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天はあまねくものを照らす  作者: 藍砂 しん


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26.証の灯火──金砂解放

鳩の群れが屋根から飛び立ち、重い雲の裂け目から舞い降りてくる。

まるで空そのものが崩れ、白い波となって地上へ流れ落ちてくるかのようだった。

広場一帯を覆い尽くすほどの鳩が羽ばたきとともに、翼の下から砂粒をこぼれ落としていく。

その尋常ではない数の羽ばたきが巻き起こす風。

それは渦を巻き、砂粒がきらめきながら乱反射する。

風に舞い散る細かな砂が、その場にいるものすべてに降り落ちる。

髪に、肩に、衣に、まぶたに。

逃れようのない天からの降灰だった。


シスターレイナの上にも、まるで月明かりを浴びて金に光る砂が。

それは祝福のようにも、呪いの前触れのようにも見えた。


民衆の中から、ここに集まるプラトたちに助けを求めるのは当然の流れだった。


「……助けてください!」

「ああ! あ、あああ! 司祭さま、シスターさま!」

「祈りを、祈りを!」


悲鳴が波紋のように広がり、プラトたちは一瞬その圧力にのまれそうになる。

視線が一斉に向けられる。

救いを求める何百という瞳が、祈りの担い手を突き刺す。


ハッと我に返ったプラトたちが祈りを紡ぎ出す。

朗々と響くプラトたちの祈りは、しかし、より大きな悲鳴によって遮られた。


「熱いッ……! ああぁ、いやだ! やめて」

「ぎゃあああ!」

「……るー、るーりぃ、ルゥラッ…!」


次々と、周囲の人々が崩れ落ち、泣き喚き、怒鳴り散らし、叫び、歌い、笑う。

理性と狂気の境が崩れ、言葉が壊れていく。

その変調は瞬く間に伝播し、広場は数呼吸で地獄絵図へと変わった。

目の焦点は合っておらず、阿鼻叫喚の惨状が広がっていく。

正気を失っている人々は、全員金色に光っている。

その光は付着した砂から放たれている。


何が起こっているのか、シスターレイナにはまったく分からない。

急に苦しみ始めた民衆たちは、顔見知りの周囲の者たちが取り押さえようと必死に縋っている。

家族、隣人、友人。

誰もが誰かを失うまいと必死だった。

軍が出動している中で騒ぎを起こせば、その命に関わることを皆知っているのだ。

それでも、抑えきれない。


シスターレイナとて、教会関係者としての教養はある。

恐怖の中でも、思考は冷静に巡る。

この症状に当てはまる現象は一つ。


呪の解除。


記憶、誓約、形質、そして感情。

呪によるあらゆる束縛は、呪によって解除される。

ただし、急激に解除するとその分、本人への負担がかかる。

呪を施すときも負担がないように徐々に行われる。

時間をかけ、身体と魂を慣らす。

プラトたちの額にある菱型の誓紋も、呪の媒体である。

あれは信仰の象徴であると同時に、制御の印。

呪は教会の大教主以上でなければ施せず、そして解除もできない御技だ。

教会関係者でなければ、知らない情報だろうし、そもそも有名な誓約の呪、額の誓紋以外はほとんどの民衆は目にしないだろう。


誓約は虚偽を禁ずること。


偽りを述べると誓紋がぼんやりと光る。

それを発火するまでの縛りに強化するのが、証の灯火だ。

呪の媒体に墨があるのは知っていた。

しかし、この金色の砂は。


「どうか、どうか……」


誓紋に手を添え、心臓の位置に手を動かす。

何千回、何万回も繰り返してきた動作を、シスターレイナは行う。

指先は震えていたが、祈りの形は崩れない。

周りのプラトたちも、同じように祈っていた。

喧騒は止むどころか、正気を失った人々は口から泡を噴きながら、次第に意味のある言葉を叫び出した。


「公よ! 我らが救い主よ!」

