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今日一日、ヒロインを観察してみた。
誰とでもすぐに仲良くなれるようで、ヒロインの周りでは笑い声が絶えない。
私と同じ記憶持ちであり、攻略対象と何か接触を計ろうとしている。という考えもなさそうだ。同じクラスの犬飼剣人はおろか、生徒会メンバーと関わろうとする素振りを見せない。
「河辺さん」
「ひぃっ」
背後からヒロインの声がした。気配もなく、しかもこのヒロインに後ろに立たれるという事態に、かなり驚いた。一瞬のうちに冷や汗が出る。
「な、なに?」
「なにって、約束したでしょう?」
「あ、ああ! そうだったね。よし、行こう!」
「わたしとの約束を忘れてしまうほど、他の何かに夢中になってたのかしら」
「はは、ごめんって。怒んないでよー」
ヒロインの笑顔は穏和だというのに、私の冷や汗は止まらなかった。
私の目の前には真っ白なチーズケーキが置かれた。ヒロインにはラズベリーやイチゴがのったホットケーキを。
駅の近くにあり、甘さ控えめでカロリーを気にする女性には人気の店舗。そこでヒロインと対面していた。
「わたしね、赤が好きなの」
「だからそれ頼んだんだ」
ホットケーキは鮮やかな赤に染まっている。それを一口食べて、ヒロインは頷いた。
「その白いチーズケーキにもベリーが似合うと思うの」
「あー確かにおいしそうだね」
色合い的にも引き締まるだろう。チーズケーキを頬張りながら頷く。
このさっぱりとした味が大好きだ。甘ったるいショートケーキよりこれだ。しかし、この店のショートケーキはそんなに甘くないから、たまに食べる。
「あなたの肌って、そのチーズケーキみたいよね」
「し、白いってこと?」
ヒロインの目がすっと細められた。口の中の甘味の感触が消えうせる。
「きっと赤が似合うわ」
「あ、ありがとう? 菊田さんも、肌が白いから似合うと思うよ」
「うん。わたしには赤がとっても似合うの」
これは普通の会話のはずだ。なのに、どうして息が詰まる。汗が止まらない。心臓がうるさい。
「あら、顔が真っ青。トイレに行ってきた方がいいよ」
「ごめん。行ってくる」
そう言ってトイレに駆け込んだ。鏡を見ると、確かに血の気が失せている。
息を深く吸って吐く。全身を叩くようなうるさい音がゆっくりと治まった。
ヒロインと話していると、まるで自分が蛙になったように感じる。気を抜けば、食われる。いや、気を抜かなくても食われる。蛇の気分次第で蛙はどうとでもなってしまう。
何を思っているのだ。食われるって、食われたらどうなるっていうのだ。馬鹿馬鹿しい。
もしかして、私はヒロインに対して苦手意識を持っているからこんな風に考えてしまうのかもしれない。そういうことにしておこう。
気を取り直して席に戻ると、ヒロインのホットケーキは減らずに残っていた。待っていてくれたのだろうか。
「大丈夫?」
「うん。ありがとう」
眉根を歪ませて声をかけてくれたヒロイン。そうだ。こんないい子が蛇なわけがない。
席に着いて、ケーキを食べ始める。ヒロインも私のあとに続くように食べ始めた。
「ねえねえ、彼氏っている?」
「いないよ」
「じゃあ好きな人は?」
「いないわ」
「お、じゃあさ、生徒会の人たちとかどう?」
「生徒会?」
「そう! ほら、イケメンでしょ?」
「そうね。興味深いわ」
「でしょでしょ。ちなみに気になる人とかいる?」
ヒロインは少し考えてから口を開いた。
「神羅龍」
「それはだめ!」
鬼畜野郎の名前が出て、思わず叫んでしまった。しまったと思ったが、出してしまったものは仕方ない。ヒロインはさぞ驚いているだろう。
「どうして?」
私の思いとは裏腹に、ヒロインは悠然と微笑んだ。ここは安心するべきか。
「いや、あの、生徒会長はさ、ライバルが多いし」
「それは他の人でも同じではないのかしら」
「それはそうだけど……ほら、あんまりあの人のいい噂聞かないからさ」
「噂?」
「性格的な問題だよ」
実際はあの野郎はボロを出していないため、悪い噂はない。まあ、噂の追及なんてしてこないだろうから大丈夫だとは思うけど。
「生徒会長と言えばさ、入学式での祝辞覚えてる? あれって校長の長話に対する嫌味だよね」
話をそらすためと、ヒロインに対する疑いを晴らすために話を投げかけた。
「わたしは教頭の話の方が途方もなく感じられたわ」
「えーどっちも同じだよ」
とくに動揺した風にも感じられないヒロイン。ということはやっぱり白か。
「もしかしてさ、入学式のとき他のクラスに混じってた?」
「お恥ずかしながら」
ぱっと花が咲いた。ヒロインの恥じらいは大変可愛らしい。
それにしてもただのドジっ子か。疑って損した。
話題にも花が咲き、どこの芸能人がどこのブランドがなどと随分と女の子らしい会話をした。帰り道も、家からの最寄りが同じ駅ということで一緒になった。
「私ね、兄と弟がいるんだけど毎日うるさくて敵わないよ」
「賑やかそうでいいね。わたしは一人だから少し羨ましいな」
「一人っ子かーいいなあ。その方がお母さんとかお父さんにべったりできるでしょ」
「甘えたがりなんだ」
「そういうわけでもないと思うんだけど。弟ができた途端、親の愛情盗られちゃったって考えた時期があってさ」
「そういうものなのかな。わたしは両親が他界しているから親の愛とかわからないな」
「えっ!?」
ゲームとか関係なしに、ただの世間話をしていただけにいきなりの設定違いに驚いた。両親が他界している。ゲームでは母は死んでいたが、父は生きていた。こんなところまでゲームとは違うのか。しかも親の愛がわからないってことは、随分と小さい頃に死んだということだろう。
悲しくなってきた。これは余計に、ヒロインをハッピーエンドに導かなければいけない。
「驚かせてごめんね」
「いやいや、だいじょ――」
おかしい。視界がぼやける。身体に力が入らない。
自分で動かせない身体は崩れ落ちる。腹部にヒロインの意外とがっしりとしている腕の感触が食い込んだ。
「二人ともわたしが殺したんだけどね」
何もかもがぼやけていく中で、ヒロインのひどく楽しげな声と車のエンジン音だけがはっきりと聞こえた。