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明創生の名将:徐達⑨

◯新たなる軍制への道


1359年(至正19年)の冬、徐々に寒さが増す応天府おうてんふの街は、来るべき戦に備え、慌ただしい日々を送っていました。この年、徐達じょたつは、軍事の最高機関である枢密院すうみついんの事務を兼ねる僉枢密院事せんすうみついんじ、そして副長官である同知枢密院事どうちすうみついんじにまで昇り詰めていました。さらに、奉国上将軍ほうこくじょうしょうぐんという将軍としての最高位にも就き、その才覚は誰もが認めるところとなりました。


ある日の夕刻、徐達は主君である朱元璋しゅげんしょうからの呼び出しを受け、その執務室へと向かいました。朱元璋は、後のみんの初代皇帝となる人物で、その眼光は鋭く、見る者すべてを圧倒するほどの威厳を放っていました。


「徐達、よく参った」


朱元璋の言葉に、徐達は深く頭を下げました。部屋には朱元璋と徐達の二人きり。静寂の中、朱元璋は徐達に問いかけました。


「近頃、軍の動きを見ていて、気にかかることがある。現行の軍のあり方について、そなたの考えを聞かせてほしい」


徐達は、かねてより抱いていた軍制ぐんせいへの問題意識を、この機会に朱元璋に伝えようと決意しました。軍制とは、軍隊をどのように組織し、運営していくかという仕組みのことです。


「はっ」


徐達は、慎重に言葉を選びながら話し始めました。


殿下でんかにおかれましては、既にご承知のことと存じますが、現在の我らの軍は、各地の兵を急遽集めた寄せ集めのような状態にございます。兵科へいかも統一されておらず、歩兵ほへい騎兵きへいといった役割分担も曖昧なままです。これでは、いざ大軍を動かすとなると、連携が上手くいかず、混乱が生じかねません」


兵科とは、軍隊の中での役割分担のことで、例えば、徒歩で戦う兵士を歩兵、馬に乗って戦う兵士を騎兵と呼びます。当時の朱元璋の軍は、様々な勢力から集まった兵士たちが混じり合っており、それぞれの兵士が持っている武器や戦い方がバラバラで、統一された組織ではありませんでした。


朱元璋は、徐達の言葉に深く頷きました。彼自身も、軍の組織力の不足を感じていたのです。


「うむ。私も同じ懸念を抱いていた。しかし、具体的にどのような問題があるというのだ?」


徐達は、さらに詳しく説明しました。


「例えば、騎兵は足が速く、敵を素早く包囲したり、追撃したりするのに向いております。しかし、現在の軍では、騎兵の数を増やしたくとも、馬の調達や乗り手の訓練が追いついておりません。また、歩兵も、弓兵ゆみへい槍兵やりへいなど、それぞれの役割に応じた訓練が不足しており、敵と対峙した際、それぞれの持ち味を十分に発揮できておりません。さらに、兵士の練度れんども一律ではなく、統率とうそつが取りづらいのが現状でございます」


練度とは、兵士たちの訓練の度合いや熟練度のことです。統率が取れないとは、司令官の命令がスムーズに伝わらなかったり、兵士たちがバラバラに行動してしまったりすることです。


朱元璋は腕を組み、難しい顔をしていましたが、徐達の言葉に真剣に耳を傾けていました。


「では、何か改善案があるのか?」


朱元璋の問いに、徐達は待ってましたとばかりに、用意していた改善案を述べました。


「はっ。第一に、五軍都督府ごぐんととくふを設置し、中央集権的な軍の指揮系統を確立することをお勧めいたします。これにより、殿下の命令が軍全体に滞りなく伝わり、より効率的な軍の運用が可能となります」


五軍都督府ごぐんととくふとは、後により明確な組織として設立される軍事機関で、軍の指揮系統を統一し、朱元璋の命令を直接軍に伝えるための仕組みです。当時の軍は、各地の将軍がそれぞれ独立して軍を動かしていたため、朱元璋の命令がなかなか行き渡らないという問題がありました。


「第二に、兵科を明確に分け、それぞれの兵科に特化した訓練を行うべきかと存じます。騎兵、歩兵、弓兵など、それぞれの役割に応じた専門の訓練を施すことで、個々の兵士の能力を最大限に引き出し、全体の戦闘力を向上させることができます」


「第三に、衛所制えいしょせいを導入し、兵士の確保と訓練、そして生活の安定を図るべきかと存じます。これにより、戦時だけでなく平時においても兵士を維持し、安定した軍事力を保持することができます」


衛所制とは、兵士が農耕も行うことで自給自足できるようにし、平時には農業に従事しながら訓練を行い、戦時には兵士として戦うという仕組みです。これにより、常に一定の兵力を維持でき、兵士たちの生活も安定させることができました。


