Ⅰ:Prelude in the Mist A
Ⅰ:Prelude in the Mist
[A]
「それじゃあ、次、12番の奴」
「はいっ!! 桜木希、15歳ですっ!!! そりゃそうかっ!!! 中学までは吹奏楽部でホルン吹いてたんですけど、親が反対するんで高校からは運動部で荒ぶろうと思いますっ!!!! 以上っ!!!」
翠蓮学園高等部。1学年20クラス程度の割と、いやかなり大きな規模を誇る伝統ある私立学校法人の高等部だ。ただ学園と言っても皆翠蓮高校とか翠高とか言ったりしていたりする。学園と学校の違いなどあってないようなものらしいのだけれど。
1年5組の自己紹介は出席番号順ではなく事前に用意されたくじの番号順に行われていた。ちなみに出席番号順に決まっていた座席はこのくじに従い即座に席替えが行われバラバラになってしまった。別に此方は構わないのだけど教師陣は大丈夫なのだろうか。名前を覚えにくいことこの上ないと思うのだが。
今教壇に立ちクラス全員の前で発表してくれた生徒は身長が150cm無いくらいの小さなショートカットの女の子で、制服を着ていなければ小学生と言われても通じるかもしれない子供っぽい容姿。挨拶内容と風体を同時に現す四字熟語があるとしたら『元気一杯』か。熟語じゃないとか言わないでもらいたい。
それにしても熱い。熱すぎる。テニスでもやるつもりだろうか。偏見か。などと達観した目で彼女を見ていた僕であったが、よく考えたら自分のくじの番号は13番だった。不吉な数字を引いたものだと辟易していたが、こんなハイテンション娘の後に挨拶しなければならないとは、早くも不運の波は押し寄せてきているらしい。重い足取りで教壇へ向かうと、精一杯普通の表情をつくろい、
「えー……土屋享佑です。部活は特に考えてません。宜しくお願いします」
我ながら無味乾燥な挨拶だった。周囲の拍手もカラカラに乾いている。僕はそのまま音も無くストンと座った。次、14番の奴~と先生が言うと、後ろの席に座っていた女生徒が立ち上がる。先程電車の中で出会った子だ。彼女の所作でふわっとした桜のような匂いが周囲に広がる。
「水無月夏海です。音楽したくてこの学園を選びました。部活は吹奏楽部に入ろうと思っています。宜しくお願いします」
パチパチパチ……と暖かい拍手が響く。分かりやすいな~と思いながらもそれに追従した。達観していても彼女が人気者になるだろうことは容易に想像がついた。すらっとした頭身、綺麗な肌、大きな胸、優しそうで且つ締まった顔立ち。理知的な語り口調もあいまって、誰にでも人気が出るだろうことは言うまでも無い。
そのような感じで淡々と自己紹介が続き、終盤に差し掛かったころチャイムが鳴る。安っぽい電子チャイムの音ではなく実際にチャイムを鳴らして録音したらしい音だった。
「ええと、じゃあ少し休憩挟んでまた続きな」
担任の渡利先生(メガネをかけた若い真面目そうな先生で、吹奏楽経験者だが色々あって顧問の座は勝ち取れなかったそうな)はそれだけ言って教室を出て行った。途端にがやがやとなる教室。折角窓際の日差しがいい感じに差し込む場所を手に入れたのでつかの間の仮眠を取ろうとした僕だったが、それは叶うことは無かった。癪な話であるが、前に居た男子生徒に声をかけられたゆえ。
「うっす、土屋とか言ったかお前」
「ああ、まあ。ええと、確か火野、君だっけか。吹奏楽部でファゴットやるとか言ってた」
黒く日焼けした頭髪ツンツンの快活な青年は馴れ馴れしく話しかけてくる。一応近くの生徒だったので苗字だけでも覚えておいてよかった。
「そうそう。ちなみに下の名前は陽介な。陽ちゃんとか呼ばれてたんでそんな感じで」
「……じゃあそうする」
「そういや土屋、お前部活決めてないって言ってたよな?」
「まあ、色々見て決めようかと思ってるんだけど……」
「そっか……こんな学園じゃなきゃ一緒にブラスやろうぜって誘ったんだけど、まあ仕方ないわな」
落胆する陽ちゃん(この呼び方に慣れる必要があるのか甚だ疑問だ)だが、彼がそういうのも無理はない。さっきの水無月さんが『音楽したくてこの学園を選びました』と言うだけあってこの学園の吹奏楽部は強い。全国で金賞を取れるレベルなのだ。前情報でも『初見さんお断り、パートによっては部活そのものに入れないこともある』と聞いている。どこのプロ団体だとも思ったが、夏のコンクールを主眼に置くとそうなってしまうのかもしれない。それでも、数だけ確保してオーディションなどの形式を取りながら切磋琢磨させる方がいいとも思うのだが、それすら難しいくらい入部希望者が居るのだろうか。いや全然関係ないのだけれども。
「まあ入学式の歓迎演奏でファゴットは一人しか居なかったし、俺の実力ならたとえ競り合っても多分大丈夫だろうけどな」
「へぇ……よく知らないけど、上手いのね」
「そりゃあ多少自信が無きゃわざわざ自前で買ったりしねぇよあんな高い楽器。昨年の全国大会ではコントラファゴットも使ってたみたいだし、もしかしたら俺が吹くチャンスもあったりして……」