「……違う、おれたちに何を! うぐぅ」

「助けて。私たちの、私たちの王……!」


叫びはもはや、人としての意思よりも、呪が剥がれる苦痛そのものが言葉になって漏れているかのようだった。


ガタンッと祭壇の隣の貴賓席から音がした。

立ち上がったヴォルクレイ公の姿に、歓喜と憎悪が入り混じった叫びがあがった。

その顔へ伸ばされる無数の手は、狂信者のそれと見紛うほどだ。

群衆は殺到しようと、唾液を口から垂らして脇目を振らずにヴォルクレイ公に手を伸ばした。


「取り押さえろ!」


端的な指示が将軍ハンスから飛ばされる。

この喧騒の中にあっても、その声は通り、軍は民を槍で構えて押し戻す。

混乱を鎮めようとするが、叫びと血はますます拡大していく。

このままでは、きっと犠牲者が出てしまう。

押し返され、倒れ、踏まれる。


シスターレイナは、助けを求めて教主たちが並ぶ祭壇を振り返った。

その視界に入ってきたのは、祭壇の上に佇む聖教主の姿だ。

彼の人の衣が風に翻り、青白い灯火は天に向けて立ち昇っていく。

その神秘的な光景に目を奪われたのは、シスターレイナだけではない。


「金砂よ」


白い面紗に覆われた相貌は見えない。

それでも、見惚れるほどの圧倒的な何かが聖教主にはある。

祈りというには短い言葉を発した瞬間、地に落ちた砂が光を取り戻した。


眩い銀の閃光が辺りに走り、暴れていた民衆は一斉に崩れ落ちた。

気を失い、そこには静寂が訪れた。


「た、助かった」


誰かの声がそう響いた。

しかし、安堵は束の間だった。


「すべて、殺せ」


怒りに震えるその一言が静寂を切り裂いた。

王弟ヴォルクレイ公の命令が。


「お待ちください、殿下! 彼らは──」

「黙れ! フォルネウス。王家に仇をなす者に与するか!」


怒号とともに、王弟は手を振り下ろした。

軍の最高司令は王である。

宰相は、政において王から代理権を預かるが、軍においては関与しない。

軍の司令は、将軍が預かっている。

将軍ハンスは、無言のままだ。

その沈黙は重い。

痺れを切らしたのは王弟だった。


「ハンス、おれの命がきけぬか! さっさとせよ!」


王弟の癇癪かんしゃくに動じることなく、大漢はその身体に相応しい大声を発した。

その巨躯が、恐怖の象徴のように見える。


「捕えよ!」


将軍の一喝を受けて軍が動き出す。

殺す、ではない。

まだ意識を取り戻していない人々を捕らえようと迫ると、泣き声が上がった。


「どうか、お許しを!」

「これは何かの間違いです。助けて……」


嗚咽混じりの声が響く中で、幼い子を抱いたままの女性が捕らえられようとしていた。

幼い女の子が、その腕を必死に掴んで叫んでいる。


「お母さんを、離してっ」


兵の腕が上がる。

なんてことを。

あの兵は子どもを槍で吹き飛ばすつもりだ。


気づけば、祈りを組む手を解き、立ち上がっていた。

足がもつれそうなほどの速度で、シスターレイナは兵と幼子の間で、幼子を抱きしめていた。

太い腕が振るう槍で打擲ちょうちゃくされれば、きっとこの子は無事ではすまない。

シスターレイナとて、兵の剛力で打たれればどうなるかは分からない。


ギュッと目をつむり、衝撃を覚悟した。


しかし。


ガキィン──!


金属同士がぶつかる重い音。

痛みはこない。

恐る恐る目を開けると、シスターレイナの前には赤茶の髪の少年が立っていた。

地面に足を大きく開いて踏ん張り、槍の柄を剣で押し返している少年が、兵を睨んでいる。


「これ以上、誰にも触らせねぇ」


その声は低く、確かな力を帯びていた。


───フェリクス。


シスターレイナが彼の名を心の中で呼んだ瞬間、地面が大きく揺らいだ。

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