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前奏曲 南風の吹く街

 楽器に愛された者達、そうとでも定義しなければ説明できないような神業の持ち主がこの世界には存在する。


 一般の人間がどれほど効率的な研鑽を積もうとも届かない、まさに『次元が違う』存在。その音色は老若男女を問わず人々を魅了し、そのパフォーマンスとエンターティナー性は人種を超えて世界中を日々沸かせている。


 その『楽器に愛された者達』が、比喩ではなく本当に言葉通りの存在だとしたら。どうだろうか。


 職人が心血を注いで生み出した楽器に何らかの霊的な存在が降りる、などということももしかしたらあるのかもしれない。とりわけこの日本においてはそこらの木石にすらも神が宿ると言う考え方のある国だ、大量生産される楽器においても使い手が愛情を持って接すればひょっとしたら強い自我をもたらす事もありうるのではないか。


 今回語るのは一人の少年の物語。どこにでも一人はいるような、際立った特徴のない冴えない少年の送る少し特別な非日常。



 音一つ、心一つ。舞台は、桜咲く街の一室にて始まる。




   〜音が苦になったから

     僕は『音楽』から逃げ出した〜



 Overture The town blowing Southern-Wind



 水無月夏海みなづきなつみを説明するとしたら、然程多くの言葉は要らない。品行方正、成績優秀、才色兼備、百人が百人振り向くであろうそんな人間だ。何と胸糞悪い事か。

知れば知るほど良い所しか見えてこないつまらない奴だ。学年に一人くらいは居るだろう、『一人一人の悪い所を上げてみようみたいな糞企画の際に『何でも一人で溜め込もうとする』『優しすぎる』』みたいな賞賛にも似た意見を頂戴してしまう酷い奴だ。世の中にはそんな企画の際に誰からも意見を賜る事の出来ない可哀想な人間だっていることを知るべきではないかと思う。

 そんな絵に描いたような聖人が僕なんかと関わってしまったのがそもそもの間違いだったのではないかと思う。僕のせいで、僕にとっては彼女のせいで、かもしれないが、二人の人生は大きく変わってしまった。

 それこそ、舗装されたレールの上を進んでいては絶対にわからないような世界に、僕らは飛び込んでいくのだから。




 ……………


 ………


 …



 はぁ、はぁ、はぁ………


 基本的に物欲が無いためか部屋を散らかす事の無い僕だが、日差しの差し込む約6畳の部屋(日本の子供部屋にしては一人で居るには少し大きい方らしい)は荒れに荒れていた。何も知らない人間が見たら発狂したのではないかと思うだろう。概ね正解だ。だからこそタチが悪い。寝癖はタチまくっているわけだが。いやそんなことを言っている場合ではないけれど。

 肩を激しく上下させ、春先だと言うのに真夏並みに汗をダラダラとかいている自分が非常に滑稽に見えるのはわかっている。下着が汗ばんで肌に張り付き気色悪い、そろそろこの下着の売り文句である『抜群の通気性』の看板も返上するべきだろうか。結構なことだ、とりあえずシャワーでも浴びようと思い、着替えを箪笥から取り出すと左脇に挟み部屋のドアを開けようとして……転んだ。

 今時バナナの皮で滑るなんてギャグにもならないまさにスベる話だ。後ろでアヒャハハハハハハハと甲高い声を出しながらベッドの上で七転八倒している何かが居るみたいだがどうでもいい。憎憎しげに人の足を滑らせたそれをゴミ箱に捨てると、再び扉に手をかけた。すると、


 「お兄ちゃーん、起きとるー?」

 「……起きてるよ。今から少しシャワー浴びてくる」

 「良いけどお兄ちゃん今日入学式やろー、大分遅く出て行っていいかもしれんけど、明日からは早起きなんやけん」


 下から味噌汁のにおいとともにそんな声がした。たまにしかこっちに居ないとはいえ、居るときはいつもこうして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるこの愛妹に感謝の意を抱きながら僕は階段をくだり……ながらバナナの皮や濡れ雑巾など滑りそうなものを拾っては本来あるべき場所へと戻し、浴室へと歩を進めた。

