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02.男装の旅人

 騒々しくにぎわう酒場のテーブルに置かれたランプの炎が、酔客の顔を赤く照らしている。

 喧騒に包まれた『赤い木の葉亭』に新しい客を告げる呼び鈴が響き――一瞬、店内を静寂が支配した。


 かすかに残る鈴の余韻を背後にして、戸口に少年が佇んでいる。暗闇を背に一人きりでいるためか、どこか頼りない印象を受ける。

「すみません、部屋は空いていますか?」

 いくつもの視線を一身に浴びて尋ねる声は、少女のように澄んでいた。

 華奢な肩の上で切り揃えた黒髪と、東方の特徴である象牙のなめらかな肌を、左の耳たぶに直接うめこまれた深紅の宝石が鮮やかに彩っている。

「一人かい?」

 厨房から出てきた女将は、少年にしては線の細い、まだ幼さを残す顔が頷くのに、しばらく考え込む。

「空きならあるけど、あんたは相部屋よりも、個室にしたほうがよさそうだねえ」

「ええ、個室をお願いします。それから犬を連れているのだけど、どこか場所を貸してもらえますか?」

 言葉と共に、暗闇から狼めいた黒い犬が現れた。犬は漆黒の被毛を揺らし、少年へ歩み寄る。

「まあ、いいさ。部屋に連れてお行きよ。食事はどうするね?」

「まだなので、なにか適当なものを見繕ってもらえますか?」

「なら、その犬の分と一緒に用意してやるよ。それまで、その奥の席で待っておいで」

 女将が示した席は厨房の手前、ちょうどラディンたちのテーブルの斜め後ろだった。

 短く礼を言うと、犬を連れた少年が席に座る。


 やがて喧騒を取り戻した酒場の奥のテーブルで、少年が置かれた料理を食べ始めた。そのうちに厨房の脇に立つ女将と、なにやら話を始める。

 夕食を採りながら女将に何事かを尋ねている少年を横目で伺いつつ、ラディンはシーザリオンを呼んだ。

「なあ、なんか妙な雰囲気だと思わねえか」

「確かに、嫌な空気が流れているようだな」

 店の一角を占領する傭兵と思われるあまりガラの良くない男たちが、何やら囁きあっている。時折、ちらりと視線を転じる先には女将と話す少年の姿があった。

「俺の好みとしちゃあ、あと二、三年てぇ、ところなんだが、つまり――」

「女だと言いたいのだろう、ラディン」

 察しの良い相棒にラディンは頷いた。

「ありゃあ、どう見たってそうだよなぁ」

 少年がよく見れば少女であることは一目瞭然だった。

 いくら男物の胴衣に大きめの外套を羽織ったところで隠し切れるはずもない。かえって似合わぬ男装が、少年が本当は少女であることを強調している。

 案の定、怪しげな相談を終えたならず者といった風情の男達の一人が少女に近づいて行く。下卑た笑みを浮かべ、男はなれなれしくテーブルに片手を付いた。


「嬢ちゃん、あんた本当は嬢ちゃんだろう? なんだってそんなナリをしてるんだい?」

「そりゃあ、ダン。おめぇみてえな奴がいるからに決まってんだろう」

「違ぇねえや」

 仲間の男達が一斉に笑った。

「うるせえぞ、おめぇら。ちったぁ黙ってろ」

 ダンと呼ばれた男は、野次を飛ばす仲間を一括すると少女の顔を覗き込む。

「見てみろよ、この嬢ちゃんの目。黒だぜ、夜の空みてぇに真っ黒だ。おめえらこんな目の色を見たことあるか?」

 ダンの言葉に、仲間の男達が集まってくる。

「本当だ、変わってんなあ」

「いい値がつくぜ、ダン」

 男達が興奮するのも無理はない。

 黒玉の瞳など、このラビエはもとより草原の国カザレスにも、かの魔道国ヨークシアにも存在しない。

 北方随一と謳われる大帝国デアス、世界中から学徒が集まるカデール、そのすべてを放浪したラディンすら、黒い瞳など見たことも聞いたこともなかった。

 少女の瞳にはラディンの持つ碧玉の華やかさはなかったが、その闇色は独自の輝きを放っている。

(ああ、確かにいい値が付くだろうさ)

 半ば呆然として、そんなことを考えていたラディンは、男のダミ声に我に返った。


「嬢ちゃん、人を探しているんだろう? そいつが俺達と同じ傭兵だってんなら心当たりがあるぜ? なんなら一緒に探してやってもいいんだ」

 男が、引きずるようにして少女を立たせる。

「なんてぇ名だって? まあ、いいや。そいつを知っている奴の所へ案内してやるよ。今から行こうぜ、なあ?」

「そりゃあ、いいや」

 仲間の男達が頷いた。

「やめて……はなして」

 少女は抵抗したが男はびくともしない。面白そうに顔を歪めただけだ。

「あんた達、あたしの店で勝手は許さないよ。役人を呼ばれたくなかったら、今すぐに出てお行き!」

「うるせえ!」

 止めに入った女将を突き飛ばすと、嫌がる少女を引き立ててダンは戸口へ向かった。

 そのとき。


「待ってましたぁっ!」

 その声を聞いた者が、はたして何人いたか。

 酔客で溢れた店内は騒々しく、突然起こった騒ぎのせいもあって、幸いにも彼の不謹慎な言葉を耳にしたのは、相棒のシーザリオンただ一人だった。

 テーブルや椅子にけつまずきつつ、喜び勇んで駆けてゆく後姿に、シーザリオンは溜息を吐く。

「またか……」

 嬉しそうに男達と外に出て行くラディンを見送りながら、諦め半分にシーザリオンは席を立つ。どちらにせよ男達の行いには目に余るものがある。

「……それにしても」

 今回の仕事で暴れ足りないとしきりにこぼしていた相棒の、小躍りする姿が目に浮かぶようだった。

 そうしてシーザリオンが戸口に群がる野次馬共を掻き分けて、ようやく店の外に出たときには、すでにラディン達の姿は跡形も無く消えていた。

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