8.老婆の真実とアルの幸せ
木屋はヴェルンの大樹からもたらされた枝を組んで建てられたらしい。
見た目より、中に入れば余裕がある造りで、全員が居間の椅子に腰掛けることができた。
ただし、一人は自主的にハンモックに揺られている。
話し手は老婆で、特に残りの二人は口を挟むこともない。
老婆の淹れた茶を大柄な男が配る。
「さて」
一息ついたところで、老婆は切り出した。
「お主たちはどこまで知っておる」
アルとフェリクスはお互いを見た。
そして目が合うと相手の表情を見て得心した。
「「何も」」
断片的な情報をもたらす相手がガスパルだ。
口数も少なく、見たら分かるだろうと、必要な説明も省く。
口をそろえる二人に、老婆はうなずき、一つ昔話を披露した。
「十三年前のことは、記憶に無くても人伝に知っておろう。立札も王都、四境各都市、百八街、千邑に三年に渡って出ておった。
教会も主派閥が変わり、口々に旧王家を非難した。
旧王家の終焉──。
しかし、それにまつわる様々な事柄は今も秘密裏のままじゃ。公になっている星詠みの一族が滅びた理由は、星詠みで人々を悪しき方角へ導こうとしていたため、その一点じゃ」
ここからは世に知られておらぬと、嫗は前置きした。
「星詠みの一族には、セレスタリアともう一つルクス家がある。まさに表裏。セレスタリアが星の道筋を詠み、ルクスは確定した予言を司る。
セレスタリアに赤子が誕生した十四年前、ルクスの巫部は予言をもたらした。
『運命は揺らぐ。
生まれしものは闇の拠り処なり。
闇は星を曇らせ光を閉ざす。
ただ消え去らず。
道を示すもの、寄り添うもの、数多あれ。
さすれば空はふたたび星を抱かん』
次代の誕生を言祝ぐにはあまりに、不吉な予言じゃ。
しかし、ルクスが星から預かる予言を偽ることはできぬ。
ルクスの巫部が予言しうるのは、一度にひとつの事柄のみ。
天顕の書に焼きつけられる文字は、何者にも改ざんできず、書を燃やすと字は空に残る」
ルクス家の長子であるララルアナ姫が当代でもっとも力の強い巫部だったという。
そこでルクス家は婿を迎え、巫部の座を据え置いた。
ルクス家の予言は、国にとって重大な転換期、もしくは天の理が乱れる兆しがあるときのみ、行われる。
あるいは巫部自身に啓示が降りたとき。
ララルアナ姫は三月ほど前に出産したが、子は死産であった。
産後の体調は思わしくなかった。
自室から出てくることも儘ならず、誰も面会できぬ有様で、言祝ぎの予言は今しばらく延期される予定であった。
「じゃが、姫自身が強く望んだ。次代への予言を我が身のために遅らせることはできぬと。そして、案じる周囲を振り切って、予言の間に入った」
当時を思い出すように、老婆の目は遠くを見ているようだった。
「もともと、予言が行われるときのみ現れる天顕の間は、巫部の血族しか入ることはできん。
一人で入った姫の予言が終わり、間が解けたときに皆が見たものは、倒れたララルアナ姫と空に浮いた文字だった。
当初は延期される予定だったため、血族の同席もなく、助けを求めることもできず、姫はそのまま儚くなった」
老婆は力無げに首を横に振った。
「王宮は、騒然となった。ルクスの予言は確定の未来。予言は通常いくつもの解釈ができるが、生誕の言祝ぎでの予言となると、その予言に限っては読み筋が限られる」
静寂が降りた。
「そりゃ、生まれた子が災いを呼ぶとしか思えないよなー。しかも、予言の巫女さん死んじゃったし」
ハンモックに寝転がる男の軽い口調は、空気を読まないがゆえなのか。
「王宮も、貴族も、教会も、意見が割れた。大勢は生まれし子を排除するものだったがな。
その中で、王家は、セレスタリアは揺るがなかった。子を処すことはない、と、明言した。
セレスタリアもまた星の道筋を詠みとくもの。しかし、セレスタリアは森を見、ルクスは木を見る。この違いは我が子を惜しみ、国を危険にさらすのではないかと、王家への不信を増した」
ぬるくなった茶を口に含み、老婆は喉を湿らせた。
「──決定的になったのは、ルクスの妹姫の予言にまつわる出来事じゃ。
ララルアナ姫の妹姫、サラサナ姫が再びの予言を行うことになった。今度は万端に場を整えた。
その場で、天顕の書には何も刻まれなかった」
「では、予言はなされなかったのですか?」
落ち着いたルガの声に、老婆は答えた。
