5.森の護り人
緑の道が延々と続いている。
木漏れ日が柔らかく足元を照らす。
先人たちが道として、定期的に塚を築いていなかったら、すぐに森に呑み込まれるに違いない。
この塚に沿って歩けば、森に住む人々の縄張りも侵さず、獰猛な獣の巣窟に足を踏み入れることもない。
雨が続いていたこともあり、若干足元がまだ柔らかいが、基本的にアルもフェリクスも健脚だ。
幼い頃から、ガスパルによって近隣の森に連れ出されている。
アルは採取と瞑想が目的、フェリクスは狩猟と鍛練が目的ではあるが。
ブレイドの引き綱を持ち、危なげなく進んでいく。
その背に大半の荷物を預けているため、二人の足取りは軽やかだ。
やがて、森の奥へ進むにつれ、塚の数が減ってきた。
塚には界標を刻んでおり、それなりの獣避け効果がある。
その昔、旧王家の一族が刻んだらしく、長い年月を経て、森を歩く人々を守り続けてきた。
セレス標。
それが奥になればなるほど数が減るのは、効果をものともしない類の獰猛種が増えるからだ。
なぎ倒され、破壊された残骸が風化している。
標が破損すると、風化が進み、やがて土に還っていく。
アルは次の塚が視認できることを確認し、今のところは道を外れる心配は無さそうだと判断した。
「フェリクス、そろそろ陽が傾きそうだよ。どこで夜を過ごすか、そろそろ決めよう。塚の数がこれ以上減る場所は一気に通り抜けたほうがいいしね」
「そうだな。けど、もう少し進めるんじゃないか? 夜になっても塚の周りで過ごせば問題ないだろ。それにもう少し空が見えたほうがよくないか? っと!」
ブルルル、とブレイドが主張した。
前脚をピンと伸ばし、急停止した。
前のめりになったフェリクスが慌てて手綱をゆるめる。
「急に止まんな! なんだよ、お前もアル側かよ!」
──かさり。
わずかな葉擦れの音。風の動きとは異なる何かの気配。
アルが気づいた時には、フェリクスが腰の剣をすでに抜き払っていた。
ゆっくりと、視線をめぐらせる。
「誰だ?」
フェリクスが低く、しかしはっきりした声で問いかけた。
しばしの沈黙が続き、木陰から一つの人影が現れた。
肩に白い小鳥を乗せている。
細身の体つき、赤焼けの陽差しを受ける深緑の髪。
布の上に獣の皮をつなぎ合わせた軽装をまとい、腰に短弓。
しなやかな身のこなしで、二人の前に現れた男は、明るい茶色の細目を和ませた。
「今この先に進むと、死ぬよ?」
剣を抜いたフェリクスの前に無防備に立つ男は、アルをまっすぐに見た。
アルもまた、視線を交差させる。
ぴたりと合った視線は、すぐに相手の笑みにより、合わなくなった。
笑うと目は糸のように細くなった。
「お前は、誰だ」
唸るようにフェリクスが問う。
緊迫を破ったのは、フェリクスの隣にいた相棒だった。
腹の底から、長く吐息を一つ。
「フェル、大丈夫だ」
アルの声音を聞いたフェリクスは、全身から力を抜いた。
抜剣したままではあるが、すぐに襲いかかりそうな気配は霧散した。
男の糸目が驚きで開かれる。
「よく飼い慣らされた番犬だね」
「誰が犬だ!」
「よく吠える犬ほど弱いって相場が決まってるよ?」
「だから犬じゃねえ!」
ピリピリした空気は払われたが、どう考えても名乗り合う前からする会話ではない。
そして、特に名乗り合う必要性もない。
「忠告、ありがとう。お兄さん」
「おや、礼の言える良い子だね。そんな良い子にはお兄さんの名前を教えてあげよう。ゼスだよ。こっちはピー」
名乗る必要がでてしまった。
まさかすんなり相手から名乗ってくるとは、予想外だ。
しかも、肩の小鳥まで紹介してきた。
白の小鳥は名前を呼ばれた瞬間にパタパタと羽ばたきした。芸が細かい。
「アルです」
「……フェリクスだ」
そこで、アルは興味深そうにこちらを見る相手に尋ねた。
