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06.領主の奥方

 代々コルダー侯爵家が統治してきたコルダー領は、ラビエ王国の南に位置していた。

 王都からは遠く離れた鄙びた地ではあったが、豊かな緑の森と青く澄んだ湖を持つ美しい土地だった。気候は一年を通して温暖。この地方で主食となる、ラビエ麦の原産地でもある。

 町の中心を抜け、小規模な橋を渡ると、なだらかな丘陵が姿を見せる。亡きコルダー侯爵の屋敷は町並みを見渡せる高台にあった。


「領主の屋敷にしては地味なのね」

 小窓のついた堅牢な両開扉。長い年月、雨風にさらされて変色した外壁。屋敷を取り巻く灰色の石壁。古くなった外観は美観よりも実用性を重視して設計されている。

「まあな」

 すっかり闇に包まれた屋敷のほか、あたりにめぼしい建物はない。遠く、眼下に広がる街明りを背に二人は立っていた。目指す屋敷は目と鼻の先である。

「で、どうするの?」

「そうだな」

 考え込むようにしばらく黙り込んだあと、ラディンは挑むような視線を前方に向ける。

「とりあえずは、ご訪問というところからだろうな」

「問題の女主人とご対面ってわけね」

「そういうことだ」


 ラディンは屋敷の扉にある呼鈴を鳴らした。

 しばらくして両開扉の小窓が開いた。顔を覗かせたのは侍女らしい、淡い日溜まり色の髪をおさげにした少女だった。

「どなたですか?」

「屋敷の主人を呼んでくれ」

「奥様は、夜はどなたともお会いにはなりません」

 少女はそれだけを告げるとパタンと音をたてて小窓を閉めた。静寂があたりを支配する。

「閉まっちゃったわね」

「ああ、仕方がない、扉を開けてもらえるよう、丁重にお願いでもしてみるか」

 扉ごしに侍女の気配を感じて、ラディンは小さく笑った。消極的な言葉とはうらはらな、どこか含みのある笑みだった。

 ドン、ドン、ドン。

 騒音が沈黙を破る。ラディンが扉を力任せに叩いたためだった。

「おい、開けろ!」

 丁重とは程遠い様子に、小窓の向こうで息を殺していた少女が慌てて小窓を開けた。

「やめて! なんてことをするの。大きな音を立てないで下さい」

「奥様とやらに会わせてもらえるまでは、止めないし、帰らないぜ」

「お願いだから帰って下さい。奥様は本当に、夜は誰ともお会いにならないんです」

 なにかに脅えてでもいるのか、少女は奇妙なほどおどおどしていた。

「困ります、特に今夜は。……奥様に叱られてしまうわ」

 その言葉を聞いて、シーナ・レイがラディンに目配せを送る。今夜を逃してはならないと直感した。

「いますぐに取り次ぐんだ。でないと叱られるだけじゃあすまなくなるぜ」

 ラディンがシーナ・レイに小声で尋ねる。

「昨日のあれ、できるよな?」

 質問というよりも確認だった。シーナ・レイが頷いた。

「屋敷が丸焼けになってもいいのか?」

 決して大声を出したわけではない。だが静かな口調がかえって少女を脅えさせた。

 次の瞬間、とどめとばかりにシーナ・レイの手のひらで翻った真紅に少女は息をのんだ。

「どうする?」

 重苦しい沈黙のなか、ラディンが問う。

「燃やすか? シーナ・レイ」

「そうね」

 と、シーナ・レイ。

「ま、待って!」

 少女が悲鳴を上げた。



 問題の美女はたしかに美しかった。

 優美な曲線を描く、透けるように白くなめらかな肌。豊満な胸元と細くくびれた腰を包む漆黒のドレスの裾を揺らして、女は客室に現れた。先程の侍女を従えて立つ姿は、ある種の威厳すら感じさせる。

 女は侍女を下がらせると口を開いた。

「アルラウネと申します」

 切れ長の眼。濡れたように光る、紅い唇。滝のごとく背を流れる髪は、闇に金粉をまぶしたような黒と金のまだらだった。

(たしかに良い女だが好みじゃあないな)

 朴念仁として名高かったコルダー侯爵を一目で恋に狂わせたという美貌は、だがラディンには何の感銘も与えはしない。

「仲間を返してもらいに来た」

「仲間?」

「そうだ。今日、男がひとり招かれてこの屋敷を訪れたはずだ」

 女が微笑った。

「なにをおっしゃりたいの? あたくしには解らないことばかりですわ」

「この屋敷には妙な噂があるそうだな」

「存じません」

 女主人は白々しく言った。

「そう、たしかにいらっしゃいましたが、お友達はとうにお帰りになりましたわ……その後のことは存じません。用が済んだらもうお帰りになって。あたくしは忙しいんですの」

「そうやって、いつまでもとぼけているがいいわ。行きましょう、ラディン」

「ああ」

 ラディンとシーナ・レイは女主人に冷たい一瞥をくれると開け放たれた扉をくぐった。そして振り返ることなく長い廊下を歩き出す。



 一人きりになった客室で、アルラウネは小さく舌打ちすると唇を噛んだ。

「忌々しいこと……」

 しばらくのあいだ無言で佇んでいたが、気を取り直したのか、女は紅い唇を笑みの形に吊り上げる。

 ドレスの裾をひるがえすとアルラウネは客室を後にした。

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