徐達の提案は、いずれも当時の軍が抱える根本的な問題を見据えた、画期的なものでした。朱元璋は、徐達の提案に深く感銘を受けました。彼の炯眼けいがんは、単なる武将に留まらず、国家を統治する上で不可欠な、優れた組織論を持つことを示していました。


「徐達よ、そなたの献策、見事である。これら全ての案を採用する。直ちに準備に取り掛かれ」


朱元璋の力強い言葉に、徐達は安堵し、そして決意を新たにしました。この瞬間、明の軍は、単なる寄せ集めの軍から、より組織的で強大な軍へと生まれ変わるための、大きな一歩を踏み出したのです。徐達の提案が承認されたことで、朱元璋の天下統一の夢は、現実へと大きく近づいていきました。




◯二人の将、天下を憂う


1360年(至正20年)の早春、応天府おうてんふにはまだ冬の残り香が漂っていましたが、朱元璋しゅげんしょうの勢力は、着実にその支配域を広げていました。この頃、徐達じょたつは、中書右丞ちゅうしょゆうじょうという要職に任命されました。これは、政治の中心である中書省ちゅうしょしょうの副長官にあたる役職で、軍事だけでなく、国家の行政にも深く関わることを意味していました。彼は、軍を率いる将軍としてだけでなく、朱元璋の片腕として、国家運営の中枢を担う存在となっていたのです。


ある日の午後、徐達の執務室に、盟友である常遇春じょうぐうしゅんが訪れました。常遇春は、その豪放磊落ごうほうらいらくな人柄と、戦場での比類なき勇猛さで知られ、徐達とは互いに深く信頼し合う仲でした。


徐兄じょけい、お元気そうでなによりですな!」


常遇春の朗々とした声が響き渡り、執務室の張り詰めた空気を和ませました。


常兄じょうけいも。忙しいと聞いていたが、わざわざ来てくれるとはな」


徐達は、温かい笑みを浮かべて常遇春を迎え入れました。二人は、囲碁を囲みながら、世情について語り合いました。しかし、会話は次第に、天下の情勢、特に朱元璋の勢力にとっての二大強敵、陳友諒ちんゆうりょう張士誠ちょうしせいの話題へと移っていきました。


「しかし、李殿りどのも申しておりましたが、この戦、まだ先が見えぬな」


常遇春が、深く息をついて言いました。彼は、戦場で常に先陣を切る立場であり、敵の強さを肌で感じていました。


陳友諒は、長江ちょうこう流域を拠点とする一大勢力を築き上げており、特に水軍すいぐんの力は当時最強と目されていました。水軍とは、水上での戦いを専門とする軍隊のことです。彼の軍は、巨大な船を操り、圧倒的な兵力で朱元璋の勢力を脅かしていました。


一方、張士誠は、運河うんが地帯を支配しており、その経済力は計り知れないものがありました。運河は、物資の輸送や商業において非常に重要な役割を果たし、そこを抑えることで、張士誠は潤沢な資金と物資を背景に、強力な軍隊を維持していました。


「うむ、その通りだ。陳友諒は武力に優れ、特に水上での戦いは圧倒的。そして張士誠は、経済力に裏打ちされた強固な守りを見せている。どちらも一筋縄ではいかぬ相手だ」


徐達は、冷静に分析しました。彼もまた、中書右丞として、両勢力の動向を詳細に把握していました。


「わしは何度も陳友諒の軍とほこを交えたが、その水軍の強さには舌を巻く。陸戦では何とかなっても、水上となると、いまだに我々には決定打となる何かが足りぬように思える」


常遇春は、悔しそうに拳を握り締めました。彼は、陸戦では向かうところ敵なしの勇将でしたが、水上戦は得意分野ではありませんでした。


徐達も同意しました。 「私も同感だ。現行の軍制を整え、兵の練度を高めたとはいえ、あの強敵を完全に打ち破るには、まだ足りぬものがある。張士誠の守りを崩すにも、陳友諒の水軍を破るにも、何か、決定的な策が求められる」


二人は、それぞれの戦場での経験や、これまでの戦訓せんくんを振り返りながら、深く議論を交わしました。戦訓とは、これまでの戦いから得られた教訓のことです。朱元璋の勢力は、確かに成長していました。しかし、天下統一という大いなる目標を達成するためには、両強敵を完全に打倒する必要がありました。


「決定打となる何か、か……」


徐達は、虚空を見つめ、考えに沈みました。それは、単なる戦術や兵力の問題ではない。何か、両者を打ち破るための、根本的な、革新的な一手が求められていることを、彼らは肌で感じ取っていました。


常遇春もまた、沈黙し、深く考え込んでいました。戦場の猛将として、敵を打ち破ることにかけては誰にも負けない自信を持っていましたが、今回の強敵に対しては、これまでの経験だけでは突破口が見いだせないという焦りを感じていました。


