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第二章

1


 編集部審査会に参加することを知った日の翌朝。

 ジャンルが異世界バトルものということでどういう話にするかを考えていたところ、俺はふと重要なことを忘れていたことに気が付いた。

 現状把握。

 そう。まだ俺たちはお互いの技術がどれくらいのレベルなのか知らないのだ。

 編集部審査会に応募する作品は自分一人で作るわけじゃない。仲間と協力して作るのだ。

だから協力してくれる仲間には自分の技術がどれくらいなのか知ってもらう必要がある。

 というか、知ってもらいたい。その上で俺にシナリオを任せてもいいと言ってもらいたい。そうじゃないと本当に俺がシナリオを担当してもいいのか不安になる。

 早速俺は結衣と愛梨を部屋に呼び出し、最新の短編小説を読んでもらうことにした。

「どう、かな……?」

 まずシナリオを勉強していた愛梨に感想を求める。

「んー、悪くないよ。でもやっぱり弱点というだけあってサービスシーンはへたっぴだね」

「うっ……わかってたことだけど、面と向かってそう言われると結構ダメージを受けるもんだな」

「あはは、素人に言われたらなおさらだよね。でもせっかくだからズバッと言わせてもらうけど、愛梨が描いたサービスシーンの方が上手だよ」

「ははは、何言ってるんだ愛梨は」

「あー、愛梨のことバカにした! 絶対愛梨の方が上手だもんっ。ちょっと待ってて。サービスシーンだけ描いた作品見せてあげるから」

 そう言って愛梨が自室へ戻っていった。サービスシーンだけ描いた作品って一体どんなのだよとツッコみたかったが……まさかな。さすがに愛梨の作品よりも劣っているということはないだろう。なにせ愛梨がシナリオの勉強をし始めたのは一週間前。そんな始めたばかりのひよっこに負けるはずがない。

 と、余裕ぶりながら愛梨が戻ってくるのを待つ間に結衣にも感想を聞いておく。

「で、結衣はどう思った?」

「愛梨の方が巧いわね」

「結衣までそんなことを!? ははは、またまた御冗談を」

「嘘じゃないわよ」

「え、本気で……本気でそう思っているのか?」

「ええ」

 俺が冷や汗をかきながら訊き返すと結衣は躊躇うことなく頷きやがった。

 ま、まじかよ……結衣まで俺が愛梨よりも劣っていると言うのか。

 いや、でもまだ愛梨の作品を自分自身で読んだわけじゃない。もしかしたら身内贔屓という可能性も――。

「はーい、お待たせー! 五ページくらいしかないけど、はいこれ」

「お、おう」

 戻ってきた愛梨からUSBを受け取る。

 そして、自分の力量を上回っていないと祈りながら中にあるファイルを開き――。

 五分後。

「ぼく、強い子だから大丈夫」

「暁、帰ってきて!」

「ぼく、強い子だから、めげないもん」

「帰ってきてよー!」

 ゆさゆさと誰かが俺の肩を揺すっている。

「結衣、どうしよ!? 暁が全然帰ってこないよ!」

「よほどあなたの作品に劣っていたことがショックだったみたいね。でも大丈夫よ。こうすれば、ほら――」

 むにゅんっ。

「必ず帰ってくるから」

「――ッ!?」

 不意に柔らかい何かが俺の後頭部を包み込んだ。

「い、一体俺は何を……」

「あ、帰ってきた!」

 目を何度か瞬くと視界が良好になり、俺の目の前では無邪気な笑顔を浮かべている愛梨がいた。

 そして、俺の後方には――。

「どう、暁さん。ちゃんと帰ってこれたかしら?」

「な、ななな何してんだ結衣!?」

「なにって、暁さんが帰ってこれるように……こう、胸で頭を挟んで」

「も、もう帰ってきたんだからやめてくれ!」

「くふっ、そうね、今回はこれくらいにしておいてあげるわ。あんまり悪戯をしても話が進まないし……それで? どっちの方が巧いと思ったのかしら?」

「えっと、それは」

 後頭部に感じていた心地よさを名残惜しく思いつつも俺は愛梨にUSBを返しながら答える。

「悔しいけど、俺の方が下手だ。認めるよ」

「にっひっひー。ね? 愛梨の言った通りでしょ」

 愛梨が得意げに笑った。くそぅ、なんで勉強し始めたばかりの愛梨にすら劣っているんだ。まじで自分の力量のなさに腹が立――いや、ちょっと待て。

「なあ、愛梨の弱点ってこういうサービスシーンの演技だったよな?」

「そうだけど、それがどうしたの?」

「てことはさ、サービスシーンを巧く描けるんだったら想像もできているってことだろ? なのになんで演技が苦手なんだ?」

「んー、それとこれとは別なんだよね。妄想して文章にすることはできるんだけど、実際に演技するのは違うというか、なんというか」

「はぁ、そういうものなのか……?」

 どうやら、妄想できるイコール、上手に演じることができるというわけではないそうだ。

 そう考えると、俺に足りないのは妄想力になるのか?

「まあいいか。とりあえずこの欠点は先生の提案した方法で克服できると信じておくことにして……どうかな? 本当にシナリオを俺に任せてくれてもいいのかな?」

「そんなの確認するまでもないよ。愛梨はもともとこのメンバーの中ならシナリオは暁しかないと思っていたから。ね、結衣?」

「そうね、わたくしも愛梨と同じよ。もしかして暁さん、自身がないのかしら?」

「いや、そんなことはないんだけど……なんつうかその、昨日は勢いのまま決まっちまったし、自分の力量すら知ってもらっていないのにこのままでいいのかなって、不安に思って」

「なるほど、そういうことだったのね。でもそれはわたくしも同じよ。わたくしのイラストで暁さんを満足させることができるのか……もちろん自信はあるけれど、やっぱり実際に意見を聞いておかないと不安になるもの」

