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天はあまねくものを照らす  作者: 藍砂 しん


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11.大聖堂──聖教主レクウス・ヴァリエ

白大理石に囲まれた大聖堂の空気は小揺るぎもしなかった。

高い天井でステンドガラスからは惜しみない日の光が差し込んでいるにも関わらず、どこか閉塞感が漂っている。

陽光は大聖堂の中央に浮かぶように座す聖教主の姿を照らしていた。

聖教主は白金の法衣をまとっており、その複雑な織りと刺繍は淡く光り、重厚さと清冽さを醸している。

薄い白面紗が口元のみ浮き上がらせ、笑みを形作っていた。

法衣は重たげな幾重の布がその体格を隠し切っており、口元だけでは性別も年齢も定かではない。

白金の靴には黒曜石が散りばめられ、つま先まで荘厳さを感じさせた。


聖教主は、中央の座に静かに腰かけていた。


聖教主の前に一人の老人が跪いていた。

聖務長ガブリエル・モンテロ。

右手を心臓の上に、そして額の誓紋に添える。


「聖下。ガブリエル、ご下命の通り、協議会での内容と王宮の動向を報告を上げにまいりました」


聖教主レクウス・ヴァリエは豪奢な椅子に身を沈めながら、手元の祈り珠を指で転がしていた。


「しばし待て。あの者たちの報告も合わせて聞く」


その声は不思議な音階だった。

老若男女の判別もつかず、大声ではないにもかかわらず、耳元ではっきりと聞こえる。


あの者たち、と、抽象的な物言いだが、ガブリエルがそれをすぐに誰何すいかすることはない。

相対する主がしばし待てと言うなら、待てばよい。

待てば正解が分かるのだ。気の短いガブリエルと言えど、そのくらいの分別はある。


ガブリエルが首肯し、程なく一組の男女が入室した。

ガブリエルはその組み合わせを見た途端、脱兎の如く逃げ出したくなった。

大人しく待つという選択肢を大いに悔やむ。


「おやあ、ガブリエルサマ様じゃないデスか! お会いできて光栄デス」

「ええい、うるさい! なぜ聖下への拝謁で、先に聖下に頭を下げぬ!」

「我らは雇われの身デスよ? 結果を出すなら、多少の無礼は不問に付すと聖下からお墨付きもいただいてますウ」

「無礼が過ぎるわ!」


ガブリエルに軽口をたたくのは、旅装の男。

人の良さそうな笑みを浮かべる中肉中背の男だ。

砂糖を煮詰めたような、飴色の瞳が印象的だが、他に特筆すべき特徴もない。

ただ一度口を開けば、訛りのあるしゃべり方と戯けた表情で一発で他人の記憶に残る。


「ガブリエル」


唾を飛ばして叱責しようと試みた老人を止めたのは、彼が跪く相手だった。

名を呼ばれただけだが、聖教主が老聖務長に求めているのが、この場を進める役割ということは自明の理だ。

忌々しげにひと睨みし、老人は入室した男女に膝をつくよう促し、報告を求めた。

男は肩をすくめ、連れの女と共にゆったりと膝をついた。

報告すべき二人が跪いたのと交代し、進行するためにガブリエルは立ち上がった。

女の方は黙っていたが、濡羽色の髪を編み上げ、旅装の下に鋼糸入りの胸当てを隠していることに、観察眼のある者ならすぐに気づく。

彼女は、隣の男のような軽薄さは一才なく、むしろ襲いかかる前の獣のように沈黙を保っている。


「では、報告を始めよ」


ガブリエルとしては鉢合わせする相手のことを知らなかったため、何を相手が話すのか、分かっていない。

しかし、それを老人が態度に出すことはない。


「はっ、それでは王都での異常について、順を追ってご説明しマス」


語尾になまりがある話し方だが、常に報告は端的で分かりやすい。

だからこそ、聖教主が多少の無礼は見逃すのだ。

老聖務長は、まずは男から情報を引き出すことにした。


「王都の治安の乱れについて。王都のいくつかの地点で立て続けに幻視、言動の乱れといった症例が確認されマス。急に喚き出し、意味不明な言葉を発しだすという事例デス」

「原因は?」

「今のところ特定に至らず。発症例に世代、性別の共通点はありません。十半ばから六十過ぎまで、実に幅広い世代で起こっていますナ」

「場所は?」

「やや西地区に偏りはあるものの、満遍なくと言っても差し支えない範囲カト。市場、各商い通り、中央通り、鍛治屋裏道、広場、そして貴族街の一角でも確認されていマス」


報告者の男は場所を示した。

連れの女が指摘した。


「フィン、マリドワ広場は?」

「おおっと、私としたことが肝心の場所をお示ししておらズ。リヴァンさん、ご指摘ありがとうございマス」

 

