22.王都帰還
味方の中にも敵の多い男、エステバン・クレメンスに連れられて、さらに地下道を進む。
天井は低く、ところどころから滴る水が石を叩き、鈍い反響を生んでいる。
この王都に続く地下に、これほどまでの道が張り巡らされていること自体が異様だった。
背後に落ちる足音の反響が、いつの間にか二重にも三重にも聞こえる気がした。
誰もいないはずの闇の奥から、何かの気配が滲む。
それでもエステバンは振り返らず、淡々と歩を進めた。
その背中は、間違いなく道を知るものだった。
小休憩で夢を見てから、アルはちょっとした異変に気づいていた。
地下道の紋様が進むに連れて増えている。
そして、その紋様は光を帯びている。
一つひとつが淡く、しかし確かな輝きを放っていた。
まるで王都に近づくことを歓迎されているかのような、何かの意思を感じるような。
歩きやすくて問題はないのだが。
壁面に広がる淡光は、ただの照明ではない。
アルが通るたび、まるで“心臓が跳ねるように”脈を打ち、道そのものが呼吸しているように見えた。
「姫ぎみ、この先については、別れることになる」
その声は突然だったが、地下道の空気がそれを予告していたかのようでもあった。
すでに光石を持たずとも視界が確保されているため、エステバンが言う分かれ道は目の前にあった。
右の青白い道。
左の土の道。
片方は整然とした幾何学模様に縁取られ、もう片方は無骨な地層をそのまま削っただけの通路だった。
今までいくつも分岐したが、エステバンに誘導され、道を進んできた。
その誘導が、ここで終わる。
「王都に着いた」
この地下道の上はすでに王都内らしい。
土の壁を削り出しただけの荒い道と、青白い紋様が続く道。
二つの道は、まるで性質が異なっていた。
エステバンは、土の道を選んだ。
「ここから先、私には私の用事がある。姫ぎみたちもやらないといけないことがあるはずだ」
それは突き放す言葉ではなく、むしろ当然の分岐であるかのようだった。
淡々と告げるエステバンだが、ここまで連れてきてくれたことには感謝しかない。
この地下を抜けられたこと自体が、彼の導きなくしては不可能だった。
「だから、ここでお別れだ。もっとも地上に着くまで後を着いてくる分には構わないがね」
「確かに王都に着いたら、シスターレイナを探さないと」
フェリクスが応じる。
「なら、地上までは一緒に着いていってもいいかな。本当にありがとう。エステバンさん」
アルの率直な礼にエステバンはわずかに瞠目する。
その表情は、一瞬だけ、計算ではなく人間味を帯びた。
「こちらこそ、帰り道は楽をさせてもらった。楽しい道行きだったよ。姫ぎみの歩む道に幸あれ」
「どーいうこと? ……っ!」
含みを感じるエステバンの物言いに、ゼスが口を挟もうとした、その瞬間。
ごうっと突風が吹き抜けた。
地下であるはずの道に荒々しい風が叩きつけてくる。
土壁に積もった粉塵が舞い上がった。
まるで巨大な何かが、道の奥から一気に息を吐いたような風だった。
アルは足元がふわりと浮くのを感じた。
咄嗟に庇うようにピーを手のひらに包み、やんわりと抱え込んだ。
青白い光の道へ、引き寄せられる。
「アル!」
フェリクスが手を伸ばすが、指先は届かない。
まるで見えない膜が、その間に張られたかのようだった。
弾くように、青白い光の道はアル以外を拒んだ。
触れた空気さえも、拒絶の力で押し返される。
「なんだ……! これは!」
フェリクスが唸るように剣に手を伸ばす。
だが刃は、空気の壁に弾かれて微動だにしない。
ゼスも短弓を探り、その弓が淡い緑の光を放っていることに気づいた。
「ヴェルンの大樹だ。緑還の弓が共鳴してる」
「またか!」
