19.地下道の秘密
地下道はひたすら同じ光景を繰り返した。
石の壁、わずかに滲む水、足裏に伝わる硬さ。
時折、道が分岐する。
側道に入りしばらく歩くとまた同じような広さの道に出る。
足音だけが闇の中で聞こえ、時間と方向感覚を奪い去っていく。
どれほど歩いただろう。
アルは数えようとしていた呼吸の回数すら忘れていた。
フェリクスは黙々と一定の速度を保って歩き続けている。
アルとフェリクスが暗闇で黙すのは、一重に老人の物理的な教えによるものだ。
『あの状況で音を出すとはずいぶんな自信だな。いいか、人間というくくりである以上、獣より耳がいいことはねえ。どうしたってあっちが上だ。せめて音と気配を消すように努めろ』
事情も分からず連れて行かれた洞窟内では声をかけようとしたら、拳一発で黙らせられ、脱出した先で全身の力を抜くアルにガスパルは告げた。
アルにしてみれば、洞窟の中での危機察知が働かなかったのだが、ガスパルが一緒だとそもそもあまり危険を感じない。
フェリクスも沈黙を続けているのは、同様の経験からきているのだろう。
ゼスはたまに軽やかな口笛を吹いている。
夜目がきくゆえの気楽さかと思いきや、反響により状況を把握しているらしい。
「ここだ」
わずかに広がった空間で、不意にエステバンが足を止めた。
光石の灯りが、彼の頬を照らし出す。
笑みを浮かべてはいるが、目の下にはくっきりとした影が落ちている。
「姫君の予想どおり、私のほうが先に限界だ。すまないが、少し腰を下ろしてもいいかな。軽く仮眠を取るくらいの時間を設けよう」
そう言って、彼は壁際に背を預け、迷いなく地面に腰を落とした。
普段の軽口とは違い、妙に素直な響きだった。
「一昼夜歩いてたら、当然だな」
フェリクスが苦笑混じりに呟き、荷を降ろす。
アルもピーを手に移し、慎重に壁際へ座り込んだ。
ゼスだけはまだ余裕そうに足を組んで座り、面白がるようにエステバンを見やる。
「疲れを隠さず言っちゃうところ、あんたの長所だよねえ」
「長所というより、わざわざ我慢してまで人に強がる趣味はないだけさ」
エステバンは肩を竦め、光石を床に転がした。
柔らかな光が円を描く。
薄い光が壁面に浮かぶ。
壁面には、どこか見覚えのある紋様が刻まれていた。
半日の闇の行軍ののち、ようやく訪れた休息だ。
エステバンは一息つくと、腰の水袋を取り出して唇を湿らせた。
仮眠を取ると言いつつ、干し肉を渡してきた。
自分も干し肉を齧りつつ、妙に得意げに語り始めた。
半日闇の中にいるとさすがに目が慣れて、光石のささやかな灯でも十二分に彼の表情は見えた。
「この道はね、実を言うと、旧王家が望んで造らせたものじゃない。星詠みの一族を心配した天灯の一族が、勝手に掘ったんだよ。『いざとなれば逃げ道が必要だ』ってね。余計なお節介に聞こえるが、まあ結果的には、先見の明と言える」
思わず忍び笑いをする男の声音は、昔を懐かしむ響きがあった。
「で、知らせを受けた王家は驚いたものの、そのままでは危険すぎるってことで、石碑と同じ紋を刻んで“安全な道”にした。紋様がある限り、道を外れなければ罠は作動しない。逆に言えば、一歩でも外れれば……とんでもないことになるがね」
その情報にフェリクスがわずかに顔をしかめた。
「つまり、おれたちが今まで歩いてきた道にも罠が仕掛けられていたってことか」
「ご名答。しかし、私が案内している以上は安全は保証できる。なぜなら、この道を何度も行き来しているからね。この道の正解を知るのは、天灯の一族でも一部のみ。王都の連中は誰一人として存在すら感知していない」
当然のように告げるエステバンの正体がますます得体が知れないが、特に問題はない。
彼の立場や過去が関わっているのだろうが、今までの道で彼はいくらでも自分たちを陥れることはできた。
アルとは別の何かで、勘の鋭いゼスが口笛を吹きつつ、壁に刻まれた紋様を撫でた。
「森の道と同じ紋だ。なんか落ち着くわけだ。おれ、さっきから帰ってきた気分なんだよなあ」
ふっと空気が和らいだ。
フェリクスがアルに手を伸ばす。
「アル、水袋を貸せ。残り具合を見てやる」
「自分でできるよ」
「いいから貸せ。水が足りなくて我慢すると倒れるぞ」
面倒見の良い相棒に苦笑しつつ、アルが水袋を渡すと、重みで残りを確かめて少し足して寄越した。
手のひらに少しだけ水をすくうと、ピーがくちばしで突いてくる。
「ピーの分も必要だろ」
ゼスではなく、アルにピーの分を補給するフェリクスは特に違和感を感じていない。
今までの経験からも、アルに寄り添う動植物が多すぎるのだ。
「フェリクス、おれの分はー?」
「お前は勝手に飲むだろ」
口を挟むゼスに一瞥もせずに突き放すが、半分ほど入った水袋を放り投げた。
ゼスは器用に受け取り、「なんだかんだ面倒見いいよね」とにやりと笑った。
アルは二人のやりとりを見ながら、安堵とともに眠気が来つつあるのを感じた。
「アル、寝るなら横になれよ」
ガスパルに鍛えられてきたとはいえ、根本的にアルとフェリクスでは体力に差があるようだ。
