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天はあまねくものを照らす  作者: 藍砂 しん


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10.大樹の目覚めと旅立ち

木の香りが強い。

木に抱きついて、深く吸い込んだときのような匂いで、アルは目を覚ました。


「ん?」


アルには寝ぼけ癖はない。

ないはずなのだが、まだ夢の中なのかと疑うような光景が広がっていた。


なんだ? これ?


ひどく寝心地の良い寝台は、根を極限まで柔らかく編み込んだもので、それがアルの体を支えていた。

そして、上空からは柔らかい陽射しが降り注いでいる。

それはいい。いや昨夜はこのような寝台で眠った覚えがないから、よくないのかもしれないが、それはいい。


しかし、その編み込まれた根は、なぜか巨大な木の枝に吊るされている。

つまり、アルは宙に浮いている。

そして、編み込まれた根は下で支えるだけではなく、上にもかぶさっている。

アルの重しにならないように、温かさを保つために絶妙な位置で。


つまり、すごく気を遣われている。


「ありがとう」


状況はよく分からないが、木肌に手を添えて礼を伝えると、さわさわと風が動いた。

葉が一枚ひらひらと舞い落ちてくる。

ちょうど、アルの手のひらの中に。

それが丸みを帯びて、器のような形状をしていた。

大きな葉だなと考えていると、根が動きそこへポタポタと雫を垂らす。

すぐに飲めるほどの透き通った水が溜まった。


目を丸くしたアルは破顔した。


「くれるの?」


また、風が動く。

遠慮なく飲んだ一杯は、まさに命の水と呼ぶに相応しい美味しさだった。


「おいしい!」


絶賛したアルの上から、掠れた笑い声が響いた。

見上げると、木の枝にちょこんと座る老婆がいる。

がっつり腰に枝を巻かれて、落下しないように支えられているようだ。


「おはようございます」

「ああ、おはよう。お主は呑気なもんじゃ。さすがに一夜で大樹が取り込んでくるとは、予想できなんだ」


老婆の言葉にアルは状況を把握した。


「ということは、ここは大樹の上?」

「そうなるな。わしの家ごと取り込むなど、末端が干からびつつあったにも関わらず、驚異的な回復じゃ。元々は己の枝から造られた家としてもな」


落ち着き払った声音は全く驚きを感じさせない。

老婆の手元にも、葉の器がある。

大樹は意外とまめまめしい。


「……………ッ……」


風に乗って、何か音が聞こえた。

老婆は面白がる響きを隠さなかった。


「小僧が死にそうな声を出しておるぞ」

「フェリクス?」

「いかにも」


ここが木の上として、地表から見るとどういう状況か、下を覗くのも躊躇ちゅうちょするほど遠くから声が聞こえる。

木肌に添えた手から、何かが伝わるような気がして、アルは長く細く息を吐いた。


目を伏せ、深く意識を沈める。

大樹の温もり、水の流れ、息づかい、それを己のものと合わせていくと、視界が急激に広がった。

鮮やかな緑が一面に見える。

一枚一枚の葉の先には、種々さまざまな生命のつながりが感じとれる。

意識は空を飛ぶ鳥のごとく。


ずいぶん下のほうに、フェリクスが見えた。

老婆の言う通り、必死の表情で近づこうとしている。

昨日も大樹に近づくことができなかったが、今日も難しいらしい。

大樹の下に行けば、フェリクスであればどれだけの高さであろうと、登ってこれるだろう。


そっと、ささやくようにアルは大樹へ伝えた。


「フェリクスといきたいんだ。エルデュランに」


アルに応えたのか、ぽこぽこと足元から、樹液のような液体が湧き出てきた。

それはあっという間にアルと老婆を包んだ。

目を丸くし、口に手を当てたものの、呼吸をすることに不自由はない。

ただし、何かを喋ろうとすると、口から泡が出てくる。

目に染みることはないが、景色は歪んでいる。

訳がわからなすぎて、笑い出したくなる。

少し離れた場所で、老婆もおもしろそうに笑顔になっていた。


ポンっと弾ける音がして、気がつくとアルと老婆は別々に宙に投げ出されていた。

広がる空が青い。

雲の切れ間から燦々と降り注ぐ光が、視界いっぱいに広がる大樹の葉を黄金色に染め上げている。


「…っ!」


反射的に身をすくめたが、すぐに気づいた。

樹液の球に包まれて、ふわりと浮いたまま、ゆっくりと下降している。

まるで見えない手が支えているかのようだ。


老婆も球の中で腕を組みながら落ちている。

