9.王宮評議会──長雨の災禍
その宮殿は、白と灰色を基調とした石造りの建築物だった。
無駄を省き、実用性を重んじ、装飾のほとんどを撤去した結果、無機質な印象が否めない。
そこはかつて玉座の置かれた間だった。
王が座した場所の背後に、グレイモンドの旗が設置されている。
長い石の円卓が中央に配置されており、各参加者が席を持つ。
もっとも上座にグレイモンドの元当主であり、現国王が座った。
国王──ゾディアス・グレイモンド。
堂々たる体躯の壮年の男だった。
黒と真紅の軍服をまとい、皮の籠手を着用している。
大柄な上に長年の軍務で鍛えられた鋼のように締まった肉体が風格をより増している。
黒に近い茶色の髪には白いものが混じり始め、それは無造作に撫でつけられている。
青灰色の瞳が、立ち並ぶ貴族たちを一瞥した。
「頭を上げよ」
国王の入室を告げる声で一斉に立ち上がり、頭を垂れていた一同は、さらに深く頭を下げたのち、体を起こした。
間をおかず、着席する。
「始めよ」
「はっ」
国王の言葉に立ち上がったのは、金髪の柔和な面持ちの男だった。
国王と同じく壮年と言える年齢に見え、笑みを浮かべる目尻に薄いしわを刻んでいる。
手元に一枚の羊皮紙を持ったが、それを見ることはない。
「まず、王都周辺の作物については、四割減となっております。雨の量が多く、土壌が安定せず、種を植えても流れる。これでは収穫が見込めぬと、多くの民が南あるいは西へ流れております」
「ベルナルド。南は穀倉地帯で分からんでもないが、西とは?」
口を挟んだのは、王にもっとも近い場所に座る初老の男だ。
ベルナルドと呼ばれた発表者は、一礼した。
「宰相閣下、西には港町のマリソルがあります。他国から入る食料があるに違いないと民は考えていると愚考します」
しかし、と、ベルナルドは続けた。
「そのマリソルも決して楽観できませぬ。雨が続き、川が溢れ、街に浸水した模様。数日で水は引いたものの、泥が残っているとか。流行り病が出始めるのではないかと、目端のきく商人どもが薬草を買い占め始めております」
「人が増えればさらに危険性は上がるな」
「フォルネウス卿」
国王が、貴族の最上位の男を呼んだ。
ベルナルドの報告に耳を傾けていた男は、すぐさま国王に向き直る。
「はっ」
「穀物庫を開け、民へ配布せよ。穀物庫の空いた部分を埋めるには南から充てるしかあるまい」
「……御意」
南の穀倉地帯は、フォルネウス家の領地にあたる。
国内の食料需給の六割を占める重要地域であり、幸いなことにこれまでの収穫高に大きな影響はなかった。
ただ、今年はやや雨が多く、備蓄を増やせるほどの豊作ではない。
宰相位を拝命する男は、自領だけではなく国内すべての状況を把握している。
確かに今は取れる手段は他になかった。
しかし、自領に多大な負担をかけるのも本意ではない。
「陛下、発言をお許しください」
無言でうなずく国王を見、穀倉地帯の主は声を低く抑えながら続けた。
「無論、南の穀物を王都へ回すことは可能です。しかし、もしもこの長雨がさらに続いた場合、我が領も無事では済みませぬ。畑が水に浸かれば、来年の収穫にも大きく響きましょう。その際の補填について、いかが取り計らわれますか?」
王の目が細められる。
「つまり保障を求めると?」
フォルネウス卿は、微かに眉を動かしながら、慎重に言葉を選んだ。
「左様にございます。我が領地の民も生きねばなりませぬ。収穫したはずの食料を王都に送り、自らが飢えれば、やがて鍬や鋤を持ち領都へと押しかけましょう」
一瞬、室内の空気が張り詰めた。
国王は肘掛けに指を置き、ゆっくりと音を立てるように叩いた。
「それも道理」
ぴんと張った空気が溶けた。
「では、税の減免を約束しよう。南部の負担を考慮し、次の年の収穫分から一定の割合を差し引く。加えて、穀倉の増築費用も国庫から捻出する。国庫より優先することは許さぬが、差し引く割合については試算案を提示せよ」
フォルネウス卿は一礼した。
「御意」
それを確認した国王はベルナルドへ視線を移した。
ベルナルドは王の意向を受け、手元の羊皮紙に目を向けた。
頭にすべて段取りを入れているにも関わらず、一拍置くことにより雰囲気の転換を狙っているのだろう。
「次の議題は、教会のルミナリアン派の動向についてです」
ベルナルドが口火を切ると、宰相とは反対側に座る老人がゆっくりと腰を上げた。
白い立派な髭を撫でる老人の着用している法衣も、上から下まで白を主体としている。
教会関係者であることは、一目瞭然であった。
