12.大聖堂──オルドゥスの矜持
オルドゥスト。
西のマリソルに拠点を持つ組織、オルドゥスに所属するものをそう呼ぶ。
その呼称には、単なる所属以上の意味が含まれている。
名乗った瞬間、その背後に広がる商路、情報網、そして見えない“後ろ盾”までを暗示する名だ。
貿易を主な生業としているが、有形無形合わせて取り扱わないものはないと言われるほど、裾野の広い商売をしている。
香辛料や絹、宝石といった目に見える品から、契約の裏文書、噂話、失われた家系の系譜まで、彼らは等しく「商品」として扱う。
その価値を定めるのは、需要と確度だ。
構成員の全貌は見えないが、各都市に交易所という窓口を設けている。
表向きは倉庫や商館、あるいは両替所を装いながら、そこは人と物と情報が結節する節点となっている。
そこに何人のオルドゥストがいるのか、正確に把握している者はいない。
もちろん王都にも、一等地に大きな建物を構えている。
王城や大聖堂からも遠くない位置にありながら、どの派閥にも属していないという、異様な存在感を放っていた。
そこから派遣された男女に聖教主が対価を与え、求めたものは情報だ。
国中に張り巡らした窓口、商売の糸口から、ありとあらゆる情報がオルドゥスに集結している。
街道を行く商人の雑談、港での荷役人夫の愚痴、貴族の邸で交わされるささやき声。
それらが幾重にも束ねられ、真実の輪郭を形作っていく。
その情報に価値を見い出し、情報を求める人物を見極め、売買を行う。
その情報の確度は非常に高く、決してかの組織からは顧客の情報は漏れない。
信頼こそが情報を取り扱うための唯一の価値、そしてオルドゥスという組織を組織たらしめる基盤であった。
それを裏切ったときに訪れるのは、外部からの制裁ではなく、オルドゥス内部からの容赦ない抹消。
裁きは速やかで、例外はない。
それを知っているからこそ、誰もが沈黙を選ぶ。
だからこそ、オルドゥスという組織は王都の中枢部に食い込みながら、いまだに権力者側に取り込まれずに在り続けている。
利用はされるが、従属はしない。
その危うい均衡こそが、王都における彼らの立ち位置だった。
フィンとリヴァンも、そんなオルドゥスの矜持を背負って、ここにある。
聖教主──その存在はただそこに座すだけで場を支配する。
年若くも、時に老獪さも、また無垢な幼子のようにも感じさせる、真価を推し量ることができない人物。
相対する者は皆、自分が試されているのか、試される価値があるかすら分からなくなる。
あらゆる者が一つ共通して覚える印象は、本物の支配者である、ということ。
「ルミナリアンの所業であることを示している根拠、デスか。もちろん述べさせていただきマス」
気負う様子もなく、オルドゥスの男は右の人差し指を立てた。
「まず、ルミナリアンの元教主、エステバン・クレメンスの目撃情報が出ていマス」
「いつも出ては消える情報じゃろうが」
「エエ、いつも出て消えマスね。場所も不特定。共通点と言えば、南の穀倉地帯と王都に目撃情報が多いこと。しかし、十日ほど前から、目撃情報に偏りが出てきマシタ」
そこで一区切りし、フィンは老聖務長に立ち上がる許可を求めた。
より大きな地図を広げ、指し示すために。
ガブリエルとて、虫が好かない相手だからという理由で立ち上がるなとは言わない。
ただ、このオルドゥストという連中は何をしでかすか分からなすぎて、連中の範囲に入りたくないのだ。
連中とどのくらい離れれば適切かなど、さっぱり分からないが、膝をついている時より、立ち上がるほうが範囲が広がるような気がする。
ガブリエルは、上座で聖教主が鷹揚に頷くのを確認し、しぶしぶオルドゥストたちに起立を許可した。
「ありがとうございます。ではこちらをご覧ください。王都概略地図になりマス」
くるくる巻いた大きな羊皮紙を広げ、片端をフィン・カロルが、もう一方をリヴァンが持つ。
