悪役令嬢は前世の記憶を取り戻す-こんな国壊してしまえ-
ベアトリーチェという少女がいた。
公爵家の娘として生まれた彼女は、しかし孤独だった。
「お父様、お母様、今日は先生のテストで百点を取りました!」
「だからなんだ、私たちは忙しい。邪魔をするな」
「それよりもベルナルド、今日もとっても頑張ったそうね。期待しているわよ」
「はい、父上、母上」
両親は忙しく、また跡取りである兄のみに執着していた。
兄は捨て置かれた妹を気にかける間もなく、勉強に勤しむ日々を送っていた。
使用人たちはベアトリーチェに対して義務的に接するのみ。
「…寂しい、ですわ」
ベアトリーチェは、恵まれた環境にいた。
最高の衣食住、欲しいものはなんでも手に入る。
「フレンチトーストが食べたいですわ!」
「はい、お嬢様」
「あの宝石が欲しいですわ」
「はい、お嬢様」
「…なんだか、虚しいですわ」
教育だって最高の環境で受けられた。
「先生、わたくしって他の子と比べてどうかしら」
「もちろん非常に優秀ですよ」
「そう…そうね、ありがたいことだわ。先生、ありがとうございます」
「仕事ですから」
けれど、愛情だけは誰からも受け取れなかった。
「…ベアトリーチェ様も可哀想なお方だ」
「幼い頃からあんなに冷遇されるなんて」
「冷遇と言っても、ネグレクト気味なだけだろう」
「それこそが幼い子にとっては辛いことでしょうに」
使用人たちのこそこそ話を偶然聞いてしまい、ベアトリーチェはその場に蹲った。
「…わたくし、なにがいけないのかしら」
自分に原因があるのか。
―わからない。
他者に原因があるのか。
―わからない。
でも、他者に原因があるのなら…その時は。
ベアトリーチェは、とある日に全てを思い出した。
それは、婚約者である王太子との初対面の時。
王太子の顔を見て、前世の記憶を取り戻した。
―ああ、そうだ。
ここは乙女ゲームの世界。
わたくしは、悪役令嬢。
どう頑張っても誰からも愛されない、創造主である「作者」から「悪い子」を押し付けられた、嫌われ者。
ベアトリーチェは、その場で昏倒した。
ベアトリーチェが目を覚ますと、自室のベッドの上だった。
ベアトリーチェは悩む。
悪役令嬢として定められた「わたくし」の取るべき行動。
悪役令嬢としての道を進む。
―却下。わたくしは幸せになりたい。
悪役令嬢を回避する。
―却下。運命力なるものが働いたらそこで終わり。
なら選べる道は?
―一か八かの大勝負、くらいかしら。
「…わたくしは、この国を壊す」
それでも、そこまでしても運命力が働くならそれまで。
いい子ちゃんを演じて運命力に絡め取られるより、わたくしはわたくしの好きに生きて…それでも運命力に囚われるなら諦めもつく。
ベアトリーチェは「作者」の望む悪い子ではなく、「自分らしい」悪い子になってやろうと決めた。
ベアトリーチェは公爵家の娘だ。
お金は腐るほどあった。
ベアトリーチェは有り余る「お小遣い」を使って、貧民を救済した。
自領他領問わず、スラム街の棄民たちをベアトリーチェが事前に用意した施設に入れた。
施設はとても広く、清潔で、管理が行き届いている。
そこでベアトリーチェは棄民たちに衣食住と教育を与えた。
そして十分「育ち切った」棄民たちを次々と「宮廷」の「官僚」あるいは「軍人」として送り込んだ。
十分な教育を受けた「元棄民」たちにとっては、文官として、あるいは軍人として宮廷に潜り込むなど朝飯前だ。
そして、その「官僚」「軍人」たちは皆自分たちを救ってくれたベアトリーチェに忠誠を誓っている。
ベアトリーチェは宮廷の政に口を挟める影の権力者となった。
「ベアトリーチェ様は本当に慈悲深い方だ」
「我々も報いなければ」
「ベアトリーチェ様のためにも、文官として頑張るぞ」
「俺も軍人として活躍して、ベアトリーチェ様の名前を宣伝する!」
「…やる気は十分ね。あと、忠誠心も」
こっそり彼らの様子を伺っていたベアトリーチェは、安堵のため息を漏らす。
まあ、そこまで宮廷に取り入るまでに十二歳になってしまったのだが…むしろ予定よりは早い方だ。
「いい感じにわたくしの勢力が力を増していますわね」
その間にベアトリーチェは美しく育った。
「ねえ、そこのメイド」
「は、はい!」
「わたくしって…人並み程度には綺麗かしら」
「は、はい…いえ、いいえ!それで人並みなら私はゴリラです!ベアトリーチェ様は本当にお美しいです!」
「あらそう、ありがとう」
そして前世の知識チートをこれでもかと駆使して結果的に「優秀な子」だと王太子妃教育を行う先生に太鼓判を押された。
「ベアトリーチェ様の物覚えは早くて助かりますね」
(まあ、知識チートで授業の内容は大体既に身に付いていたしね)
「先生のおかげですわ」
「さすがベアトリーチェ様、これ以上ない素晴らしい王太子妃になられることでしょう」
「それは…ええ、善処しますわ」
そして、さまざまな魔道具を知識チートで生み出した。
物の仕組みなんてわからなくていい。
ただ魔道具として、魔法で再現できればそれでいい。
ベアトリーチェは冷蔵庫や自動掃除ロボットなど、さまざまな家電を魔道具として生み出した。
そして国内外問わず適正価格で売り捌いた。
「ああ、お金が湯水のように湧いてきますわ」
結果、ベアトリーチェは「公爵家」の総資産以上の「個人資産」を手にした。
