28.証の灯火──あなたのすべきこと
避けた大地は、祭壇と大聖堂の間だった。
割れ目から噴き出した青銀光は、まるで星の息吹のようだった。
眩い光の、その光源が徐々に競り上がってくる。
人々は言葉もなく、影が浮かび上がってくるのを目撃した。
それは、この場にある全員が目を離すことができない光景だった。
青銀の光を纏い、月明かりと同化するように柔らかく輝くその姿。
純白の鳥の背に乗る人影。
髪は流れるような長髪の青銀。
まるで、夜に流れる星々を思わせる神秘さだった。
光が織りなす影の形からは少年とも、少女とも、顔立ちさえも分からない。
光源は光を放ちながら上昇を続けた。
上がるに連れ、光の範囲が広がっていく。
光を排出した大地は、その役割を終えたらまたゆっくりと閉じていき、裂け目は跡形も無くなった。
ひしめく群衆の中で、誰ひとり声を上げることはない。
それは王弟も宰相も将軍も、聖教主さえも。
光は降り注ぐ。
足元に散らばる金砂が呼応した。
やがて、広場全体に柔らかな青銀の光が満ち溢れ、包み込んでいく。
その場にいるすべてのものが自分の体内から何かが抜け落ち、温かさが湧き出てくるのを実感した。
「……っあ! お母さんっ」
幼子の声が響き渡る。
シスターレイナに抱かれた子が、まどろみから覚めるように瞼を開いた母親に気づいた。
それをきっかけに、広場のあちこちから安堵とすすり泣く声が聞こえてくる。
倒れていた民衆が目覚めはじめた。
地上での喧騒をよそに、光は大聖堂の屋根をはるかに超えた位置に昇り続けている。
王都のどの場所からも視認できるほどの高さに。
そして、風が流れた。
青銀の光がふっと消えるのと同時に、鳥も人影も消えた。
それはまるで夢のように。
ざわめきが地上に戻った。
今まで照らされていた光の加減で、篝火だけでは暗闇が深く感じられる。
正気を取り戻した民衆の中では、そこかしこで嗚咽の声が聞こえる。
その中で、ひとり、さらに深く慟哭している男がいた。
王弟ヴォルクレイ公の傍らに控えていた従者だ。
声には出さずとも、瞳の焦点が合わず唇が震え、蒼白な顔で立ち尽くしていた。
「……自分が、やったのか」
ぶるぶると震えは手のひらに伝わり、それは全身に伝播する。
従者の視線は豪奢な椅子から驚きのあまり立ち上がった主人に向けられた。
そしてその腰に穿いている優美な剣へ。
次の瞬間、彼は絶叫した。
「返せぇぇえっ!!」
怒りと悔恨が入り混じったような叫びとともに、従者はヴォルクレイ公の腰の剣を奪った。
周囲にいた兵たちは何が起こったのか、すぐに判断できなかった。
一斉に動いたが、わずかな間があった。
従者は迷いなく主の腹を貫いた。
「ぐぁっ……!」
ヴォルクレイ公が膝を折る。
従者は狂気を漲らせ、血に濡れた剣を振り上げ、再び主へと迫る。
「全部、全部自分が壊したんだ! お前のせいで!」
刃が振り下ろされる、その時。
鋼が交差する音が響いた。
将軍ハンスが間に入っていた。
従者の剣を受け止め、次に振るった剣は従者の胴を一閃に絶った。
従者は何かを言いかけたが、声にならぬまま崩れ落ちた。
血が石畳を濡らし、広場に重苦しい沈黙が満ちる。
ヴォルクレイ公が、口から血を吐いた。
一刻の猶予もないことは、誰の目からも明らかだ。
将軍ハンスが兵に怒鳴る。
「帰城! 退けっ!」
兵が慌ただしく担ぎ上げ、王弟は王城へと退いた。
フォルネウス卿が前に出て、冷静な声で聖教主へ向き合った。
「聖教主レクウス・ヴァリエ。この状況では、儀式の続行は危険です。どうぞ延期を……ご決断ください」
聖教主は、息をつき、首肯した。
そして、老聖務長へ目をやった。
「ガブリエル」
老聖務長は己の役割を悟った。
グッと腹から低い声を出した。
「今宵は散会じゃ。すべての者に、緘口を命ずる」
さらに一拍置いて、一段と低くなる声で。
「皆に告ぐ。舌が、二度と祈りの言葉を紡げぬ身になりたくなくば、余計なことを囀るではないぞ」
低く響くその声には、老齢ゆえの掠れがありながらも、誰も逆らえぬ威を帯びていた。
「あちゃあ」
民衆が気圧されつつも、災いが及ばぬように散会し始めた広場で、少し離れた位置で見ていたゼスは、そう溢さずにいられなかった。
なんだこの状況は。
予想外すぎるだろ。
夜の風は金砂を王都の土に馴染ませて、すでに輝きを失わせていた。
月明かりも見え隠れして、灯りは篝火。
王弟は撤収し、聖教主に連なる聖務長、大教主、教主といった面々も引き上げた。
