15.大聖堂──プラトの動揺
王都の一角に臨時で設けられた宿舎。
儀式まで後五日に迫り、宿舎には各地から呼び寄せられたプラトたちが集められていた。
食事をとるための広間では、長旅の埃をまとったマントを外し、修道服姿のものがちらほらと食卓についている。
広間には最大八人が一度に同席できる木卓がずらりと並んでいる。
顔見知りの司祭やシスターで集まり、肩を寄せてひそやかに言葉を交わしていた。
「本当に、額の誓紋が燃えるのか……?」
「誓いを違えたときだけ、だろう」
「レガスフィ派のやり方さ。今の誓紋でも、違えれば光り、相当な痛みも伴うというのに、何の不足があるのか」
「十三年前の証の誓約のときも、騙し打ちのようなもんだったさ」
声を潜めつつも、不安と苛立ちが交じる囁きは絶えなかった。
中には顔をこわばらせ、今にも帰郷を願い出そうとする者もいる。
そんなざわめきの中で、レイナは小さな木椅子に腰かけていた。
指先を組んで黙っていたが、隣に座った年配の司祭が話しかけてくる。
「……シスター、どう思うね? 子どもを教える身としても、これを受け入れるべきだと?」
レイナは少し目を伏せ、落ち着いた声で答えた。
「誓いの重さを示すことは、悪いことではないと思います。ただ……火で脅すのは、教えとは違う気がします」
司祭は鼻を鳴らし「まったくだ」と同意した。
「教区に残した子らが案じられてならない。
シスターもそうではないかね?」
「私は後任の方も来ていただいてますし……いえ、やはり心配はありますね」
チリッと額の誓紋が反応しかけ、シスターレイナは訂正した。
他者から見ても分かる紋だ。
司祭は質問したこと自体の非礼を詫び、席を立った。
レイナは司祭の背を見送り、ふと孤児院の日々を思い出した。
──まだ幼かったアルが、夜空を眺めながら「星は嘘をつかない」と笑ったこと。
フェリクスとアルが年下の子らをかばい、すぐに分かる嘘を申し出てきたこと。
あの子たちがここにいたら、どう感じるのだろう。
命を賭してまで、真を示すことに価値があると信じるのか。
胸に浮かんだ問いを打ち消すように、レイナは小さく息を吐いた。
周囲では、さらに新たな噂が飛び交っていた。
「聞いたか? 王弟ヴォルクレイ公の屋敷近くでも、異変があったそうだ」
「だからこそ誓紋を強めて、疑いを晴らさねばならぬ……と、聖務長は言っていたな」
「だが、疑いをかけられるのは我々ばかりだ」
「大教主以上になれば、誓紋は緩むのか」
ざわつく声の中で、レイナは自然と掌に力を込めていた。ギュッと握り込んだ掌の奥で、彼女の祈りはただ一つ。
──子どもたちが、どうか無事でありますように。
ああ、残された子どもたちは、不安で仕方ないだろう。
年長の二人が突然いなくなり、次いでシスターレイナも去った。
レイナの想定より、王都からの司祭が派遣されるのは早かった。
アルを送り出した二日後に、新たな司祭が到着し、レイナは丸一日で引き継ぎを行った。
そこからすぐに発つように促され、馬車と徒歩で二十日以上かけて王都へ辿り着いた。
アルを送り出したとき、残された子どもたちにはただ長くかかるお遣いに行ったとしか告げていない。
三年は帰ってこないとは、言えるはずもない。
子どもたちの身の安全も、そしてアルの安全も考えてのことだ。
しかし、その後にガスパルが孤児院を訪れてレイナに伝えたことは、予定していないことだった。
『フェリクスはしばらく帰ってこん。今までと同じ頻度で、別の者がここに入り用なものを届ける』
呆然としているレイナを他所に、伝えることは終わりと背を向けたガスパルに我に返った。
『ど、どうして、フェルはどこに行ったんですか!』
『あいつには、すべきことがある。それをしに行っただけじゃ』
春には孤児院を出る予定だったとはいえ、あまりに急すぎた。
フェリクスの性格から、レイナに断りなく旅立つはずがない。
さらに言い募ろうとして、レイナはじっと見つめる老人の琥珀色の目を見た。
──すべてを、知っている目をしていた。
