合わせ済みだ。

 何故岡山かというと、深谷ママが独身時代に住んでいたかららしい。


「へぇ、岡山なんだ? けっこう近場だねー。岡山ってここより都会?」


「うーん、どうだろ? 駅前辺りは岡山の方が都会だけど、他はそんなに変わらないと思うよ」


 三年前の印象で私は答える。

 帰ってきてからも、ニュースでチラッと見たけど、うん、そんな印象だったはず。


「そっか、そっか。いやー、私って家族旅行で岡山通る事はあっても、岡山にあんまり行った記憶ないんだよねー」


 中川さんの発言に、田宮さん、由奈ちゃんの二人が共感の声を上げる。

 橋を渡ってすぐだから、いつでも行ける。

 でも、それゆえに立ち寄らないというのは実際あると思う。

 私にしても、岡山をちゃんと観光した事はない気がする。


「ねぇ! 今度岡山案内してよっ!」


 キラキラと輝く中川さんの瞳。

 その瞳を前にして、否定の言葉はでてこなかった。


「わ、わかった!」


 圧力の前に、私はいとも容易く屈するのだった。 

 調べとかなきゃ……。







「はぁ……」


 六時限目。

 私は授業の音を聴きながら、深い溜息をついていた。

 あれから、中川さん達は休み時間の度に私の所へ来てくれる。

 豊富な話題を提供してくれる訳だけど――――


 私「うん」と「いや」しか言ってないよ……。


 その間に披露した私のコミュニケーション能力は惨憺たるものだった。

 ひたすら肯定と否定の繰り返し。

 ここままでは、すぐに飽きられてしまう可能性が高い。


 私ってこんなに人見知りだったんだ……。


 お喋りは好きだ。

 しかし、好きなのと、自在に言葉を操るのでは話が別である。

 中川さん達を前にすると、緊張して返事するだけで精一杯な状態になってしまう。


 キーンコーンカーンコーン。


 悩んでいる内に、チャイムが鳴り、今日の授業が終了する。

 あとはホームルームをこなせば帰宅。

 三年ぶりの学校、非常に疲れた。

 人間関係もそうだが、勉強が全然分からない。

 それは当たり前のことだ。

 なにせ、私は中一での授業すら、ほとんどこなしていないに等しいのだから。


 はぁ、帰ったら未散に勉強教えてもらおうかな……。


 そう決心しながら、私はノートや教科書をかたずける。

 やがて、ホームルームが終了し、私は立ち上がった。


「ヤッホー!」


 そこへやって来たのが中川さん達。

 

「ヤ、ヤッホー」


 私はオウム返しで答える。

 すると、中川さん達は嬉しそうに笑ってくれた。


「お? ちょっい慣れてきた?」


「す、少しだけ」


 田宮さんの言葉に、たどたどしく答える。

 気づくと、また私は三人に囲まれていた。


 な、なんで囲むのーっ!?


 女の子同士とはいえ、周囲を囲われて逃げ場がないと、威圧感を感じてしまう。

 慣れない環境のせいもあるだろう。

 こうして親切に接してくれる中川さん達を少しだけ恐く思い、同時にそんな事を考える自分が申し訳なくなる。


「なぁ? 部活とかせん? 水泳興味ない?」


 田宮さんが私の肩に手をかける。


「っ……私、体力ないから」


「だからこそやればいいやん!」


「そ、そうだね……たはは」


 肩にかかった手が、痛い。


「……もうダメ由紀子……身体弱い人に無理に勧めるの……メッ!」


 由奈ちゃんは強引に勧誘しようとする田宮さんを注意する。


「はぁ? 別にええやん」


 しかし、田宮さんは諦めようとはしない。


「お願いや! 見学だけでも!」


「う、うん、見学だけなら……」


 そう言ってしまったものの、見学してしまえば強引に入部させられそうな空気だった。

 田宮さんは押しが強い。

 私は流されやすいので、ある意味で相性がよく、ある意味で悪い。


「じゃあ今から行きましょうか?」


 中川さんが提案する。


「お! ええやんっ!」


 もちろん、田宮さんは乗り気だ。


「二人とも……そんな急に……」


 唯一、由奈ちゃんだけが抗議してくれる。

 しかし、二人に一瞥されると、途端に言葉をなくした。


 ……なんなの? この空気……。

 これって普通なの?


 私の常識で考えるなら、普通ではない。

 しかし、考えている暇はないようだ。


「じゃあ行きましょう」


「行こ♪ 行こ♪」


 私は中川さんと田宮さんに背中を押されて歩き出す。

 その後ろを由奈ちゃんがついてくる。

 そんな囚われの身に私に、横合いから救いの手が差し伸べられる。


「姫、母さんが今日早く帰ってこいってさ」


 つかさだ。

 

「姫の転入祝いするんだってさ」


 言いながら、今度は中川さんたちに視線を向ける。


「悪いけど、そんな訳だから、ちょっといいかな?」


「え、ええ」


 中川さんが視線を逸らしつつ、答える。


 あれ? なんか頬が赤いような……。


 それだけじゃない、中川さんは落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。


 まさか……いや、まさかじゃない。

 ソレは明らかだった。


「そっか。ありがとね! ほら、姫行くよ」


「あ、うん!」


 返事をすると、逃がさないとばかりに肩にかかっていた手をのけてくれた。

 三人の中から抜け出し、三人に対して感謝の言葉を述べる。


「今日はありがとう! 明日からも……仲良くしてくれると嬉しいです!」


 そう言い残し、私はつかさの後を追った。

 

 

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