03.ヒーローとは遅れてくるもの
闇にうもれた狭い裏路地に、ラディンと男達が向き合っている。
倍以上の人数に囲まれ退路を完全に断たれたのを気にするふうもなく、ラディンは悠然と腕を組むと、唇の端だけで笑みを見せた。
嫌がる少女の腕を掴んだダンを一瞥し、それぞれ武器を手にした男達を見まわす。
「みっともないぜ、あんた」
「なんだと!」
「迷惑なんだよ。徒党を組まなけりゃあ、なんにも出来ねぇくせしやがって。おまえらみたいな野党が傭兵を名乗るんじゃねえ、おかげで俺達が迷惑するんだ」
薄笑いを浮かべたままの辛辣さに、劣等感を煽られた男達が殺気立つ。
「このガキ」
「殺っちまえ!」
剣を手にした男達が一斉にラディンに切りかかった。
同時に繰り出される、いくつもの剣の閃き。
斬撃と共に暗闇に火花が散る。金属の高い響き。そのすべてをを受け、あるいはかわし、ラディンが不適に笑う。
「掠りもしないぜ? おまえら真面目にやってるのか」
「く!」
ラディンの切っ先が一閃する。
銀の軌跡が地を這う。鋭い音が虚空を凪ぐたび男達が苦鳴を上げ剣を取り落とす。腕や足を切り付けられ、苦痛に顔を歪めながら、男達はなす術もなく石畳に転がった。
ラディンは呻く男達を見下ろしていた視線を上げると、ただ一人残されたダンに目を向ける。
「で、どうする?」
「俺を甘く見るなよ、小僧。剣を捨てるんだ、娘を殺すぜ?」
少女の白い喉元に切っ先を押し付け、ダンが勝ち誇ったように顔を歪めた。
「本気か? その娘に少しでも傷を付けてみろ、おまえ……八つ裂きにしてやるぜ?」
「そんときゃあ娘も道連れだ」
暗がりでラディンの位置からでは少女の表情は伺えない。恐怖で声も出ないのか、少女は沈黙したままだった。
「いいだろう」
乾いた音をたてて剣が石畳にすべり落ちる。
「それをこっちに蹴るんだ」
「ああ」
剣を蹴った。ダンは足元に滑り寄った剣を遠くへやると少女を突き飛ばし、丸腰のラディンに殺到した。
「死ね!」
力を込め長剣を振り落とす。渾身の力を込めた必殺の一撃だった。
首を狙って斜めに振り下ろされた白刃は、だが空しく宙を切る。耳元に、風を切る鋭い音が掠める。
後ろに飛ぶことで刃をかわし、続けざまに剣を握った手首を蹴り上げた。
瞬間。短い悲鳴と共に、長剣を取り落としたダンの、がら空きになった腹に二度目の蹴りが決まった。
「げえぇ!」
ダンが腹を押さえてうずくまる。
「助骨が折れているはずだぜ」
「……こ、のっ」
「悪いな、本当は剣よりも、こっちのほうが得意でね」
「覚えて、ろ……」
「勝手に言っていやがれ」
ラディンは石畳に伏したまま動くことのできないダンを一瞥したあと、立ち尽くす少女を振り返る。
「怪我はないか?」
「ええ」
少女の答えに笑みを浮かべ、
「お?」
間抜けな独白と共に、ゆっくりと倒れた。
ごろりと仰向けのまま石畳に転がって、ラディンは首を傾げる。
大の字に寝そべったきり動く気配のないラディンを覗き込んで、男の一人が呆れたように言った。
「こいつ、酔っ払っていやがる」
「殺せ!」
すかさずダンが命ずる。
ラディンは起き上がろうと必死にもがいたが、酔いが完全に回っていたために腰が立たず、半身を起こすのが精一杯だった。
「こりゃあ、いいや」
「殺っちまおうぜ」
さっきまで戦意喪失していた男達がラディンに近づく。
「いや、待て」
仲間に助け起こされたダンが顔を歪めて笑った。懐から短剣を取り出した。
「簡単に殺すんじゃねえ、借りはきっちり利子つけて返すもんだ」
男達が笑った。
ラディンの左頬に走る傷痕を短剣でなぞりながら、ダンはほくそえむ。
「たいそうな証じゃねえか、小僧。おめぇにはもったいねぇくらいだぜ。……せっかくだ、反対側にも同じ証を付けてやるよ」