その瞬間に、レイナはあの少年が旅立った場所を悟った。
ああ、共に発ったのだと。
昔から、アルが乳児であったときから共にあった二人だ。
共にあることが自然すぎて、二人が一緒にいないことが想像しづらいほどに。
レイナは長卓に一つだけの、灯火皿の小さな炎を見つめる。
火が揺らいでいる。
王都に集められたプラトの多くは、儀式を前に不安を隠せない様子だ。だが、彼女は別の理由で胸を騒がせていた。
──アル。
あの子が誰よりも深い加護を受けているのは、ずっと前から感じていた。
幼い日、病に伏せた子を祈るでもなく撫でるだけで熱が引いた夜があった。
「具合が悪い時だけ、みんなぼくに寄ってくるよね」と、彼女はあっけらかんと笑った。
他の誰も気づかぬ中で、ただ一人だけ、レイナは知っている。
アルが少女であること。
そして、あの子が真に何者であるかは分からずとも、きっと大きなものに導かれていることを。
シスターレイナの教会で、アルとフェリクスは同じ日に出会った。
礼拝が終わり、一心に祈りを捧げていたレイナの背後に、二人は残されていた。
フェリクスが歩き始め、アルは伝い歩きができる年ごろだった。
慌てて親を探したが、信徒は誰一人残っていなかった。
アルとフェリクス。それぞれの名前が刺繍された男児の衣装をまとっていた。
途方に暮れていたシスターレイナだったが、泣き出した赤児の世話は待ったなしだった。
状況の把握もできないまま、死ぬと分かっている赤児を放逐する訳にはいかない。
二日後に、南の領主の名で教会に孤児院が併設されることが決定した。
この偶然に、この子たちとは縁があったのだと、覚悟を固めた。
半ば意地になって、二人の子どもを一心に世話した。
信徒の年配の女性たちが、突然子持ちになったシスターレイナに対してなにくれとなく世話を焼いてくれた。
瞬く間に、シスターレイナの教会の隣に孤児院が設けられ、アルとフェリクスは伸び伸びと過ごしていたように思う。
定期的に孤児院へ届けられた領主からの寄付金とガスパルからの支援は慎ましい暮らしを維持するには十分だった。
アルとフェリクスが十を過ぎたころ、孤児院から離れる子どもへ、という名義で届けられたまとまった寄付金が届けられた。
アルに対して「この子はいずれここから遠く旅立つだろう」と、形にならなかった予感が急に具現化したような気がした。
少しずつ、銀貨を縫い付けていった。
設置され続けた立札──「旧王家の皇子を探す」という布告は、当初レイナは気に留めたこともなかった。
アルは皇子ではありえない。
銀の髪も、星を秘めた瞳も持ち合わせていない。
そして、少女である以上、疑いの目も及ばない。
けれどいつしか安堵の影には、言い知れぬ不安が常に寄り添うようになった
加護の強さは、時に人を災いの渦へと引き寄せる。
「……踏み込むべきではないわ」
小さく呟く。
踏み込まなければ、孤児院は守られる。
アルも守られる。
そして、結果的に自分も守られる。
そう信じて、真実からずっと距離を保ち続けてきた。
けれど。
心の奥では、きっと気づいている。
新しい司祭が派遣されるという知らせを受け、すぐにアルに出立するように伝えた。
前から用意していた銀貨を縫い付けたマントや靴を出して。
しかも、天灯の一族が支配している地域へ送り出した。
胸に浮かぶのは、フェリクスの姿。
あの子がそばにいる限り、アルは一人で重荷を背負うことはないだろう。
年長として自然に譲り、護り、時に手を出さず見守る姿を、レイナは何度も目にしてきた。
二人は支え合うことで、他の誰にもできない道を歩むはずだ。
レイナは祈る。
──どうか、二人が共に歩み続けられますように。
──どうか、無事でありますように。
彼女の祈りに応えるかのように、高窓にとまる数羽の鳩の鳴き声が聞こえた。
五日後には「証の灯火」を受けねばならない。
その先に待つ鎖の重さを思えば、胸はさらに沈む。
それでも今だけは。
レイナはただ、母のように慈しむ想いで、子らの行く末に光を願った。




