プロローグⅠ -2-
「…失礼します…。」
勇宇と紫月は先ほどの仕事の解決を報告する為に二人の雇い主である者への報告に来ていた。最も、直接雇い主に報告するのは勇宇では無く紫月なのだが。
「ふぅ。」
コンクリートで塗られた無機質な天井を眺めながら勇宇は息を吐く。
紫月はあまり勇宇以外の人間とのコミュニケーションが得意な方ではないが、こう言う場面での対応は勇宇よりも得意な方で、寧ろ他人とのコミュニケーションが上手い勇宇の方がこう言う場面での対応は不得意な方なのだ。
単純に紫月の場合、勇宇と違い相手への対応が簡潔な物になるからなのかもしれないのだが。それが真実だとすると何が幸いになるか分からない物だ。
暫くの間固く冷たい感触の壁に背中を預けて天井を見上げていると、扉が開いてその中から紫月が出てきた。
「…勇宇…終わった…。…これ…今日の報酬…。」
「紫月、何か有ったの?」
何時もと変わらない口調と表情で報酬の入った封筒を差し出す紫月だが、勇宇には彼女の表情に浮んでいる物に他人に対する不快感があるのに気が付いた。
「…何も無い…。」
簡潔に告げられるのは否定の言葉、勇宇にはそれが嘘であると直に理解できる。こう言う時程表情の変化が乏しい彼女の感情を読み取れると言う自分の特技の一つが煩わしいと思う時は無い。
「なら良いんだけど。」
何が有ったのか追求したくなる意思を押し殺して話を切り止める。それ以上追求した所で彼女から期待している答えは返ってこないと言うのは、これまでの彼女との長い付き合いで理解しているからだ。
「それじゃあ、報告も終わった事だし、報酬も入ったしさ、夕食でも食べながら帰ろっか。」
だから、勇宇はその話をそれ以上追及せずに敢えて話しを変える。
「…うん…。」
勇宇が言うと先ほどとは変わって、勇宇だけに分かる範囲では有るが嬉しそうな響きの混ざった返事が返ってくる。
(…力が有るから、力が無いからって見下したりする気はないけど…こう言うのは好きになれないよね。)
紫月の不機嫌な理由も何時もの事ながら理解できる。
二人の年齢を知って彼等に依頼した相手が当初の約束通りの報酬を渋ったのだろう。実力を示しても年齢が若いせいでこうして足元を見られる事が多い。
高校生と言う年齢とは言え、命を掛けた人ならざる怪物との殺し合いの場に関わっている以上、そんな相手には二度と雇われたくないと思う。誰もそんな相手の為に命を賭けたいとは思わないだろう。誰だって命を安売りしたくは無いのだから。
勇宇と紫月、二人が高校二年生、17歳と言う年齢でその様な命懸けの世界で戦っているのには訳がある。
最大の理由は純粋に生きていく為と言うべきだろう。その為に持って生まれた才能を持って大金を稼ぐ、二人がそうして生きていく道を選んだ結果が今の二人だ。
(…勇宇…。)
そして、紫月にとって彼女が命懸けの世界で戦う理由には生きていく以外にも、もう一つがある。
本来、勇宇は才能こそあれ、その才能は代々受け継がれていた物ではなく突然変異的に会得した物で有り、勇宇の両親は何の力も持たない普通の人間だった。
それに対して幼馴染の紫月の両親は代々受け継いだ才能を持った家系の生まれだった。だが、幸か不幸か紫月自身には両親の才能が受け継がれることは無かった…と言うのは語弊が有る。紫月に受け継がれた才能は攻撃的な物ではなく補助的な方向に偏っている。その為に一族ではオチコボレの烙印を押され、両親共に一族を去る事になった。
一族の人間達からは紫月だけを捨てる様に言われていたが、彼女の両親は紫月を連れて一族を出て行った。
そして、その結果、勇宇と紫月は出会ったのだ。
(…私が生きるのは…勇宇の為だけ…それだけで十分…。…私は…勇宇の…“道具”で良い…。)
だが、一族を出た事を許さない者達が放った追っ手によって、紫月の両親とそれに巻き込まれた勇宇の両親は命を落とした。
才能が有るとは言え普通に育った勇宇と、戦闘面での才能が無い紫月の二人が本来は生き残れる訳が無かった。
二人を助けた人の手によって持っていた才能を開花され、義務教育となる中学を卒業した時に道を示され、二人だけで生きていく事を決めた。
その日から、紫月は己の事を勇宇の道具の様に扱うようになった。…自分が原因で両親と勇宇の家族を奪ってしまったと思うようになった。
(…昔みたいに笑ってくれれば良いんだけどな…。)
その時から、勇宇の好きだった紫月の笑顔が消えた。表情の変化が乏しいのは昔からだが、誰にでもはっきりと分かる表情が二つ有った。
それは、笑顔と泣き顔だ。
だが、その二つの表情は互いの家族を失ったその日に失われてしまった。
涙が枯れてしまった様に。
笑顔が凍りついてしまった様に。
紫月と言う少女の感情は完全に消えてしまった。
それでも、勇宇にだけはその微かな変化を理解できる。
(…許せない、よね。)
歯を食いしばりながら手の中にあるそれを強く握り締める。
家族だけでなく、大切な相手の笑顔まで奪った仇を未だに許せない。
下らない自尊心の為に紫月の両親や、自分の両親を奪って好きだった紫月の笑顔さえも奪った者達の事が。
だが、その恨みを晴らそうにも今の二人にはその力は無い。
だからこそ、命を賭けてでも力を得る必要が有る。
「何を食べようか?」
「…今の時間だと…閉まってるお店の方が多い…。」
「そうだね、今の時間だとこの辺じゃファミレスくらいかな…。」
その一瞬を大切にいきながら、必死に爪を牙を研ぐ日々を続けていく事、それが二人の選んだ“未来”の見えない“未来”への道だ。