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07.シーザリオンの受難

 シーザリオンが気づいたのは、目を凝らしても何も見えない、一点の光明すらない真の闇の世界だった。

「ここはどこだ?」

 いらえはない。なんの気配もないことから、そこには彼のほか誰もいないと判っていたから、むしろそれは自身に問うたと言って良いだろう。

 感覚をとぎすましてあたりを見まわせば、そこには何もない空間が広がっていた。

 深い闇が視界を閉ざしているために目で測ることは叶わなかったが、声のこもりかたで、そこがあまり広い場所でないと判った。


 どのくらい、そうしていただろう。

 前後左右の判別すら難しいその場所で、シーザリオンは動くことも叶わず立ち尽していた。かなり長い時間おなじ体勢でいたために体中が軋んでいる。

 不自然に上げられたまま固定されて動かない両腕が、鉛のように重い。

 動かないのは腕だけではなかった。両足も膝のあたりで固定されていて、なんとか動かせるところといえば、首と、あとは指先くらいだった。

「捕らわれたらしいな」

 とうてい歓迎しかねる答えを導き出して、シーザリオンは首をひねった。ほんの少し前までは確かに領主の屋敷にいたのだ。

 新しい領主の使者と名乗る男に案内されて訪れた屋敷の奥まった一室で、アルラウネに引き会わされた。

 仕事の依頼をしたいという女の勧めるままに、葡萄酒を飲んだことまでは覚えている。だが、記憶があるのはそこまでだった。そして、気が付いたら見覚えのない場所に囚われていたのだった。


 まったく光が届かないところをみると、どうやら地下牢か、それに近い場所らしい。

 地下でもない限り、たとえ夜とはいえ多少の光源くらいはあるものだ。

 無駄を承知でいましめを引きちぎろうとシーザリオンは腕に力を込めた。

 縄でも鎖でもないいましめは、乾いた糊のような粘着力を持っていて、シーザリオンがいくら渾身の力を込めてももびくともしなかった。

 シーザリオンはそれでも何度か試してみたが、いたずらに体力を消耗する愚をおかさないために試みを中断した。

 そのうちに訪れるだろう好機を逃さないためにも、体力を温存しておく必要があると判断したためだった。

 宿屋を出て、どのくらい時間が過ぎたのか検討も付かない。いまが夜なのか朝なのかすら判別しがたいのだ。

 だが、少なくとも半日は経っているだろう。

 宿屋を出たのが昼前だったから、いまは夜か、へたをすると翌日の朝だろうとシーザリオンは大体の予測をつけた。

 夕刻には戻ると言い置いて宿屋を出たが、帰りの遅いことに相棒は疑問を持っただろうか。そこまで考えて、シーザリオンは溜息を吐く。


(やっかいな事態になったものだ)

 帰りが遅いくらいのことで、ラディンがシーザリオンを心配するなど有り得ない。

 ラディンのことだ、シーザリオンの不在にすら気づかないということも十分考えられる。

「ようするに自力で脱出するしかないということか」

 はじめからラディンの存在をあてにしている訳ではなかったから、ショックというほどのことでもない。

 傭兵という職業がら似たようなことはいくらでもある。これくらいのことを自分で処理できないようでは、傭兵家業は勤まらない。

 とにかく今は待つことだけと考え、少しでも体を休めようと目を閉じた。



 遠くで足音がする。

 その音が徐々に大きくなって、何者かがこの場所に近づいて来るのが判った。

 耳をすませ気配を追っているうち、音に混じって微かな息遣いと衣擦れまでが聴こえてきた。明りが近づく。やがて燭台の火に赤く照らされた美貌が現れた。

 漆黒のドレスに包まれた豊満な身体。

 輝く黄金と闇の深さをあわせもつ、まだらの髪の色彩。そして金の瞳。女が、紅く濡れた唇の両端を笑みの形に吊り上げる。

「おまえは」

「お目覚めのようね」

 アルラウネは燭台の炎を数箇所に設けられた灯取りに移してゆく。揺らめく炎が、深い闇に覆われた空間を淡く浮かびあがらせた。

 その場所が地下に位置しているのは、どうやら間違いなさそうだった。

 鉄格子が見当たらないところをみると、地下牢の類ではないらしい。シーザリオンは洞窟か地下道なのだろうと考えた。



「いったい何のつもりだ?」

 女は答えない。シーザリオンの反応を楽しむように目を細めたきりだった。

「なんのために私を捕らえたのだ?」

 誘拐するのなら若い娘か幼い子供を選ぶのが妥当だろう。

 抵抗らしい抵抗もできないから逃げられる心配もない。買い手に不自由することもなければ、何よりも高価で取り引きされる。

 逆にシーザリオンのような大男は誘拐しても、美味しいところがあるとは到底思えなかった。

(つまり私自身が目的ということか)

 それならば納得がいく。


「誰に頼まれた? いや、どちらにせよ親戚筋の誰かだろうが。迎えが来ることになっているのか? それとも……来るのは刺客か?」

 現在シーザリオンは傭兵家業などに身を置いてはいるが、元をただせば、れっきとした名家の出身である。

 当然、騎士の称号も持っていたし、家に帰れば跡継ぎという輝かしい未来も約束されていた。だからこそ、心当たりならいくらでもあった。

「依頼したのは叔父上か?」

 心中で該当しうる人物を数人選出して、シーザリオンは問いを口にする。

「おまえを雇ったのは誰だ?」

「あたくしは誰にも雇われたりしていませんわ、シーザリオンさま」

 そう言って、アルラウネはゆっくりとシーザリオンに近づく。

「シーザリオンさまを捕らえたのは、あたくしの意志ですの。貴方がここにいらっしゃるのは、あたくしが貴方を欲したからですわ」

 鋭利な刃物にも似た長い爪がシーザリオンの頬をすべった。たくましい胸元に顔を寄せてアルラウネが甘く息を吐く。

 シーザリオンは自分にしなだれかかる身体から、微かに漂う匂いに気が付いた。

 間近にしなければ見過ごすほどのそれ。

 どこかで嗅いだ覚えのある、その匂い。強い香水に隠された、だが確実に存在するこの饐えた匂いは。

(……腐臭?)

 アルラウネの白いおもて。滝のように流れ落ちる、まだらの髪。黄金の瞳。その双眸が爛々と輝いている。

 己の体を戒める得体のしれないものを見おろして、シーザリオンは目を見開いた。

 べったりと貼り付いて手足を拘束する白いものは、水飴に似ていた。

(いや、水飴というより……)

 嫌な予感だけが、むくむくと湧きあがってくる。冷たい汗が背中を伝い落ちた。

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