制服と美味しい紅茶
深谷ママから学校転入の話を聞かされて数日後、私は英林中学の制服の採寸に来ていた。
「手をあげてくださーい」
「は、はい」
この前のイーオンのようなショッピングセンターのような場所ではなく、英林中学から指定を受けている個人経営の小さなお店だ。
個人経営らしく、客年齢は私達よりも上の層なのか、店に置いてある服も今時という感じではなく、落ち着いたシックなものが多い。
店内は香水のようなフローラル系の匂いが充満しており、慣れてない人にはキツイかもと、そんな事を他人事にように感じる。
あれかな? アッチではあまり入浴の習慣が普及してなかったから、皆あんなにキツイ香水つけてたのかな?
私はキツイ香水の匂いに、懐かしさすら感じながら、店主である中年女性の指示に従い採寸をスムーズに行っていく。
チラリと店主がメモしている内容を見てみると、こんな内容が記されていた。
身長 150センチ
バスト 81センチ
ウエスト 54センチ
ヒップ 80センチ
ドヤァ!
思わず、ガッツポーズしたくなる。
これも、すべては日々の節制の賜物である。
やっぱり未散がおかしいだけで、私もイケてるんだよ!
こうして、改めて数字で見ると、自信が湧いてくる。
数字は嘘を吐かないのだ!
私が口元を緩めていると、ようやく採寸が終わったようだ。
「はい! もう大丈夫ですよ!」
店員さんの合図に合わせて、私はほっと肩から力を抜く。
少し離れた場所で服を見ていた深谷ママが近づいてきた。
「終わった?」
「あ、はい」
私に問いかけて、次いで店員さんを見る。
「とりあえず、今手元にあるサイズのを試着してみましょうか?」
「ええ、お願いします」
私は英林中学の制服を受け取り、カーテンに仕切られた簡易な試着室に入る。
「わぁっ」
制服を広げてみて、私は思わず声を上げた。
可愛い……。
すごく可愛い……。
それは、ブレザータイプの制服だった。
襟は小さ目、首元のリボンはスカートと御揃いのチェック柄。
シャツは清潔感があり、淡いブルーがかった色合いがとても女の子らしくて上品だった。
事前に入学案内のパンフレットを見て知っていたのだが、英林中学の女子制服は非常に人気が高いらしく、競争率もすごい。
転入となると、さらにハードルも高くなるわけで、コネで入学できたとしても、相当努力しないと酷い事になってしまうのは明白だ。
制服の実物を見て、私のモチベーションはさらに上がる。
あとは、この制服を着て、それに恥じない人間になるために、私がどれだけ頑張れるかにかかっている。
「…………」
私は、ドキドキしながら、制服に袖を通す。
ブレザーの前ボタンを閉じ、リボンをきゅっと締めて、私は鏡の前に立つ。
「――――っ」
紺のブレザーに、黒髪が流麗と流れている。
肌の白さが強調され、膝上までのチェックスカートの下からは、眩しいばかりに太腿が伸びている。
愁いを帯びた瞳が、恥ずかしそうに揺れている。
それは、紛れもなく私で――――
「姫ちゃん? 大丈夫?」
「!!」
待ちわびていたらしい深谷ママがカーテンを薄く開け、背中越しに私を覗いていた。
私ははっと我に返り、羞恥した。
「も、もう着替え終わりました!」
わ、私……自分に見惚れるなんて……は、恥ずかしいっ!
自分の事をブサイクなどと思ったことはない。
むしろ、人並み以上だという自覚はあった。
だけど、あんなにまじまじと自分を見つめた経験もなかった。
私は赤くなっている頬をごまかすように、数度撫で、振り返る。
すると、深谷ママは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべ、微笑む。
「すっごい似合ってるじゃないっ!」
興奮したように、深谷ママは賛辞の言葉を述べる。
「お似合いですよ」
店員さんもそれに同調するものだから、私は二人の顔を見れずに、逸らしてしまう。
「あ、ありがとう……ございます」
恥ずかしかったけど、それだけじゃなくて、嬉しかった。
ふと、レヴィの顔が思い浮かぶ。
レヴィも……可愛いって言ってくれたのかな……。
でも、それはもう叶わぬ願いだ。
私がこちらでの生活に適応し始めている証か、当初ほど寂しさや悲しさは感じない。
そんな私に、深谷ママが言う。
「つかさもきっと褒めてくれるわよっ!」
「つ、つかさが!?」
「ええ」
つ、つかさは関係ないしっ!
な、なんでつかさが出てくるんだろうか、ふ、不思議!
そう言われたせいか、無性に意識してしまう。
その場面が思い浮かび、居ても立っても居られない気持ちになる。
私はそんな軽い女じゃないんだからっ!
