新しい一日が始まった
「んんっ」
寝苦しい……。
2013年春過ぎ、今はたぶん早朝。
私が異世界に召喚されて、三年と一日。
ベットに横になる私は、寝苦しさと、息苦しさを覚え、目を覚ました。
昨日は夜遅くまで未散といろんな話をしていて、まったく寝た気がしない。
でも、寝た気がしないにも関わらず、何故だかもう一度寝れる気がしないという生き地獄を味わっていた。
「……はぁ」
私は観念して、薄目を開ける。
うっすらと、水色のカーテンが日光を浴びて、淡い光を部屋に注いでいる。
そして、肌色。
未散ぅっ!
私は未散の抱き枕状態になっていた。
息苦しさの正体は、未散の胸。
それだけに飽き足らず、未散は軟体動物のように両手両足で私に絡みついている。
もう! 離れてよ!
そう思っていると――――
「うにゃぁー……」
突然、未散が甘ったるい声を上げながら、さらに私に抱き付いてきた!
「ちょっ! うぶっ!?」
私の顔は未散の胸の谷間に押し付けられ、呼吸困難で悶絶する。
そこからなんとか離脱すると同時に、私は大きく息を吸い込んだ。
「はぁ……はぁっ……し、死ぬかと思った……」
おかげで完全に目が覚めた。
未散はノーブラの胸を大胆に露出し、大股を広げて心地よさそうに寝ている。
その表情が憎らしくて、私は「胸垂れろ!」と全力で念を送った。
でも……本当に気持ちよさそうに寝てるなぁ……私は慣れるまで苦労したのに……。
私も最初は寝るときくらいは下着を外したかったが、頑強に反対するメイド達の説得に押し切られる形でつけるようになった。
最初の一月くらいは、本当に違和感だらけで、寝入るのに苦労したのをよく覚えている。
まぁ、さすがに慣れたけどさ……でも、これ見てると……。
私は未散の胸を凝視する。
確実にEカップはある。
おまけに、垂れるどころか形もいい。
私が必至こいて努力しているのが馬鹿みたいに思えてくる。
今だけ! 今だけだ! 歳を取った時に差が出てくるんだ! だから私は諦めないよ!
何を諦めないのか、自分にも分からない。
どうも、朝から変なテンションになっているようだ。
「……気分を変えて着替え――――」
ようとして、着替えがない事に気付く。
ここは、私の生まれ故郷。
だけど、現時点で私にできる事は限りなく零に近かった。
それが、寂しい。
「おっ?」
喉が渇いたので、水を飲もうとリビングにいくと、視線と声が投げかけられる。
「あっ!」
私は一瞬固まり、慌てて頭を下げた。
「は、初めまして!」
彫の深い顔立ちに、ヒゲ、大柄で筋肉質な体格。
私の父親にはゴリなどという不名誉なあだ名で親しまれている深谷パパの姿がそこにあった。
「君が姫ちゃん?」
「は、はい」
朝食をとっていた様子の深谷パパは、その身に似合わぬといっては失礼だけど、柔和な笑みを浮かべている。
「そうか。私は未散とつかさの父で、三郎って言うんだ。気軽にパパって呼んでくれていいから! 大変だと思うけど、ここを自分の家だと思って寛いでいいからね?」
「あ、ありがとうございます!」
深谷パパは、深谷ママの夫だけあって、とても優しいし、器が大きい人だ。
深谷パパほど、自分に厳しく他人に優しくを実践している人はそうはいないだろう。
私の父はどちらかというと、大雑把で豪快な人だから、昔は深谷家の子供になりたいなんて言ってたこともあったっけ。
「僕は仕事が忙しくてあまり早くは帰ってこれないけど、この時間には大抵毎日起きてるから、何かあったら何でも相談してくれていいからね」
「……はい」
「さてと、もうこんな時間か」
深谷パパが時計を見る。
釣られて私も見ると、時計は六時半を指示していた。
「そろそろ僕はいくよ」
残っていた朝食の食パンを口に放り込むと、深谷パパはネクタイを締める。
ジャケットを羽織ると、仕事のできるオーラを纏った大人の男性に早変わりした。
その大人の仕草に、ちょっとドキッとしたのは内緒だ。
「これからの事はママがよくしてくれると思う。協力したいけど、男の僕がいても邪魔だろうからね。お金の事は気にしないでいい。僕達はもう君の事を家族だと思っている。それだけは覚えておいてほしい」
「…………」
私は無言で深く頭を下げた。
他人行儀な私の様子に、深谷パパは苦笑いしたのち、足早に出ていった。
バタンとリビングのドアが閉まる。
「……はぁ」
深く、重い溜息。
嘘だらけの私に嫌悪感が募る。
このまま、私はいつまで嘘を吐き続けなければならないのだろうか?
来月? 半年? 一年? …………それとも、一生?
