24.青銀の泉
アルを呼んだ青白い光の道は、歓迎しているかのように柔らかい光を瞬かせている。
肩にとまる小鳥は溶着したかのように動かない。羽ばたきもせず、定位置を確保しているかのように、身じろぎもしない。
チチ、という鳴き声でアルは安堵する。
見知らぬ場所で一人ではないということは、本当に心強い。たとえ、話し相手にはならなくても。
そういえば、と思い出した。
昔、ガスパルに連れていかれた暗闇の洞窟も奥に進めば進むほど柔らかい灯りが満ちていた。
夕暮れのような赤みのある光だったが、この光は色は違えど同じ印象を受ける。
足裏に感じる脈動のような波長が歩を進めるに連れ、力強いものへと変化していく。
呼吸を合わせるように足元が鼓動する。
生きている。
この場所は、脈々と生きているのだと、感じる。
一番最初にガスパルが暗闇の洞窟へ誘った日、洞窟の奥で老人は独り言を呟いていた。
そうだ、それはアルが赤の光に包まれて、光と共鳴した後だ。
『……よ。応え、星の声に』
確かにそう告げていた。
あのときは意味が分からなかった。
ただ、不思議なほど胸の奥に沁みて、幼かったアルの耳の奥に残る言葉だった。
そこから、片膝をついたガスパルがアルに向かって言ったのだ。
『帰ってこい、アル。誰にどれだけ求められても、お前はお前の心に従え。己の足で立て』
緩やかにアルが囚われた赤光の檻へ、手を伸ばすことなく、そう言い放つとガスパルはじっと見続けた。
アルは、こんなときでもガスパルさんはガスパルさんだなぁ、と感心したことを覚えている。
厳しくも、優しい。
小言は言うが、見捨てることは無いと、絶対の安心感を与えてくれる。
きっと、アルがこの柔らかな居心地のよい光の中から出てくるまで、身動きすることは無いのだろう。
いつまでも、いつまでも。
赤い光がアルの中へと沁み込んでいく。
赤い檻は薄れて消えていった。
地に足をつけて、ガスパルの元へ戻ったとき、ガスパルは目を細めてぐしゃぐしゃとアルの頭を撫でた。
その経験があり、ヴェルンの大樹のときも慌てることはなかったのだが、同じような感覚が三度目となると、さすがにアルも偶然で片付けるつもりはない。
ヴェルンの大樹のときはフェリクスが呼び戻してくれた。
アルはそっと目を閉じ、肩にとまる小鳥に手を伸ばす。小鳥は軽く指を啄んだ。
深く息を吸い込み、吐き出すと、青白い光はそれに合わせて脈動した。
「……分かった。いま行くよ」
その言葉に応えるように、光は広がり続ける。
靄のような光粒が宙を漂い、まるで星空が地下へ降りてきたかのようだった
そこから何歩も歩く必要はなかった。
足を踏み出すと、空間が一気に広がり、足元にも星空。
そして目の前には光の流れが渦を巻いている。
懐かしい、孤児院の礼拝堂でも嗅いだことのある古い祈りの香りが、アルを招いている。
その中心には、泉があった。
青白い光をたたえる水面は、静かに、しかし確かに呼吸している。
表面には無数の星の欠片のような青白い光粒が浮かび、泉の側に古の文字が刻まれた石板が眠っていた。
それは祈りでもあり、記録でもあり、誓いの証でもある。
ピーが羽をふるわせ、小さく鳴く。
アルは微笑み、そっと泉の縁に膝をついた。
「この、懐かしい感じ」
指先を泉の光に浸す。
その瞬間、温かい何かが流れ込んできた。
心臓がひときわ強く脈打ち、頭の奥に映像が浮かぶ。
──星々の下、人々が集っている。
その中心で祈り捧げているひとりの若い銀の髪の女性が、両手を掲げていた。
右の傍らに漆黒の四つ脚の獅子が、左の傍らには純白の尾の長い鳥が控えている。
