婚約破棄されたら星が降ってきたので、消えゆく欠片を拾って国を救います~前世は天文学者、悪役令嬢は宇宙のロマンを諦めない~
「星読みの家系に生まれておきながら、何の力も持たぬお前との婚約を破棄する」
王立星導学園の卒業式。
満天の星が煌めくドーム型の大聖堂で、第二王子アレクシス・ヴァレンティアは、私に向かって高らかにそう宣言した。
金髪碧眼の華やかな美貌に、勝ち誇った笑み。
その隣には、桃色がかった髪の愛らしい少女——『真の星読み』と持て囃される聖女ミレイユが、申し訳なさそうな、それでいてどこか誇らしげな顔で寄り添っている。
卒業生と、その家族。学園中の視線が、一斉に私に突き刺さる。
(あー、はいはい。来たか、このイベント)
私は内心でそう呟いた。
公爵令嬢セラフィーナ・アストレア。名門星読み家系の令嬢でありながら、『星の声が聞こえない欠陥令嬢』として、長年蔑まれてきた娘。
それが、表向きの私だ。
だが——私には前世の記憶がある。
現代日本で、生涯を星に捧げた天文学者。誰にも理解されず、宇宙のロマンだけを追いかけて死んだ、孤独な研究者。
だからこそ、私は知っていた。
この世界の人間が『魔力の源』だと信じて崇めている夜空の星々が、実際にはただの——燃えて、いつか消えていく天体に過ぎないことを。
(星が魔力の源? あれはただの核融合炉なんだが……)
「何か言うことはないのか、セラフィーナ。もっとも、星の声も聞こえぬお前には、言葉もないだろうがな」
アレクシスがせせら笑う。
周囲からも、くすくすと嘲笑が漏れた。
私はドレスの裾を軽くつまみ、いつも通りの淑女の礼をとった。
「かしこまりました。婚約は破棄いたします」
淡々と。感情を一切乗せずに。
その静けさに、笑っていた者たちが一瞬、口をつぐんだ。
「セラフィーナ様……そんな、あっさりと……」
ミレイユが戸惑ったように呟く。あなたに同情される筋合いはないんだけどな、と内心でツッコミつつ、私は顔を上げた。
「……ただ、一つだけ申し上げても?」
まっすぐに、アレクシスを見る。
「今夜、あなた方が崇める『主星』が、消えます」
聖堂が、しんと静まりかえった。
「……は?」
アレクシスの間抜けな声だけが、天井の高い空間に響く。
「何を、世迷い言を——」
「では、ごきげんよう」
私は言い捨てて、踵を返した。
背後でざわめきが広がっていくのを聞きながら、私はただ静かに、聖堂の扉へと歩いていく。
(誰も信じない。当然だ。だが、あと数時間もすれば——この国は、私の言葉の意味を、嫌というほど思い知る)
*
屋敷に戻った私を出迎えたのは、いつもの光だった。
「セラ! おかえり!」
ふわり、と。
私の部屋の窓辺から、淡い金色の光の球体が飛んできて、頬にすり寄る。
ステラ。
地上に落ちた小さな隕石に宿る、消えゆく星の意識体。
幼い頃から、私にだけ懐いてきた、この世でただ一つの——私を理解してくれる存在。
「ただいま、ステラ」
私はコルセットの締め付けから解放されたい気持ちを堪えながら、掌を差し出す。ステラは嬉しそうにその上でくるくると回った。
半透明の、幼い子供の姿。
寂しがり屋で、甘えん坊。
だが、その正体を、私は知っている。
数億年もの間、この宇宙を見つめ続けてきた、古き星の魂だということを。
「ねえセラ、今日ね、ずっと胸のところがきゅうって痛かったの。なんでかな」
ステラの声が、ふと不安げに揺れた。
「セラ、ぼく……もうすぐ消えちゃうの?」
私は動きを止めた。
この子は、知っている。
言葉にできないだけで、自分の終わりが近いことを、本能で感じ取っている。
「……」
私は、幼い頃からずっと抱えてきた疑問の答えに、ようやく辿り着いていた。
(私は『星の声が聞こえない欠陥令嬢』なんかじゃない。消えゆく星の声だけが聞こえる体質だったのだ)
だから、健やかに輝く星々の声は、私には一切聞こえなかった。
だから、消滅間際のステラの声だけが、幼い私の耳にずっと届いていた。
星読みの一族の中で、私だけが。
(誰にも救えない星を、私は救う)
前世で叶わなかった、宇宙のロマン。
星を見上げるだけで、指一本触れられなかった、あの孤独な研究者人生。
