05.魔族の気配
二人がテーブルに並んだ料理をあらかた片付けたころ、食堂はほぼ満席になっていた。外出前にシーザリオンが「戻る」と言い残していった夕刻はとうに過ぎている。
「それにしても遅いな」
「背の高い、金髪の人?」
ラディンの無意識の独白をしっかり聞いていたのだろう、シーナ・レイが尋ねた。
「……え? ああ」
シーザリオンが領主の屋敷に招かれて外出したことを、ラディンはシーナ・レイに説明した。相棒の言葉通り夕刻には戻ると考えていたが、約束の時刻を過ぎても戻ってはこなかった。
「夕方には戻ると言ったのでしょう?」
「どうせ、道草でもくっているんだろう」
「そうなの?」
「……いや」
たしかに変だった。
もともとが生真面目な性格のシーザリオンは、いつも時間には正確だった。
一度口にしたことを曲げるなど、よほどのことがなければ考えられない。それではなにかあったのだろうか。
「じきに帰るさ」
「そうね、でも……」
言いよどむ少女はしばらくの沈黙の後、意を決したように、ラディンの緑の瞳に黒玉の視線をまっすぐ合わせた。
「噂を耳にしたの」
「噂?」
突然話題を変える少女に、ラディンはいぶかしげな視線を送った。ふと、シーナ・レイが昼間外出していたことに思い至る。
「領主の屋敷……怪しいらしいのよ」
「怪しいだって?」
「ここ数ヶ月、屋敷の下働きや召し使い、それから屋敷に招かれた旅行者が姿を消したって、街中で噂になっているのよ」
「単なる噂だろう? 仮にも領主の屋敷だ」
「一人や二人じゃないのよ」
シーナ・レイは声を潜めると話し始めた。
いまから一年前。この街の領主であるコルダー公爵は一人の女を妻に迎えた。
女は大変な美女だったが身元がはっきりしない。
それというのもコルダー公爵が、ある朝数人の家臣を伴って趣味である狩猟に赴いたところ、森で倒れている女を見つけた。
女は記憶を失っていたという。美女に一目で心を奪われた侯爵は皆の反対を押し切り、女を妻に迎えた。
そして――コルダー侯爵は半年前に急死したのだった。
屋敷に一人取り残され未亡人となった女は、亡くなった侯爵の子供を身ごもっているという。
そのころからだ、異変が起き始めたのは。
最初に姿を消したのは屋敷に仕える下男だった。次に馬番。そして数人の使用人。このころから街に噂が流れはじめたという。
その後、屋敷の人間が消えることはなくなったが、代わりに屋敷に招かれた旅人が忽然と姿を消した。
「夜逃げか駆け落ち……おおかた、そんなところじゃないのか?」
少女が首を横に振る。
「消えた使用人の婚約者という女性に直接話しを聞いたの。だから間違いないわ」
シーナ・レイが言った。
「それだけじゃないわ、行方不明になった人達のすべてが若い男性なのよ」
「その女、おもいっきり怪しいじゃないか」
「あたしはこの一件に魔族が絡んでいるような気がするの。あくまで推測だけど、なんだか魔性の匂いがしてならないのよ」
物騒な考えにラディンは顔をしかめた。
「冗談だろう? 魔族なんざ山奥を徘徊しているって相場が決まっている。街中に、それも領主の奥方だぜ? 魔族が人間に化けるなんて聞いたこともねぇさ」
「なに言っているの。人型をとる魔族なんて、そんなこと公然の秘密じゃないの」
予想だにしなかった答えにラディンは目をむいた。思わず放心状態になる。
(公然の秘密だと? いったいなんだって、そんなこと知っていやがるんだ)
シーナ・レイに不審の眼差しを向け、ラディンはつぶやいた。
「世も末だな」
ラディンはシーナ・レイと別れると、いったん部屋に戻り、手早く仕度をすませた。
仕度とはいっても簡単なもので、唯一の武器である剣を手にすること、あとはシーザリオンが何事もなく帰宅したときに備え、書き置きを残すのみだ。書き置きには一言「出かけてくる」とだけ記した。
宿屋を出たところで待ち構えていたシーナ・レイと出くわした。リヴを従えた少女は開口一番――一緒に行く、と宣言したのだ。
「だめだ」
少女の懇願にラディンは首を横に振る。
「冗談じゃない。魔族がいるかもしれないんだぞ。もし本当に魔族の仕業なら、危険なんてなまやさしいものじゃないんだ。死にに行くようなものだぞ」
「そんなこと最初から判っているわ」
「だったら」
ラディンは言葉を詰らせた。
『傭兵を探しているんだって?』
ふいに、昨夜男が口にした言葉を思い出す。
「人を、探している……?」
「この街までの足取りは掴んでいるわ。彼がこの街を訪れたのは確かなの」
少女が言った。
「決して迷惑はかけないわ。足手まといになるようなら、その場で見捨ててもかまわない。それでも駄目なら……ひとりで行く」
真剣な様子から、少女が本気なのは容易に推測できた。
言葉の通り、たとえひとりでも、屋敷に乗り込む覚悟でいることまでが解ってしまう。
仕方が無いな。心中でつぶやいてラディンは言った。
「判った、一緒に行こう」