祭りの前に
春と初夏の間と言っても、朝晩はまだ冷え込む。上着を羽織ってルイカと二人並んで歩いていた。皆で行くと目立つからという理由で。
あたりを見渡すと軒下で商品を並べているお店や、花のリースを玄関に飾っている家がたくさんある。街灯一つ一つにすらツタと花が巻き付けられていた。燃えないのだろうかと心配になりつつ浮かれた街を歩く。まだ人はまばらだけど、中央広場に向かうにつれて確実に混んでいく。子供がわたしに駆け寄ってきた。
「”侍女”のお姉ちゃん! ねえねえ、ぼくにだけ一足早くお菓子くれない?」
ぱりっとしたシャツにサスペンダーのついたズボン。皺ひとつない服からはいつもよりもおしゃれをしていることが伺える。ちょっとしたざわめきと同時に周りから急に視線を向けられた。一応普段着で来たのに、この男の子はどこで気づいたんだろう。
「え、えっと……」
うまく断り切れず、男の子と見つめ合う。どちらにしても難しい状況だ。そもそも、まだ配るお菓子を持っていない。
「……姉さん、早く行こう。母さんたちが待ってる」
「え? あ、うん。ごめんね?」
急いで先を行くルイカについていく。男の子は首をかしげていた。嘘をついてしまってちょっと申し訳ない気持ちがあるけど、これが仕方ないことだというのは分かる。変に期待させても悪いし、周りの人もわたしが”侍女”だって気づいてしまうから。
魔術学校の皆や神殿の皆にとっては”侍女”は最初の頃は物珍しい存在であったけど今は日常の一部になっている。けれど街の人たちにとってはそうではないことに改めて気づいた。恭しく接せられるような立場ではなくて、娘だったり、姉妹だったり、はたまた”憧れの女の子”であったり、そんな身近で気楽な立ち位置ではあるのだけど。きっと高貴な人として扱われていたらわたしは重圧でつぶれていたから、今のように接してもらえるのはありがたい。
「姉さん?」
建物の陰に入り込んでようやくひと段落着いた。そうなると気になるのがさっきの”姉さん”だ。彼から姉だといわれるのはなんだかくすぐったい気持ちもあるけど、いったい何のつもりだったのだろう。
「”リティ”だったら名前知ってる人がいたとき言い逃れできないだろ」
それはそうなのだけど。
「お姉ちゃんはちょっと恥ずかしい、かも……」
むっとした表情になった。ちょっと怒らせちゃったかな。
「僕が一番恥ずかしいけど」
「そ、そうだよね」
彼の言うことはもっともだ。人前で彼のことを”お兄ちゃん”と呼ぶのはきっとわたしでも照れてしまう。でも、ちょっと憧れるかも。そんなことを思いながら、会話を切り上げてまた二人黙ったまま歩き出す。
祭りが始まってから開店する予定なのか、家やお店の出入り口をよけて道の端いっぱいに並んでいるお店はばたばたと準備を進めていた。良い匂いのする大なべをかき混ぜている人もいる。食べたいな。飲食店の通りなのかな。いい匂いと甘い匂いでいっぱいの、幸せな空間になっていた。自由時間はここにも行ってみよう。
「少し遠回りになってしまうけど、時間は?」
通りの様子に気を取られていたらルイカの声がした。そうだとはっとする。ここは多分数回しか通ったことのない道で、土地勘がないのだけど、彼が言うならきっとそうなのだろう。ルイカの腕時計を覗き込んだ。集合時間まであと少し。間に合うかな。
「また時計忘れたのか」
体を嫌そうにぐーっと遠ざけてルイカは言う。そこまで嫌そうにされてしまうと、ちょっと申し訳ない。
「ご、ごめんなさい」
着けなれていないのか、よく時計を忘れてしまう。せっかく気に入ったデザインのものだったのに、活躍させてあげられていない。レースのような細工の銀と革が組み合わさったベルトと淡い水色のフレーム、真っ白な文字盤。そもそも女性用の腕時計の選択肢が少ない中見つけた、とっても可愛い腕時計だ。
