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明創生の名将:徐達⑧

〇賢夫人の支え、徐達の安寧


1357年(至正しせい17年)、戦乱の世にありながらも、朱元璋しゅげんしょうの軍は着実にその版図はんとを広げていました。長江ちょうこう下流を平定へいていし、集慶路しゅうけいろ(現在の南京ナンキン)を拠点きょてんとした彼の勢力は、すでに新たな王朝の萌芽ほうがを宿していました。この年、朱元璋の計らいにより、徐達じょたつ謝氏夫人しゃしふじんと結ばれ、新たな人生の伴侶を得ました。


婚礼こんれいは、質素ながらも温かい雰囲気の中で執り行われました。戦場で常に気を張り詰めていた徐達にとって、謝氏という存在は、まさに心の安らぎそのものでした。謝氏夫人は、朱元璋が語った通りの賢明な女性であり、その穏やかな笑顔は、徐達の疲れた心を癒やす力を持っていました。


新婚当初から、謝氏夫人は、徐達がどれほどの重責じゅうせきを背負っているかを深く理解していました。彼女は、決して彼の仕事の邪魔をすることなく、常に彼を支えることに徹しました。徐達が戦場から帰ってくると、彼女はいつも温かい料理を用意し、彼の話に耳を傾けました。彼女の言葉は多くを語りませんが、その眼差しと仕草しぐさの全てが、徐達への深い愛情と信頼を伝えていました。


謝氏夫人の賢内助けんないじょとしての真価は、戦乱の激しさを増す中で、ますます発揮されていきました。賢内助けんないじょとは、夫を陰で支え、家庭を円満に保つ賢い妻のことを指します。彼女は、単に家庭を守るだけでなく、徐達を支える家臣かしんたちの管理にも心を配りました。


徐達の屋敷には、彼に仕える多くの兵士や文官ぶんかんがいました。彼らは皆、徐達をしたっていましたが、戦乱の世にあって、故郷を離れ、常に命の危険にさらされている彼らの心は、時にすさみがちでした。しかし、謝氏夫人は、そんな彼らにも分け隔てなく接し、まるで家族のように温かく見守りました。


彼女は、兵士たちの家族の安否あんぴ気遣きづかい、病の者が出れば、自ら薬草を探し、看病かんびょうしました。食料の配給はいきゅうや、衣服のつくろい物なども、彼女が率先して行いました。時には、遠く離れた故郷の家族からの手紙を、読み書きができない兵士のために代筆だいひつしてあげることもありました。彼女の細やかな配慮は、次第に兵士たちの心を捉え、彼らは徐達に仕えることを、より一層誇りに思うようになりました。


ある時、徐達の部隊で、兵士同士の些細ささいな争いが起こりました。疲労とストレスが蓄積ちくせきした兵士たちは、感情的になり、収拾しゅうしゅうがつかなくなりかけていました。徐達も、戦の準備で忙しく、なかなかその場に駆けつけることができませんでした。その時、謝氏夫人が自らその場におもむきました。彼女は、怒鳴り合う兵士たちの間に入り、静かに、しかし毅然きぜんとした態度で彼らをさとしました。


「皆様、どうか落ち着いてください。私たちは、朱元璋様の大業たいぎょうのために、共に戦う仲間ではありませんか。このような争いは、朱元璋様のお心を深く傷つけるだけでなく、私たちの結束を乱し、ひいては戦に大きな影響を及ぼします。今こそ、互いに支え合い、心を一つにすべき時です」


謝氏夫人の言葉は、不思議なほどに兵士たちの心に響きました。彼女の品格と、何よりも彼らを思う真心が、彼らの怒りをしずめたのです。兵士たちは、深く反省し、互いに謝罪しゃざいし合いました。この一件で、謝氏夫人に対する家臣たちの信頼は、揺るぎないものとなりました。


徐達は、後にこの話を聞き、改めて謝氏夫人という妻の偉大さを痛感しました。彼は、謝氏夫人がいるからこそ、安心して戦場に立つことができるのだと、心から感謝しました。彼女は、戦の表舞台には立たずとも、その陰で、朱元璋軍の強さを支える重要な役割を果たしていました。


謝氏夫人の存在は、徐達の心に安寧あんねいと安定をもたらしました。彼は、家庭という揺るぎない支えがあることで、より一層、朱元璋の天下統一という大業に集中することができました。謝氏夫人の賢明な支えは、徐達を、そしてひいては朱元璋軍全体を、さらなる勝利へと導く原動力となっていったのです。



〇麒麟児の誕生


1358年(至正18年)、春の陽が麗らかな日、後にみんという大いなる国を打ち立てる礎となる応天府おうてんふの街は、いつもより活気に満ちていました。この日、主人公である徐達じょたつの屋敷には、特別な喜びが満ち溢れていました。徐達は、後に明の初代皇帝となる朱元璋しゅげんしょうを支え、数々の武功を立てる大将軍です。彼はその武勇とは裏腹に、非常に温和で、誰からも信頼される人柄でした。


屋敷の奥からは、産声をあげるか細い声が響き渡り、やがてその声が力強くなると、静かに吉報が伝えられました。徐達の正室である謝氏しゃし夫人が、待望の男の子を無事に出産したのです。


徐達は、報せを聞くやいなや、急ぎ足で産室へと向かいました。彼の胸中は、言いようのない期待と、そして少しの不安でいっぱいです。扉を開けると、そこには疲れ切った表情の中にも、慈愛に満ちた笑みを浮かべる謝氏夫人がいました。その腕の中には、真新しい命がすやすやと眠っています。