今度こそ。
「ステラ」
私は光の球体を、そっと両手で包み込んだ。
「安心しなさい。あなたは消えない。私が、消えさせない」
ステラの光が、きょとんと瞬く。
「……ほんと? でも、大きな星が消えたら、みんな困っちゃうよ?」
「今夜、この国が崇める大きな星が、本当に消えるの。それでこの国は大騒ぎになる。でもね——」
私は窓の外、暮れなずむ空に浮かび始めた一等星を見上げた。
超新星爆発の末期にある、王国の魔力の要。
私の前世の計算では、その最期は——今夜。
「星は、消える。でも、次の星は必ず昇るの。それを知っているのが、本物の星読みでしょう?」
ステラの光が、ふわりと柔らかく揺れた。
「……うん。セラがそう言うなら、ぼく、こわくない」
*
その夜。
王都の空が、割れた。
夜空に燦然と輝いていた『主星』が——不意に、まばゆいほどの閃光を放ったかと思うと。
ゆっくりと、光を失っていった。
数百年、この国を照らし続けてきた星が。
消えた。
*
王城は、地獄のような混乱に陥っていた。
星の魔力で維持されていた王都の結界が、音を立てて揺らぎ、ひび割れていく。
街の魔導灯が次々と消え、暗闇が広がる。
そして——玉座の間。
「ど、どうなっている! ミレイユ! お前の力で何とかしろ!」
アレクシスが、聖女ミレイユの肩を掴んで喚いていた。
「星読みだろう! 聖女だろう! やれよ!」
「む、無理です……力が……星の魔力が、感じられないんです……!」
ミレイユは真っ青な顔で、震えながら首を振る。
そう。彼女の力は、主星の魔力に依存したものに過ぎなかった。
その源が消えた今、彼女はただの——無力な少女に戻っていた。
持て囃されていた『真の星読み』の正体。
それは、時代にたまたま選ばれただけの、偽物だった。
「陛下! 結界がもちません! このままでは王都が魔物の侵入を許します!」
騎士団長ガレン・フォルストの怒号が響く。
宰相オズワルド・レーンが、白髪を乱すことなく、しかし険しい表情で進言する。
「アレクシス殿下。今は責任の追及より、対処が先です。星読みの一族を——」
「星読みの一族はもう、まともに星が読めるやつなんていない! それが今の王国だ!」
アレクシスが叫んだ、その時だった。
コツン、と。
玉座の間の扉が開き、静かな靴音が響いた。
「——ずいぶんと、賑やかですのね」
銀髪に、夜空を溶かしたような濃紺の瞳。
公爵令嬢セラフィーナ・アストレアが、掌に小さな光を灯して、そこに立っていた。
「せ、セラフィーナ……!?」
アレクシスが、幽霊でも見たような顔をした。
「今夜、主星が消えると申し上げましたでしょう?」
私は微笑んだ。ゆっくりと。
「さて。それでは——本物の星読みが、どういうものか。お見せしましょうか」
*
「馬鹿を言うな! 星が消えたんだぞ! お前如きに何ができる!」
アレクシスが唾を飛ばして喚く。
私はそれを一顧だにせず、玉座の間の中央へと進み出た。
掌の上で、金色の光——ステラが、ふわりと膨らむ。
「セラ、やろう。ぼく、頑張るから」
「ええ。頼りにしているわ、ステラ」
私は目を閉じ、前世の記憶を手繰り寄せた。
この世界の星図。恒星の分布。それぞれの質量と、寿命と、光度。
天文学者として生きた三十余年の知識のすべてが、今この瞬間のためにあった。
(主星が消えたなら、次に王国の魔力源となり得る恒星を特定すればいい)
条件は——十分な質量、安定した核融合、そして王都との距離。
計算する。前世の頭脳で、一瞬にして。
「北天、竜座の方角。距離、光にしておよそ四十二年。あの青白い恒星が、次の主星に相応しい」
私は掌のステラに囁いた。
「ステラ。あなたは消えゆく星。だからこそ、星と星の『あいだ』を渡ることができる。あの星の光を、ここへ——導いて」
「うん! まかせて!」
ステラの光が、天井を——いや、その遥か彼方の夜空を貫いて、一直線に伸びた。
消えかけた星だけが持つ、次代の星への『橋渡し』の力。
消えゆく者にしか、繋げない光の道。
やがて——王城の割れた天窓の向こう、暗黒に沈んでいた夜空に。
一つ、青白い光が瞬いた。
それは見る間に強く、大きく輝きを増し。