低音楽器のことはよく分からないが、あんな化け物みたいな楽器を吹きたいと言う辺りかなりの低音マニアか変態かどちらかだろうと推測した。あるいは両方か。
それにしてもまあ、自分の周りには吹奏楽界の人間ばかり寄ってくるな~と思う。いい迷惑なのだが、これもまた一つの受難なのかもしれない。切っても切れない関係か。きるけど。
ところでさぁ……と彼は机の下からルーズリーフを一枚取り出すと、一筆認めだす。なになに……
『このクラスで誰が好みよ』
グシャッ、メモを引っつかむとくしゃくしゃに丸め窓の外へ放り投げた。幸い誰も見ていない、と信じたい。拾った方どなたかあるべき所=ゴミ箱へ捨てて下さい。
「馬鹿なのお前莫迦なの」
「一気に口調崩れたなおい。いやそういうのって男子高校生にとってそう言うのって最優先事項じゃねぇの?」
「うるせぇ最優先事項は吹奏楽にしとけ。ってかまさかそういう下らない目的で音楽やってんじゃないだろうなお前」
「違ぇよ、むしろブラス女子はよっぽどのことがないと避けたい……んだけどもさ、ほら、あの水無月さん。あの子は例外だな」
彼女をひとさししゆびゆびで指差しながらひそひそ声でこっそり話してくる陽ちゃんだった。確かに可愛いのは分かる。だがあの吹奏楽に命懸けてますみたいなスタンスは多分自分とは相容れないだろうな~とも思うわけで。かなりの直情型だし。
「多分ライバル殺到だろうけどさ、同じ部活同じクラスってのは結構なアドバンテージだと思うわけよ。だからこうね、最初はお友達から始めて」
「純情だな。もつのかその伽羅。偽った姿で近付いても意味無いんじゃね」
「いやそれはほら、最近のアニメとかって割と本性グロいのに美少女の姿で近付いてくる的な」
「何の話してるの?」
水無月さんが首を伸ばしてきた。口には出さないが明らかに陽介の顔が引きつっている。
「いや、何かアニメの話してると思って。私が今読んでるラノベが丁度そういうのだったから」
「ああ、もしかして『アザトースと過ごすあざとい日常』かな」
「そうそう。今丁度5巻の『深奥の冒涜』読んでてね、何か無駄にクトゥルフ神話の知識がついちゃった」
「な、何それ何それ。クトゥルフ? 最近何かで聞いたことあるけど……」
陽介が身を乗り出してきた。うざいなこいつ。全身で臨戦態勢をアピールしてやがる。別に見た目は悪くないのにこれじゃ中々彼女出来ないだろうな~と完全に自分を棚に上げて蔑んだ視線で彼を見ていると、水無月さんは後ろへ下がり持っていた手提げから一冊の本を取り出していた。
「はいこれ」
「へぇ、これが……がががががががが」
顔が真っ白になっていた。真っ白なハイってやつだ。まるで自分の犯罪がばれて千本ノックで処刑される事になった奴のように。何を見せたんだ貴女は。そして戦犯はきょとんとしている。僕は彼から本を取り上げて前を向かせ(思いの外硬かった、ガガガガって言ってた)て座らせると、取り上げた本のタイトルを見た。
「……何だってこんなもの持ってきたの」
「いやぁ同志が居るかと思って」
「出来たらこれ使って同志探すの止めて貰えるかな」
「駄目なの?」
「同志を探す度にこれ見せられた人の半分近くがこうなる事に良心の呵責が芽生えないならお好きに」
「ううむ、火野君なら別に白骨化しても構わないんだけど……あ、ちゃんと聞こえてたからね。いい友達になろうねって言っといて」
氷のような笑みを浮かべると、彼女は僕から本を引ったくり席に戻った。怖いなこの女の子は。早く次の席替えしたい。このままだと視線だけで後ろから殺される気がする。そんな事を考えていると、教室の扉がすーっと開いて先生が戻ってきた。大量のプリントを抱えている、多分挨拶の後配るのだろう。
「いや~ごめんごめん、ちょっと印刷に手間が……じゃあ次、30番の奴」
「はい」
少し離れた場所に居た黒髪の女生徒がすっと立ち上がり、すたすたと前へ進んでいく。艶めいた髪、すらっとした手足、と言うかでかいでかすぎる。水無月さんよりでかいんじゃないかこの人。況や僕と比較をや。勘弁して欲しい。
「山口雪姫です。部活は吹奏楽をしようと思っています。よろしくお願いします」
ただそれだけの事なのに。彼女の発言にクラス中が息を呑んだ。全員が背筋を正され、彼女の姿に目が釘付けになる。そして数秒の沈黙の後、遅れてあちこちからパラパラと拍手が起こる。それほどまでに凛とした彼女の立ち振る舞いは場を掌握するほどに圧倒的だった。蛇に睨まれた蛙でもこうはいくまい。RPGの負けイベントのほうがまだマシだ。
とりあえず一番ビビっていた担任がようやく体勢を立て直し、次の生徒を指名する事で歯車はもう一度正常に回りだしたのだった……が。
「……よし、これで全員終わったな。んじゃあ今からプリント配るから。今日は昼から部活動見学ツアーな。見学先でスタンプ押してもらう形式にしてあるから、放課後即帰ったりしないように」
全員の自己紹介が終わった後、担任は糞みた……面倒な事を言い放ちやがったのである。