「よくぞ……よくぞ無事で」


徐達は、震える声でそう呟くと、そっと我が子を抱き上げました。小さな命の温かさが、徐達の腕の中にじんわりと広がり、全身を幸福感で包み込みます。生まれたばかりの子は、まるで瑞々しいたけのこのように可愛らしく、その顔立ちは、後の大器を予感させるような聡明さを秘めているように見えました。この子が、後に徐輝祖じょきそと名付けられる、徐達の長男です。徐輝祖じょきそは、父の血を受け継ぎ、将来は明の国の安定に大きく貢献する人物となります。


その日の夕刻、徐達の盟友であり、同じく朱元璋の元で数々の武功を立ててきた常遇春じょうぐうしゅんが、祝儀の品を手に屋敷を訪れました。常遇春は、徐達と並び称されるほどの勇猛な武将で、その豪快な性格は多くの者から慕われていました。


「おお、徐兄じょけい!ご嫡男ちゃくなんの誕生、誠におめでとうございます!」


常遇春じょうぐうしゅんは、持ち前の朗らかな声でそう言うと、徐達の肩を力強く叩きました。 「常兄じょうけい!わざわざ足を運んでくださり、かたじけない」


徐達は、嬉しそうに常遇春を迎え入れました。二人は広間で酒を酌み交わしながら、生まれたばかりの徐輝祖の将来について語り合いました。


「これからは、この子のためにも、より一層励まねばな」


徐達は、我が子を抱いた時の温かさを思い出しながら、感慨深げにそう言いました。


常遇春じょうぐうしゅんは、豪快に笑いながら言いました。 「そうでござるな!わしの息子と、いつか肩を並べて戦場を駆け巡る日が来るやもしれぬ!」


二人の間には、互いへの深い信頼と、未来への希望が満ち溢れていました。彼らの前途には、多くの苦難が待ち受けていましたが、この日の喜びが、彼らが困難を乗り越える大きな力となることを、二人はまだ知りません。


しかし、この小さな命の誕生は、ただ一人の武将の家庭に訪れた慶事けいじに留まりませんでした。後にこの徐輝祖という存在が、大明帝国の未来を左右する重要な役割を担うこととなるのです。それは、戦乱の世に生まれ落ちた一筋の光であり、新たな時代の幕開けを告げる、希望の象徴でもありました。この温かく、そして力強い命の誕生こそが、動乱の中国に平和と秩序をもたらす明朝建国の、小さくも確かな第一歩だったのです。



◯出世と尽きぬ苦悩


1359年(至正19年)、春の長雨がようやく上がった頃、主人公である徐達じょたつの元に、新たな辞令が届きました。彼はこの度、僉枢密院事せんすうみついんじという役職に任命されました。これは、軍事に関する最高機関である枢密院すうみついんの事務を兼ねる、という重要な役職です。さらに、奉国上将軍ほうこくじょうしょうぐんという将軍としての最高位にまで上り詰め、同知枢密院事どうちすうみついんじとして、枢密院の副長官の座に就任しました。これは、彼の武功と人柄が、主君である朱元璋しゅげんしょうにいかに高く評価されているかを示すものでした。


しかし、その喜びも束の間、徐達の胸中には、新たな役職に伴う重責がのしかかっていました。特に、戦場で兵を動かす上で最も頭を悩ませるのが、補給ほきゅうの問題です。兵士たちの食料や武器、そして衣服に至るまで、滞りなく届けることは、戦の勝敗を左右する重要な要素でした。


ある日の午後、徐達は、補給を担当する李善長りぜんちょうの執務室を訪ねました。李善長は、後に明の宰相さいしょうとなる、非常に有能な政治家です。彼は、戦乱の時代において、兵站へいたんという、軍隊を維持するための物資の供給と輸送を統括する重要な役割を担っていました。


李殿りどの、いかがでござるか」


徐達は、李善長の執務室に入るなり、単刀直入に尋ねました。李善長の顔には、疲労の色が濃く浮かんでいました。


徐殿じょどの……、やはり一筋縄ではいきませぬな」


李善長りぜんちょうは、山積みにされた文書の束に目をやりながら、深くため息をつきました。


「各地で兵が動けば動くほど、食料や物資の調達は困難を極めます。特に、遠征となると、輸送の途中で略奪に遭うことも少なくありません。民も疲弊しており、これ以上の徴発ちょうはつは、反乱の火種となりかねません」


李善長りぜんちょうの言葉に、徐達は深く頷きました。彼自身、戦場で兵士たちが飢えに苦しむ姿を何度も見てきました。兵士の士気は、食料が十分に供給されているかどうかに大きく左右されます。


「私も、戦場ではいつも補給の心配ばかりしております。兵糧が尽きれば、いかに勇猛な兵も戦えませぬゆえ」


徐達は、自身の経験を交えながら語りました。


「我らは戦場で敵と戦うが、李殿は目に見えぬ敵と戦っておられる。誠に頭が下がる思いでござる」


徐達の言葉に、李善長りぜんちょうは少しだけ表情を和らげました。


「いえ、徐殿の武功があってこそ、我々の努力も報われるというもの。しかし、この補給の問題を解決せねば、いずれ天下統一の夢も覚束おぼつかなくなるでしょう」


二人は、今後の補給体制の改善策について、夜遅くまで語り合いました。輸送路の安全確保、備蓄地の選定、そして民への負担をいかに軽減するか。解決すべき課題は山積していましたが、お互いの立場を理解し、協力し合うことの重要性を再認識する時間となりました。


この時の話し合いが、後の明の安定した国家運営を支える、強固な補給体制の基礎となっていきます。戦場の最前線で戦う徐達と、後方でそれを支える李善長りぜんちょう。二人の異なる才能が、互いを補完し合いながら、朱元璋の天下統一という大いなる目標へと向かっていくのでした。

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