おしゃべりな少女
わたしがここの家に来て、つまり”侍女”になって四日が経った。ちょっとずつ色んな人と話す機会も増えて、今日も談話室で女の子五人が集まっていた。
他の皆は自室に戻っていたり、中央のソファで本を読んでいたりと思い思いに過ごしている。そんな中で五人隠れるように隅っこにいるのは会話の中心にいた彼女が大きな要因だった。軽やかな濃い金色の髪を一つにまとめた、薄い褐色の瞳。おしゃべりで今時な彼女の名前はレーチェ。わたしと同じ”侍女”の一人だ。
この場所にいるのは、わたしとレーチェ、キャトラ、ララチアとルルフェ。レーチェを除けば、何にでも顔を出す四人だ。自分で言っていても変な話だけど。よく言えば好奇心の強い組。
レーチェが今日持ち込んだのは、とある小説。それを五人で隠れるように読んでいる。隠れるように、なのだからつまりはそういう内容の小説だ。ピンク色のシャボン玉が散りばめられた可愛い表紙なんだけど、きっとそのイメージで読んだら驚く感じの内容。でも妙に気になって覗き込んでしまう。
「おこちゃまねえ、あなたたち」
キャトラがきゃあきゃあ言いながらレーチェが持っている本を左右から、後ろから見ているわたしたちを見てくすくす笑う。熱心に文字を追っていることがばれて恥ずかしい。自分でもこれはどうなんだ、ちょっとはしたないんじゃないかと思う気持ちがあるけど、どうしても何故か気になってしまう。
本の中の男の人が甘くて胸がきゅうっとなって、勝手に口元がにやけてしまいそうな言葉を囁く。もし、誰か男の人にこんなことを言われちゃったらどうしよう、なんて恥ずかしい想像もしてしまう。
「オレサマって感じがいいですわよね! 皆が主人公だったらどうしますの?」
レーチェがその辺りに転がっていたヘアゴムを本に挟んで楽しそうにわたしたちに尋ねてくる。わたしが主人公だったら……。
「ちょっと、怖いかも」
いざわたしの身に起きたらと考えると、あまりしっくりと来なかった。あれだけきゅんとしたのに、変な話だ。わたしが親近感を覚えるタイプの人じゃない、というか。確かに甘い言葉は言ってくれるのだけど、お互いに寄り添い合う自信がないというか。
抽象的な話になってしまうけど、見下ろすよりもかがんでくれる人が好き。うーん、わがままな女の子だなあ、わたし。
「怖くはないけどちょっと、ねえ……私はやっぱりなんていうの? はしゃいでる男と遊ぶのが好きよ」
顎に人差し指を当てながら思い出すようにキャトラさんは言う。……遊ぶ?
「遊ぶってどういうこと!?」
「キャトラさん大人だ!」
ララチアとルルフェがレーチェの肩に手をおいて身を乗り出す。キャトラさんはにやりとした笑みを浮かべたまま、何一つ教えてくれない。その仕草も大人っぽい女性のもので、たった二つ違うだけだとは思えない。
「悪いオトコに惹かれるお年頃ですものね」
「違うのよね。気軽にさっぱりと遊べるのがいいだけで悪いのはちょっと、ね」
すぐに、キャトラさんに否定される。レーチェは首をひねりながら本を再び広げると、ヘアゴムを外して広げ、片手だけで器用に手首にはめた。落ちていた物だけどいいのかな。そう思いながら本に視線を落とす。どんどん危ない領域にストーリーが進んでいった。
「ひゃー……」
ルルフェが思わず声を漏らす。濃厚なキスの描写が続く。ヒロインも止める様子もなくそれに流されているような。そんなに良いものなのだろうか。文章で読んでいる限りでは分からない。
「ていうか、あなた達そろそろ閉じた方がいいんじゃない? お子ちゃまには早いわよ?」
……確かに、なんだか雲行きが怪しい。よく分からないけど、よく知らないけど、なんだか変だ。
「いえいえ! まだまだ行けますわ。この程度温いですもの」
そう言うレーチェも、わたしたちも顔が赤い。恥ずかしい、居心地の悪い気持ちと先が気になる好奇心が戦っている。まだ大丈夫、まだ……。
「わ、わたしちょっと風に当たってくるね! また貸して!」