「まあ、僕はいいけど。良い物なんだから使わないともったいないからな」
はーいと返事をする。彼の言う通りだ。今度からは気を付けよう。……多分、これからも何回も忘れちゃうだろうけど。
「早く行こう。待たせちゃいけない」
ルイカが先に歩き出す。わたしもそれについていった。集合時間まであと少し、集合してから着替えて、それからわたしたちの春祭りは始まる。
春祭り。冬を越えて豊穣の女神様を讃えると同時に、春の訪れを祝うお祭り。春が訪れるのは季節と旅の神様、女神様の最後の夫でもある彼のおかげでもあるから、神様に対しても感謝の気持ちを捧げることになっている。とりあえずはこれだけ覚えておけばいいと祭司長様が言っていた。
神様たちの系譜や関係性、役割は難しくてなかなか頭に入ってこないけど、いつもおばあさんの祭司様が優しく教えてくれるから嫌いじゃない。”侍女”はやることだけやってくれるなら信心深いことを求めていないとのことだけど、せっかくなら女神様たちのことを知ってみたい気持ちがある。
そんなこんなで”侍女”の今日のお仕事はクッキーとお酒を来てくれた街の人たちに配ること。大人の人にはクッキーとお酒、子供にはちゃんとお菓子だけ。どちらもハーブがたっぷり入っている。
お酒は昔から女神様に捧げるお酒も醸造しているところで作られて、祭司様たちの手によってハーブを漬けているのだけど、クッキーはわたしたち”侍女”が頑張って作った。思ったよりもうまくいって、失敗作はなんとゼロ。……わたしはほとんど下準備や後片付けをしていたから、あまり生地には触れていないのだけど。
そのあと包装して、女神像に捧げたあとお祈りして、そうしてできたクッキーを今日皆に配る。緊張するな。一度にたくさんの人と言葉を交わすのなんて初めてかも。学校の初日も興味深そうに見てくる学生が多かったけど、きっと気を遣ってくれてそこまで話しかけられなかった。
「クッキーの余りってもらえないんだろうか」
歩きながらぼんやりこれからのことを整理していると、突然ルイカが何かを思い出したかのように言い出した。
「え?」
「……あー、姉さんが神殿のお菓子だけは好きだって」
なるほど、”侍女”がいない年もきっとお菓子を配っていたのだろう。それでトリカさんは神殿の人たちが作ったお菓子の味を知っているんだ。それに、寄付の名目でお菓子や日用品といったいろいろな商品を売ってもいるし、そのこともあるのかも。……魔術師組合と神殿の間の確執のようなものはに気づかないふりをして。学校の先生たちには組合員の人が多く、もちろん神殿の職員さんや祭司様たちのこともよく知っているけど、わたしはどちらも好きだ。
「余らないよ?」
「知ってるって」
当然無くなるまで配るし、首都の人一人一人にいきわたる量のクッキーはさすがに用意できない。職員さんによると毎年早いうちに全部なくなってしまうそう。
「ね、今度わたしが作ってみようか?」
驚いた顔でわたしに視線を合わせる。そこまで驚かれることでもないと思う。
「作れるのか?」
作れるのかと言われたらしょうじきちょっと自信はないけど、レシピを見れば大丈夫だと思う。家のオーブンは魔術で温度調整ができるし。あとは材料を量って混ぜるだけ。なるほど、わたしたちがクッキーづくりを失敗しなかったわけだ。慎重に重さを量ることさえできれば……。
「た、たぶん?」
ルイカは不安そうな顔になった。「ほとんど材料には触っていないけど、隣で見ていたから大丈夫」なのだと安心させようとしたけど、それを言ったとたん余計に彼は不安を強めたようだった。