「この先に何があるんですか?」
「ダスクホーンが陣取っているんだよね、ここ一月くらい」
──黄昏角獣。
夜行性の大型獣だ。
黄色の角に稲光の力を溜め、敵対するものが近寄れば周囲一帯を焼き尽くす勢いで雷光を放つ。
四つ脚の脚力は強く、瞬発力は牙系には及ばないものの、その速度は人と比べるまでもない。持久力で言えば、ファングより角に軍配が上がる。
その、ホーン獣の中でも巨体を誇る黄昏角獣。
人の手で討伐するには、弓術の手練れを集めねばならない。
ましてや、森の中、雷光で焼き払われれば、どこまで被害が広がるか分かったものではない。
入念な準備が必要なことを考慮すると、半年から一年は自然に獣が移動するのを待つのが当然だ。
「あー……、だから全然すれ違う人間がいなかったのか」
シスターレイナからエルデュランまでの簡単な地図と行き方は聞いてきた。
この森の大型獣は、緑光の道沿いへの出現は少なく、まずは森の中腹の庵を目指す予定だった。
倒壊した巨木な幹を利用して作られた避難所のようなもので、この路を通る旅人がよく利用しているという。
そこまでの道程に鎮座している大型獣。
村に足を向けていればその情報は入手できたが、そのままの勢いで森に入ってしまった。
シスターレイナが勧めていた村で一泊すれば、情報は入手できていたな、と思ったが、今さらすぎる話だ。
陽が落ちかけている今から戻るわけにもいかないが、このルートで進めばいつ森を抜けられるのか、まったく見通しは立たない。
アルはフェリクスへ視線を向けた。
「近くの」
「うちに泊まる?」
糸目の男が何か言い出した。
うち?
「泊めてくれるんですか?」
「うんうん、おばばに話を通してあげる。塚の周りで泊まるにも、この辺りもダスクホーンの通り道だしね! 安全地帯だと、かなり戻らないといけないと思うよー」
アルはにこにこと笑顔を浮かべる相手をじっと見た。
「何で泊めてくれるんですか?」
「おや、余計なお世話だった? 年端もいかない子どもたちが犠牲になるのが苦しくて手を差し伸べたつもりが……」
あまりにウソくさい言い分に、思わず声を洩らして笑ってしまった。
「だって、あなたはフェルがあと一歩でも近づけば、ためらいなく殺す気でしたよね?」
「それくらいは分かるかー」
悪びれない男がひょいとフェリクスに近寄る。
フェリクスは動かない。
眉間にしわを寄せ、剣を鞘に収めた。
あわや一触即発の中で納剣したフェリクスに、また男は驚く。
「え? しまうの? いま?」
「別に今、おれたちをどうこうする気は無さそうだから」
また、しばらくの沈黙が続き──。
男は爆笑した。
「っ、あはははっ、あー、おかしい」
体をくの字に折って笑い続ける男を見ていたアルだったが、赤く色づく陽光が陰りを見せてきたことから、早めに決着をつけることにした。
小鳥が男の周りを飛んでいる。
「じゃ、お兄さん、ありがとうね。安全かなと思うところまで、引き返します。さようなら」
言うことを言えば特に思い残すこともない。
踵を返すアルに、フェリクスも当然異論はない。
「って、待ってよ!」
だが、ヒーヒーとまだ笑いの余韻を残したまま、糸のまなじりから涙をぬぐう仕草をしつつ、男がついてくる。
そして、前言を撤回した。
「おばばに話通すのやめるわ。あんまり面白そうだから、当面一緒に行こうかな」
「「いや、けっこう」です」
「即答すぎ!」
いちいち、男のツボにハマるらしく、目がほとんど見えないほど、細まっている。
とは言え、この笑い上戸の男の身のこなしは只者じゃない。
登場からして、おそらくわざと音を立てて、接近している自分を示したのだ。
撒くことなどできないだろう。
アルは肩をすくめて、諦観を示した。
三人で連れ立って、とりあえず今夜の寝場所を探すことにした。