愉快がっていることは一目瞭然で、中から指を動かして球体を突いている。


「……ルゥー」


下のほうから、今度は声が届いた。

まだ遠いが、あれはフェリクスの声だ。

下を向くと、フェリクスが手を広げて待っている。


ああ、あそこに行けばいいんだな、と認識すると、不思議とそこに落ちていく。

ちょうど、フェリクスの頭上まで降りてから、樹液の球は役割を失ったように割れた。

途端に自然な重みで落下し、フェリクスの腕の中で支えられた。

細身のフェリクスだが、思いのほかしっかりと受け止めてくれた。


「ありがとう。驚いた、ほんとにガスパルさんに鍛えられてたんだな」

「どこに驚いてんだよ。驚いたのはこっちの台詞だろ。昨日の今日でなんでこんなことになってんだよ」


呆れたように言うフェリクスの隣をすり抜けて、大男が老婆の元へ向かう。


「おばばさま、大丈夫か」

「大事ない」


杖をついてしっかり立つ老婆は上機嫌だ。

足元が危うければ保定しようと思っていたらしい男は安堵した表情を見せた。


「ねーねー、姫さま。どうだった? いーなーいーなぁ、アレすっごい楽しそーだったんだけど! オレもしたい!」


するすると音もなく隣にきた男が目を輝かせて大樹とアルを見ている。

そんなに期待を込めて見つめられても、返事は一択だ。


「無理」

「ええ! 即答!」


改めて見上げると、とんでもない巨木だ。

てっぺんが視認できない高さから降りてきたことに驚きと安堵が広がる。

フェリクスの声が届かないはずだった。

老婆も心底楽しんでいたが、森の一族はこの現象を自然なこととして受け止めているらしい。

大男が特に動揺した様子もなく、老婆の身なりを整えながら静かに尋ねた。


「おばばさま、これは大樹に選ばれたということか?」

「選ばれたかどうかは知らぬ。しかし、大いに歓迎されたのは間違いなかろう」


なにせ、己の中に囲い込む気だった、と傍らの大男にしか聞こえぬ声で呟いた。

顔色を変える男に、老婆は口の端を上げる。


「こんな養分にもならぬババごと閉じ込めるとは、よほど飢えていたのじゃ。大樹の甘えが尋常ではないわい」


地面を確かめるように軽く杖をつき、一歩踏み出すことすら楽しそうな老婆は、とても己ごと取り込まれる寸前だったように思えない。


「歓迎って、これがかよ」


頬を引き攣らせているフェリクスの気持ちは分かる。分かりすぎる。

いきなり樹液の球に包まれ、あんな高さから落とされることが歓迎だというのなら、森の一族の感覚は自分たちとは違いすぎる。

しかし、アルも直感で、大樹が自分を歓迎してくれたことは理解していた。

だから、口にするとこうなった。


「ありがとう。ずいぶん待ってくれていたようだ」


黄金に照らされる葉の輝きが増したように感じる。


「あー、姫さま。思ったことをそのまま言うのは、危険もあるんじゃない?」

「あんたもな」


細目の男に指摘するフェリクスの言は実に的を得ていた。

喜んじゃってるよねえ、と無駄口を叩く男には当然のように葉が舞い落ちた。

葉といっても、一枚の大きさが尋常ではない。

それなりの質量で落ちてきたが、まったくかまう様子はない。

幼子のように葉を頭に乗せて頭巾の代わりにしている。


「ずいぶん、ゼスのやつ、はしゃいでいるな」

「さもあらん。大樹の衰えを案じる気持ちは一族すべてに通ずる。ここの場に招かれぬ一族末端まで感ずるものがあろう。久方ぶりの朝の透き通る晴れ間じゃ。天も寿いでおる」


大樹の衰えは森の衰え。

森の一族にとっては、母なるヴェルンの健やかなることは至上命題である。

奔放な性質のゼスにとっても。

ルガと老婆の、若手を見る目は優しさを含んでいる。


「あー楽しみ! 姫さまと一緒なら、これからもいっぱいいろんなことが起こるんだろうなあ。退屈する間もなさそー」

「それは保証できる」

「あ、やっぱり? フェリクス、またこれまでの楽しい話も聞かせてよ」

「主にオレの苦労話しかない」

「サイコーじゃん」


なぜか急速に仲を深めているように見える男ふたりだが、アルにとって旅の仲間は空気が良いに越したことはない。

多少の不本意さは飲み込むつもりだ。


「ゼス」


老婆を取り巻く空気が、ズッと重みを増した。

それを感じたのか、声をかけられた男はすうっと老婆の足元に膝をつき、首をたれた。

老婆の視線は跪く男に向けられているようで、また遠くを見ているようでもある。


「森の血を引くものよ。

根の声を聞き、葉のささやきを知るものよ。

なんじは森の盾、命の盾。

汝の矢は迷いなき誓いを宿すもの。


星詠みの子と共にあれ。

天灯の子と共に歩め。


