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「おはよう」
驚きすぎて、声が出なかった。
二度目の目覚めはヒロインの満面の笑みで出迎えられた。しかも、ヒロインにのしかかられている。後ろはふかふかのベッドの感触。前はヒロインの柔らかい感触。
これがギャルゲーで私が男だったら、おいしい展開になる。けど、そんな現実はない。
ちらりと自分の手を見てみると、包帯で包まれていた。痛みはないけど、その白さが妙にいやらしい。
「痛み止め打ってるから平気だよね? だからちゃんとお話してね」
ヒロインの片手が首にかけられる。唾を呑み込もうとしたが、ヒロインの手に遮られた。
恐怖がぶり返す。怖い。また、痛い思いをしなければいけないのか。そんなの冗談じゃない。だが、この女に逆らうことはできない。それこそ、死ぬ。しかし思い通りになるのはいやだと考えている自分がいる。
こいつからは逃げなければいけない。そのための反抗心を忘れてはいけない。何もする気がないと思わせながら、私は走り出さなければ。
「あら、もしかして心変わり? やっぱり嘘だった?」
うんともすんとも言わない私にヒロインは痺れを切らしたのだろうか、息が苦しくなった。私は慌てて口を開く。
「ち、ちがっ」
「それじゃあ、この傷のこと家族になんて説明する?」
治療された傷に、この質問。もしかして私を生かして家に帰すつもりなのか。手伝いはいらないとか言っていたが、私の提案を呑んでくれたのか。だとしたら、よかった。強張った全身を緩めようとする。待て。家族に説明するってこんなボロボロの理由なんて思いつかない。身体の緊張はまだ解けない。
「…………転んで」
「転ぶのだったら、もうちょっと全身痛めつけないとだめね」
「ま、待って! と、友達とじゃれ合ってて、その友達が私の肩を掴もうとしたけど、私がそれを避けて。それで友達の爪が頬を掠って傷ができてびっくりして尻餅ついて、ちょうど私の後ろを通りかかった自転車に手が轢かれて、その人に病院に連れて行ってもらって治療費とか全部出してもらって、連絡先も貰ったんだけど、なくしたって」
自分でもよくこんな嘘を思いつくなと感心する。椅子に縛られていたときのことも考えると、死の危険を感じると人って頭の回転が良くなるのだろうか。嬉しくないことを知った。
「それで親は、兄弟は信じる?」
「私、昔からおっちょこちょいだったし、大丈夫だと思う」
「そう。ばれたら殺すから。それじゃあ、話を進めようかしら」
「は、え、ちょ」
さらりと言ってのけたが、どういう意味だ。ばれたら殺す。家族にばれる。そうしたら私を殺す。いや、家族が知ってしまったなら家族を殺すということ。ここで脅してくるのか。なんて女だ。クソ女だと、わかってはいた。だが、こんなやり方は卑怯だ。
こんなキチガイに常識やらなんやら言ったところで無駄だ。落ち着け。
「……さっき、言ってた、半分信じるってどういうこと?」
「前世ってこと」
「つまり……あんたも?」
ヒロインは答えずに微笑んだ。
こいつ、前世はどこぞの国で猟奇殺人を繰り返すサイコキラーだろ。クソ。この女はヒロインと別物だ。ただ外見が同じだけの女。クソキチガイだ。
「説明するから、途中で切らないで」
「切りはしないよ」
こいつの切るは切り裂く、の意味だろ。いや、殺すの意味かもしれない。
「乙女ゲームって知ってる?」
「知らない」
「いろんな男をプレイヤーが操作するヒロインがものにするゲームなんだけど」
「疑似恋愛ゲームね」
「そう。それで、私は前世でそういうゲームで遊んでた。その中の一つにこの現実とすごく似てる世界のゲームがあったの。それで好奇心でヒロインであるあんたに近づいた」
「ふうん」
「信じられないかもしれないけど、本当だから」
「その話はどうやったら信じられるようになるのかしらね」
結局はそれだ。生徒会の連中がどう奴らか話したところで、確かめようがない。これから先起こることを話しても同じだ。今この場で、こいつを納得させられるだけの何かが見つからない。
いや、待て。今、でなくてもいいはずだ。この拷問女は私を生かすつもりだ。だとしたら、この先の未来に賭けよう。
「ゲームではあるイベントが起こって、そこでの行動で話が動くんだけど。明日、生徒会の一人があんたとぶつかって、めちゃくちゃ吹っ飛ばされる――っていうイベントが発生するはず」
「それってあなたがそうなるように仕組んだと考える方が得策だと思うわ」
「わ、私は生徒会と接触してない」
「これから接触するかもしれないでしょう?」
「ず、ずっと……あんたの傍にいればいいでしょ?」
「え、嫌よ」
ものすごく嫌悪感丸出しの顔と声だ。こっちだって願い下げだ。
「まあ、いいわ」
何がいいのだかろうか。とりあえずは納得したということか。だとしたら、話が違うと言われる前に言わないといけないことがある。
「そ、それと私やあんたみたいな異分子がどう影響するかわからない」
すべてがゲームの通りに進んでいれば、もちろんイベントも発生するだろう。けど前世の記憶を持っていることや、入学式での違った行動。それらがイベントを潰す可能性もある。
「結局、わたしがあなたを信頼することは難しそうね」
いい、とは納得していない、やっぱり殺すの意味だったのか? まずい。退路が断たれていく。どうすればいい。私が持っているのは情報だけだ。だとしたらそれをうまく使わないといけない。
「で、でもでも! 生徒会の連中の秘密とか、あんたの出生とか、私知ってるの!」
「それも信憑性というものがないのだけど」
「わ、私の話を元に真実かどうか確かめればいいでしょ! まず、あんたの出生について教えるから。これだったら私が工作できる問題じゃないでしょ」
「そうねえ。まあ、それについてわたしも興味があるわ」
「あんたのお母さんは怪物を倒すことを生業としている一族の出なの。その一族の血には怪物を倒すことに特化したものがある。例えば、殴っただけでも人間ならよろけるくらいなんだけど、怪物だと吹っ飛ばされるみたいな」
「それでそのイベントというのが発生するのね。ちなみに怪物ってどういうものがいるの?」
「えっと、吸血鬼とか妖精とか」
「まあ、素敵ね」
こいつにとって何が素敵かなんて考えたくない。
クソアマの手が首から離れたかと思うと、その手は私の両頬を包んだ。
「わたしね、これまでにエモノを逃したことなんてないの。あなたは特別なのよ?」
まるで恋人に囁くように、顔を赤らめながらのたまう殺人鬼。そう、こいつは殺人鬼なんだ。つまり、逃げても殺すし、逃げなくてもいずれ殺す。そういうことだろう。
でも、とりあえずは私の考えに同意するということのはずだ。私の命はなんとか切れずに済んだ。
そうとなれば、当初からの目的を変更しよう。この殺人鬼をバッドエンドに導く。もちろんゲームにはないバッドエンドに。
このサイコパスが攻略対象と愛を育む可能性は万に一つもない。だったら憎悪を育ませればいい。
憎しみで死んでしまえ。