そう思っていたのに、数行先のキスをしながら肩紐に手を掛けたところでわたしはだめだった。なんというか、罪悪感が。子供ねえと微笑ましそうにわたしを見る視線を振り解きながら、早歩きで談話室を後にした。
そのまま勢いで玄関を抜けた先。外はもう日が沈んでいて、それでも神殿の方はまだまだ昼のように明るい。たくさんの灯りを使っているんだ。それにしても、実際に小説の内容とそれに耐えきれなかったこととで顔が熱い。それを冷やすために花畑とガゼボが置かれているスペースに足を運んだ。
「あれ?」
ガゼボには先客がいるようだった。ふわふわ光っているシャボン玉を指先で操りながら本を読むルイカ。わたしが来たことに気付いていないみたい。
「血の流れに巻き込むように……」
ぶつぶつ何かを言っている。何かの勉強だと思うけど、検討がつかない。実際二日学校に行ってみて何も理解できなかった。もう少し慣れたら一年の教室に行った方がいいかもと言われるくらい。きっと、一年生の授業でも分からないんじゃないかな。だって国内の魔術学校で一番入るのが難しい学校らしいし。
「誰だ? ……リティか」
様子をぼんやり見ていると振り向いたルイカに話しかけられた。わたしだと分かると声が緩んだように感じたから、思っていた人と違ったのかも。
「何をしてたの?」
「予習。気が向いたから外で」
寒くないのかな。暗くは――なさそうだけど。光越しに花が揺れているのが見えるくらい明るい。
「リティこそ」
「だ、談話室が暑くて……」
もう暖房入っていないだろと指摘される。その通りだ。皆少し寒いのをひざ掛けや上着で調整していた。本当の理由を言いづらそうにしていたのを察してくれたのか、それ以上は聞かれない。よかった。
「勉強?」
わたしとの会話に応じてくれるのだろう。さっと紐の栞を挟んで本を閉じる。微かな灯りの中でその動きは余計はっきり見えた。その中で彼の指はすらっとしていて、脂肪が少なくて、ほんの少し血管が出ている感じで、ちょっといいなと思ってしまった。
何がいいな、なんだろう。少なくとも、かっこいい男の子を見てきゃーっとなる気持ちに近しいのは分かっている。つまり、形自体がいいなと思っただけで、個人にはそこまで絡まないはず。うん、そのはず。彼をそう言う目で見るのは気が引けてしまう。
「そうだよ。……当たり前だ」
学生が勉強をするのは確かに当たり前なのかもしれないけど。ううん、気のせいかもしれないな。はっきりしないうちに、言葉にするのはやめておこう。
「偉いね。ちゃんと予習するの」
俯いて頭をくしゃくしゃと掻いている。柔らかそうな髪だなと思うと同時に、やっぱりどこか落ち着きがないように見えた。
「それぐらいしないと。ジードル……さんみたいな人だっているんだ」
ジードルさん。さっきまで話をしていたレーチェの守護魔術師。特待生の四年生で、魔術医を志している。中肉中背といったような体つきだけど、荷物を運んでいるときに重いものを平気で持っていた。それを見て声を掛けたら、子供のころから親の手伝いをしていたからと答えてくれた。働き者で真面目、節制。だから特待生にまでなれたんだろうな。
学校では冷たい人だという噂が流れていたけど、とてもそうは見えない優しい人。授業中の彼の様子までは分からないけど。
「……そっか」
何と答えたらいいのか、よくわからない。きっとルイカは考えすぎてしまう人なのだろうという予感はあるけど、それに口を出せるほどまだ親しくない。
「冷えないうちにそろそろ入った方がいいと思うけど」
気遣いか、人に邪魔されたくないか判断しきれない言い方。確かに、風が強くなってきて寒いなとは思っている。
「そ、そうだね。ルイカも風邪ひかないようにね」
多分、これ以上ここにいても困らせるだけなのだと思う。だから控えめに手を振って、見送る彼の気配を感じながら家へ引き返す。まだ冬と春の間だからか、星がきれいに輝いていた。