概略地図と言いながらも、主要な建物や道は判別可能だ。
情報を売るオルドゥスならではの地図だ。
先日の王が臨席したときの議会でも地図があったが、さほど遜色がないようにガブリエルは感じた。
専門家ではないのと、地図にあまり興味もないので、すぐに印象は薄れたが。
フィンが指し示したのは、先ほど口頭で場所を示したうちの一箇所──貴族街である。
「貴族街でも、今回の事象が起こったことに我らは注目しておりマス。他の場所に比べて、人通りは限られる。用がないものがフラッと立ち寄るような場所ではナイ」
見慣れないものがいれば、すぐに警邏のものが参じるでしょう、とフィンが続ける。
「冒頭に原因はわからないと申し上げましタ。しかし、貴族街……ここ、ここ、ここの三箇所での発現」
人差し指が地図をなぞる。
そこから同じ指で自分のあご下を触り、考え込むような仕草を見せた。
「どちらさまの邸宅かと調査しますと、んー、コレは偶然デスかね。この一角は、王弟ヴォルクレイ公の敷地の近く」
王弟ヴォルクレイ、その名を告げた途端にかしましい老人は頬をひくつかせた。
フィンはあまりにも分かりやすい反応を示す老聖務長ににこやかに告げた。
「この御方の邸の近くとあらば、王宮内で繰り広げる噂の流布速度はさぞや見ものでしょう。まるっきり出まかせでもナイ、となれば、信ぴょう性も増しマス。そして宮廷の空気はいずれ市井に尾ひれをつけて漏れ出すもの」
さて、と、オルドゥストの男は、もう一枚、薄い重ね紙を出した。
透写紙と言う。
一枚がとてつもなく高価な紙を羊皮紙の地図の上に重ねた。
対になる位置に立つオルドゥストの女は、淀みない動作で片端を掴む。
「コレで完成デス」
重ね紙には朱丸をつけている。
羊皮紙の地図はやや見えづらくなったものの、どこに朱印がついたかは、はっきり認識できた。
「……陽動、といいたいのかな?」
「ご明察でございマス。聖下」
口を開こうとした老聖務長の先を制したのは、彼の主であった。
言いたいことをひとまず飲み込み、老聖務長はフィン・カロルが説明するのを待つ。
「朱印はエステバン・クレメンスの目撃情報。警邏も情報があれば出向きマス。我らオルドゥスの情報網にクレメンスの目撃地と症例の発生地に重なりはナイ。シカシ、クレメンスの目撃情報が出て数日後には、別の筋道で騒ぎが起こる」
「つまり……クレメンスの影は囮である、と?」
老聖務長の声には、わずかに掠れが混じった。
「そうデス。目撃があれば人は集まる。人が集まれば警邏も動く。西地区の警戒網は穴だらけになりマス」
フィン・カロルは片眉を上げ、朱丸のひとつを爪先で軽く弾いた。
薄紙の上でその印が震え、光の加減で朱が血のように濃く見える。
「そして、その間に──」
口を開いたのは沈黙を守っていたリヴァンだった。
女性にしては低く、しかしよく通る声。
「──本命は別の場所で進む。証の灯火の夜に、何かを」
大聖堂の中の空気が、そこで一度凍ったように感じられた。
聖教主は、背もたれからわずかに身を起こす。
「……証の灯火を汚す者は、すべて赦さぬ」
聖教主の口調は淡々としていたが、その響きは祈りではなく宣告だった。
ガブリエルは喉を鳴らし、声を絞り出す。
「聖下、もしルミナリアンが事を起こすなら、広場や大通りはすでに囮……となれば、狙いは──」
「あるいは……」
フィンが唇を吊り上げた。
「証の灯火そのものかも知れませんネ」
沈黙の中、ステンドグラス越しに差し込む陽光が、ゆらりと色を変えたように見えた。
それは、外で風が強まっただけかもしれない。
だが、聖教主の口元の笑みは、ほんの少しだけ深まった。
「──一月後、彼らを迎える舞台を整えよ」
その一言で、場にいた全員が、次に訪れるのが単なる儀式の夜ではないことを悟った。