先の見えない未来と罪悪感に胸が詰まった。
二日目の目覚めは最悪だ。
全部、私のせいだけど。
「今日は姫ちゃんの買い物にいきましょう!」
未散、つかさ、私とリビングに集まった私たちの前で、深谷ママは高らかに宣言した。
「へぇ、……いいんじゃない?」
「えっ?」
あっさり承諾した未散につかさが首を傾げる。
「何よ?」
「い、いや! なんでもない!」
ジロッと未散に睨まれ、つかさは縮こまった。
「そう……。二人とも……仲良くなったのねっ!」
私と未散を交互に見て、深谷ママは感激の笑みを浮かべている。
「……えへへ」
私は思わず笑いを零し、
「別に……仕方なくよ……」
未散はあらぬ方向を向きながら肯するのだった。
そうして、全会一致で買い物が決まった!
「わぁーっ!」
「はしゃぎすぎよ。みっともない」
「だってだって! こーんなに広いよ?」
「……まったく」
私は興奮を抑えることはできなかった。
異世界での買い物と言えば、露店や商人による取り寄せが基本だった。
それはそれで趣があった訳だけど、やっぱりこんな品ぞろえはありえない訳で、とにかく私は興奮していたのだ!
やって来たのは、イーオンという大型ショッピングセンターだった。
私はここに何度か来たことがあって、その時は別の名称だったのを憶えている。
改装し、名称変更してからやって来るのは初めてだ。
全体的な印象も変わっていて、新鮮味があった。
「どれどれ?」
弾んだ声で案内板を見る。
一階には食品売り場やレストランや喫茶店。
二階には洋服、雑貨、美容院。
三階にはゲームセンター、軽食。
多岐に及ぶ様々な専門店が立ち並んでいて、私は居ても立ってもいられなくなる。
中でも、私の視線を引き寄せるものが三階にあった。
映画館! 映画見たい! 見たいよっ! ポップコーン食べながらコーラー飲んで映画が見たいっ!
私は特に映画が好きだった訳ではない。
でも、いつからか、コッチに戻ってこれたらやりたかった事の一つが映画館に行く事だった。
なんというか、言葉にしづらいけど、あの映画館の空気が無性に恋しかった。
たまに食べるファーストフートがやけに美味しく感じるあの感じ。
それが私にとっては、映画に行く事だった。
「姫、映画が見たいの?」
「えっ?」
どれだけ私は案内を食い入るように見ていたのだろうか?
私はすぐ背後のつかさにまったく気づかなかった。
振り返ると、つかさは私がさっきまで見ていた場所を見ていた。
「いや、映画館の所をすごく熱心に見てたから」
「う、うん」
わっ! み、見られてたんだ!? わ、私変な顔してなかった!?
「行きたいなら、行ってみる?」
「え! いいの!?」
「う、うん」
喰いつきがよすぎたのか、つかさは若干後ずさりしていた。
「い、行きたい!」
はしたないとは思ったが、それ以上に映画を見にいきたかった。
「じゃあ母さんたちにも言いに行こう」
「うん」
私とつかさは深谷ママに許可を求めるため、話をしにいった。
その結果――――
「ダメよ!」
「う~ん、それはまたの機会にしましょうか?」
あっさりと却下された。
「今日は姫の服を見に来たの。遊びに来たんじゃないのよ! 映画なんていつでも見に行けるけど、服は死活問題なの!」
「悪いけれど、今回は未散ちゃんの言う通りだと思うわ」
言われてみればそうだ。
私は今日着る服もなくて、今着ているのも未散のおさがりだ。
白のふんわりとした、ワンピース。
丈は膝上二十センチで、大胆に脚を見せるセクシーなタイプ。
一見すぐに下着が見えてしまいそうだけど、ワンピースの下にデニムのショートパンツを着ているから安心だ。
コーディネートは未散がやってくれた。
昨日聞いた話なんだけど、未散はバイトで読者モデルをやっているらしい。
私はオーガナイザにいた時には丈の長いドレスばかり着ていたから、こういうファッションは新鮮だった。
映画には行きたかったけど、しょうがないよね……。我儘言えるような立場じゃないし、深谷ママと未散は私の事を考えて言ってくれてるんだし。
そうは言っても、私はしゅんとした表情を浮かべてしまっていたらしい。
「母さん」
つかさが援護をしてくれようと声を出す。
それを私は慌てて制した。
「姫?」
「……ありがとう、つかさくん。でも、気にしないでいいから」
「本当にいいの?」
つかさの綺麗な目が私を射抜く。
本心を覗きこもうとする純真なその瞳に耐えられず、私は目を逸らした。
「……いい」
「そう」
つかさは、あっさり頷く。
そして、言った。
「だったらまた僕と一緒に映画見に行こう?」
「――――!」
え!? デート!? デートに誘われてるの私!?
憂鬱な気分が吹っ飛ぶ。
あわあわとしながら、つかさを見ると、少しだけ頬が赤くなっていた。
でも! でもでもでも! 私にはレヴィが……でもレヴィはもういなくて……ああ! でも!?