ヴェルンの大樹のときは、結界がフェリクスを寄せ付けなかった。
光に包まれたアルは幻想的だったが、別の世界で区切られたかのような、断絶感を味わった。
今も同じだ。
距離は数歩なのに、決して届かない。
アルは耳を欹てた。
強く、何かに呼ばれている。
音ではない。
肌に突き刺さるような、もっと切実な何かが呼んでいる。
この感覚を覚えるのは三度目だ。
アルに縋りつくような、この空気感。
この道を進むしかないことを早々に悟った。
抗えば抗うほど、言葉にならない何かが引き裂かれる気配があった。
理由も姿もない呼び声が、まるで懐かしい手つきでアルを呼び寄せている。
「フェリクス、シスターレイナを守って!」
「……アル!」
ピーが弾かれずに、一緒にいることが不思議なほどだが、抱えたピーを解放すると、羽ばたいてアルの肩に止まった。
「ピー、今のうちにゼスの元にお戻り」
もし、ピーが途中で進めなくなったとき、置いていくことになるのは困る。
チチと鳴く白い小鳥は、嘴でアルの頬を軽く突いた。
「あー、姫さま。連れてって、って言ってる。いいなぁ、ピー。おれが代わりたいくらいだよ。何があるのか、楽しすぎるだろ!」
飼い主が全力で羨んでいるが、アルの相棒は異論があるようだ。
「お前じゃないだろ、代われるのなら!」
アルは小さく笑う。
エステバンが静かに切り出した。
「落ち合う場所を決めておこう」
その冷静さは、この事態を予見していたことを証明している。
慌てることも、動揺することもない。
「あんた、お別れだなんて言い出したのは、こうなることを予想していたな」
「まあね」
エステバンは涼しい顔で悪びれることもない。
ゼスに返したその一言の裏には、“予想”どころか、ほぼ“確信”していた者の静けさがあった。
アルが光に呼ばれることも。
分断されることも。
それらすべてを、あらかじめ織り込んでいたかのようだった。
「王族の帰還だ。もちろん何か起こるだろうとは思っていたよ。ただ、想像以上に熱烈だったね」
フェリクスは拳を握りしめ、ゼスは舌打ちした。
エステバンの口ぶりは、まるで“帰還の契機を整えたのは自分ではない”と言いながら、どこか誇らしげですらあった。
彼はただの案内役ではない。
王都の動きも、地下道の構造も、アルに関わる“何か”も、あまりに把握しすぎている。
二人の様子を気に留めることなく、エステバンは続ける。
「王都の混乱は避けられない。別れて行動し、再び集まるための場所が必要だろう」
短い合意を交わし、アルは青白い光の道へ進むために背中を向けた。
その背中を見送った三人は、剥き出しの土の道を進む。
光源が目に見えて減ったため、光石を携えて。
「あらら、姫さまがいなくなったら、あからさまに手を抜くなぁ」
「誰がだ?」
「道」
道に文句をつけているゼスにフェリクスは噴き出した。
そこから、地下の冷たい湿気が乾いた外気に変わるのに、時間はかからなかった。
「地下を抜ければ、私はすぐに動くべきことがある。君たちは、上に出たら裏口から出て、群衆を装って人波に紛れるんだ。なに、今宵は民衆は皆、浮き足立っている。目立つ行動さえしなければ、問題はないし、探し人がシスターならどうせ目的地は同じだ」
フェリクスは、これまで歩いてきた地下道を思い返した。
およそ人の手で掘り進めるのは不可能だと思われる距離。
一体、どれほどの年月を重ねれば、こんなことが可能になるのだろう。
エステバンが地上に出るために、土壁の出っ張りに手を伸ばす。
振り返ったフェリクスは、姿勢を正した。
先人の努力に深く一礼をした後、迷わずにエステバンの後に続いた。
ゼスは何も言わず、目を細め、やはり軽く頭を下げて壁に手をかけた。