その日の話し合いでは、具体的な解決策は見つかりませんでした。しかし、「決定打となる何かが足りない」という共通の認識を持つことができたのは、大きな収穫でした。この課題意識こそが、後の戦略へと繋がる第一歩となるのです。二人の将軍は、互いの知恵と経験を結集し、天下統一への道を切り開くために、この「足りない何か」を必死に探し求めることになります。



◯天才軍師、その幕下へ


1360年(至正20年)の晩秋、朱元璋しゅげんしょうが本拠地とする応天府おうてんふの街は、深まる秋の気配に包まれていました。この頃、徐達じょたつは、中書右丞ちゅうしょゆうじょうという重要な役職に就き、朱元璋の軍事と政治の両面で、その片腕として活躍していました。しかし、先の盟友・常遇春じょうぐうしゅんとの話し合いで、「決定打となる何かが足りない」という認識を深めていた徐達は、来るべき決戦に向けて、新たな知恵を求めていました。


そんな折、朱元璋の元に、稀代の才を持つ人物が招かれました。その人物こそ、後に「王佐の才」(おうさのさい)と称される劉基りゅうきです。王佐の才とは、王を補佐する優れた才能という意味で、劉基はまさに、天下を治める君主を助ける、抜きん出た知恵の持ち主でした。彼は、天文学、地理学、兵法、そして未来を予見するほどの洞察力を持つ、まさに天才と呼ぶにふさわしい人物でした。


朱元璋は、劉基りゅうきの才能を高く評価しており、幾度となくその招聘しょうへいを試みていました。招聘とは、人を招き入れること、特に優れた人物を自分の元に呼び寄せることです。しかし、劉基りゅうきはこれまで、仕えるべき主を見つけられずにいました。しかし、朱元璋の真摯な熱意と、天下を救うという強い志に心を動かされ、ついにその招きに応じ、朱元璋の幕下ばっかに入ることになりました。幕下とは、将軍などの指揮官の配下、つまり部下となることを指します。


劉基りゅうきが応天府に到着した日、徐達は、その人物を一目見ようと、静かに朱元璋の執務室へと向かいました。扉の隙間から、朱元璋と劉基が語り合う声が漏れ聞こえてきます。


劉基りゅうき殿、よくぞこの朱元璋の元へ参られた。そなたの知恵こそ、今、天下に最も必要とされておるものと確信しておる」


朱元璋の声には、これまでになく喜びと期待が込められていました。


劉基りゅうきは、落ち着いた、しかし力強い声で答えていました。 「殿下でんかの天下への大志、まことに天に通ずるものと存じます。微力ながら、この劉基、殿下の天下統一のため、尽力いたす所存でございます」


徐達は、二人の会話を聞きながら、劉基の並々ならぬ才気を感じ取っていました。彼は、これまで多くの智謀ちぼうの士と会ってきましたが、劉基からは、何か格別の雰囲気が漂っているように感じられたのです。智謀とは、優れた知恵や策略のことです。


その後、朱元璋は劉基りゅうきを伴い、徐達や常遇春といった主要な将軍たちを招集し、軍議ぐんぎを開きました。軍議とは、軍の作戦や方針を話し合う会議のことです。


「皆に紹介しよう。この度、我が幕下に加わった劉基りゅうき殿である。今後、軍の戦略や、国家の運営に関して、皆、劉基殿の意見をよく聞くように」


朱元璋は、劉基りゅうきを最高の敬意をもって紹介しました。その言葉からは、劉基りゅうきへの絶大な信頼が感じられました。徐達は、劉基りゅうきの鋭い眼差しと、落ち着いた佇まいから、彼が並大抵の人物ではないことを確信しました。


劉基りゅうきは、一見すると温厚な学者然とした風貌ですが、その瞳の奥には、天下の情勢を見通す深い洞察力と、揺るぎない信念が宿っているように見えました。徐達は、これまで自分が感じていた「決定打となる何か」が、この劉基りゅうきの出現によってもたらされるのではないか、という期待を抱きました。


この日から、劉基りゅうきは朱元璋の主要な謀臣ぼうしんとなりました。謀臣とは、主に戦略や計略を練り、君主に進言する、非常に重要な相談役のことです。彼は、朱元璋の天下統一の夢を実現するため、数々の優れた献策けんさくを行い、その知恵で朱元璋の軍を勝利へと導いていくことになります。


劉基りゅうきが幕下に入ったことで、朱元璋の勢力は、これまで欠けていた「智」の要素を大きく補強することができました。それは、単なる一人の天才の加入に留まらず、後の明王朝の安定と発展を支える、揺るぎない基盤が築かれ始めた瞬間でもありました。徐達は、この新たな仲間の出現に、天下統一への確かな光明を見出したのです。

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