右手を滑らかな動きで胸元から前方へ差し出し、宙を撫でた。同時に左手を後方へ引き、跪いたまま礼をする。

芝居がかっていようとも、指先まで神経が通った、実に堂にいった優雅な礼だ。

ただ、悲しいことにそれを受ける女はその仕草を一顧だにしなかった。


「マリドワ? 大聖堂のすぐそこではないか!」


もとより短気な面がある老人は、男の礼などどうでもいい。

少し悲しげな表情も演技に決まっているのに、相手にしてられんと、自分が聞きたいことを男に叩きつける。

男は肩をすくめた。


「そう、大聖堂から細い筋道を抜けたらすぐの大広場デス。嘆かわしいことに、一番症例が多いデスね。西地区にやや偏りがあると申しましタが、それもマリドワ広場を除くと、と前提条件がありマス」

「由々しき事態じゃ! なぜそれを真っ先に報告せぬか!」

「順を追ってご説明しますヨ」

「『私としたことが』とか言っておったじゃろうが!」

「さすがはガブリエルサマ様」


ニコニコと邪気の無さそうな笑みを浮かべる男に対して、心を許すものは同じ空間に一人もいなかった。

そしてもっとも容赦がなかったのは、連れの女だった。


「無駄口を叩くな」

「話が進みませんネェ」


辛辣な一言にも男は頓着せず、顔色を変えることもない。


「では、質問は後からとして、分かっていることを一息に話しマス。分布域を見るに、伝染性はないと思われマス。市場、大通り、広場など、いずれも人通りの多い区域で発生。シカシ、この広がりでは、とても自然発生的とは言いがたい。となると、意図的に誰かが撒いたという可能性が高いかと」

「撒いた?」


小さく呟いたのは、聖教主だった。


「はい、聖下。撒くあるいは拡散させた、が正確なところカモ知れません。霧のように、風に乗せたか、別の要素も加えたか。同じ空間にいたモノ、全てが発症するワケでもなく、どのような性質のものかは判然としまセンが」


説明する男は、指先で空をなぞるような動作をしながら、言葉を続ける。

その芝居がかった所作に老聖務長は顔をしかめたが、聖教主は沈黙を保っている。


「今のところ、香りや既知の薬剤反応は出ていまセン。発症し、正気に戻ったモノの証言を聞き取ってマスが、共通しているのはひとつダケ。直前に何かを感ジタ、と」

「何じゃ、その曖昧な話は」

「主観要素が多すぎて、客観性に欠けてマス。まだ情報の精度を上げる必要がありマスね。一月後には、もう少しマシな情報になっているでしょう」


一月後、と区切ったことによる意味を把握していないものはこの場にはいなかった。


「証の灯火の始まり、じゃな」

「さよう、教区を取り仕切るプラトたちが続々と王都へ集まりつつある。革命当時は主流派のルミナリアンが大勢だったことから、縛りの緩い誓紋と聞いてマス。ルミナリアンのプラトを破門にすると地方の教区は全て閉じざるを得なくなる。それユエの措置と」


一拍置いて、殊更にゆっくりと男は言葉を吐き出した。


「ルミナリアン派の逆襲、と見て概ね間違いないかと思いマス。となると、一月後の証の灯火に対して、何か仕掛けるための下準備かと」

「愚かな者どもが小細工を弄すか!」


激昂する老聖務長を前に、男はどこ吹く風で続ける。


「ルミナリアン派は、かつての仲間を見捨てるつもりはナイ、ということデスかね」


男のその発言に場の空気が揺らいだ。


「ルミナリアンの仕業とする根拠を述べよ。オルドゥスト」


静かに響いた聖教主の声によって。

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