「愛梨もそうだよ。昨日は暁が協力してくれることが決まったから嬉しさで忘れていたけど……今はちょっぴり不安かも。本当に愛梨の演技で大丈夫なのかなって」

「二人ともそうだったのか」

 自分一人がそう思っていたわけじゃないことに胸の奥がほんのりと温かくなったような気がした。

「それじゃあ次はわたくしのを見てもらおうかしら」

 結衣が自室から持ってきていたノートPCを俺の方に向け、とあるフォルダを開いた。

「これがわたくしの描いたイラストよ。で、こっちが苦手な方のイラスト。どう思うかしら?」

「これは――」

 結構酷い。プールでの一場面を描いているのだが、男性のイラストだけ変だった。

 どういうふうに変かというと、男性キャラが女性っぽい体つきをしているんだ。さすがに胸とかはないけど、男の特徴を捉えきれていない。これが男の娘ならアリかもしれないけれど、普通の男性キャラの場合はナシだ。

 それに対して女性のイラストについては素人目でもかなり巧く感じる。

 でも作品によっては男性の水着姿が必要になるなんてことはないんだし、別に描けなくても大丈夫な気がするんだけど……どうやら結衣が将来なりたいイラストレーターは男性の水着姿や裸を巧く描けるようになる必要があるらしい。

 あんまり良い反応をしなかったせいか、結衣が不安そうに俺を見つめてきた。

「ねえ、こんな下手なイラストでも暁さんはわたくしをメンバーの一人として認めてくれるのかしら?」

「下手なんかじゃないよ」

「お世辞はいいわ。正直に答えて。わたくしのイラストを見てどう思った?」

「……男性の絵が酷い。なんていうか、女っぽく見えちまう。苦手だって言ってたけど、まさかこれほどとは思わなかった」

「でしょでしょ、何度見ても愛梨の方が上手だって思うよ。ほら、これが愛梨の描いたイラスト」

 と、急に話に割り込んできた愛梨が自分で描いた水着姿の男性キャラを俺に見せる。

 へえ、確かにこれは結衣のよりも巧い。

「愛梨って多才なんだな。サービスシーンも描けるし、絵も描けるし」

「そ、そんなに褒めないでよ、恥ずかしいから。でもね、愛梨ができるのはそれだけなんだ。サービスシーンは描けるけど、それ以外は全然ダメだし、イラストに関しても男性の水着姿とかなら描けるけど、それ以外は全然ダメなの」

「変な才能」

「なんかその言い方ムッと来るんだけど」

「あはは、悪い悪い。でもこれは褒めてるんだよ。素直にすごいと思う」

 膨れっ面になった愛梨の頭の上にポンと手を置いた。

 撫でられることが心地よいのか、愛梨の表情が緩む。

 ――と、そこで。

 途中で愛梨が割り込んできたことに文句をひとつも言わなかった結衣が俺の袖を引っ張ってきた。

「それで、どうなのかしら? このレベルのイラストでも暁さんはわたくしに任せてくれるの?」

「そりゃもちろん。異存はないよ。改めてイラストを頼む」

「そう、よかった……」

 その言葉を聞いた結衣はほっと胸を撫で下していた。

「ねえねえ。愛梨の実力も知ってほしいんだけどいいかな?」

「もちろんだ。実際にどんな演技ができるのか知っておけばキャラ付けもしやすくなるし……あ、そういえば一人で二役以上演じるのってどうなんだろ。ヒロインは一人の方がいいのかな?」

「別に三役くらいでも大丈夫だよ。声のバリエーションはそれなりにあるから」

「まじかよ。俺はその時点で十分凄いと思うんだけど……ちなみにどんな声出せるんだ?」

「えっとね、例えば――」


「くふっ、暁さん。今からわたくしとえっちぃことしないかしら?」


「結衣の声!?」

「ねえ、いいでしょう暁さん」

「おい、どさくさに紛れてくっつくな」

「あ? テメエ、私よりも他の女がいいなんて言っていいと思ってんのか?」

「音日先生の声!?」

「か、勘違いしないでよね! 暁だから仕様がなくくっついててあげてるんだから!」

「言ってる意味は全然わかんねえけどツンデレもできるのはわかった。はいはい、とりあえず離れてくれ」

「あぁんっ、もう、暁のいけずぅ」

 無理やり引き剥がされた愛梨がよよよと演技を続ける。とりあえずいろんな声を出せることは分かった。

 だが、問題は――。

「ちなみに苦手な部分はどうなんだ? 俺の描いたサービスシーンで悪いがちょっとこのヒロインの台詞を言ってみてくれ」

「ええっと、この台詞を言えばいいんだね?」

 愛梨が指をさしながら確認をする。

「うん、その一文だけでいい」

「わかった、ちょっと待ってね。一度流れを掴むから」

 俺にひとこと断った後、愛梨はその前後に書かれてある文章に何度か目を通す。

 そして、コホンと咳払いをした後。

「ユキト!? ちょっとなんで、やめ……あ、あぁんっ、そこは……らめぇぇぇぇ」

 酷く棒読みだった。色気のイの字もありゃしない。

「や、やぁぁんっ、早くその手を退け――」

「ストップ」

「――え、まだ演技してる途中だよ!?」

「いや、もういい。さすがに聞くに堪えない」

「うぅ、それくらい酷いんだ。自信なくしちゃうよ」

 酷く落ち込む愛梨。しまった、もうちょっと言葉を選ぶべきだった。

 もう遅いとは思うけれど、一応フォローを入れておく。

「だ、大丈夫だって。その部分が下手なだけで他はすごく巧かったから!」

「……本当?」

「嘘じゃないよ。特に結衣の演技とか音日先生の演技とかすごかったぞ。これなら複数ヒロインを登場させても大丈夫そうだ」

「そっか。そう言ってもらえるのは素直にうれしいかな」

 えへへ、と愛梨がはにかむ。

「よし、これで俺の実力も知ってもらえたし、安心してシナリオに取り組むことができそうだ。――あ、それとさ。ジャンルが異世界バトルものに決まったわけだけど、ちょっと設定とかの話し合いを――」

 と、本来の目的を終えた俺は昨日のうちに考えたストーリーや世界観、設定などを愛梨と結衣に話して意見を求めた。

 そう。今までは全部一人で考えてきたけど、今回はチーム制作なのだ。すでに担当分野が決まっているとはいえ、仲間になんの確認も取らずに一人で進めてしまうのは問題がある。だからいろんな要素を取り入れる段階においても愛梨たちの意見をしっかりと聞いておくべきだと思ったんだ。

