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Ⅰ:Prelude in the Mist J

[J]


 その日の放課後。曇り空の隙間から夕日が差し込む中、僕は一人屋上でクラリネットを吹いていた。いつ雨が降ってきても良いようにすぐ取り込む準備はしているけれど。

 快晴でも困るがこう言う湿気の多い日もクラリネット的にはあまりよろしくない。西洋の楽器は日本の多重人格的気候に対応していないのだ。地中海性気候が羨ましい。

 いつものように楽器を出し、一通りの練習メニューをこなす。水無月さんが居ても居なくてもそれは変わらない事だった。当然ながら練習中はずっと無言だったのだが、暇をもてあましたらしいクラの妖精クルルは楽器を抜け出し僕の頭上に乗っかる。


 『ご主人ご主人』

 「どうした。暇だとか言わせないぞ」

 『それでも我慢できないものがあるのね』

 「いやほら、俺が美容師だとして、十分な実力を身につけてない状況でハサミを入れられるのは嫌だろ?」

 『それは嫌だけど……構ってくれないと私は死んでしまうのね』

 「大丈夫だ、有史以来そんなノリで死ぬ死ぬ言って死んだ輩は居ない」


 傍から見たら楽器を持ったままヒトリゴトを呟く怪しい人だ。というのもクルルの姿は普通の人間には見えず声も聞こえない、と言っても試した事はないし見え聞こえする人間にあった事もそんなにない。そんなにと言う事は若干ながらあったりもするのだけど、それはのちの話にて。


 『と言ってもご主人と小一時間濃厚なキスを続けるのは純情可憐な乙女としては抵抗があるのね』

 「ちょっと待て、それは初耳だぞ。お前の口ってマウスピースの先なのか? じゃあマウスピースを買い換えたらどうなるんだ?」

 『別に口が変わるわけじゃないのね。気色悪いのね。上手く説明出来ないんだけど、マウスピースの先が感じる温度や水分、その他諸々が私の口にフィードバックされている感じというか』

 「成る程、感覚がリンクしてる的な話か。極端な話、激辛カレーにマウスピースを突っ込むとクルルの口の中に甚大な被害が出るわけか」

 『そんな事したら絶対に許さないのね』


 まあしないけどね。僕は静かにキレるクルルをそれとなくなだめると、また練習を開始しようとした……その時だった。

 こんこん、と後ろで扉をノックする音。僕とクルルはビクンとして振り返ると、そこには山口さんが微笑みながら立っていた。

 迂闊だった……僕は歯噛みしたい気持ちを抑えて必死で平静を装う。此処で練習を始めてから一度も水無月さん以外の来訪者が来ないから完全に油断していた。ヤバい、これでは完全に変人だ。どう言って切り抜けよう……と無い頭を捻って考えていると。


 「あの、とりあえず開けてもらえないかな?」

 「あ、ごめん……」


 屋上の鍵は内側についているため、僕は錠前を外し(鍵では簡単に開くのだが手で錠前を回そうと思うと錆びているのか相当力が要るので、一旦クラリネットを脇に置いて両手と体重をかけ何とか開いた)彼女を屋上へと招き入れる。彼女は右手に鞄、左手にトランペットを持っていた。


