清らかな少女
エントランスに大荷物を一旦おろしたルイカを見る。わたしが少し持とうと持ちかけたけど、断られた。
両手と背中に結構すごい量の荷物を抱えていたのだけど。袋が角ばっていたから本なのかな。勉強熱心だ。往復して持っていけばいいのに、とも言ったけどそれは面倒だと言われた。きっちりしていそうだけど、意外に面倒くさがりなのかもしれない。
小柄な彼がそんなびっくりするような量をなんとかここまで持ってこれたのは、彼の得意とする魔術のおかげだそう。
一時的に筋力を強化して、持ち上げられるようにして……それでもここに来る前も今もぜえぜえ言っているから、術がいくつか足りなかったような気がする。
「おつかれさま。部屋までは手伝うよ。階段があるから危ないし」
まだ冷たい風の中運動をしたせいで、赤くなっている頬をこすりながらルイカがわたしを見る。首を振られた。
「だめ。怪我したらわたしを守れないよ?」
呆れたような目を向けられる。
「僕なんかを当てにするより兵士とか騎士とかを頼れって。そもそも首都にいる限り、変な道通らなきゃそんな事態には遭遇しない」
表情を変えずに彼は言った。確かに正論だけど、なんだか寂しい。
「でも、わたしは君が守ってくれる方が嬉しいな」
やっぱり、”自分を守ってくれる人”が建前であっても存在するのなら、と思って伝えたのとほとんど同時に、彼の手から大きめの辞書が滑り落ちて鈍い音とともに足に落ちた。ぐう、と痛そうなうめき声が聞こえる。
「あ、大丈夫!? 重いね……痛かったでしょ?」
ルイカの落とした本を拾う。想像よりだいぶ重い。こんなに重いなら本当に怪我をしてしまっているかもしれない。
ルイカは地面に片膝をついて足の甲をさすっていた。意味がないかもしれないけど、わたしもしゃがんで一緒にさすってみる。数回さすっただけですぐに足の甲を手で隠された。
「いいから。大丈夫」
慌てて手を離すと彼は立ち上がる。本当に大丈夫なのか、じっと見上げた。
「そろそろいらっしゃると思っていました」
柔らかくて落ち着いた声が聞こえる。立ち上がって声の出所である少女を見た。
「……えっと?」
蜂蜜のような深くて甘い色。長くて少しウェーブがかった髪の、大人びていて柔らかな笑みを浮かべるきれいな女の子がいつの間にか立っていた。薄い青色の瞳はどこか神聖さを感じさせる。
本でバタバタしていて近くまで来ても気づかなかったみたい。それか、気配を消すのが上手なのか。
「”予言の侍女”?」
ルイカが彼女に問いかける。彼女は頷いた。そうか、”予言の侍女”。わたしとそんなに年が変わらなそうな子がここにいたら、”女神の侍女”か守護魔術師しかいないよね。
「はい。セラ……そうですね、セラです。お二人ともお名前は伺っています。どうかしら、私の予言は?」
セラと名乗るときに多少の間があった。何を言いかけたのだろう。取り繕うこともなく顎に指を沿わせてセラは言った。
「どういうことだ?」
ルイカが小さく首を傾げる。セラは微笑んだ。私と同い年のはずなのにとても落ち着いているな。
「予言に基づいてこの代の守護魔術師は選ばれたのですよ。女神から授かった予言とはいえ、これでいいのかと私は多少疑いの目を向けてしまいますが」
ルイカと顔を見合わせる。セラと彼女の守護魔術師の相性が悪かったのかな。
「ティトラス・パレーが守護魔術師なのか?」
ティトラス・パレー。当然聞いたことがない名前だ。どうしてルイカが知っているのだろう。
「どうしてわかるの?」
セラを見ていた目がほんの少しの顔の動きを伴ってわたしの方を向く。
「神殿の職員が会いに来てから姿を見ていないって噂になってる」
なるほど、シンプルな理由だ。ティトラスさんってどんな人なんだろう。
「ティトラスさんってどんな人なの?」
一緒に暮らすことになるから、うまくやっていけそうな人だといいな。
「代々王立魔術騎士団の団長を務めているパレー家の長男で、すでに卒業後は魔術騎士団への入団も決定している」
すごい人だ。魔術騎士団がなにかはわからないけど、すごいことはわかる。……自分でもなんだかあまり頭が良くない感想だと思った。
「えっと、性格とか、雰囲気とか……そんなのは知らないよね?」