額に菱形の誓紋を刻んでおり、高位であることを指し示す長く後ろに布を垂れ下がらせた帽子をかぶっていた。
聖務長──ガブリエル・モンテロ。
彼は右手を心臓の上に置いたあと、額の誓紋に指を添えた。
「あの日、ルミナリアン派が地下に潜伏してから、十三年が過ぎ、我がレガスフィ派が主流となっております。各地の教会にも誓紋の聖職者の派遣が完了した。旧王家の影響が色濃く残っていたルミナリアンがようやく駆逐されたと思っておったが、ここのところ息を吹き返していると信徒から報告がきておる」
口元は髭に覆われて見えないにも関わらず、目元と口調で老人が不愉快であることは出席者の全てが理解した。
「この数年、雨が多すぎる。
旧王家の排除による影響ではないかと、ルミナリアンが扇動しているきらいがある。地方の教会では民衆の間で実しやかに語られているという話じゃ。聖教主様としては、これは捨ておけぬ問題として、評議会にかけ、速やかに手を打つべしとのことである」
聖務長の発言に水を差したのは、この会議で出席しているただ一人の女性であった。
赤い髪の妙齢の女性で、軍部に所属している証として、国王と同じ軍服を着ている。
円卓の末席から、思わずといった風情で声を上げた。
「ガブリエル様。でもルミナリアン派が拠り所とする旧王家はもう世にいませんわ」
「ミューレン、旧王家でただ一人、行方不明になっている王子がいたじゃろう」
「ああ、半年ほど前に全国へ再度公示した王子ですか。でも未だ報告があがってきませんわね。それに教会の皆様におかれても、それは同様とのことでしたわね」
そもそも、当時見つからなかったとはいえ、完全に灰になった王家の居住区、ルミナス殿から複数の人の骨は見つかっているのだ。
あれほどの瓦礫の中からこれと特定できる証拠が見つからなくても無理はない。
教会を代表する老人は、軍部の女性と議論するつもりはなかったようだ。
国王に目を向けた。
「教会としては、春までに全国の教会の管理者、プラトを王都へ集結します。第一陣は間も無く集結するでしょう。そして、全員を証の灯火にかける予定をしております。その後、配置換えを行い、星詠みの一族を探し出す所存」
国王が老人に向けたのはやや懐疑的な目線であった。
「教会がセレスタリア生存を確信している根拠は何か」
老人は、先ほどの軍部の女性と同じ疑問を国王が抱いていることを知った。
内心ため息をついたが、おくびも出さなかった。
「我がレガスフィもルミナリアンと袂を分かったとはいえ、同じ教えを持つもの。聖典には古くから星詠みの存在は記されておる。もし、星詠みが続いておらぬならば、聖典に何かしらの変化が出るはず。聖典に何の変化もなく、異常気象が続くこと自体が星詠みがどこかに生存しているものと考えておりまする」
教会が聖典を疑うことはない。
セレストカノンと呼ばれる門外不出の聖典は、時代によって変化し、北の総本山の大聖堂に鎮座している。
年に一度、高位者のみが集まる大聖祭で、聖教主がセレストカノンを開示する。
そこで開示される内容こそが、教会の方針を決めると言っても過言ではない。
「よかろう。ルミナリアンの代表は誰だ?」
「エステバン・クレメンスというかつての大教主ですな。当時の聖教主の側にいた若輩者にすぎませぬが、何かと小賢しい輩で、我々も幾度となく煮湯を飲まされたもの。今は地下へ潜伏し、行方は知れませぬ」
「捕らえることができれば、余の前へ連れてこい。直接話を聞く」
「承知した」
教会側の話がひと段落したことを受け、ベルナルドは続けた。
「次に軍部からです」
女性の隣に座り、今まで一度も発言をしなかった男が立った。
王も大柄だが、この部屋で最も体躯の良い大男だ。
黒の軍服ではあるが、特注品なのか女性の軍服の黒とは色合いが微妙に異なっている。
やや光沢のある漆黒だ。
無骨な顔つきは愛想の一切をそげ落としていた。
「報告いたす。王都の守護兵は平常時に比べ、現在二割減少。北の前線の強化を優先したため、王都の警備に支障が出始めております。今年の収穫が思わしくないことも、王都の治安の乱れの一因と考えられます」
「北とは、ヘルムハイト山脈か」
「左様」
多くを語らない大男に変わって、事情を補足したのは灰色の髪の男だ。
肩口で綺麗に切り揃えられた男は発言の許可を求めた。
口元に親しげな笑みを浮かべ、国王を見ている。
「フリズレイグ地方のことであれば、今は僕が一番詳しいですよ。ゾディアス様」
その言いぐさに、王は鼻先で笑った。
