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箱庭の嘲笑  作者: 琉宇
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 少女は巨大な物体を見下ろしてため息を吐く。

 やってしまった。その一言に尽きた。

 高校の入学式の最中、少女は新入生であるにも関わらず、校内を探索していた。

 教師や今日登校している生徒のほとんどが体育館に押し込められている。幾人かは校内にいるだろう。だが彼らが近づけば少女は容易に気付き、接触を回避できる。

 少女は何個もある準備室と掲げられている部屋の鍵を、事も無げに開けて入った。そんな少女を襲ったのはこの学校の制服を着た男だった。

 この男が少女に肉体を求めているだけならば、何も散らせることはなかった。しかし男は殺意を持って少女に飛びついたのだ。

 少女は思わず上着の裏に隠しておいたナイフで、男の心臓を一突きした。

 久々に失敗した。少女は苛立ちを下の塊を蹴り上げることで紛らわせた。それにこの男は少女の好みではない。少女の好みは男女問わず美しい者だった。輝ける彼らが見せる苦痛が絶望が、何よりも好きなのだ。

 その興奮を味わうために、綿密な計画を立て、痕跡を残さないようにするのは当たり前だった。だから、これから狩り場となる学校を隈なく調べていたのだ。

 だというのに醜男の突発的な殺害。この死体を処理するために、これ以上の探索はできないだろう。

 いきなり襲い掛かってくるなんて頭のおかしいこの男の脳みそを踏みつぶして、綺麗な花を咲かせたい。だがそんなことをしている暇はない。

 少女は学校の見取り図を思い出しながら、窓に近づく。薄闇を閉じ込めるカーテンを少しめくり、外を見た。下にはゴミ捨て場がある。小さな小屋で、扉には南京錠が見えた。

 この地域のどの種類のゴミも明日は回収曜日ではない。だからといって今、ゴミを捨てに来る人間がいないとは限らない。今晩、死体を処理するとしても、そこに置いておくことは賭けだ。普段だったらこんな賭けはしない。だが致し方ない。

「っつ」

 少女は何かの気配を感じ、振り返った。

「みゃお」

 闇のように黒い猫が真紅の瞳で少女を見つめている。

 部屋の扉が開いている。襲われる一歩前の瞬間に、少女は咄嗟に扉を閉めていた。そして、扉が開く音は聞こえなかった。なのに、なぜ開いているのだろう。

 滅多に流すことがなかった冷汗が身体を伝う。

 もしかしたら、扉が開く音が聞こえなかっただけかもしれない。だとしたら扉を開けた人間がいたはずだ。猫が扉を開けたにしては、扉が開きすぎている。しかし人間が開けたとすれば、その人間は叫び声を上げて駆け出すに違いない。死体を見て悲鳴を押し殺し忍び足でここから離れ誰かに事を伝える、なんてことができる人間がいる可能性は否めないが。

 どちらにせよ、神経過敏になっていた少女が気付けなかったのか。

 次第に困惑は怒りへと形を変えた。

 動物を甚振るのは幼少期のそれもほんの数回だけだった。感情の発露が見えにくい動物の血ほどつまらないものはない。

 だが、今は別だ。この綺麗な猫の腸を見られれば、幾分か憤懣を晴らすことができるかもしれない。

 少女は猫を見つめる瞳を歪めて、歩み出す。それに続くように猫は、ゆっくりとした足取りで廊下へ出た。少女も後を追う。

 しかし猫はいなかった。目を離したのは一瞬だったはずなのに、廊下には異物が見つからない。他の部屋の扉も窓も開いていない。近くに階段や曲道はない。

 すぐさま部屋に戻り、扉を閉めた。閉める音がやけに大きく響いた気がする。

 少女は思考を手繰り寄せる。これを幻覚として片付けるのは、あまりに都合がよ過ぎる。だからといって、何が起こったのかを解明するのには時間を要する。

 額に浮き出た汗を拭って、一息ついた。今すべきは邪魔な物体の処理だ。後回しにしていいことでもないが、優先順位はつけないと埒が明かない。

 この準備室に大きな布があれば、それで身体を覆いゴミ置き場に放置したい。だが、見たところない。他の部屋も探索するにしても、時間が惜しい。とりあえずゴミ置き場に移動するまでの処置として、カーテンを代用するとしよう。道中で遠目から死体なんて背負っているのを見られれば、騒ぎになる。しかし、遠目からなら死体には見えないかもしれない。だからといって、少女が長身の男を背負っているのもおかしい。布で包めておけば、他のものに見えるだろう。場所と時からして、そんな少女が見つかれば、見つけた人物は話しかけに来るかもしれない。だが実際の物体さえ見られなければ、なんとでも言い訳がつくだろう。だめだったら、黙らせればいい。死体が二つに増えて、処理も余計にかかるが仕方ない。

 少女は男の身体に刺さっているナイフを斜めに押し込んだ。血が溢れてくるが、抜いてしまったら血が飛び散ってしまう。

 自身が着ていたブレザーを脱ぎ、血があるところを重点に巻き付ける。それからカーテンで簀巻きにして、上下の余った布を少女の身体に回して固定した。

 少女は細く見える腕とは逆に、男の身体を易々と扱った。一般的に普段持つものより、重いものを背負っている少女の表情は涼しい。

 窓を開けて周囲に人がいないことを確認してから、外へ身を乗り出す。窓の下には人一人が乗れるだけの足場がある。そこに足を下ろした。ここは二階だ。少女だけが逃げるなら、ここから飛び降りることも可能だが、今は荷物がある。少女はおとなしく、壁沿いにあるパイプ管にしがみつき下に降りることにした。

 パイプは折れることなく、少女を地面まで運んだ。地面に足をつけてから、迷うことなくゴミ置き場へと向かう。

 扉にかかる南京錠を気にすることもなく、少女は数秒で鍵を開けた。素早く入り、扉を閉める。そしてポケットに入る程度の小さなライトを取り出して光源を作った。

 ゴミの分別ごとに仕切りがあるが、カゴや何かに入っているわけではなく、床に直接ゴミが置いてある。

 生ゴミのスペースに目をつけ、積み上げられたゴミ袋を崩していく。嫌な臭いが鼻をつくが、少女はもっと酷い臭いを知っている。それに比べたらどうということはない。

 床が見えたところで、カーテンとブレザーを剥ぎ取る。ゴミ袋を二つ床に残した状態で男をその上に乗せた。さらに男の上にゴミ袋を積み上げる。

 ブレザーを羽織ってから、ゴミ置き場を出て施錠した。来た時と逆のことをしながら、元いた二階の準備室に戻ってくる。カーテンにシミができていないか確認し、元に戻す。準備室の床などにも何か残っていないか目を凝らしてから、廊下に出て鍵を閉めなおした。

 そして、これから過ごすことになる教室から一番近いトイレの個室に入り込む。自身に芳香剤をかけ、手鏡で何かおかしなところがないかチェックしてから、今日何度目かになるため息をついた。

 こんなスリルはごめんだ。しかし、まだ気を緩めるわけにはいかない。あの死体を完全に消し去るまでは、最悪の事態を考えながら行動しなければ。

 少女はトイレの外から聞こえてきたがやに、重い腰を上げる。そして何食わぬ顔でトイレから出て、その他大勢に溶け込んでいった。




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