ルイカがえっ、と驚いたような声を上げた。想定外の質問だったのかな。
「あー……悪いやつじゃないとは思う。でも僕よりも女子に聞いたほうが知ってるんじゃないか」
明らかに視線を外しながら言葉を慎重に選んでいるのがわかる。彼の言葉でなんとなくティトラスさんの学校での立ち位置を察した。あまり男の子には人気がなさそうな気がする。
「俺がどうしたんだ?」
爽やかできりっとした声が聞こえた。薄い茶色の髪をした彼がティトラスさんだろうか。そうなら女の子の間で人気があるのもうなずけてしまった。
身長は高く、すらっとしたシルエットなのに確かに鍛えているのが伝わってきて、おまけに整った顔をしている。
身体的な魅力だけでそうなのだから、それ以外の魅力的な部分が積み重なればもう、とっても人気者だろう。もっと俗な言い方をすれば”もてる”のだと思う。
そんなことを考えていたらルイカに見られているのに気づいた。呆れているような、あまり歓迎されていないような目。
「ティトラスさんですか?」
彼については気にしないことにして、おそらくティトラスさんであろう男の人に話しかける。
「そうだ。ティトラスだよ。はじめまして」
爽やかな薄いほほえみを向けられて、なんて言おう、わたしの女の子の部分が騒いでいる気がする。ルイカのため息が、多分すぐそばにいるわたしだけに聞こえた。
少しわざとらしい響きに、この気持ちを咎められているようで少しだけふわふわしていた気持ちがべたっと地面に落ちる。
「あ、えと、リティです。今日からよろしくお願いします」
浮ついた気持ちが落ち着くにつれて、緊張してきた。彼の社会的な立場であったり、彼自身の余裕があって堂々とした雰囲気だったり、魅力的だと評されるような容姿であったり。表情や声から、怖い人ではなさそうだけど。
「綺麗な響きの名前だ。よろしく」
ティトラスさんの淡い緑の瞳が細められる。わたし自身のようで、でもわたしによるものではないとはいえ、想定外のところで褒められてしまって思わず自分の頬に手を当てて熱を確かめた。
「あなたがリティの守護魔術師か。学校で何度か見かけたよ」
ルイカが声をかけられて驚いているような表情を見せる。一瞬少しだけ眉毛が下がった。
「あー……ルイカ・グルシユ。二年の」
ティトラスさんが小さな声で「おお」と言った。何だろう。
「ああ、やはりそうか。何度かお会いしたことがあるが、メートリカさんによく似ている」
ティトラスさんが来てからずっと微妙な顔をしっぱなしだ。何か因縁でもあるのかなと思ったけど、初対面なようだし。こめかみまで押さえ始めた。
「姉が世話に……」
なんだか知り合いというか、魔術師と言うか。そんな感じの共通点を持つもの同士の会話になってきた。
「リティ、あなたの守護魔術師は誠実そうな方で良かったですね」
なんだか違和感。裏に何かしらの感情があるような。もしかしてセラとティトラスさんはあまり相性が良くない? 聞くのはもちろんやめておく。
「玄関で立ち話をさせてしまったな。俺も荷物を持って上がるのを手伝うよ」
ルイカがおそらく止めようと手を伸ばすよりも先に、気にするなと笑いながらティトラスさんは軽々と荷物を持ち上げた。それをルイカはじっと見ている。
「ああ、触らないほうが良かったか? すまない」
「……いや、助かります。ありがとう」
首を軽く振ってから彼も袋に入った荷物を肩にかけていた。わたしもなんとか持てそうなものをいくつか抱える。
「リティも」
大したことじゃないよと小さくうなずく。本当は手で示したかったけど、両手がふさがっているから無理だ。
「二人とも重いだろう。先に上がっていてくれ」
ルイカは控えめに頷いて、階段に足をかけようとする。結局上がらずに降りて、わたしを見た。
「リティが先に上がったほうがいい。僕のほうが重いものを持っているから」
「そうだね、わかった」
さっと避けてくれたルイカの横を通って階段を上がる。思っているより幅が広くて一段一段が低い。作りもしっかりしていて、安心できる階段だ。中央を囲むように三方に並んだドアの、二番目に階段から遠い部屋。それがわたしたちの部屋だろう。