 そして、愛梨や結衣の意見をメモして一段落ついたところで。

「おーい、お前ら買い物行っとけよ」

 音日先生がノックなしに俺の部屋に入ってきた。

「買い物ですか?」

「あぁ。昨日何かと不便だっただろ。箸とかコップとか足りなかったし」

「そういえば、そうでしたね」

 昨日この寮に引っ越してきたわけだが、なんと驚くことにここは自炊制だったのだ。先日まで住んでいた男子寮は朝と夜だけ飯が出ていたので楽だったけど、ここでは自分で何もかもしなければならない。

 とはいえ、夏休みに入った時点で寮の飯が二学期に入るまでストップされるから、どっちみち実家に帰る予定がない俺は自炊をしなければならなかったんだけど――。

 ちなみに昨日は歓迎パーティーで焼肉だった。その時は紙コップと割り箸を使わせてもらったからなんとかなったけど……さすがに二ヶ月もの長い間住むのだから、ずっと使い捨て用の物を使用するわけにはいかないだろう。

「わかりました。もともといろいろ足りなかった分を昼から買いに行こうと思っていたのでちょうどいいですね。昼飯ついでに出かけることにします」

「そうか。じゃあついでに私が食べる夕飯分の材料も買っておいてくれ。これメモな」

 そう言ってポケットから紙切れを取り出し、俺に手渡してきた。

「えー、音日先生の分も買ってこないといけないんですか?」

「別にいいじゃねえか、ついでなんだし」

「ついでといえばついでですけど……それにしても飯ねえ。なんだかなあ」

「なんだ、文句あんのか?」

「いえ、別に買ってくるのがどうしても嫌だっていうわけじゃないんですよ。昨日の話を思い出しただけです。せっかく寮で生活しているのに飯がバラバラっていうのはもったいないなあと思いまして」

 そう。昨日聞いた話ではみんな別々に食事を取っているようなのだ。結衣と愛梨ですら一緒に食べることがそんなにないらしい。

「なんだかそれって寂しくないですか? そりゃあ考え方は人それぞれですけど、少なくとも俺はみんなで一緒に食べる方が飯も美味しくなると思います」

「なるほどなあ……暁の言うことは一理あるだろうが、私は却下だ」

「なんでですか」

「面倒だからに決まってるだろ。だってみんなで一緒に食べるってことは、食べる時間を合わさなきゃならんし、誰が作るのかも決めなくちゃならんのだぞ。それにこいつらうるさいし」

「そうですか……わかりました。もともと強要するつもりなんてありませんでしたから、別にいいですけどね」

 音日先生がこういう意見なら仕様がないだろう。彼女の言う通り面倒なのは事実だ。自分の好きな時間に食べることができなくなるし、場合によっては料理する人を決める必要も出てくる。

 でもそれはそれで面白いと思うんだけどなあ……と、思いながら実現できなさそうなことに落ち込んでいると。

「愛梨はそれでもいいよ」

 後方から嬉しい返事が聞こえてきた。

 俺は即座に愛梨の方を向く。

「いいのか!?」

「うん、今までは愛梨たち以外いなかったけど、暁が来たことで四人になったし、せっかくだから夕飯くらいみんなで食べようよ。きっと楽しいと思う。結衣はどう?」

「わたくしも構わないわ。ちょうど先週から愛梨とシフト時間を合わせてもらったことだし、暁さんが普段どんなものを食べているのか興味もあるし……ここで料理もできるという正妻アピールをすれば、きっと」

 うふふふと、結衣が何かを企んでいるかのような笑みを浮かべた。正妻やらなんやら言っていたけど、一体何を考えているのだろうか。

 この場にいるのは四人。すなわち愛梨と結衣が賛成したということは、現在反対票を入れているのは音日先生だけになるのだが――。

「しゃーないな、土日祝日くらいは一緒に食べてやるよ。でも私は絶対に料理なんてしねえからな」

「音日先生、実はツンデレだったんですね」

「う、うううるさい! 私はツンデレなんかじゃない! こういう流れにしたお前が悪いんだ!」

「そういう素直じゃないところも可愛いですよ」

「蹴り飛ばすぞこらぁ!」

 そうして弄られ耐性がない音日先生は顔を真っ赤にして否定し続けるのであった。


2


「うーんと、暁のはどれがいいかなあ」

 百貨店にて。

 日用品が置かれてある場所に来た俺たちは早速箸とコップを選ぶことにした。

 適当に選んでさっさと買い物を終わらせようと思っていたのだが……なぜか熱心に箸選びをしている愛梨。

「なあ愛梨。別に安いのでいいと思うんだけど」

「ダメだよっ。こういうのはちゃんと選ばなきゃ後で後悔するんだから」

「後悔も何も……俺は普通に使えたら問題ないと思ってるんだけど」

「そんなんじゃダメだよ。ちゃんと使われる箸のことも考えてあげないと」

「何言ってんだよ。ただの消耗品だぞ」

「だからこそだよ。物は大事に扱わないといけないんだよ」

 愛梨に正論を言われて、俺は何ともいえない表情になった。

 確かにそれは間違っていないけど……ねえ?