 着ているもの全て過ぎ捨てて浴室へ入り、蛇口を捻って少しばかり待つと、すぐに早朝時の眠気を覚ますに丁度いい温度のぬるいお湯がシャワー口から出てきた。僕はそれで全身の汗を流す。まったく、まだ家を出てすら居ないのにどうしてここまで疲れる必要があるのだろうか……


 『……いってどういう事ですかあっ!!!?』

 「……うるさいな」


 昨日の喧嘩(と言うかほぼ一方的な罵詈雑言)を思い出し若干気分が沈む。こちとらいつまでも遊んでいるわけにはいかないというのに。

 そう、遊んでいるわけにはいかないのだ。思えばしがみつきすぎた、そろそろゴールしても構わない筈だ。お湯の蛇口を絞り水の蛇口を勢いよく捻り、頭にだけ当たるようにシャワーを当てた。冷たい。しかし考えは冴えた。本当は全身余すとこなく洗ってしまいたかったが、そんな時間はないのでさっさと身体を拭き服を着る。中学の頃と同じ学ラン(こちらの方が少しオサレ)は同じものとは思えないくらい通気性も動きやすさも段違いで、それだけでもかなりの進歩だと言えた。伊達に目が飛び出るほど高かったわけではないと言う事か。

 廊下をすたすたと歩いて茶の間へ向かうと、そこには二人分の食事が用意されていた。最後に二人分のお茶を持って来た妹は湯飲みをそれぞれの場所に置き、彼女専用の座椅子にぴょこんと座る。


 「ふう、いつもありがとな」

 「まあこれくらいはするけどさ……ちゃんと片付けてってよね、私昼から仕事なんやけん」


 長い橙色の髪をツインでまとめ黒いリボンで束ねた我が妹、土屋涼花つちやすずかは役者だ(女優やアイドル、モデルと言う言い方を彼女はとても嫌い、役者がギリギリ許容できる言葉らしかった。と言うかこれら全部に足を突っ込んでいる時点でかなり凄い)。街でスカウトされ、読者モデルとしてデビューした所偉い所の目に留まり、トントン拍子に今の地位に登り詰めたのだとか。事務所のお金でレッスンも受けられ、待遇は非常に良いと言えた。

 同じ親から生まれたとは思えないくらい(証明してくれる人が居ないので未だにお互い血縁を否定している)自分と違うこの妹、家事全般をやってくれたりする事には感謝しているものの、それ以上のことは特に思ったことがない。身内に芸能人が居て誇らしいとか、羨ましいとかそういう気持ちは全くないのだ。ファンとの揉め事に巻き込まれたりする時は面倒だと思うけれど。

 あまりにも違いすぎて、嫉妬すらする気にならない。彼女はある意味で、テレビの向こう側にしか居ないような芸能人よりも遠い存在なのだった。

 僕は用意された目玉焼きをずるずると一飲みにし、味噌汁を吸い上げウィンナーやベーコンをおかずに白米をかっ食らった。そして、思い出したように口を開く。


 「てことはアレか、今日からまた離れ離れか」

 「うん……ちゃんと掃除せんとよ。洗い物とか溜めんで。それから……」

 「大丈夫だって。じゃあそろそろ行くから、鍵ちゃんとかけといて」


 僕は立ち上がる。入学式くらいしかないだろうから忘れ物の心配もない。二階に戻ろうとして、ある事を思い出した僕は妹の方を振り返った。


 「あ……ちゃんと二人に宜しく言ってから出て行けよ」

 「……うん」


 俯く妹。僕は少しばつが悪そうにその場を立ち去るのだった。



 確かめる術がないから血縁を否定していると言ったが、その理由は至極単純な話だった。僕らの両親は、つい数ヶ月前海外遠征の帰りに飛行機が墜ち帰らぬ人となった。

 詳しくは見ていないので分からないが、テロリストにより飛行機が占拠され乗客は毒ガスにより全員殺され、飛行機そのものは陸地に墜落し爆発炎上したらしい。周囲には両親は亡くなっていないと言っている。