大樹は見ておる。

森は常に側にある。


行くがよい、ゼス。

我らの誇りと共に」


老婆の旅立つ一族への祝詞のりとを受け止め、ゼスは一段と深く頭を下げた。

ルガが老婆へ向け、両の手のひらに乗せて差し出したのは、表面に蔦のような紋様が浮かぶ弓である。


「ッ、それは!」


常の軽い調子からは想像できないほど、ゼスの声に驚きの色が混じっている。

弾けるように、ルガを見た。


その手の中にある弓は、本来ならば“次代のため”に大樹が与えたはずのもの。

すでに森の護りの一族の次代は、大樹の意を汲んだ上でルガに決まっている。

その緑還の弓を預ける許しを得るため、大樹と向き合う。

大樹に心を寄せる一族が、それを為すことに心理的な抵抗を覚えないはずがない。

葛藤を見せない大柄な男は、ゼスの驚きも意に介さず、老婆は男が捧げ持つ弓を手に取る。


「緑還の弓をお主に託す。

真の使い手がつがえれば、矢が自ずと出る。

心を澄ませ、森の声に従え。

さすれば、矢はお主の想いに応え、また還る」


震えそうな手で、ゼスは老婆からその弓を受け取った。

途端に弓自身から緑の光が柔らかく放たれた。

それは一瞬のことで、すぐに光は収まった。


老婆の隣に立つ男が、落ち着いた様子で補足した。


「星詠みの一族と共にお前が発つことを大樹も望んでいるんだろう」

「……すごい親切で、いっつもガミガミ怒ってくるルガじゃないみたいなんだけど……別人?」

「ふざけるな!! お前の態度で、叱責せずに済むことのほうが難しいだろう!」

「いやー、おれにあれだけ嬉々として絡んでくるから、怒るのが趣味なのか、おれのこと好きなのかなーって思ってた」

「愚か者が!」


減らず口を叩くゼスだが、その割には柔らかい眼差しだ。

ゼスに悟られまいとしているルガの不器用な優しさに気づいているのだろう。

ルガは叱責しながらも、手を出そうともしない。


「まあ、あんたとおばばだけだよ、おれに色々かまってくるのはね」


ルガが言葉に詰まる。

だが、すぐに気を取り直して、立ち上がる細身の男に対しての言葉を繋げた。


「分かってやれ。母が森の護りの一族とはいえ直系ではなく、父がわからぬままのお前が大樹にここまで近づけることが、畏怖と疑心を生む。分からないものには、誰しも近寄りがたい」


公然の話なのであろうが、突然に事情をぶち込んでこられると、多少の居心地の悪さを覚えるアルだった。隣のフェリクスも身じろぎをしているところを見ると、同感のようだ。

くるんと、ゼスが振り返った。


「こんな出自の知れないおれだけど、一緒に行っても大丈夫かな?」


瞠目する。

何を急に、と思ったものの、返事は一つだ。


「何も問題ない」

「こっちも二人とも出自は不明だ」


そもそも孤児院の出で、出自が分かっているものなのど存在するのか? と言いたい。

ここにきて、何やら旧王家だの天灯の一族だの、得体の知れなさでいえば二人のほうがよほど怪しい。


簡潔明瞭な結論に破顔するゼスに、老婆はひとつ頷いた。


「煩わしいこともあるが、根は悪いやつではない。お主らの役に立つことも多かろう」

「おばば、煩わしいってなに?」

「試し行動にルガを巻き込んで、双方に甘えるところじゃ」


老婆の指摘に悪びれることもなく、肩をすくめるゼスに、またルガが吠えた。


「珍しく殊勝なことを言うと思いきや、それも見せかけか!」

「いや、ルガよ。あれはあれで本心じゃ。

お主の実直な人の好さに救われてきたことへの礼のつもりじゃろう」

「おばば、何でもかんでもさらさないでよ」


ゼスの少し焦った物言いに、大男も真実を感じ取ったのだろう、矛先を収めることにしたようだ。


「……まあいい。ゼス」

「……なんだよ」

「必ず戻ってこい」


真面目にとつとつと言う男は、ゼスを真っ直ぐに見ていた。

それは力の抜けた自然な物言いだった。

ゼスはその言葉の裏に、弓を預けるための“覚悟”と“信頼”があったことを悟る。


戻ってこい。弓と共にではなく、お前自身として。


「いつでもいい。誰のためでもない。自分の足で、帰ってくるんだ。その放たれる矢のように。お前が最後に帰ってくる拠り所は森だ」

「……了解」


ゼスは持ち主(ルガ)から預かった弓を軽く掲げてみせた。

まるで、約束の印であるかのように、柔らかな陽光が木漏れ日となって弓を照らした。


「さて、子らよ」


老婆の声が静かに響く。


なんじらに、森の護りと祝福を。そして、祈りを。

──行っておいで」

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