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女神といえば

 してはいけないことだと知りながらしてしまった。後悔しているけど安心している。純白の花畑の中でぼんやりと見たあのきれいな女の人は、そんな横顔をしていた。

「お母さん」と口が勝手に彼女を呼ぶ。透ける位軽い羽衣を翻して、女の人はわたしを見た。


 ——目を開ける。あの夢は何だったのだろう。結局、あの人が最後にどんな表情でわたしを見ていたのか思い出せなかった。

 数日間起き上がっていなかったのではないかと思うくらいだるい体を起こすと、親しみやすい雰囲気の部屋が最初に目に入った。果物を図形にしたような模様が刻まれている、少しピンクや茶色の入った石壁、柔らかい色の布、甘い花の香り。温度も、丁度いいと感じる。

 大きく息を吸って状況を整理しようとした。わたしは、誰なのだろう。名前は分かる。”リティ”。そばの鏡に写った、薄いベージュ色の長い髪、それよりも茶色がかった瞳。あまりご飯を食べられていなかったのかなと思うような体つき。理由はわからなくてもそれらが全部わたしのものだということも。でも、それ以外は。

 声を出してみる。自分の名前も口にできた。それに、わたしが寝かされているのはベッド。寝るときに使うものだと分かっていた。

 どうやら、すべて忘れているわけではないみたい。忘れているのは”過去”そのものだけだった。親、あるいは親代わりの人の記憶も一切ない。彼らがいないと生きていけなかったはずなのは分かるのに。

 それでもパニックになることは無く、不思議と心は落ち着いていた。信じられないというよりは、出所のわからない「うん、そうだよね」という納得した気持ちがある。

 ノックが聞こえた。とっさに掛けられていた布団に隠れる。ノックをしてくれるのだから、きっと悪いことをしようとしているわけではないとは分かっているけど、それでもこの状況になると怖いと思ってしまう。


「リティさん?」


 柔らかい女の人の声がした。恐る恐る布団から顔を出す。淡い黄色のくるぶし丈のワンピースを身にまとった優しそうな中年の女の人が目の前にいた。


「あ、えっと……」


 彼女はしゃがんでわたしを見上げる。その仕草で子供の相手には慣れていそうだと思った。


「何かお困りでしょうか?」


 どうしよう、何から聞いてみようか。ここはどこだろう。わたしはどうしてここにいるのだろう。これからどうすればいいのだろう。聞きたいことが多すぎて困ってしまう。


「……ここはどこで、わたしは何者で、これから何が起こるのかを教えてほしいです」


 女の人は当然の質問です、と前置いて木製の脚に丸いクッションの乗った丸椅子を持ってくる。これもふわふわした色遣いだ。……この状況にしては不思議に思うほど少ないものの、やっぱり恐怖心がある。


「女神様はご存じですか? この国の守護神である」


 首を傾げた。朧気に残った知識という名の記憶が彼女の存在を呼び起こす。


「守護神、女神様ですよね。お母さんみたいな、優しい女神様」


 細かいことは何もわからないけど、女神様のイメージだけははっきりしていた。あの、夢の中の女の人みたいな雰囲気の女神様だとなんとなく知っている。

 もしかしたら、経験や思い出だけではなく、一度全部の記憶がまっさらになって、そこからわたしにとって必要なものだけをもう一度教えてくれたのではないか。そんなまったく根拠のないことが頭をよぎった。

 記憶が失われたこと。それは何かの手によってであり、それに悪意はないことは本能的な部分で理解しているけど、納得感と、悲しみではなく切なさが心の中で同居していた。


「ええ。そうです。もう少し正確にお話すると、豊穣と癒しの女神ですわね。女神は神々の長姉とされています。”偉大なる神”によって世界が始まり、命が生まれました。それを育むためにご兄弟の誰よりも早くお生まれになったのですよ」


 強く瞬きして頭を切り替え、女の人の話を聞く。まるで母親みたいだと思った。彼女のことをもっと知りたいと思う一方で、それどころじゃないぞとわたしの冷静な部分がいさめてきた。


「えっと…それと、今の状況に関係があるんでしょうか?」


 女の人はしまったという顔をする。あまり深刻そうな表情というわけでもないから、きっと言い漏らしたくらいのつもりだろうけど。それでもこれから話されるのはきっと大切な事柄だ。きちんと聞かないといけない。


「この国には、”女神の侍女たち”が現れることがあるのです。”前回”は十五年ほど前に。彼女たちは女神から授けられた能力で皆を助ける役目が与えられるのです。と、言いましてもそれはは能力が消えるまでの数年ですが」


 急にたくさん言葉が出てきて混乱する。前回? 能力? 侍女?