彼女の紺の瞳の中には煌めく輝きがあった。
彼女が優しく手を伸ばすと、聖火が呼応し、天をつく。
『天はあまねくものを照らす。
星は記憶を、灯は希望を、森は調和を、風は調べを、水は癒しを、闇は眠りを。
互いに巡りて、地に命を織りなすもの。
絶やすことなかれ。導きのもとに』
その声は、確かにアルの中に流れ込んできた。
彼女の名も、何も知らない。
しかし、確かにそれは幾つも重ねられてきた記憶として、アルの脳裏に刻まれる。
泉から一気に青銀光が弾けた。
左肩にとまる小鳥ごとアルの体を包み、その光の奔流を浴びた小鳥は羽ばたいた。
アルはピーに手を伸ばそうとして、泉から離れた。
そしてすぐに体が動かないことに気づいた。
声も出ない。
孤児院で、畑で、厩舎で、洞窟で、そして大樹の下で、今までしてきたように、深く意識をつなげていく。
何かを求めるこの場所が、アルに同調することを求めている。
アルの中に凝縮させるように、少しずつ青銀光は輪を縮めていく。
アルは身動きできない中で、光を受け入れ、自分の内部で循環させていく。
集中しろと、畑の世話のときもずっと口酸っぱく言われ続けてきた。
息を吸って、吐くように、取り込んで中へ入れ、還す。
光がどんどん縮まるにつれ、アルは光り輝くようだった。
ピー以外、誰も目撃するものがいない中、マントが外れ、光に満ちた長い髪がふわりと宙に浮いた。
それは、青を含んだ銀の髪だった。
循環させることに集中しているアルは、自身の変化には気づいていないが、目の前に白い小鳥が戻ってきたことに目を瞬かせた。
ピー。
言葉にしたいが、口が動かない。
アルの前で、ピーは羽ばたいた。
少しずつ、ピーの尾が長くなっていく。
白い小鳥がまるで殻を破るかのように、一枚一枚羽が抜け落ち、そして新しい羽に生え変わっていく。
純白の羽に生え変わり終わったときには、ピーは何回りも大きくなっていた。
小鳥とは言えない大きさに。
これは、この鳥は先ほど頭の奥に浮かんだ、女性の左に位置していた鳥だ。
ピー。
もう一度、呼びかけると、ピーは羽ばたきで風を起こした。
チチチチ、と鳴く声は、調べを奏でる。
風と調べが混じり、それはアルを取り巻いた。
アルの中にある光の流れに、調べが合わさってくる。
心地よい調べがアルの内部を整えていく。
「……ピー」
今度こそ、手を伸ばすことができた。
掠れた声で、純白の鳥を呼ぶと、少女の声に応えてピーは伸ばした左腕に乗った。
指先にとまれる大きさではなくなっていたが、驚くほど軽い。
アルの瞳の輝きが増していることを、純白の鳥だけが見ている。
アルは熱に浮かされているかのように、光を抱えた体を右腕で抱きしめた。
青銀の光は、いまだに淡く漏れている。
青みを帯びた聖銀の髪がたなびく。
アルは感じていた。
この地から感じる力はまだ全てではない。
循環させるべき何かが、ここには残っている。
それなのに、これ以上踏み込むことはできない。
循環を拒む力が、アルに近づいてはならないと警告している。
光の収まった泉には、静かに波紋が広がっている。
泉の側にある石板に刻まれていたはずの古の文字は消え失せ、風化したかのように欠けていた。
そして、欠けた文字の末尾に、アルが読める文字が残されているのに気づいた。
アルフェ・セレスタリアの生誕を言祝ぐ
「これは……」
アルが指を添わせようとした途端、ぐらっと大地が大きく揺れた。
ご、ごごごごご、と、地の底から低い轟音が響いてくる。
同時に頭上からは土がパラパラ降り落ちてくる。
アルはピーを抱きしめ、とっさに目の前の石板にしがみついた。