 むしろ箸なんて何膳もまとめてある同じ色のやつを買った方がなくなったときに便利じゃないか。一本使えなくなったらまた買わなきゃならないなんて不便だと思う。

「というか、箸を使うのは俺なんだぞ。なのになんで愛梨が選んでるんだよ」

「えー、別に愛梨が選んでもいいでしょ。だって暁が選んだら品のかけらもない大量にまとめられているやつを買いそうだし」

「よ、よくわかったな……確かにそのつもりだった」

「にっひっひー。暁の考えることくらい分かるもんっ。ねえねえ、それよりも今いいの見つけたんだけど、こんなのはどうかな?」

 棚に置いてあった複数ある種類の箸の中からピンク色の箸を差し出してきた。

「ピンク色……愛梨、俺は男だぞ?」

「性別なんて関係ないよ。男でもピンク色の服は着るでしょ? それと同じだよっ」

「服と箸を一緒にしないでくれ。それに俺はピンク色の服なんて持っていないし、着たこともない」

「じゃあこれを機にピンクデビューしてみる?」

「却下」

「むぅ、そっかぁ。可愛くて似合うと思ったんだけどなあ。じゃあこっちはどう? 暁のイメージに合わせてみたんだけど」

 今度はオレンジ色の箸を取り出してきた。先ほどのピンク色の箸とは違い、こちらには持つ側に言葉では表現し難い模様がついていた。

「へえ、俺のイメージ色ってオレンジなのか」

「――え、色?」

「あれ、色じゃなかったのか?」

「うん、愛梨はこの変な模様のことを指して言ってたんだけど」

「模様かよ」

 よくわからない変な模様が俺のイメージって……一体どういうことだよ。色なら少しは理解できたけど、模様を指されてもどういうイメージなのかさっぱりわからねえよ。

「ちなみにどこら辺が俺のイメージに合っているんだ?」

「ええっとね、ここら辺かな」

「いや、指で指されてもわかんないんだけど」

「だからこの模様の雰囲気だよー。雰囲気が暁に似ているの」

「雰囲気が……はあ、愛梨の言うことはさっぱりわからん」

「えー、なんでわかってくれないかなあ」

 納得しないまま愛梨がその箸を元の位置に戻した。

 すると、それを見ていた結衣が俺の腕をちょいちょいと引っ張ってきた。

「ね? 愛梨ってわけがわからないでしょう? ほんといきなり理解不能なことを言い出すから困るのよね。雰囲気が似ているなんてわかるはずないじゃない」

「あはは……なんか結衣は苦労しているみたいだな」

「そりゃそうよ。あの子ちょっと変なところがあるから。もうちょっと一般的なものの見方をしてくれると助かるのだけれど……あ、ちなみにわたくしはこれがいいと思うわ」

 そう言って白色の箸を差し出してきた。こちらはシンプルで何の模様もついていない。

 持ちやすさは……うん、悪くないな。

「それにしても白色か。弁当箱に入っているやつ以外見たことがないな」

「確かに一般家庭で使われているところはあまり見ないわね。ちなみにこれ、わたくしも暁さんのイメージに合わせてみたのよ」

「え、何の模様もないけど?」

 俺は箸を回してもう一度確認する。

 うん、真っ白だ。

「何言ってるのよ。あなたまで愛梨みたいなこと言わないで。色に決まっているでしょう」

「色……あ、あぁ、色のことね。あはは、悪い悪い。で、白が俺のイメージ色って?」

「白ってなんだか清潔な感じがするでしょう?」

「まあ、そうだけど……でも俺、掃除とか苦手なタイプだぞ」

「あら、そうだったの? でもこれはあくまでもわたくしが抱いた第一印象だから」

「そうだったのか。第一印象が清潔な感じか……なんだか得した気分だな」

 実際は違うけれど、人は第一印象が重要っていうし、清潔そうなイメージを与えられるのは素直に嬉しいかな。

 いや、でも逆に掃除とか苦手だと知られたら……うーん、ギャップで悪い印象を与えてしまわないようにこれからは掃除も頑張ろうかなあ。

 ――と、俺が胸中で考え事をしていると、結衣が何やらぼそぼそと呟き始めた。

「それに白は何色にでも染まるし……くふっ、いずれ暁さんをわたくしの好みの色に染めて……」

「結衣?」

 一体何を言ってるんだ? 店内の騒音で聞こえない……でもなんか寒気がするのは気のせいだろうか。

 一度呼びかけただけでは気付かなかったらしく、結衣はまだぼそぼそと呟いている。

「最終的には、わたくしなしでは生きていけない身体にして――」

「おーい、結衣」

「――ッ!? あ、あらやだ、わたくしったら……。それで、暁さんはどれにするつもりなの?」

「んー、そうだなあ。特に好みの色とかがあるわけじゃないけど」

 多種類ある箸の中から一つを選び、試しに持ってみる。

「おっ、これなんか使いやすくていいと思うぞ」

「茶色……地味な色がお好きなのかしら?」

「いや、別に色は……まあ、確かに派手なものより地味なものの方がいいけれど」

「どうして?」

「うーん、なんて言えばいいのかなあ。普段からあまり派手なものを選ばないって理由もあるだろうけど……あっ、そうか。目に優しいかどうかだ」

「目に優しいかどうか?」

「そうそう。だってさ、飯食う時に赤色の箸とか使うといちいち視界に入って目が疲れそうじゃないか?」

「それは……慣れたら問題ないと思うけれど」

「そういうもんかなあ。でもやっぱりあんまり派手じゃないやつがいいな。実家で使ってた頃も茶色だったし」

「実家……」

 不意に結衣の表情が沈んだように見えた。

「ん、どうかしたのか?」

「いえ、なんでもないわよ。ふぅん、そう。地味な色がいいのね。それじゃあ暁さんの希望に副うものを選び直してみるわ」

「いや別に選ばなくても――って、行っちまったか」

 どうやら俺は二人のどちらかが選んだ箸を購入する羽目になりそうだ。

 結局、数十分かけて箸を選び終えた。

 最終的にかごへ入れたのは愛梨がお気に召した模様が入った茶色の箸。決め手となったのは持ちやすさと軽さだった。その点については結衣が良いものを持ってきてくれたので、数十分かけて選んだ甲斐はあったと思うことにしよう。

 そして次はコップ選び……なのだが。

「やっぱりハート形がいいって」

「そんなの使い難いわよ」

「じゃあ星形!」

「余計使い難いわ」

「それならこのひし形はどうかなっ!」

「それも使い難いでしょうが」

 俺の目の前ではやたら形にこだわる非常識人と、あくまでも使いやすさを重視する常識人の争いが繰り広げられていた。もちろん俺は後者を支持する。

 だってそんな使い難いのを選ばれても困るのは俺だからな。もし星形なんてコップを購入することになってみろ、これから約二ヶ月の間、俺はお茶を飲むのも一苦労しなければならないんだぞ。