「いや、確かに語られた。されど、その声は掠れ、内容は聞き取ることができなかったという。そして、天顕の書には何も記されなかった。まるで、語るべき言葉が拒まれたかのように。開闢以来、初めてのこと、真相は分からずじまいじゃ」
再び、王宮は揺れた。
誰の目から見ても異常事態であることは明らか。
ルクスの予言がもたらされない。
いや、もたらされようとしたが、まるで封じ込められたかのように見えた。
しかし、巫部が語るのは天の理そのもの。
それを封じることなど、人の手でできようものか。
「──なれど、と」
それは、誰からともなく人の心に忍びこむ疑念だった。
「なれど、天の理に触れることができるとすれば、それは他ならぬ星詠みの一族では、と」
そこからは頂点まで登りつめた岩が転がり落ちるがごとくであった。
「革命は一夜にして成った。現王家、グレイモンドの旗がアストラル宮殿に建てられ、セレスタリア家はことごとく捕えられた。当時、焼き払われたルミナス殿にいた一歳の赤子を除いて」
あまりに当時のことを鮮明に語る老婆は、そこで一息ついた。
「わしが知っているのは、そこまでじゃ。何せ、旧王家に与すると思われた一族はすべて王宮から追放された。天灯の一族も、森の護りの一族も、教会のルミナリアン派も。そして、役に立たぬと見なされたルクス家もまたセレスタリアとともに処されたと聞く」
革命の波は急で、苛烈だった。
それまでの体制を一夜で覆すには、よほど周到に準備をせねば、混乱と破壊を生みかねない。
いつから、どのように「星詠みの一族」の目を欺いて革命を成し遂げたのか。
未来を予知する一族の終焉、それは矛盾をはらんでいる。
なぜ、自身の一族が終わるのを見過ごすのか。
本当に視えていたのか。騙っていたのではないか。
王家から咎められることなく、革命を完遂したことで、革命を起こした一派にとって、その疑念は確定となった。
「星詠みの一族、セレスタリアは特に茫洋とした御仁が多かった。星を詠み、未来を視るが、その未来に固執することもない。縛られることもない。ただ、あるがままに受け入れる一族じゃった」
老婆は懐かしげに目を細める。
「わしは、そんな彼らの在り方を呆れつつも、眺めるのが好きじゃった。世が移り変わろうとも、揺るぎなく、悠然と流れる大河のような者たちじゃったよ」
セレスタリアの星詠みは、未来を知りながらも、抗わぬ。
無力だからではない。意味がないと知っているからでもない。彼らにとって、未来はただの結果に過ぎなかった。
風が吹けば葉が揺れるように、星々が示す道を、ただ静かに見守る者たちだった。
「セレスタリアの者たちは、一つ一つの事象に執着せんのじゃ。彼らは大きな流れを見る。それが自らの終焉であろうとも、受け入れることに疑いを抱かぬ。
あれほどの一族が、なぜ革命を予見しながら手を打たなかったのか──いや、あるいは、手を打とうとすらしなかったのか」
老婆は小さく息を吐く。
「それこそが、彼らの本質なのかもしれぬ。時の流れは川のように大きく、強い。人の手で堰き止められるものではない。ならば、無理に逆らうよりも、その流れに身を任せるほうがよい、と」
ルガが眉をひそめた。
「では、革命は……必然だったと?」
老婆は肩をすくめる。
「必然か否か、わしには分からん。ただ、星詠みの一族とて変わらぬものではない。彼らもまた、天の理の一部。時が巡るごとに、形を変えていくのじゃろう。だが……」
少しだけ、声を潜める。
「変わることを望んだのは、セレスタリア自身ではなかったのかもしれぬがな」
「……どういうことです?」
「革命は、外からの力だけで成ったものではない。あれほどの変革を成し遂げるには、内からの綻びもまた、必要じゃ」
ルクスの予言。貴族の不満。そして、セレスタリアの沈黙。
「革命の要因は一つではない。多くの歯車が噛み合い、ゆっくりと積み重なって、最後の瞬間に雪崩れる。セレスタリアは、もしかするとその流れを止めることができたかもしれぬ。
実際、彼らにとって星を詠む以外の役割のほうが大きく、その力は世に知らしめておらなんだ。
だが、彼らは流れを止めることをしなかった。いや、すべきではないと考えたのかもしれん」
老婆はふっと微笑んだ。
「変化の時が来たのじゃ、と」
革命を呼んだのは、外の者たちだけではない。流れを受け入れた者たち自身が、未来を決めたのかもしれぬ。