 「駄目だよ、練習中に携帯なんかいじっちゃ」

 「へ?……あ、ああ……ごめん」

 「まあ良いけどさ……今日も此処で練習? 水無月さん居ないのに」

 「今更別の場所を探すより良いかなってさ。それに水無月さん目当てで来てる訳じゃないんだけど」


 限りなく真紅に近い嘘だったが、此方にも見栄と言うものがあるのだ。クルルのしらーっとした視線を回避しつつ、僕はそう言ってのけた。


 「あのね、入部まで此処で私も練習させて貰えないかな? と言っても、来週の水曜から部活に正式入部するから火曜までだけど」

 「山口さんが!? いやでももう山口さん他の知り合いとか部活の先輩とかと仲良く練習してるんじゃないの?」

 「そんな人たちとは入部してからも幾らでも話せるから良いんだってば。あとユキちゃんって呼んで」


 花のように笑うユキちゃん。本当に可愛いなこの子は、入学式の日の挨拶は何だったのか。きっと緊張していたのだろう、それであの威圧感というのも凄いけれど。


 「それにほら、明日水無月さんが復帰したら水無月さんとも仲良くなれるから」

 「あ、ああ……そうだね」

 「と言う事で、今日はこんなものを持ってきてみました」


彼女が鞄から取り出した楽譜は第一印象だけで真っ黒だったのだけれど、手渡されて一瞥した瞬間疑念は確信に変わった。と言うかユキちゃんもう楽器組み立て終わってる。確かにケース開けてマウスピースはめるだけとはいえ早すぎる。


 「いやこれおかしいでしょ。ってか何なのこの曲、曲名も作曲者も聞いたことないんだけど」

 「この前作曲を趣味にしてる人と知り合ったんだ。と言ってもネット上でだけどね。その人が上げてる作品の中に御あつらえ向きのものがあったもので」

 「いや御あつらえ向きじゃねぇよ。絶対無理なんだけど」

 「はいそんなこと言ってないで。はい、メトロノーム」


 既に巻いてある。BPM200。はいっと彼女は合図を出した。余拍が一拍だとっ……



 僕は燃え尽きた。



 ……………


 ………


 …



 「ぺろっ……うん、美味しい♪」

 「なら良かった……ん、美味い」

 『物悲しいのね、ご主人が搾取されている所を見せられるのは』


 僕らはお互い真っ直ぐ家へは帰らず、近くの大手スーパーソレイユに寄っていた。お互い買うものがあるからということで一時別行動し、十数分後合流。そして夕日の照り返す下でベンチに座りソフトクリーム(代金は僕持ち)を食べていた。ここのソフトクリームは割と有名らしくとてもスーパーの一角に申し訳程度に開かれているお店とは思えない。その分値段も相応にあるのだけれど。


 「あ、一応言っておくけど別に奢らなくて良いからね? ちゃんとお金出すよ?」

 「別にいいよ、今度どこか行く時に奢ってくれれば」

 『あざといのね、その次もまたどこかへ誘おう的な魂胆があべしっ!!!』

 「どうしたの?」

 「あ、いや……蚊が」

 「蚊ならちゃんと叩きなよ~」


 僕は拳を振り下ろす。傍から見たら空に向かって拳を振り下ろしている(しかも寸止め)不自然な光景に見えるに違いない。でもまあ平手で空を切る人って結構多いし、その亜種だと思えば。

 夕日を照り返し、ユキちゃんの黒髪はキラキラと艶めいている。神秘的な輝きに思わず魅入っていると、それに気づいた彼女は此方を怪訝そうな目つきで見つめた。


 「ん? 私の頭に何かついてる?」

 「いや、強いて言うなら髪の毛が……」

 「そう言うの要らないんだけど」

 「まあ、そうなんだけどね……」


 むむむ、失敗してしまった。別に一ミリも成功する要素があったとは思えないが。にしても……

 僕は迷う。言うべきなのかそうでないのか。その二者択一に、僕は決断を下した。


 「ねえ、ユキちゃん」

 「どうしたの?」

 「何か話したいことない?」


 彼女はびくっとして、そんな動作を取ってしまった事を恥じるように俯く。


 「無いならいいんだけど、何か悩みがありそうな……って、悩みの無い人間なんてそう居ないんだろうけどね」

 「……私ね、最近誰かに尾行けられてる気がしてるの」


 風が止まる。夕日が陽炎のように揺らぐ。僕はとんでもない地雷を踏んでしまったのではないか。ただひたすらに怖い。

 彼女は手にしていたソフトクリームに真上からかじりつき、一瞬のうちに平らげる。コーンは背後のゴミ箱に投げ入れた。逆手で後方に投げ入れてホールインワンとは恐れ入る。


 「誰かは分からない、でも……家に居る時以外、通学途中も、学校の中でも、どこでも……そりゃ、勿論ずっとじゃないけど、一日に何回も何回もっ……っ、ぁああぁあああっ!!!!!!」