 確かに愛梨が選ぶものは、置いておく分には見栄えがいいのかもしれない。でも、使用する限りそんなところを重視する必要なんてない。

 いつまでたっても事態が収集しそうにないので俺は強引にコップを選ぶことにした。

「この至って普通のやつで決定な」

 そう言いながら愛梨に見せると、案の定文句を言ってきた。

「そんなの面白くないよっ!」

「日用品に面白さを求めてどうするんだ」

「面白いからこそ毎日大切に使おうって思うんじゃないっ」

「思わねえよ。少なくとも俺は利便性を重視する」

「えー、そんなつまんなーい」

「つまんなくていいの。俺は絶対にハート形とか星形のコップは嫌だからな」

「むぅ、こういう面白さがいいのに……」

 納得がいかない愛梨。その後も文句を言ってくるが……そのコップを使うのは俺だからと言って今回は引き下がってもらった。

 もともと俺に近い思考をしている結衣は俺が選んだコップに文句はないようだ。

「さてと、他に必要なものも買ったし、これでOKだな。それじゃあ、それそろ昼飯でも食いに行くか」

「もしかして暁の奢り!?」

 昼飯という単語に愛梨が目を輝かせた。

「んなわけねえだろ。そんな余裕なんてない。最近バイト頑張ってなかったから今月はあんまり出費できる状況じゃないんだ」

「そっかぁ、それは残念。ちなみにどこでバイトしてるの?」

「どこって言われると、自宅だけど」

「自宅!? もしかして内職ってやつかな? ボールペンの一部分を組み立てるとかそういうやつの……」

「いや、愛梨が想像しているものとは違うな。確かに内職ではあるけど……なあ、愛梨はTRPGって知ってるか?」

「てぃーあーるぴーじー?」

「その様子だと知らなさそうだな。うーん、なんて説明すればいいのかなあ……あっ、そうだ。一応聞くけど、RPGくらいは知ってるよな?」

「当然だよ。ゲームくらいするもん」

「そうか、なら話は早い。TRPGっていうのは、ゲーム機を使わずに紙や鉛筆、サイコロなどを使うんだ。それでルールブックに記載されているルールに従って、マスターとプレイヤーが会話をしながらゲームを進めていくんだよ」

「話し合いながらゲームを進めていく……? 例えばどんな感じ?」

「えっと……じゃあ試してみるか。言葉で説明してもわかりにくいだろうから、ここで簡単なゲームをしようか。今回は俺がマスターで愛梨と結衣がプレイヤーだとしよう。今から訊く質問に答えてくれ」

「…………」

 こくこく。興味津々に頷く二人。

 特に内容も考えていなかったので俺は咄嗟に思いついたことを訊ねることにした。

「それじゃあ質問です。これから店内にあるレストランに入る予定なんだけど、二人はどうやって五階まで行きますか? 一応言っておくが、他人の行動に口出しは禁止で。はい、愛梨からどうぞ」

「方法は何でもいいの?」

「うん、なんでもいい。五階に辿り着ける方法ならどんな手口を使っても構わない」

「じゃあ、ワープゲートを使って五階まで瞬間移動する!」

「わ、ワープゲートって……まあ、いいか。愛梨はワープゲートを使用するんだな。よし、次は結衣、答えて」

「わたくしは……そうねえ、エレベーターを使おうかしら」

「OK、それじゃあ二人ともサイコロを振ってくれ」

 そう言って俺は携帯に入れてあるとあるアプリを起動させ、愛梨に渡した。

「このボタンを押せばいいの?」

「そうだよ。それで今回は偶数が出れば成功するということにしよう」

「成功する……? よくわかんないけどまあいっか。偶数よー出ろ!」

 えいっと愛梨が画面をタップし、サイコロを回す。

 結果は――5。

「あちゃー、奇数だよ。で、どうなるの?」

「ちょっと待ってくれよ、結衣も回してくれ」

「奇数を出せばいいのね、それっ」

 愛梨から受け取った携帯を操作し、結衣がサイコロを回す。

 結果は――3。

「残念、奇数だったわ」

「そっかぁ、二人とも残念だったな。それでは結果発表。愛梨はワープゲートを使ったが、誤作動を起こしてしまい自室へワープ。結衣はエレベーターを使おうとしたのだが、しばらく一階から乗る客が多くて使えなかった。その結果、愛梨は五階までたどり着けず昼食を抜くことに。結衣は待ちに待ち続け、昼食にありつくまで十分のロス」

 そう伝えると、案の定愛梨と結衣が文句を言いだした。

「えー、なにそれひどーい。完全に運ゲーだよ」

「全然納得できないわね。結果は愛梨よりマシだけど、わたくしも運要素が強すぎると思うわ。それになによ、一階から乗る客が多いだなんて……そういうことは事前に説明しておいてほしいわ」

「あはは、そりゃ納得できないだろうな。今回はちゃんと考えずに話を作ったし、ルールも適当だ。でも本当はもっと面白いんだぞ。実際は世界観やら設定、プレイヤーの能力値などを決めたりして完全に運ゲーじゃなかったりするし。まあ、そんな感じでマスターが話を作ってプレイヤーがその話の中でどう行動するのか自由に決めることができるんだよ。RPGだったら基本的にプレイヤーの行動は限られているけどさ、TRPGは完全にプレイヤーがどういう選択をするのかは自由なんだ」

 大まかに説明すると、愛梨と結衣は納得したようだ。

「なるほど、今回が運ゲーすぎただけなんだね。それなら結構面白そう」

「確かに自分で考えられるというのは魅力的だと思うわ」

「だろ? それで俺はとあるWTRPGのマスターをしているんだ。もちろんマスターは俺以外にもたくさんいて、話を作れば作るほどバイト代が入ってくるって感じだな。ネット上でやり取りをするから環境をそろえる必要はあるけど、わざわざ現実で集まる必要がないからすごくやりやすいバイトだよ」

 それに、俺みたいにシナリオライターを目指している人たちにとっては結構良いバイトだと思う。プレイヤーの行動まで決めることはできないけれど話を作るいい練習になるし、プレイヤーに予期しない行動を取られて驚かされることもあるし。