気のせいだと思えば思うほど、つかさの顔が頭から離れなくなる。
気が付けば私はつかさと重ねた唇を指でなぞっていた。
「サイズはどうでしたか?」
「あ、はい。ピッタリでした」
まるで私のために誂えられたかのように、あの制服は私に馴染んだ。
なんて、自意識過剰すぎかな。
とにかく、ちょうど良かったのは間違いない。
「奥様? お嬢様はまだ少し身長が伸びるかもしれませんし、一つ上のサイズにする事もできますが、いかがいたしますか?」
「うーん。そうねぇ……」
深谷ママが熟考する。
私としては、必要ない気がする。
……十五歳過ぎると女の子は身長伸びないらしいし……。
「女の子だし、もう急に背が伸びるってこともないでしょうし……大きいサイズだとだらしなく見えてしまうかもしれないし……とりあえず、これでお願いします。姫ちゃんも、それでいいよね?」
「はい」
私としては文句ない。
もう身長は諦めかけてるし。もうすこーし胸が大きくなってくれれば、それで……。
「畏まりました。では夏用のブラウスと体操服、カーディガンの試着はどうされますか?」
「あ、お願いします」
「はい。すぐご用意致しましね」
その後、私は言われるがままに試着をして、感想を述べて、後日受け取りということで、その店を後にした。
洋品店を出て、私は大きく伸びをする。
「あら? 疲れちゃった?」
「はい……少しだけ」
少し前なら、無理をしてでも頷いていた質問。
だが、そんな嘘をついても、深谷ママを悲しませるだけだと、私はようやく気付けた。
少しぐらいなら、甘えてもいいんじゃないかと、思えるようになった。
まぁ、実際は少しなんてもんじゃないんだけど……。
「疲れちゃったなら、休憩がてら少しお茶して帰ろうか? 姫ちゃん甘いもの好き?」
「大好きです!」
少しだけ……ね?
喫茶店に入ると、私は紅茶と一緒に、深谷ママおすすめのモンブランを注文する。
ケーキなんて一体何年振りだろうか。
戦時下にあったオーガナイザでは甘いものは貴重であり、聖女といえども、そうそう口にする機会はなかった。
簡単にカロリーを摂取できる砂糖の原料となる食物などが、多くの地域で畑ごと焼かれたのがその原因であり、私が甘いもとを食べたいと所望した時に出てくるのは、もっぱら果実そのものであった。
だから、ケーキやクッキーといった手間のかかる加工品を食べるのは、私にとって記念日がほとんどであり、貴重な機会であった。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
綺麗な女性がサービストレーに載せた紅茶とコーヒー、モンブランのセットを運んでくる。
とても綺麗な人だった。
レトロ調の昔ながらの喫茶店といった感じの店内には、所狭しと女性客が入っており、私に見える範囲では、この女性一人ですべての業務を取り仕切っている。
黒のシャツにズボン、赤のショートエプロンは細身の女性のスタイルを強調し、まさにデキル女といった感じだ。
未散も数年後にはこんな感じになるのかなー?
もし、そうなら羨ましい限りである。
私は天地がひっくり帰っても、カッコイイなどと呼ばれる日はこないだろう。
元男として、ほんの少しくらいは、悲しさがあった。
「おいしそうですね……」
手元に並べられたモンブランを見ただけで、口内に唾液が溜まってくる。
深谷ママに行儀や品がないと思われるのは嫌なので、花の刺繍が入った紅茶のカップに口をつけてまた驚いた。
「……こんなの……飲んだことない……」
砂糖もミルクも加えずに、ストレートで飲んでみたのだけど、苦みの中に、何とも言えない風味があった。
ほっとする安心感と、力が抜けそうな何とも言えない香り。
私の味覚も多少は成長したのだろうけど、私が飲んだ中で最高の紅茶だった事は間違いない。
砂糖とミルクを加えて、もう一口。
「…………」
苦み、風味と甘みが見事に調和している。
気分を盛り上げる最高の紅茶だ。
「ね? すごいでしょ?」
私の様子をじっと見ていたらしい深谷ママが、得意げに胸を張る。
「ここの紅茶飲んだらもう他じゃ満足できないわよ? ちなみにここのオーナーさん、私の昔の教え子なの」
私はオーナーさんに視線を送る。
ちょうど店内を見渡していたオーナーさんと目が合う。
深谷ママが手を振ると、にっこりと微笑まれ、丁寧に会釈される。
「モンブランも私の一押しだから、食べてみて?」
「はい」
促され、モンブランにフォークを入れる。
どこも変わったところもない、ザ・モンブランといった体であるそれは、たいした抵抗もなく、フォークに切り崩され、私の口に運ばれた。
「――――っ!!」
何これぇっ!
口に入れた瞬間、栗の味と香りが鼻をスーと抜けていき、溶けていく。
パサパサ感はなくて、甘すぎず、飽きが来ない。
一口目は濃厚かと思えば、二口目はサッパリ感じ、私は夢中で食べ進めた。
時折紅茶を飲むと、それがもう合うのなんのって!
これってオーナーさんが作ってるんだろうか?
「これも……オーナーさんが?」
瞳を輝かせて、私は深谷ママに聞く。
「…………ふふっ」
深谷ママは自身も夢中になって食べていた手を一旦止め、笑いながら肯定した。
すごい! すごすぎる! こんなの初めてっ!
あっという間に私はモンブランを食べ終えた。
私がお金を持っていたら、毎日のように通ってしまう。
それくらいの衝撃があった。
太ってもいいと思えたのは人生で初めてかも……。
いや、やっぱそれは嫌かも……。
なんて、冗談でも思うくらいだ。
「はぁぁ……」
私は椅子に深く腰掛け、紅茶の残りを啜ると、満足げに頬を緩ませる。
「どう? 美味しかったでしょ?」
「とってもっ!!」
「よね~!」
そのまま、あーだこーたと、どこが美味しいのかを深谷ママと言い合った。
私は店を出るとき、オーナーさんに、
「絶対また来ます!」
と約束した。
オーナーさんは満面の笑みで、
「いつでもお待ちしております」
とだけ言った。
そういうクールな所も素敵だと思う。
「『また来ます』か。これはお小遣いの要求かなー?」
「ち、違いますよー!」
「あら? ならまた連れていけってこと?」
「そ、そういう意味じゃっ! もう! 意地悪しないでくださいよっ」
「あらあら。姫ちゃんは本当にからかいがいがあるわねー」
「うー!」
店を出た後に、そんな風に意地悪されたのは、内緒だ。