 両手で頬を押さえ金切り声を上げる彼女。周囲の人々がぎょっとしたように此方を見てくる。当然だ、きっと僕もそう言う目をしていたはずだから。


 「また、またっ……嫌、何でこんなっ……」

 「落ち着いてユキちゃんっ……大丈夫だから、僕が居るからっ」


 僕は彼女を宥める。本当ならもっとかっこつけたかったのだけれど、人間急にこんな事態にぶつかると意外なほどに行動できなくなるものなのだ。

 彼女は肩を押さえて震えをとめようとする僕に急に抱きついてきた。柔らかい匂いが鼻を抜けていく。傍から見たらバカップルか何かに見えるんだろうな、そんな事ばかりが頭をよぎり何故か全く嬉しくない。


 「っ、ユキちゃんっ!!?」

 「土屋君っ……ごめん、急にこんな事して……」

 「いや、大丈夫だけど……警察に相談とかした方が良いんじゃないの?」

 「警察は被害がないと動いてくれないから……大丈夫。相談したら少し元気出てきた」


 気丈に振舞う彼女。元気の『げ』の字も出ていないことぐらい鈍感な僕にだって丸分かりだ。そしてそんな言葉を吐かせてしまう自分が情けない。


 「土屋君……土屋君は私の味方で居てくれるよね?」

 「そりゃあ、味方だよ……当たり前じゃないか」

 「……ありがとう。もし何か変な奴とかいたら、教えてくれると嬉しいな」


 彼女は立ち上がり、笑顔でこちらにはにかむ。そしてじゃあねと一言告げ、駅のほうへと走っていった。半ば逃げるように。

 クルルは二人に遠慮して楽器の中へ戻ってくれていたようだったが、ユキちゃんが去っていくのを察知したのか再び僕の目の前に現れる。


 「……何だよ。僕にイケメンみたいな対応を求めるなよ」

 『いや、そう言うことじゃないのね……あの子、さっきお店で……』

 「うん……流石に突っ込めなかったけど」


 別行動で買い物をしているとき、彼女が買っている物を偶然見てしまったのだ。小型だがそこそこ電池持ちもよく解像度も高い監視カメラ、そんな物を必要としているくらい彼女は追い詰められているのだろう。


 「でも、さっきも視線を感じたって……何か感じたか?」

 『……私は楽器の中に入ってたけど、もしそう言う嫌な視線を感じたら気付くのね。ただ、さっきは特に何か変な感じがするって事はなかったのね』


 クルルは一応妖精みたいなものなので、スピリチュアルな分野に関しては圧倒的に僕よりも感度が高い。その彼女が判断できないでユキちゃんが反応したと言うのはクルルがポンコツなのかユキちゃんが鋭すぎるせいなのか、あるいは……

 嫌な事を考えてしまった。彼女が見えないものを見、聞こえないものを聞いているだなんて。あるわけがないじゃないか。

 ユキちゃんみたいな優しい女の子が、そんな精神異常みたいなわけがない。

 僕らも帰ろう……と歩き出そうとした刹那。ポケットに入れていた携帯端末が鳴った。僕は端末を取り出しロックを解除する。

 水無月さんから、WHISによるメッセージだった。このSNS、結局妹と水無月さんと金城さん、あとは陽介の連絡先しか入っていない。そしてこの四人から連絡が来ることはまずなかった。

 連絡の内容は、今日休んでしまって申し訳ないということと回復したから明日は登校出来ること、最後にオーディション頑張るぞということだった。


 『良かったのね、ご主人だけ入部みたいなことになったらきっとご主人やさぐれるだろうし』

 「まあ、それは多分あるな。てか水無月さんに誘われたのに誘った本人が入らないとかないだろ」


 夕日が沈みつつある中、僕らも駅へ向かって歩き出した。

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