 ま、その予期しない行動ってのは、今回でいうなら愛梨が言ったワープゲートの使用ってところだな。

「それで、暁は最近話を作ってないから無駄な出費をする余裕がないんだ」

 どうしてバイト代があんまり入っていないのか納得した愛梨が頷いた。

「そういうこと。課題に追われてあんまりできなかったんだよ。それに今月も編集部審査会に応募する作品づくりで忙しいから、しばらくはまともな活動ができないだろうなあ」

 幸い、奨学金を借りているから生活費はなんとかなる。でも遊びに使えるお金がほとんど残らないのが現状だ。切り詰められるとしたら食費になるけど、それは絶対に嫌。

「そういえば、愛梨たちは何かバイトをしているのか?」

「うん、してるよ。結衣と一緒に働いてるんだ」

「へえ、どこで?」

「それは…………内緒っ」

「なんでだよ。別に教えてくれたっていいじゃないか」

「やだよーっ。教えてあげないもんっ」

 どうやら愛梨はバイト先を教える気がないらしい。

 理由はわからないけれど、それなら――。

「結衣、どこでバイトしているんだ?」

「あら、わたくしたちのバイト先を知って一体どうするつもりなのかしら?」

「いや、どうするもなにもないよ。ただ興味があっただけだ」

「興味……なるほど。暁さんはバイト中のわたくしたちを見て、ぶひぶひしたいのね」

「しねえよ!」

「さらに客という立場を使ってセクハラをしようと考えているのね」

「そんなことしたら訴えられるじゃねえか!」

「それでも満足しない暁さんは、セクハラされて恥ずかしがっているわたくしたちを他の客に見せびらかすのね」

「ドSかよ! しかもそれ、客に迷惑かけてるだろ!」

「そして最終的にはわたくしたちをお持ち帰りし、十八禁的なことを――」

「違うよ、裏に呼び出された暁はそのまま店長にバックを奪われるんだよっ」

「そういう妄想止めてくれますかね!?」

 ――と、途中で加わってきた愛梨の台詞に俺が全力でツッコんだところで。

「何あの人、小学生くらいの女の子に変な言葉を言わせているわよ」

「ねえねえお母さん、あの人たちなんて言ってるの?」

「しっ! 聞いちゃいけないわよ!」

「その年からしっかり調教するとは……やるな。羨ましいぜこのロリコン野郎」

 ロリコンはお前だろ! と、最後のやつにツッコミたかったが、俺はすぐさま結衣と愛梨の手を掴んでその場から離脱した。しまった、公共の場なのに目立ち過ぎた。それに実年齢は俺と同じだけど、結衣と愛梨の見た目が小学生であることに違いはない。そのせいで俺が変な奴だと思われてしまう。

 そして、急いでエレベーターへ逃げ込んだところで結衣がにやりと口元を歪めた。

「あら、いきなりこんな密閉空間に連れ込むなんて……まさかイヤらしいことでもするつもりなんじゃ――」

「だからしねえよ! お前らが卑猥なこと言ってるからここへ逃げ込んだだけだろうが」

「ふふっ、冗談よ。そんなムキにならなくても。ほんと暁さんをからかうのは面白いわね。でも少し気をつけるわ。さすがに子ども服売り場が近くにあるような場所では先ほどのような言動を慎むから」

「どこででも一緒だろ。子ども服売り場が近くにあるかどうかなんて関係ない」

「関係あるわよ。年端もいかない子供が興味を持ったら大変でしょう? わたくしたちのようなイケナイ女性になっちゃうわ」

「自覚があるのならなおのこと勘弁してくれ、余計に性質悪いぞ」

「この良さが分からないなんて……残念ね」

「わかるつもりなんてねえよ」

 公共の場で言動を慎まないような輩のどこがいいんだか。いい迷惑なだけだろう。

 まあ、まだ口で言うだけだからマシなのかもしれないけれど。

 そうして結衣に文句を言っているうちに五階へ到着。

 よほどお腹が減っていたのか、様々な飲食店が並んでいる光景を目の当たりにした愛梨が目を輝かせた。

「何食べよっかなあ。これも美味しそうだし……あっ、こっちも美味しそう!」

 そう言って先に走って行き、いろんな飲食店を物色し始める愛梨。

「ほんと、愛梨は子供にしか見えないよなあ」

 そんな彼女を見て俺はぼそっと呟いた。周りの人たちにはどういう風に見えているんだろうか。俺が兄貴で愛梨と結衣が妹といったところかな?

 さすがに昼時ということもあってこの通りは人が多い。よくもまあ、あれだけすいすいと人の間を通って行けるものだ――。

「って、感心している場合じゃない。見失ったら大変だ。結衣、追いかけるぞ」

「ほんと、世話の焼く妹だわ」

 ため息を吐いている結衣に向けて俺は手を差し出した。

「なに? その手は……奢る余裕なんてないわよ?」

「違げえよ。人が多いし、はぐれたら大変だろ」

「なるほど、そういうこと……くふっ、今わたくしの中で暁さんの株が上昇したわ」

「んなことどうでもいいから早く追うぞ」

「……もう、少しは気にしてくれてもいいのに」

 何やら小声でぼそっと文句を言っていたようだが、結衣を気にしている場合じゃない。

 そう。ついに愛梨の姿が見えなくなってしまったのだ。携帯電話があるからはぐれても連絡は取れるけど、愛梨は他人に迷惑をかける可能性が高い。面倒事を起こす前に愛梨を見つけないと――。

「暁、こっちこっちー!」

 あっ、意外とすんなり見つかった。

 愛梨は某ファミリーレストランの前で飛び跳ねていた。幸い、小さな子供がはしゃいでいると思っているらしく、周りの人はそこまで困って……うん、やっぱり鬱陶しく思っているみたいだ。早く愛梨をおとなしくさせないと。