まだ余裕があるフェリクスの声に促されて、アルは湿り気のある土に外套に包まれて横たわる。
目を閉じると途端に疲労が押し寄せてくる。
沈むように、意識が夢の中へと誘われていった。
──────
誰かが、何かが呼んでいる。
言葉ではない。
声ではない。
何かが見えるわけでもない。
暗い水面に、雫が落ちたかのように、静かに波紋が広がる。
足元の見えない霧に包まれた空間を歩いている。
地面に足をついて立っているのかも分からない。
遠くに、光が見える。
いくつもの巨大な石柱から発される青白い光。
石畳が柱からの光を受けている。磨き上げられた滑らかさだ。
石柱には、見たことのある紋様よりさらに複雑で荘厳さを感じさせる形が刻まれている。
ここは。
アルは口にしようとして、身動きできないことを悟った。
大樹を前にしたときと、同じだ。
石柱に支えられたその空間は、天井の模様が視認できないほどに高い。
聖堂のような厳かさ。
石柱の紋様に手を伸ばそうとした瞬間、肩を揺すられる感覚で、急激に意識が浮上した。
「アル、起きろ」
フェリクスの声が耳元で聞こえた。
アルは小さく瞬きを繰り返す。
「あー、またしちゃったか」
「ああ」
フェリクスの隣で眠り続けてほぼ十四年。
物心ついたころから、寝ぼけては相棒に起こしてもらうを繰り返している。
フェリクス曰く、起きているのかと思うほど、はっきりした寝言を言うこともあれば、歩き出すこともあるらしい。
自分としては、まったく無意識なのだが、周囲からは危なっかしいこと、この上ないらしい。
そんな日は、よく夢を見た。
「で?」
「何かに呼ばれている夢かな。光る柱が何本も立ち並ぶ場所だった。その柱はここの模様と似ているけど、さらに複雑な形が刻んであって、模様をよく見ようと思って、手を出したら目が覚めた」
ゼスが大きく伸びをしながら寝返りを打ち、目を細める。
「夢に呼ばれるってのは面倒だねえ。飯に呼ばれるくらいでちょうどいいよ。ここを出たら温かい食いもんが欲しいところだわ」
その軽い物言いにアルは笑った。
幼少期に見る夢は、現実味を帯びていることが多く、よくフェリクスとひっついて寝たものだ。
幼い頃とはいえ、あの距離感でずっとアルのことを男だと認識し続けていたのも、ある意味でフェリクスのすごいところだ。
「怖さはなかったな」
「なら、問題ないか」
頭を撫でてくるフェリクスの目には、幼い頃から自分の夢に怯えることもあったアルを心配する色がある。
孤児院の年長者として、常に周りに気を配ってきたフェリクスは、庇護下に入るものに弱い。
アルは小さく笑う。
「だめな時はだめと言うよ。今までもそうだっただろ?」
目をぱちくりさせるフェリクスは、自分がまた過保護が過ぎることを自覚していなかったようだ。
たまに、一番年下のリリーを構いすぎて「フェルにぃ、めっ」と怒られていた。
よく分からないが、アルの性別が分かったところで、庇護力が高まっているのだろうと推測される。
フェリクスは、アルの指摘に少し動きを止めた。
リリーのことを同じく思い出したようだ。
その後、ノアから「フェル兄、やりすぎたらリリーからうざったいと思われるよ」と釘を刺されたことを含め。
その時はしばらく落ち込んでいた。
「なーんか、世話焼きのおかんみたいだなぁ」
「誰がおかんだ!」
そのやり取りを少し離れた場所から聞いていたエステバンは、視線を閉じた瞼の奥に意識を落とした。
星詠みの一族が「呼ばれる夢」を見る。
それが何を意味するのか、彼はよく知っていた。
偶然ではなく、運命のしるし。
まして、この時期にそれが現れたことを思えば。
だが、彼の顔には何の色も浮かばない。
ただいつもの冷静さのまま、眠るふりを続ける。
アルが仲間と笑い合っている様子を横目に、エステバンは胸の奥でひとつだけ思う。
やはり導かれている。
しかし、その思いを口にすることはなかった。
代わりに、脳内であらゆる選択肢を演算する。
目を伏せ、何十通りも分岐する予想の中で、もっとも活路を見いだせる道を取捨選択していく。
エステバンは奇跡にすがる思考回路はない。
楽観論も持ち合わせていない。
どうしても、運命のように思える瞬間があるとき、それは積み重ねた選択肢のひとつが重なったときだ。
誰かの選択肢と、自分の選択肢が折り重なって、運命を紡ぎ出す。
その流れに乗るのがいいことは、経験則として知っている。
特に、この一族が絡んだときは、やや理不尽とも思える事象がまかり通るのだ。
現実主義者のエステバンを幾度となく覆してきた彼らの存在だが、苦々しさは皆無だ。
エステバンにとって、万端に整えてきた準備だが、不測の事態はいくらでも起こりうる。
最悪の事態を何通りも洗い出してきたが、昨夜のルシフェンの使いの知らせは久しぶりに心胆から驚かせた。
取るものとりあえず、地下道を歩いた。
エステバンしか、気づかない事実がある。
行きの地下道より、帰りははるかに歩きやすい。
王都に近づけば近づくほど、何かが彼の一族を歓迎しているかのようだ。
仮眠を取れるのは、わずかな時間だが、よい夢を見れそうだ、とエステバンの口元は無意識に緩んでいた。