消えた主星の座を、新たに満たしていく。
ひび割れていた王都の結界が、ぴたりと修復されていく音がした。
消えかけていた魔導灯が、一つ、また一つと、灯り直していく。
玉座の間の誰もが、言葉を失っていた。
私は静かに振り返り、呆然とするアレクシスとミレイユを見た。
「星は消える。でも、次の星は必ず昇るの」
淡々と。突きつけるように。
「それを知っているのが——本物の星読みでしょう?」
静寂。
そして。
「……見事だ」
最初に膝をついたのは、宰相オズワルドだった。
「私は長年、星読みの真の意味を疑問視してまいりました。今、確信いたしました。真の星読みは——貴女です、セラフィーナ様」
続いて、騎士団長ガレンが、大きな体を折って片膝をつく。
「俺は星のことはさっぱり分からん。だが——命を懸けて国を守った者が、誰かは分かる。あんたに膝をつくのに、星の知識はいらねえよ」
次々と、玉座の間の者たちが跪いていく。
たった一人、立ち尽くすアレクシスと、崩れ落ちるミレイユを残して。
*
「ま、待ってくれ、セラフィーナ!」
跪く者たちの中を、アレクシスが慌てて駆け寄ってきた。
さっきまでの傲慢さはどこへやら。額に汗を浮かべ、必死の形相で。
「私が悪かった! 婚約破棄は……あれは、その、勢いというか、誤解だ! そうだ、誤解だったんだ!」
(勢いで婚約破棄する王子がいてたまるか)
「お前の力を見誤っていた! 復縁しよう! いや、してくれ! お前ほどの星読みが隣にいれば、この国は——」
「アレクシス殿下」
私は、彼の言葉を静かに遮った。
「一つ、確認させてくださいませ」
「な、なんだ!」
「あなたが今、私に復縁を求めるのは——私を愛しているから? それとも、私の力が惜しくなったから?」
アレクシスの顔が、引きつった。
答えは、その一瞬の沈黙が、雄弁に語っていた。
私は薄く微笑む。
「ご安心を。答えは要りません」
そして。
私は前世からずっと言ってみたかった台詞を、静かに口にした。
「だが、断る。私は星と生きるので」
アレクシスが、ぽかんと口を開けた。
その背後で、ガレンが「ぶはっ——! こいつぁ痛快だ!」と噴き出し、オズワルドが「……ごほん。失礼いたしました」と咳払いで笑いを堪えているのが見えた。
私は掌のステラに視線を落とす。
「ねえ、ステラ。もう、大丈夫よ。あなたはもう、消えなくていい」
次代の星に光の道を繋いだことで、消えゆくはずだったステラの力は——役目を得て、この世界に留まる術を得ていた。
金色の光が、ふわりと膨らみ。
まばゆい輝きの中から。
——荘厳な、青年の姿が現れた。
数億年、宇宙を見つめてきた、古き星の威厳をたたえた面差し。
だが、その瞳は、いつものステラのままで。
「セラ」
彼は、少しだけ照れくさそうに、私の名を呼んだ。
「ぼく、消えないで済んだ。……セラのおかげだ。ずっと、ずっと、独りだったぼくを、見つけてくれて。ありがとう」
「こちらこそ」
私は、思わず微笑んでいた。前世を含めて、こんなに自然に笑えたのは、いつぶりだろう。
「前世でも、今世でも。誰にも理解されなかった私を、あなただけが分かってくれた」
理解されなかった者同士の、静かな結びつき。
星を見上げるだけだった孤独な研究者は、今——星そのものと、手を取り合っている。
*
後日。
アストレア公爵家は、王国の星読みの筆頭として、正式に国政の中枢へと返り咲いた。
無能を露呈したアレクシスは王位継承権を巡って苦しい立場に追い込まれ、聖女の座を失ったミレイユは——己の無力を突きつけられ、はじめて本物の星を学ぼうと、静かに歩き出したという。
そして、私は。
屋敷のバルコニーで、ステラと二人、夜空を見上げていた。
「ねえ、セラ。あの南の空の星、なんだか光が弱ってきてる気がするんだけど……」
ステラが、ふと呟いた。
私はその方角を見上げ——目を細めた。
消えゆく星の、かすかな声が。
遠い異国の空の下から、確かに聞こえた気がした。
「……そう。それなら——行きましょうか、ステラ。次の星を、救いに」
(宇宙のロマンは、まだ終わらない。消えゆく星がある限り、私は——どこへだって、星を拾いに行く)




