14.村の司祭
なるほど、境界樹を超えることで道にいくつかの選択肢が与えられていたのか、と、アルは納得した。
西へ向かうと目的地を変えたとき、今まで見えなかった道が開いて見えた。
その道をもう何日も歩き続けているが、不思議と行き止まりになることがない。
「ゼス、森はすごく不思議なことが多いね」
アルの言葉に問いかけられた彼は苦笑いする。
「森で育ったおれが言うけど、今まではこれほど不思議なわけじゃないよ」
「見えなかった扉が、ぱっと開いたみたい」
「そりゃあ、境界樹の試練をくぐったからだけど、境界樹っておばばからしか聞いたことないし、初めて見た」
ゼスは肩をすくめ、頭上を飛ぶピーを指さした。
「ほら、あいつもいつもより羽ばたきが軽い」
「ピチチッ!」
とピーが誇らしげに鳴き、ブレイドが鼻を鳴らして相槌を打った。
「ブレイドまで賛同してる……」
フェリクスが笑い、アルの肩を軽く叩いた。
「どんな理由にせよ、道があるんだ。よかったじゃないか」
あまり深く考えることもなく、一行は森の中を進んでいく。
森を抜けると、視界は一気に広がった。
西の空は淡い夕焼けに染まり、遠くの丘陵の向こうに小さな村の屋根が見える。小道はそこで分岐し、ひとつは北へ、もうひとつは西へと延びているようだった。
「へえ、こんな村、地図にはなかったよな」
フェリクスの言葉に、ゼスが目を細めて口笛を吹く。
「面白くなってきた」
「地図にないのに、村がある。最近できた村なのかな。どっちに進む?」
アルは首をかしげた。
「まずは腹ごしらえできる場所がいいな。おれは村に寄るに一票」
「結局そこか……」
フェリクスは呆れながらも、心底楽しそうに笑った。
アルはもう一度振り返り、深い森の向こうに霞む境界樹を見た。
胸の奥でゆっくりと温かさを広げていく。
「じゃあ、行こう。みんなで」
のんびりしたアルの声に、北に足を向けた。
目に見える距離にあった村にほどなく到着したとき、村の入り口で男たちが屯していた。
武器を持ち、少し警戒した表情をしているのは、森から出てきたことが分かっているからだろう。
しかし、間近で見ると、まだ少年たちと言っても差し支えない年齢であることが分かり、男たちは気軽に声をかけた。
「坊主ら、どこから来たんだ? 王都に向かうにしても、こんなところを通りがかる人間はめったにいないぞ」
「森からだよ。道が急に開けて、気づいたらここについてた」
外見も、もっとも年長であるゼスが一歩踏み出して答えると、まだ警戒を解いてない男たちの質問が続く。
「なんで森から出てくることになったんだ?」
森から出てきてすぐのところに村があると想定していなかったため、ゼスが即興で考えた設定を披露する。
「雨続きで、森に何かないか入ったらしいんだけどね、この兄妹。ダスクホーンがいることを知らなくて、慌てて逃げたら、来た道に帰れなくなったみたい。おれはちょうど王都に向かう予定があったから、近くの村に案内するつもりだったんだけど、急に森が通してくれたのか、ここに着いたんだよね」
事実も含んだ内容は、それなりに信ぴょう性を生んだらしい。
長旅をするには、軽装であることもあり、村人たちは肩の力を抜いた。
森の護りの一族であることは、ゼスの深緑の髪を見れば分かる。
森から出てきたのも、彼らの手助けがあったものと判断したようだ。
「そうか、すまんな。ここんところ、巡礼路が封鎖されているから、古い地図に載ってない、森で行き止まりになっていることが分かっているうちの村にわざわざ寄るものもおらんからなあ」
白髪交じりのひげを生やした男が安堵したように笑うと、周りもようやく武器を下ろした。
アルは胸を撫で下ろした。
「封鎖? 巡礼路って王都に続く道のこと?」
ゼスが尋ねると、男たちは顔を見合わせ、声を潜めた。
「ああ。王都の教会がな、近いうちに“秘儀”を行うらしいんだ。プラトたちを呼び集めて。詳しくは知らんが、犠牲になる者も出るって噂だ」
「犠牲……」
アルが思わず声を漏らした。
「まあ、真偽は定かじゃない。ただ、最近は巡礼や旅人が減ったのも事実だし、兵士も妙にうろついている。なんだか、王都はきな臭い」
男はそう言って肩をすくめる。
アルははっとした。
そうだ、シスター・レイナが言っていた。「王都に呼ばれている」と。
まさか、その秘儀とやらに関係している?