「こら、あんまりはしゃぐなよ。すみません、迷惑をおかけして。ほら、いくぞ」

「えー、ファミレスに入んないの?」

「ファミレスがいいのか? 他にもいろいろあるけど」

「うん! 愛梨はここのパフェが食べたい!」

「パフェって……それはおやつだろ。今から食べるのは昼飯だぞ」

「もちろんちゃんとご飯も食べるよ。パフェはデザートっ」

「よくそんなに食べれるなあ。俺は飯だけで腹いっぱいなのに」

「……あり? そうなの? 暁には別腹が存在しないの?」

「そんなものはない。別腹は存在するとか言われているけど、少なくとも俺はいくら好きなものでも入らない時は入らない」

「へえ、そうなんだ。なんか損してるね」

「それを言うならむしろ経済的、だろ?」

「とかなんとか言って、実はお金がないからってやせ我慢してるんだったりして?」

「やせ我慢じゃないよ」

 食後にパフェなどのデザートを食べる。そうしてみたいという気持ちは確かにある。

 でも本当に腹いっぱいまで飯を食ったらデザートなんて入らないんだよ。食べる量を調整すればいいのかもしれないけど、デザートを食べるくらいならちゃんと飯を食べる。

「愛梨はここがいいみたいだけど、結衣はどうなんだ?」

「んー、そうねえ、とりわけ食べたいものがあるわけでもないし、ここならいろんなものがあるから構わないわ」

「そうか、それじゃあここにしようか」

「やったぁ!」

 ファミレスで昼食を取ることが決まったことに喜ぶ愛梨。

 周りにいた人々はどうやら俺たちが兄妹か何かだと勘違いしたらしく、俺たちのやり取りを見ていた人々は微笑ましい表情に変わっていた。


3


「えーっと、追加でこのチョコレートパフェとイチゴサンデーをお願いします」

「はい、かしこまりました」

 昼食を食べ終えた後。

 結衣と愛梨の希望により食後のデザートを追加注文した。

 どうやら別腹が存在するのは愛梨だけじゃないらしい。二人とも俺と同じくらい量があるものを食べたのに……ほんとすごいよなあ。その小さな身体によく入るもんだ。

 でも食べた分の栄養は一体どこへいってるんだろうか。二人とも身長が伸びているわけでもなさそうだし、太っているわけでもないし……まあ、結衣の場合は一目瞭然だけど。

「なにかしら? 先ほどからわたくしの胸をジロジロ見て」

「い、いや、何でもない」

 しまった、またやっちまった。そう思って即座に視線を逸らすと、結衣が口元を三日月のように歪めた。

「もしかして、わたくしの授かりものを使ってイヤらしい妄想でもしていたのかしら?」

「し、してねえよ!」

「本当に?」

「本当だってば!」

「怪しいわねえ、真赤になりながら否定して。くふっ、でもいいのよ。好きに使ってくれても……あっ、そうだわ。せっかくだから弱点を克服するための方法をここで試してみましょうよ」

「弱点を克服するための方法……? お、おい、一体何をするつもりだ!?」

「それはもちろん、暁さんが素晴らしいサービスシーンを描けるように――」

「お待たせしました。こちらがチョコレートパフェで、こちらがイチゴサンデーです」

 タイミングが良いのか悪いのか、結衣が喋っている途中で店員が追加注文した品を持ち運んできた。

 それに対して結衣が不気味な笑みを浮かべた。

「ちょうどいいわね」

 愛梨がチョコレートパフェを、結衣がイチゴサンデーを受け取る。一体結衣は何をするつもりなんだろうか、と警戒しながら彼女の同行を探るが……今のところ変な行動を起こすつもりはないようだ。イチゴサンデーをちょっとずつ口にし、子供のようにはしゃぎながらチョコレートパフェを頬張っている妹を眺めているだけ。

 嫌な予感がしたのは気のせいだったのかな、なんて思っていると、愛梨の頬にチョコレートの混じったクリームがついていることに気がついた。

「おい、ほっぺにクリームついてるぞ」

「え、どこどこ?」

 愛梨がスプーンを置き、俺に訊ねてくる。

 それに対して俺は指を指して指摘するが――。

「愛梨には見えないから暁取って」

 自分でティッシュを持っているくせにそんな面倒くさいことを言ってきやがった。

「ねえ、取って取ってー」

「はいはい」

 別に拭き取ってあげるくらい構わないか、と俺は特に気にすることもなく愛梨から受け取ったティッシュを使って、彼女のほっぺについているクリームを拭ってあげる。

「ありがとっ」

「子供じゃないんだから気をつけろよ」

「うんっ。あ、そうだ暁。お礼にひとくちあげるよっ」

「別にいいって。腹いっぱいだし」

「そう言わずに食べてみてよ。ひと口くらい大丈夫でしょ? ほら、美味しいから」

 そう言いながらアイスクリームの部分をスプーンで掬い、愛梨が強引に俺の口元に持ってきた。反射的にというか、別にここまでされても断る理由がないというか、俺は躊躇うことなくそれを口にする。