かつて北の領地は国王の領地であったが、今はすべてを治める王の座についている。
領主代理を長らく務めている彼が詳しいことは間違いない。
「さっさと言え、グレゴール」
端的に促した国王に一礼し、グレゴールは報告した。
「ヘルムハイト山脈の牙系が活性化しているんです。通常であれば厳寒になる冬の時期は冬眠についていました。だが、やつらはここ数年、冬眠せず、餌を求めて降りてくる。そして冬の間に繁殖して、春に異常に数を増やしてきている。ヘルムハイトは不可侵の山。俊峰すぎて、人が踏み入るのはほぼ不可能です。どういう生態になっているのかも分かっていません」
王都からの兵を今戻されるのは、正直なところ北の領地にとって致命的になりかねない、とグレゴールは言う。
「昔は天灯の一族がどうやってか山深くまで立ち入って、ファングを目減りさせていましたが、今はエルデュランに引きこもりです」
「城塞都市か」
王都より東に位置する城塞都市エルデュラン。
広大な森を通り抜けるのが最短距離という立地に問題のある土地に、かの一族は居を構えていた。
星詠みの一族の側にはいつでも天灯の一族がいた。
革命を機に、一族すべてが王宮から立ち去った。
圧倒的な武力を誇る天灯の一族を追放するのに、相応の犠牲が出るはずだったが、驚くほどの速やかさで王都から一族を引き上げた。
不気味なほどの沈黙を保ち、今は東のエルデュランから出てくることもない。
また、ヴェルンの大樹を擁するソルヴァの森を通り抜けるのも、一悶着があることは想像に難くない。
森を守護する一族、深い霧、独自の生態によって育まれた大型獣。
どうしてもエルデュランに赴くとして、少人数であればソルヴァの森を通り抜けることもできる。
塚が定期的に設置してある細い「緑光の道」を辿ればいい。
ただし、荷馬車や軍隊が通れるような道ではなく、あくまで旅人が馬や徒歩で通り抜ける道だ。
むしろ西のマリソルから出る船で東の湾岸につけたほうが早い。
ソルヴァの森を避け、北寄りにエルデュランを目指す手もあるが、それはそれで永久凍土に近い寒さで犠牲者が出るだろう。
獰猛な獣も多い。
あれだけ多く王都にいた天灯の一族が東へと帰還できたのは、それもまた謎に包まれている。
グレゴールは王へ願い出た。
「ゾディアス様、エルデュランに出兵の王命を出してもらえませんか?」
「使者を遣わしたところで、厄介ごとにしかならん。放っておけ」
「でも、天灯の一族がいれば、今の事態はほぼ解決を……」
「そもそもかの一族は、星詠み以外には従わぬでしょう」
聖務長の余計な一言に、また空気がひりついた。
老人はその空気を読まず、有名な一節を口にした。
「天、地に勅たまふ。二柱の理、かく定む。一柱は星詠み。一柱は天灯。この絆は天に定められた理。何者にも覆すことはできぬと心得なされ」
そしてまた空気を読まないものは他にもいた。
「ガブリエル様。そんなに強い絆なのに、どうして天灯の一族は何もしないでエルデュランに引っ込んじゃったんですか?」
「ミューレン。聖典に何の変化もないということを先ほど告げたばかりじゃ」
赤髪の女性が発言し、老人が苦虫を噛みつぶすような表情で答えたことで、場の空気は緩んだ。
「ないものねだりをしても仕方ない。ハンス、徴兵するしかなかろう。さらに証の灯火が終わるまでは、入都証を持つもの、関係者以外は封鎖せよ」
わずかな沈黙。
答えたのは宰相であった。
「徴兵となると、春には種蒔きの時期と重なり、練兵ができませぬ。種蒔きができないとなると、王都の民はますます南か西へと流れましょう」
「来年も収穫ができるとは限らぬのだ、フォルネウス卿」
王の言葉に楽観の響きはない。
「今ある事実は、王都周辺は雨が降り続き収穫高が年々落ちている。南は大きな影響を受けていない。西は影響自体はあるが、他国との貿易により食糧難にはなっていない。しかし流行り病の懸念がある。東は詳細が不明だが、王都への救援依頼はきておらず、納税に支障をきたしていない」
ここで手を打てるとすれば、と前置きした。
「影響を大きく受けていない南の収穫高を増やすこと。場合によっては、遷都することも考慮に入れねばならぬ」
臨席したものの誰からともなく、ひゅっと息を呑んだ音が聞こえた。
王がそこまで踏み込んだ発言をすることを、誰しも予想していなかった。
言葉をなくした面々を眺め、国王は告げた。
「本日の議論はここまでとする」
一同は立ち上がり、一斉に頭を下げた。
ゾディアス・グレイモンドは椅子に背を預けたまま、窓の外を見た。
雨の音が遠く響いていた。