もちろん、自分で一から百まで行ったことなので公爵家への分前はない。
だが、誰もそれに文句は言えなかった。
「…父上、母上、妹は想定外に優秀に育ちましたね」
「そうね…でもうちの跡取りは貴方よ」
「わかっています。ただ、妹には注意していた方が良いのでは?」
「大丈夫よ、心配ないわ」
「あの子に限って私たちを裏切りはしない。なぜなら親の愛に飢えた子だからな」
その判断は、甘かったとしか言いようがない。
王太子殿下との仲は、良くも悪くもなかった。
ただ、いつかこの国を壊すつもりでいるので仲良くならずとも問題ない。
「…お前」
「はい」
「最近魔道具の開発で調子に乗ってるみたいだな」
「……ああ、ええ、まあ」
「なんだその返答は。バカにしてるのか?俺だってやろうと思えばお前のように活躍できたはずなんだ。もっと俺を立てろ」
もっと俺を立てろ…つまり手柄と収益をすべて王太子殿下に寄越せというのね。
―つまらない男。
「それは出来ません」
「なぜだ」
「やがて必要になることだからです」
この国を壊すのに必要なことだ。
手柄と収益は、いずれ必要になる。
「…ちっ、つまらない女だな」
「……」
あらいけない。
危うく貴方の方がつまらない男だと言いそうになってしまったわ。
にっこり笑って、適当なところでお開きにしてその場を立ち去った。
十八歳になった。
わたくしは今、監獄塔にいる。
ヒロインを虐めたという「濡れ衣」で、つまり聖女を虐げた罪で。
ここで濡れ衣というのがポイントだ。
わたくしはヒロインに、聖女に何もしていない。
なのに嵌められた。
おそらくあの聖女、転生者だな。
そして今、外は大変だ。
わたくしに忠誠を誓う文官たちがストライキを起こして、宮廷の政は全ての機能が停止した。
さらにわたくしに忠誠を誓う軍人たちが宮廷に反旗を翻した。
次々に開発したわたくしの魔道具を愛用する他の貴族たちが、王太子派から第二王子派に流れた。
さらにわたくしの魔道具を愛用する他国の王族も、わたくしへのこの罰に対して「遺憾の意」を表明した。
わたくしという婚約者を裏切り、聖女と堂々と浮気していた王太子殿下を非難する声も平民たちから上がっている…これはスラム街の治安の悪さを改善したわたくしへのせめてもの恩返しらしい。
ということで、国王陛下も頭を抱えた。
そして今日、わたくしはとうとう監獄塔から釈放された。
「うーん、シャバの空気は美味しい!」
公爵家に戻って新聞を読むと、早速おもしろいことになっていた。
王太子殿下は廃嫡され、今は流刑に処されている。
見ず知らずの寂れた田舎で一人寂しく生きるしかない。
―ざまぁみろ。
「さて、聖女は…」
聖女は、教会の奥に押し込められたらしい。
そこで、永遠にあらゆる良い加護を国内に与えることを誓約魔法で義務付けられたらしい。
誓約魔法は破ると死ぬ。
死ぬまで監禁されて民のために祈るか、それを破って早々に死ぬか。
―やはり、ざまぁみろと思う。
けれどこれで終わらない。
暴走した文官たちと軍人たちは「民主主義」を掲げ始めた。
もちろんそれが実を結んだ暁には、わたくしを新たな国家元首にするつもりで。
わたくしの魔道具を愛用する貴族たちも、さすがに「民主主義」には異を唱えた。
平民たちは「民主主義」を推した。
結果、文官たちや軍人たち、平民たちの軍勢vs王家と貴族の戦いが始まった。
わたくしは文官たちに保護されて安全な土地に隠された。
わたくしの家族はまあ、処罰対象でしょうね。
内乱は、結局は文官たちと軍人たちと平民たちの勝ちに終わった。
王族や貴族は順に処罰された。
わたくしの家族も。
ただ、わたくしだけは許された。
文官たちや軍人たちのおかげだ。
「ベアトリーチェ様を処刑などとんでもない!」
「我々はそのようなことは致しません!」
「むしろ止める側に入ります!」
「あらあら。うふふ、ありがとう」
当初のわたくしの目的通り、国は壊せた。
まあただ、その後国家元首にと任命されてしまったので今度は仕事で大変になったが。
「お嬢様、ご無理はなさらないよう」
「ありがとう、シン」
シンはわたくしの手駒の文官の一人で、一番信頼できるから国家元首としての仕事をサポートさせている。
「それにしても、わたくしってば十八歳で国家元首ってなかなかね」
「さすがはお嬢様です」
さて、これで脅威は無くなった。
悪役令嬢を罰するヒーローもヒロインももういない。
わたくしは運命に打ち勝った。
ならば…一度壊してしまった国を責任を取って立て直すのは義務として引き受けるけど。
それ以外は、自由だ。
「ねえ、シン」
「はい、お嬢様」
「わたくしたち、結婚しない?」
「…はい?」
「もう身分制度はなくなったし、いいじゃない」
シンは目が点になる。
「いえ、あの、その」
「シンはわたくしが嫌い?」
「いえ、むしろ愛しておりますが」
さらっとこういうことを言うのがこの男だ。
だから信頼できるし好きなのだけど。
「ねえ、お願いよ。わたくしには貴方以上に相応しい人はいないわ」
「それは光栄ですが…私でいいのですか?」
「うん!」
「………謹んでお受け致します」
ということで、わたくしは晴れて「国を壊す」という目的を達成して、「悪役令嬢」も卒業して、「幸せなお嫁さん」と「国家元首」を兼任することになった。