「あの、村に教会はありますか?」
アルが勢い込んで尋ねると、男たちは不思議そうな顔をした。
「あるにはあるが、村の外れだな。寂れてるぞ。司祭が人嫌いでなあ。最低限の付き合いしかない」
「でもまあ、どれだけ愛想がなくても、この村には宿もないし、いくらあの偏屈な司祭でも司祭は司祭だ。子どもを放り出すことはせんだろう」
「一宿一飯くらいは教会なんだから……」
男たちが自分の村の教会について評している間、フェリクスはアルの様子に気づき、低く問いかけた。
「アル、何かあるのか?」
「うん。確かめたいことがあるんだ。少しだけ、寄ってみたい」
「じゃあ、まずは教会か?」
男たちが入口に集まっていたのは、めったに来ない見知らぬ人間を警戒してのことだったが、特に問題ないと判断され、村に迎え入れられた。
そして、男たちの話し合いは、教会だからこんな年ごろの少年たちなら泊まれるだろうという結論を経て、司祭のもとへ送り出された。
村の外れにある教会は、すぐに見つかった。
教会は石造りでこぢんまりとしているが、白い壁はすでに灰色にくすんでいる。
周囲をぐるりと丸太で作った柵が取り巻いている教会だった。
建物以上に大きく柵が取られており、裏庭部分まで囲んでいるようだ。
背後はごつごつした岩がむき出しの崖になっているのが、表側からも見えた。
ブレイドを近くの木につなぎ、教会の扉を押した。
中は薄暗く、香のかすかな残り香が漂っていた。
祭壇の前に立っていた年配の司祭が入ってきた彼らを静かに見やった。
白髪を後ろに撫でつけ、清潔さを保っている。
伸びた背筋が印象的な司祭だった。
背丈はフェリクスよりやや高く、ゼスより低い。
「……旅の方々ですな」
「すみません、少し話を聞かせていただきたくて」
アルは頭を下げた。司祭は目を細め、しばし沈黙した。
独特の間に拒絶する空気を感じ、アルは近づいた。
村人たちが言っていた、人嫌いの老人という評価は間違いないようだ。
司祭の灰色の目を、懇願の気持ちを込めてアルは見つめる。
目を合わせた次の瞬間、彼の表情にわずかな驚きが浮かび、低くつぶやいた。
「その、瞳は……」
アルたちは顔を見合わせる。ゼスが口の中で「ばれたな」とつぶやいた。
司祭の視線は傍らのフェリクスへうつり、深くうなずき、静かに告げる。
「お待ちください。すぐに知らせを送ります」
その瞬間、一陣の風が通り抜けた。
アルの隣にいたはずのゼスが、気づけば司祭の背後を取っていた。
「おっと、おかしな真似は慎んでねー」
にこやかな微笑みがいっそ、恐怖を増幅する。
武器を手に持つわけでもないのに、確実に致命傷を与えられるのだと、相手に悟らせる。
「誰に、何を知らせるのかな?」
事ここに至って、アルとフェリクスはゼスの本気を見た。
同行中も身軽さは随所で見せていたが、ここまで素早いとは思わなかった。
ゼスがそっと司祭の首筋に手を当てている。
司祭はごくりとつばを飲み込んだ。
「そ、その瞳はまさに途絶えたはずの血筋の兆し。さらに天灯と共にあるとあらば、聖典が正なるものであったと、王子の帰還を伝えねば……」
青ざめながらも、司祭にも譲れぬ部分があるのだろう。
声を震わすことなく、背後からの問いに答える。
確固たる信念を持っていそうな相手だが、いくつか認識違いを指摘したほうが良さそうだ。
「王子って、立札で出てたやつ? 髪の色が違うけど、いいのか?」
珍しく、アルの言葉を遮るように告げたのはフェリクスだった。
王子ではなく、女性であることを今は伝えるつもりがないようだ。
少年らしいシャツにチュニック、ズボンという出立ちで、マントに身を包ませ、体型は分からない。
分かったとしても、肉付きの薄いアルは少年で押し通せるが。
ましてや森から出てきた薄汚れた形では、自己申告以外で少女と認識されることはないだろう。
アルとしては、特にどちらでも問題ない。
フェリクスの言葉に合わせてマントのフードを取ると、紺色の髪が現れた。
「……染め粉ではないのですか?」
染め粉?
生まれてこのかた、髪なんて伸びたら切るの一択だ。
目を丸くしてきょとんとした表情は「なんだ、それは?」と思っていることが、一目瞭然だった。
薄暗さの中でも、紺色の髪を見れば、それが自然な色であることは分かる。
司祭は、しばらく沈黙し、大きなため息をついた。
「なーんかイヤな感じだったから、止めなきゃと思ったけど。勘違いだったって、思い直したってこと?」
首を傾げるゼスに不自然さはない。
司祭の首筋から手を離し、顔を覗き込む。
司祭がまた一つ小さく吐息した。
「どうやら、そのようです」
「なにがなんだかなんだけど、もちろん事情は教えてもらえるんだよねえ?」
夕闇が降りつつある今から、事情とやらを話すのであれば、もちろん一宿一飯にありつけることを見越している。
にんまりと笑うゼスに、司祭は引きつった笑いを見せた。
「……まあ、腹を満たしながら話しましょう。立ち話で済ませる話でもない」