 そして幼い頃から一度も親戚の会合など経験したことがない僕らは、少しでも血縁のある知人を知らない。両親の葬式でさえ、両親の職場の人達がやってくれたのだから。葬儀に親戚は誰も参加していなかった。遺骨も何もない(墜落した機内からは遺体が見つからなかったそうだ)形だけの葬儀だった。膨大な遺産は(少なくとも兄妹の知る限りでは)全て自分達のものになった。

 妹がスカウトされたのは両親の葬儀が終わって一週間ほど後の話だったはずだ。別に急いで金を稼ぐ必要のない彼女がカメラの前で様々な表情を振りまいているのは、もしかしたら哀しみを上塗りしようとしているからではないか、そんなくだらないことを考えてしまう。

 空の黒鞄を左手に持ちエナメルのスポーツバッグを肩にかける。これだけあれば大概のものは持ち帰ることができるだろう。出来れば教科書類をロッカーに置いたままにしておいて良いみたいな温情判決が下される事を期待したいけれど。

 一階からリン(仏壇に置かれたチーンと鳴るアレ)の音が静かに鳴り響く。彼女には早く慣れてほしいと思うのだけれど。鳴れども慣れず。響くほどに其れを日々苦とす。

 ふと机の上を見る。其処には小さな黒い箱が開いたまま置かれていた。中身を確認せずに僕はそれを閉じる。カチッという音が舌打ちのように鳴るのを確認し(うげっという断末魔が聞こえた気がするが気にしない)、僕は部屋を後にした。


 思えば妹は昔から可愛かった、外面も内面も両方近いところから知っている僕ですら可愛いと思うほどなのだから間違いない。それが開花しただけだ、自分の長所を極限まで社会にいかしている彼女の生き方は非常に生産性のある人生だと思っている。

 僕はいい。生産性などなくても全くかまわない。極振りしたステータスが無駄になってしまったのは残念だが、生産するのが虚しさや怒り、哀しみなら要らない。

 


 この街はやたらと桜が多い。至る所に植えられているのではないだろうか。桜が何か不利益をもたらすかと言うとせいぜいこの時期掃除のおばちゃんが花弁を掃くのに梃子摺るくらいか。テレビでやっていたが色々と経済効果も生んでくれているらしい。桜をモチーフにした萌えキャラをあちこちで見かけると思ったら街ぐるみでやっていたのかあれ。

 ゆるキャラの需要が高まる昨今、萌えキャラと言うのもそこそこ市民権を得てきているらしい。日本の象徴として毎春咲き誇る桜から萌えを見出すと言うのは昔の人からすればクレイジーかもしれないが、ある意味では『萌え』と言う単語をの本来の意味を正しく使用しているとも言えた。

 電車に揺られながらそんな歪んだ感情で外の景色を見ていると、次の駅に停まったらしく揺れが収まった。大学が近くにある駅なので多くの学生が降りていく。明日以降はこの大学生達の姿を見ずに済むかと思うと(今日は遅く家を出たので大学の1限と時間帯が被ったに過ぎない)少しばかり気が楽になる。基本的に人混みが嫌いなのだ。人混みとは『人がゴミのようだ』の略だと言われても納得してしまいそうなくらい。大勢の乗客を吐き出した電車は少数の人間を吸い込み、口を閉じ、息を一つ吐き出すと再び動き出した。









 「………」

 「………」

 「………………」

 「………………」

 「………………………」

 「………………………何か?」


 対面に座った女生徒にちらちらと見つめられ、沈黙に耐えかねた僕は根負けして口を開いてしまった。一応色んな所に視線を泳がせるなど頑張ってはみたのだけど、無理でしたごめんなさい。