「なれば、今のこの国は──」
ルガの問いに、老婆は静かに答えた。
「流れの果てよ。そして、まだ続いている」
革命は終わりではない。それすらもまた、一つの過程に過ぎない。
アルは老婆の話を聞きながら、これまでの生い立ちに思いを馳せた。
一つだけ言えることがある。
「ぼくは……いや、わたしは幸せだったよ」
それは紛れもない真実だった。
孤児院の庭で、仲間たちと駆け回ったこと。
フェリクスとささいな悪戯をして、シスターレイナに怒られたこと。
腹を空かせて、川の水をたらふく飲み、木の実に手が届かずに落ちてこないかと二人で見上げていたこと。
その翌日に、シスターレイナの焼くパンの匂いに包まれて朝を迎えたこと。
ガスパルの厳しい叱責の中にも、確かに感じた温かさ。
そんなガスパルの元を訪れる人々との出会いも、街の人たちとの交流も、いいことも、悪いことも、嬉しいことも、悲しいことも、いくつもの思い出が蘇る。
空を仰げば、星が瞬いていた。
耳をそばだてれば、いつでも風に揺れる草の音がした。
たとえ自分が何者かを知らなくても。
王家の血を引いていようと、それとは関係なく今までの人生は満ち足りたものだった。
「わたしは、幸せだった」
しみじみと言葉にするアルを老婆はじっと見つめていた。
そして、ふっと笑う。
「これぞ、セレスタリアよ」
まるで遠く懐かしいものを目にしたかのような眼差しだった。
「過去に囚われず、未来に縛られず、ただ流れゆく今を受け入れる。そのようにして生きるのが、おぬしらの在り方じゃ」
隣に座すフェリクスが、頭をかいた。
「まあ、確かにいつもぼーっとしてるもんな。今回だって、シスターに言われたからって、黙って一人で出ていくしな」
「なんとなくそのほうが良さそうな気がしたんだ」
「ずっと男だったしな」
「それはどっちでもよかった」
二人の気のおけないやり取りを間近に見て、老婆は微笑んだ。
「さて、今度は今までのそなたらの話を聞かせてくれんかの」
話し終えたのは、夜半を過ぎていた。
途中でルガがゼスを伴って抜けたかと思うと、夕食を卓へ並べ、食べる間も話は尽きなかった。
もっとも老婆の関心をひいたのは、ガスパルの話と、そこを訪う人々との交流、シスターレイナの話だった。
特にガスパルの無口すぎる指導と、言葉が足らないがゆえに訪問者との意思疎通ができているのか不明だった話、いつしか訪問者が通訳を自分たちに求めはじめた話、シスターレイナが穏やかすぎて子どもたちに叱るのにも一苦労していた話に、老婆が笑い声を出し、ルガとゼスの度肝を抜いたようだ。
「バ、ババアが笑ってる……! 怖すぎんだろ!」
「失敬なことを言うな! しかし、いや」
すかさず杖がガンガンと良い音を立て、うめき声が続いた。
すべての話を聞いていた老婆が深く得心したように首肯したのは、アルの性別の話だった。
「なるほど、確かに当時は次代の性別は明らかにはなっておらなんだ。しかし、王家からは『星詠みを継ぐ子が生誕した』と告示があったため、次代の誕生に居合わせたものはすべからく男児であったと思っておったわ」
何せ、千年は王家から輩出する王は男だった。
幾たびか第一子が女児であったが、王の告示をされたためしがない。
男児誕生の一子目、あるいは二子での宣言だ。
しかしセレスタリア王国の起源に遡れば、初代の王は女であった。
星詠みの力を持ち、天を仰いで道を示した王。
彼女の名は歴史の中で神話となり、次第に男の王が継ぐ時代が紡がれていった。
だが、星詠みの力自体は性別を選ばない。
老婆が席を立つ。
「さて、すっかり夜も更けた。これ以上は年寄りには厳しい。ゼス、お客人を寝床に案内せよ」
細目の男は、肩をすくめた。
「いいけど、一部屋ってわけにはいかないよね?」
「一部屋でいいけど」
「「よくないだろ!!」」
きょとんとゼスの言葉に返したアルに、フェリクスとルガからの反論がかぶさる。
「え、昨日までは、隣で寝てたのに、急におかしいよね?」
「昨日までがおかしいんだよ! で、おかしいのはお前だ!」
手間をかけるのも悪いと思い、一部屋でよいと主張したが、アル以外のものから受け入れられることはなかった。
そのため、アルは老婆の住まいへ、フェリクスはゼスのところで泊まらせてもらうことになった。
澄み渡る夜の星は、静かにヴェルンの大樹を照らし続けていた。