呆然としているのは、集められたプラトたちだ。
言葉少なく、のろのろと立ち上がり、自失の表情で宿舎へと向かっている。
そこで残っているのは、兵を司る将軍ハンス。
王弟に斬りかかった従者を一刀両断し、兵たちに後始末と帰城を命じた。
その足で近づいたのは……ゼスの連れだ。
「名は」
将軍ハンスと言えば、泣く子も黙る猛将だ。
その巨漢に腹に響くような低い声で問われ、フェリクスは答えた。
「フェリクス」
それを目撃したゼスとしては「あちゃあ」と思わず溢してしまったというわけだ。
さっきの姫さまの降臨で、姫さまを乗せていたのは、ピーだ。
ゼスが幼いころから共にいた白い小鳥が成鳥した。
里では一向に小鳥から変わらないピーに、ルガが「これはなんの鳥なんだ?」と疑問を呈していたが、徐々に興味を失っていた。
そのピーが、ゼスに合図を寄越してきた。
王都の西、セセラルクの森で待つと。
事態はさっぱり分からないが、おもしろい。
わくわくしながら、シスターを庇って兵の槍を受け止めたことで、衆目を集めたフェリクスを回収しようと近づいた。
王弟の騒ぎもあり、兵に撤収を命じ、全員散会していく中、ハンスはフェリクスに近づいた。
夜の闇の中、篝火があろうと赤茶の髪と琥珀の瞳を持つ少年に気づくことは早々ないと思っていたが。
名乗ったフェリクスを将軍は睥睨した。
しばしの沈黙。
「その身のこなしは……」
そっちか、とゼスは納得した。
将軍の目はごまかせない。
少し見ただけでも分かるほど、フェリクスの剣技は天性のものだ。
その速度、力の込め方、全身の使い方、これが長じればどうなるのか、見るものが見ればすぐに分かる。
将軍ハンスの眼光は、何かを見極めようとしているようだった。
ひりついた空気の中、一歩進み出たのは、少年に庇われたシスターだった。
フェリクスの肩に手を添えて、自分の背後になるように、前に出る。
「シスター!」
「この子は、私の孤児院で育った子です」
穏やかな声が、しかしはっきりと響いた。
顔を上げ、先ほど一人を切り捨てた将軍と視線を合わせる。
将軍ハンスの鋭さがわずかに緩んだ。
「ご近所の退役兵に教えを請い、ほんの少しだけ剣を覚えたと聞いております。ですが、戦う者ではありません。……ただ、私を庇おうとして無茶をしただけの、普通の子です」
シスターレイナは、静かに頭を垂れた。
もし、何かあれば自分の首をと願い出ているのは、明らかだ。
ゼスは、得心した。
あれが、アルとフェリクスが助けたいと切望したシスターレイナ。
なるほど、身内だ。
震えながら、背にフェリクスを隠し続けている。
夜風がシスターと将軍の間を通り抜けた。
将軍ハンスは視線を逸らさず、沈黙を置いた。
やがて彼は低く息をつき、静かに言った。
「……そうか」
それだけを言い残して、踵を返す。
マントの裾が石畳を払って、将軍の姿は夜の闇に溶けていった。
ゼスは胸の奥で、ほう、と息を漏らした。
何が将軍の琴線に触れたのかは不明だが、今ぶつかることは無くなった。
安堵が広がる中、フェリクスはシスターレイナに歩み寄った。
気丈に立っていたシスターが緊張の糸が切れてふらついたのだ。
「シスターレイナ!」
彼の声にシスターは振り返った。
地を踏みしめて、体勢をグッと立て直す。
「ありがとう、フェリクス。よかったわ、会えて。何も言えないままお別れかと思っていたの。さあ、すぐにここを離れなさい」
「でも、シスターは……」
「私は大丈夫。あの子と一緒なのでしょう?」
言葉の端々に柔らかくも、揺るがぬ意志がこもっている。
シスターレイナは、フェリクスに告げた。
「浄化し、解放されたのは倒れた人たちだけではないわ。だから、行きなさい。あなたのすべきことがあるはずよ」
そして、フェリクスの旅立ちを言祝いだ。
「あなたの歩む道が、どうか実りのあるものでありますように」
フェリクスは唇を噛み、ぐっと俯いた。
そして、ただ一度だけうなずき、背を向けた。
篝火の光が、その横顔を淡く照らす。
ゼスは物陰から出て、静かに彼の隣に並んだ。
「……王都を出るぜ、フェリクス」
少年は振り返らないまま問う。
「居場所が、わかるのか?」
ゼスはにやりと笑って、糸目をさらに細めた。
「もちろん。おれたちを呼んでる」
風が吹き抜け、金砂の名残を空に舞い上げた。
フェリクスは一度だけ振り返り、修道女の姿を目で追う。
シスターレイナは、変わらずそこに立っていた。
二人は闇の王都を抜け、星の下へと歩き出した。