きっと私の顔も真っ赤になっていたことだろう。
「あー……僕と二人じゃ嫌……かな?」
あらぬ方向を向きながら、つかさは言う。
こういった事を言った経験はないようで、すごく初々しい。
その可愛らしい少女のような容姿も相まって、私の乙女心に大きな打撃を与えた。
映画行くだけだもん……浮気じゃない……よね?
ちらりと、レヴィの顔が脳裏に浮かび、消えていく。
私はつかさの顔を見上げると、
「べ、別に行ってもいいけど……」
嬉しいくせに、そんな曖昧な態度で返すのだった。
「ほら! 次これ着て!」
「…………わ、分かった」
私は少々、気疲れしていた。
そんな私の手元に差し出される新たな服、服、服!
「姫ちゃーん! これ、きっと姫ちゃんに似合うわー!」
「あはは……」
そして、服、服、服、服!!
私は服の海に沈みかかっている。
そりゃね? 私だってオシャレは嫌いじゃないよ? けど、もうちょっとゆっくり選びたいなーて、少しは自分で選びたいなーて思う訳ですよ。
「姫!」
「姫ちゃん!」
差し出されるのは超ミニのスカートと流行らしい透け感のあるキャミソール。
次から次へと出てくる服は可愛い。
可愛いんだけど、如何せん露出度が高すぎる。
それを口にすると、二人は揃って「「若いうちは肌出してナンボ! 姫は肌綺麗なんだから見せるべき!」」そう力説された訳だ。
無力な私はそれに頷くしかなかった。
お金は全部向こうが出してくれるんだから、私に拒否権などあろうはずもない。
「ほら! 早く着て!!」
「姫ちゃん(ニッコリ無言の圧力)」
「……ワカリマシタ」
私は心を殺し、服を着替えるだけのロボットになりきった。
――――さらに二時間後。
「……………………」
どれだけ、何度脱いで着てを繰り返しただろうか?
おそらく、百は確実に超えていると思う。
着るたびに、未散と深谷ママが評価し、納得したなら買い物かごへ、気に入らなければ再度探しに出かけていく。
選び始めて、全部で三時間。
最初は一緒に見てくれていたつかさは、とうの昔にいなくなっていた。
たぶん、どこかでお茶でもしてるんだろう。
それが、無性に羨ましかった。
そして――――
「はぁ!」
「ふぅ!」
未散と深谷ママは、いい仕事をしたとばかりに、額に浮かんだ汗をハンカチで拭っていた。
三時間もいろんなブティックを巡っていれば、疲れるのも当然だろう。
正直、私は膝が笑っていた。
服屋を巡って、明日筋肉痛になりそうな自分に絶望感に似た何かを覚える。
「いい買い物できたわねー!」
「さすが未散ちゃんはセンスあるわね」
「ママも全然イケるって!」
「そ、そう?」
二人は爽やかに笑いあっている。
「あ! こんな時間じゃない! 帰って夕食の支度しなくちゃ!」
腕時計を見て、深谷ママが慌てたような声を出す。
「じゃあ私はつかさに連絡するから!」
「お願い!」
見事な連携プレイで帰り支度を始める二人。
そんな二人を、私はベンチに横たわって見ていた。
膝が笑ってるって言ったよね?
私さ……倒れちゃったんだよね……えへへ!
って笑いごとじゃないけどねっ!
そんな訳で、私は沈んでいる訳です。
ブティックの袋を抱えながら、静かに泣いている訳です。
…………きっと、買い物しただけで倒れる人間は私ぐらいだろう。
ちなみに、買ったのは普段着が上下十着ずつ。
下着四セット。
けっこうなお値段でした。
「姫ちゃん、大丈夫?」
「姫! 具合どう?」
深谷ママと未散が心配げな様子で近づいてくる。
私はよろよろと上半身を起こした。
「なんとか……大丈夫っ」
「そっか。それは良かったわ」
深谷ママに支えられて立ち上がる。
脚が小鹿の如く震えているが、なんとか動けそうだ。
「姫……さすがに体力なさすぎ……」
重々承知しております。
でも、体力つけようとして運動したら、また倒れるんだろうなー。
そうこういいつつ、つかさと合流し、そこからはつかさの手を借りて、深谷ママの車に乗り込む。
車の中で、少し元気になった影響もあり、悪戯心が芽生えた私は、隣に座るつかさの方にコテンと頭を置いた。
つかさはビクッと身を震わせたが、何も言わなかった。
それに免じて、顔は見ないでおいてあげることにする。
「楽しかったわねー!」
「また来ようねママ」
未散と深谷ママは、今日買った服や、ファッションについての会話に花を咲かせていた。
それを聞いていると、また睡魔が襲ってくる。
朝あまり眠れなかった影響がここに出てきたのかもしれない。
会話がおぼろげになっていく。
「来週のお休みにまた来ましょうか」
「おお! いいじゃんっ!」
最後に聞こえたその話を、私は夢だと思い込み、意識から手を放すのだった。