「前回ということは、今回も? それに、能力って何ですか?」


 女の人は困ったように微笑んだ。大変なのは分かるけど、わたしも聞いておかないといけないことがたくさんある。

 ずっと夢の中にいるような気がしていた。知らない言葉が出てきて、知らない場所にいて、何もかもが分からない。これから、どうなってしまうんだろう。




 女の人の説明で、なんとなくだけど状況はつかめた。

 わたしは七人いる”女神の侍女”に選ばれたようで、本当なら女神様に何かしらの能力を授けてもらっているはず。

 だけど、わたしには何故かそれが見当たらない。いつか使えるようになるかもしれないし、そうじゃなくても女神様に誓って間違いなく”侍女”だから、安心していいとのことだった。言葉を選んでいたように感じる。伝え方に気を付けるように言われていたのかもしれない。

 実際に能力がないと伝えられた時に居場所を追われるのではないかという不安が頭をよぎったから、フォローのおかげでここにいられると安堵した。何もかもないわたしが外に放り出されて生きていく自信はない。

 これからは神殿の庇護のもと他の子たちと暮らすことになる。申し訳なさそうに「色々と手伝ってもらうことがあるけど」と女の人は言っていたけど、わたしは構わない……というよりはそっちの方がありがたかった。


「これくらいかしら。いえ、違いますわね。もう一つ、お伝えしないといけないことがありました」


 他にもまだ何かあるのかな。おおよその疑問はわたしには解決したように見えるけど。あ、そっか。”侍女”の力について聞いていなかった。そのことなのだろうか。


「”守護魔術師”についてです」


 彼女の口から出てきたのは全く違う言葉だった。聞きなれない守護魔術師という響き。なんだろう。言葉の意味だけだと守護する魔術師だよね? 魔術師、魔術を使う人。きっとわたしは会ったことがないと思う。あまり心がぴんときていない。


「まあ、簡単に言えば生活を共にして”侍女”を守る魔術師なのですが……平和なこの時代、正直なところ随分前からただの古い伝統に過ぎません」


 確かに、平和といえば平和だ。多分、場所によるけれど。それでも確実に昔、わたしたちのおじいさんのおじいさん、もっと前くらいよりはずっと平和だと知識としてはわかっている。

 それにしても、と首をかしげた。生活を共にというとどれくらい共になのだろう。それに、異性が割り当てられることもあるのだろうか。年齢が離れていると困っちゃうかもしれない。そんな感じのことを尋ねてみる。


「えっと……リティさんの言うとおり、当然守護魔術師が異性になることはございます」


 ……うん、やっぱり、そうだよね。


「ですが、多くは学生から選ばれるのでそこまで年齢の離れることは無いですよ。学生から選ばれなかった例の時も”侍女”と同世代が選ばれていたようですし」


 それはよかったけど、やっぱりあの事が気になる。恐る恐る聞いてみた。


「生活を共にの辺りは……」


 まだ決まったわけではないけど、男の子とずっと一緒にいるのはなんて言えばいいのだろう、少し恥ずかしい。それに、その子も気まずいんじゃないかと思ってしまう。例えば、服を買わないといけないときとか。


「ええ、まあ、家と学校では気軽に過ごしていただければ良いのだけど、外となると可能な限りそばに居てほしいというのが本音ですね。万が一のことを考えれば、一人よりは安心ですから」


 その言い方だと外は危ないと言っているような気がする。そっか、”女神の侍女”がどんな立ち位置の存在なのか未だに掴みかねているけど、誘拐のような、そんな感じのことがあるかもしれないよね。怖いな。


「そんな不安な顔をなさらないで。とは言ってもこの街は基本的には平和ですし、あなたたちが怖い目に合わないように私たちがいるのですから」


 小さく頷く。そう言ってくれてはいるけど正直なところ何を、誰を頼ればいいのか分からなくて不安だ。さっき言っていた守護魔術師についての話と合わせると、この人の言う通りなのだとは思うけど。


「何かお話でもしましょうか」


 ありがたい申し出だけど、まだ頭が混乱していてどんな話をすればいいのかわからない。彼女が何を好きなのか、とかなのかな。

 口を開こうとした時、ちりんちりんと外でベルが鳴る音がした。高い音だから、きっと小さなベルだ。


「あら、もうそんな時間なの? さあ、身支度をしましょう」


 そっと優しく体を支えられて立ち上がる。それでも久しぶりに立ち上がったような感覚でくらりとした。今から何をするのかな。そうだ、お風呂に入りたいな。あったかいお湯に首まで漬かるのは、とっても幸せで大切にしなければならないことだと体が覚えている。

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