 彼女は座っていても分かるくらい背が高かった。少々ふっくらした、しかし決して太っているわけではないそんな体型で、褐色の長髪を特に結ばず鎖骨辺りまで伸ばしている。そして、制服のデザインからして今からお世話になる高校の制服を着ていた。


 「あ、いえ……すみません、人違いだと申し訳ないんですが、土屋享佑さんですか?」

 「あ、はい……どこかでお会いしましたっけ?」


 言ってから適当にはぐらかすべきだったかもと後悔する。彼女の眼は爛々と輝き、次の瞬間には握手を求められていた。器用だなこの人。加速中の電車の中で全くと言っていいほど慣性の法則を感じさせない。


 「やっぱり!」

 「ちょっ、急に何を……」

 「中二の時のソロコン全国出てたよね、まさかまた会えるなんて思ってなかった!」

 「中二のソロコンって……あ、ああ、あの時の……」

 「覚えててくれたんだ! 私、水無月夏海みなづきなつみ、担当楽器は紹介するまでもないよね、フルートです!」


 嘘だ。覚えているわけがない。と言うか思い出したくない。それでも一応は話をあわせておかないと余りにも不義理だと思ったのであんな事を口走ってしまったのだった。彼女は首にかけた楽器ケースの紐を首からはずし、両手に持ってにっこりと笑う。

 楽器が好きなんだな〜……と、若干ながら冷めた目で見てしまった。


 「前の学校ではなっつんとか呼ばれてたけど、呼び方はお任せするね。私は何て呼んだらいいだろう?」

 「いや、ちょっと待って……幾らなんでも早合点しすぎじゃないかな? クラスが同じになるとかだったらまだしも……」

 「え、でも高校でも吹奏楽続けるんでしょ? だったらどのクラスかなんてかんけ」

 「やらないよ」

 「えっ」

 「ほら、楽器も持ってきてないし……」


 呆気に取られる彼女。無意識なのか半歩後ずさるのを僕見逃さなかった。もっと早くいえばよかっただろうか、ここまで急にまくしたてられては反応できなかったのもあるが。


 「そ、そっか……ごめんね、てっきり私、ブラスやりたくて翠蓮来たと思ってて……」

 「別にそういうつもりで高校選んだわけじゃないから……なんかごめん」


 ばつが悪そうに僕は俯く。彼女は先程まで座っていた椅子に腰掛けると心なしかしゅんとした様子で顔を背けてしまった。電車はガタンゴトン、ガタンゴトン、キン……とリズムを刻む。景色は同じスピードで右から左へと流れていた。


 「……あ、あのさ」

 「……………」

 「一緒にクラス見に行かない? 私、地方から来てて友達居ないんだ」

 「……ごめん。先に行ってて、すぐ追いつくから」

 「……うん」


 まずい、非常にばつが悪い。彼女は少し寂しそうな顔をして(自惚れであって欲しいと)すたすたと歩いていく。もっと上手い言い方があったのかもしれないけれど、生憎そんな気遣いスキルは僕にはなかった。さてと……僕は近くの駅員に声をかけた。20代前半、と言った所だろうか。話の分かりそうな温和な面持ち、そうでなくては困る。


 「あの、この電車って此処が終点で、30分後に発車するんですよね?」

 「うん? まあそうだけど、それがどうかした?」

 「この電車って何両編成ですか?」

 「ええと、10両だけど……」

 「4つ目と7つ目の車輪の点検をお願いできますか? 少し危ない気がするので」

 「は?」

 「いえ、多分どちらも前の方の車輪だと思うんですが……変な音がしたもので」


 きょとんとする駅員、予想出来た反応ではあるけれど……僕は言いたいことだけ言って、その場を後にした。



 彼女に追いつくことは出来なかったけれど……どうやら彼女は自分と同じクラスのようで少しだけ胸を撫で下ろした。

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