「ん……意外と美味いな、これ」

「ね、美味しいでしょっ。ここのチョコレートパフェ、愛梨の中では五本の指に入る美味しさなんだよっ」

 俺の返答に対して、嬉しそうに答える愛梨。

 ここのパフェって結構有名だったりするのかな。

 そんなことを考えながら口の中に広がる甘さに名残惜しさを感じていると、愛梨の隣に座っている結衣の手が動いていないことに気がついた。

「どうした結衣? 食べないのか?」

「いえ、食べるわよ。ただ愛梨が恐ろしい子だと思って手が止まっていただけだから」

「恐ろしい子?」

 一体愛梨のどこが恐ろしいんだ? 何が怖いのかさっぱりわからないぞ。

 そうして俺が首を傾けていると、結衣がぼそぼそと何かを呟き始めた。

「さすが天然というかなんというか……子供っぽいってすごいわね。あんなことを平然とやってのけるなんて」

「結衣?」

「でも暁さんは全然恥ずかしがっていなかったようだし、アピールにはなっていないような……」

「おーい、結衣」

「――ん、なにかしら?」

「いやなんか呟いていたからさ、どうしたのかなって思って。もし体調でも悪くなったのなら遠慮せずに言ってくれよ」

「あら、心配してくれてるの?」

「そりゃもちろん。同じ寮の仲間なんだ、体調を気遣うのは当然だろ」

「ふふっ、お気遣いありがとう。でも大丈夫よ。別に体調を崩したわけではないから」

「……それならいいけどよ」

 ――と。

 結衣に答えたところで、愛梨が急に席を立った。

「どうした?」

「ちょっと手洗い行ってくるー!」

「はいはい、訊いた俺も悪いけど、わざわざそんな大声で答えなくていいから」

 女の子なんだからもうちょっと発言には気をつけろよ、と思うが……まあ子供っぽいから仕様がないか。

 そうして愛梨がこの場から消え去った後、結衣が席を立ち、なぜか俺の隣に座ってきた。

 俺は少し身を引いて警戒を強める。

「どうしたんだよ、急に」

「ねえ、暁さん。先生が言っていたこと、ここで試さない?」

「は? 先生が言っていたこと……?」

「ええ、毎日弱点を克服する努力をすることよ。せっかくファミレスに来ているのだから、ここでしか体験できないサービスシーンを体験しましょうよ」

「お、おい、それって――」

 嫌な予感がしたので、即座に結衣から離れようと身を引こうとした。

 そのところで。


 ぴとんっ。


「――ッ!?」

 結衣が大胆に胸元が開いた服装より少し上の部分、肌が露出しているところにわざとイチゴサンデーを垂らしやがったのだ。

 それによって一気に結衣の胸元が強調される。

 ただでさえその大きさだけでも存在感が強いのに……アイスクリームがつけられてしまったため、嫌でもその場所に目がいってしまった。

 大胆に胸元が開いた黒い服。そこから覗くきめ細かい白い肌。くっきりとできた深い谷間。見えそうで見えない下着。

 しかも今、そのたわわに実った果実の上に、一口分のアイスクリームが乗っている。

「――――」

 ごくり。俺は唾を飲み込んだ。

 ここからはほんの数秒の出来事。

 人肌によって徐々に解けていくアイスクリーム。

 固形物だったものがたわわに実った果実の上に置かれた瞬間にかさを減らし始め、人肌を薄らと映し出していく。

 そしてそれがつぅ~と深い谷間へ垂れ落ちていき――。

「ほらぁ、早く舐め取って。このままじゃ服を汚しちゃうわ」

「そ、そそそそんなことできるか! いいから早く拭け!」

 咄嗟にティッシュを突き出した。

 しかし、ティッシュで拭き取るより先にアイスクリームが結衣の服に染み込んでしまった。

「もう、うだうだしているから服についちゃったじゃない」

「俺のせい!?」

「そりゃそうよ。暁さんが舐め取ってくれないから悪いのよ。あーあ、お気に入りの服だったのに。シミになっちゃったらどうするつもりなの?」

「く、黒だから大丈夫だ、きっと」

「ま、それもそうよね。だったら、もっといっぱいしても、い・い・わ・よ・ね?」

「――え?」

 ぴとんっ。

 止める隙なんてなかった。

 自分の服が汚れてしまうことなど気にせず、結衣が再びスプーンで掬い取ったアイスクリームを自分の胸部に垂らしたのだ。

 先ほどのようにアイスクリームがすぐに溶け、深い谷間に流れ込んでいく。

「ほらぁ、ちゃんと舐めとってくれないと――」

 ぴとんっ。

「このままだとわたくしの服が下着までぐしょぐしょになってしまうわ」

「ほ、本気で言ってるのか!?」

「もちろんわたくしは本気よ。だって暁さんにはそういうシーンを体験する必要があるんでしょう?」

「た、確かにそうだけど――」

「それなら舐め取ってくれてもいいじゃない。わたくしも暁さんの舌の感触を実際に肌で味わうことができるから、きっとそういうイラストを描くときに役立つわ」

「どんなイラストだよそれ!」

「ツッコむところはそこじゃなくて、わたくしの胸に……ね?」

「――ッ!」

 再びアイスクリームを垂らし、両腕で下から胸を持ち上げて強調する結衣に俺は顔を真っ赤に染め上げた。

 ただでさえ強調されているだけでもドキドキするのに、今回はアイスクリームというオプション付き。しかも先ほどまでとは違って掬う量が多かったため、まだそのアイスクリームはふくよかな双丘の上で溶けながらもきちんと存在している。

 そう。まだ舐め取る分が残っているのだ。

 それを意識したせいか、ドクン、ドクンと心音が高まっていく。

 人肌によって徐々に谷間へと溶け落ちていくアイスクリーム。

 早く舐め取ってと言わんばかりに溶けたアイスクリームが結衣のお気に入りの服を汚していく。

 結衣も俺をその気にさせるためなのか、胸元をさらに肌蹴させ、下から持ち上げるようにして……や、やばい。理性が、理性が――。


「ちょっと! 何やっているの!?」


「――ッ!?」

 愛梨が帰ってきたことによって、俺はアイスクリームを舐め取る寸前で身を引き戻した。

 あ、危なかった……と、安心したと思いきや、結衣が悪戯な顔をし、

「一歩遅かったわね愛梨。暁さんは先ほどまで凄く美味しそうにわたくしの胸を舐め回していたのよ?」

 とんでもないことを言いやがった。

「――え!?」

 案の定その場で凍りつく愛梨。彼女が固まっている間に俺は即座に否定した。

「し、してないだろそんなこと!」

「でもほら、すごく胸元が濡れているでしょう?」

「そ、それはお前がアイスクリームを垂らしたからで――」

「そうね、確かにわたくしはアイスを垂らしたわ。でも、そのほっぺについているのは何? わたくしの胸についたアイスを舐め取ったという証拠ではなくて?」

「なっ!?」

 は、ハメられた。俺が気づかないうちに結衣がイチゴサンデーについていたクリームを俺の頬につけたのだ。

 一方、その嘘を事実だと思い込んでしまった愛梨は、

「そんな……結衣を選んだなんて。ううん、でもまだ負けてないもん。これなら――」

 と、一度落ち込んだと思いきや意味の分からないことを呟き、残っていたチョコレートパフェをかき集めた。

 そして――。


「暁……ん!」


「ちょ、口移し!?」

「んん、んんんん。んんんんんー」

「何言ってんのか分かんねえぞ」

 ――ごくり。

「だから口移しをして……って、飲み込んじゃったじゃない!」

 大声を上げながら嘆く愛梨。

 それを見た結衣が感嘆を洩らした。

「暁さん、なかなかやるわね」

「だろ? 咄嗟に思いついた我ながらいい方法――」

「こうなったら」

 と、俺が話している途中で愛梨が結衣の前に置いてあったイチゴサンデーを奪い取り、それを口いっぱいに放り込んだ。

「あ、ちょっと愛梨!? 何勝手にわたくしのアイスを取ってるのよ!」

 当然結衣が文句を言うが、愛梨は気にすることもなく、再び俺に向けて――。

「んんんん、んんー」

「だから、何言ってんのか分かんないって」

「んんんっ」

 くそう、さすがに二度目は通じないか――って!?

「ちょ、ちょっと待て。そもそも俺は結衣の胸なんて舐め回してないから……お、おい!? 聞いてるのか!? 聞こえてんのか!?」

「んんっ!」

 俺の制止の声を無視してゆっくりと近づいてくる愛梨。

「んんんんー!」

「おいやめろ。本当にやめ――――ッ!?」

 そうして俺と愛梨の距離が数センチまで近づいて――――。

 その後、このファミレスの店長に出入り禁止を言われたのは言うまでもない。

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