ダンの声は折られた肋骨の痛みでしゃがれていたが、その痛みが反対に男を奮い立たせていた。暗い愉悦に彩られた復讐の念に、顔が醜く引き歪む。
「ダン、それよりも目を潰しちまえよ」
「それもいいな」
仲間の提案に頷くと、ダンは倒れたままのラディンを押え込んだ。
「許して下さいって言ってみろよ、小僧」
いたぶるための問いにラディンが応える。相手の顔に唾を吐きかけることで。
「この餓鬼が!」
ダンは激昂した。振り上げられた短剣。目前に迫る鋭い剣先。叫びがこだまする。
「ぎゃあっ!」
ダンが倒れていた。いや、石畳の上をのたうちまわっている。その顔が炎に包まれていた。悲鳴を上げ転げまわる。赤々と燃える火から、髪の焦げる悪臭が立ち昇る。
「燃えているのは髪だけよ」
凛とした声が夜に響いた。
「……おまえ」
とうに逃げ出したと思っていた少女がそこにいた。
いつのまに近づいたのだろう。少女は動けないラディンを背にかばうように立っているのだ。
「バカ、はやく逃げろ」
「あんたは黙ってなさい!」
ラディンに背を向けたまま少女が言う。涼やかな声は命令の響きを持っていた。
「あたしは魔法が使えるの。黒こげになりたくなかったら、今すぐに消えなさい」
少女は男達をゆっくり見まわした。
まっすぐ伸びたてのひらで、一瞬、深紅の炎がひるがえる。
「次は手加減しないわ」
「だまされるな、魔法なんざ大嘘に決まっている。この世に魔法なんぞ、あるはずねぇんだ。火薬でも隠し持っているんだろう」
焼け落ちた髪の残滓を皮膚にこびり付けて、ダンは言った。その顔が怒りと屈辱にどす黒く染まっている。
「売値が下がってもかまやしねえ! このアマ、思い知らしてやる」
ダンが再び刃を振り上げた。
そのとき。
「リヴ!」
少女が叫んだ。
ふいに黒い影が疾風となって駆け抜けた。
飛びかかろうとする男達をなぎ倒し、漆黒が少女に短剣を突き立てようとしたダンに跳びかかる。
一瞬の出来事だった。
「があぁっ!」
断末魔にも似た悲鳴がダンの喉を震わせた。
巨大な犬だった。闇色の体毛をたてがみのように振り乱し、犬はダンを地に縫い止めていた。
野に放たれた獣の、凶悪さを秘めた深紅の瞳が爛々と輝いている。真っ白な乱杭歯の覗く口が、組み敷いたダンの腕をがっぷり咥え込んでいた。
「リヴ、殺しちゃあダメ。もう、いいわ。放しなさい」
黒犬は意外なほどあっさりと、放心したままのダンを解放すると、少女の元へ歩み寄る。人語を理解するかのような素早い動きだった。
「リヴは、あたしに危害を加えようとするものを絶対に許さないわ。この子は普通の犬とは違うの。リヴが本気になったら誰にも止められない……あたしにもね」
リヴは少女の傍らに静止していた。
無駄な威嚇などしない。唸り声ひとつ立てず、瞬時に跳びかかれるよう、わずかに前足を屈め、主人の命令を期待を込めて待っていた。
「ラディン!」
聞き覚えのある声にラディンが振り向く。
石畳を蹴る靴音。シーザリオンが暗い裏路地を走って来た。腰の長剣を抜く。
「きさまら」
「に、逃げろ!」
シーザリオンの姿に弾かれるように、気絶したダンを担いで男達は慌てて逃げ出した。
少女の無事を確認したあと、シーザリオンは大の字に寝転がったまま動かない相棒に微かに眉を寄せた。
「大丈夫か?」
「遅ぇんだよ、役立たず」
ふてくされたラディンの言葉に、シーザリオンは安堵の吐息を漏らす。
「怪我は?」
「なんとか無事だ」
地面に座ったままのラディンを助け起こし――動けない理由はとうに承知していた――シーザリオンは少女に付いて来るよう促す。
「宿に戻るとしよう。お嬢さん、ひとりで歩けますか?」
少女が頷いた。
「歩けるわ。それから、あたしの名はシーナ・レイよ」