明創生の名将:徐達⑥
〇馬氏の温もり、深まる絆
1354年(至正14年)の年の瀬が迫る頃、朱元璋の軍は、長江流域での戦いを終え、しばしの休息を得ていました。この日、朱元璋は、最も信頼する腹心たち、徐達、常遇春、そして湯和を、自身の質素な自宅に招きました。戦場で常に緊張の中にいる彼らに、心安らぐひとときを提供したいという、朱元璋の温かい配慮でした。
朱元璋の自宅は、豪華絢爛なものではありませんでした。しかし、そこには、武骨な将軍たちのねぐら(ねぐら)とは違う、温かい生活の匂いが満ちていました。彼らを迎えたのは、朱元璋の妻、馬氏でした。馬氏は、粗末な身なりをしていましたが、その眼差しは優しく、そして芯の強い輝きを放っていました。彼女は、貧しい身から立ち上がった朱元璋を常に支え、その苦労を共にしてきた、まさに賢夫人――賢い妻――でした。
「皆様、本日はようこそお越しくださいました。粗末なものばかりですが、どうぞゆっくりお過ごしください」
馬氏は、穏やかな笑顔で彼らを迎え入れました。彼女の言葉遣いは丁寧で、その気品に、三人は思わず背筋を伸ばしました。戦場では見せない、どこかほっとするような空気が、その場に流れました。
馬氏は、自ら台所に立ち、素朴ながらも心尽くしの料理を振る舞ってくれました。香ばしい麦の粥、新鮮な野菜の炒め物、そして、この土地で採れた魚の煮物。どれもが、戦場で食べる味気ない兵糧とは全く異なり、故郷の温かさを感じさせるものでした。
「馬殿の料理は、本当に心が安らぎます」
常遇春が、無邪気な笑顔で言いました。普段の猛々しい(たけだけしい)彼からは想像できない、少年のような表情でした。
徐達も、ゆっくりと料理を口に運びながら、馬氏の細やかな心遣い(こころづかい)に感銘を受けていました。彼女は、彼らが戦場で疲弊していることを察し、栄養のある温かい料理を、さりげなく提供してくれたのです。そして、話しやすい雰囲気を作るために、自ら率先して、昔話や身の上話をしてくれました。
「実は、私と朱元璋様は、本当に何も持たないところから始まったのです。お互いを信じ、支え合って、今日まで生きてきました」
馬氏の言葉は、飾らない真実の重みがありました。彼女は、朱元璋がまだ無名で、苦しい生活を送っていた頃の思い出を語り始めました。朱元璋が飢えに苦しんだこと、寺で小僧として働いていたこと、そして、人々が彼にどれほど冷たく当たったか。しかし、馬氏は、そんな中でも決して朱元璋を見捨てず、常に彼の味方であり続けたのです。
朱元璋もまた、馬氏との出会いが、どれほど彼の人生に光をもたらしたかを語りました。彼らは、互いの苦難を乗り越え、深い信頼と愛情で結ばれていることが、ひしひしと伝わってきました。
馬氏の語る昔話は、三人の心に温かい光を灯しました。彼らもまた、同じように苦しい境遇を乗り越えてきたからです。湯和は、自身の幼い頃の貧しかった生活を語り、常遇春は、盗賊集団に身を置かざるを得なかった時代の苦悩を打ち明けました。そして、徐達は、自身の故郷への思い、そして朱元璋との出会いが、いかに自分の人生を変えたかを静かに語りました。
それぞれの身の上話は、彼らの間に新たな共感と理解を生み出しました。彼らは、単なる主従関係や戦友というだけでなく、互いの人間的な側面を深く知ることで、より強固な絆で結ばれていくのを感じました。馬氏の存在が、彼らの心を和ませ、互いの距離を縮めてくれたのです。
特に徐達は、馬氏の賢明さと、その心遣いに深く感銘を受けました。彼女は、戦場で指揮を執ることはなくとも、朱元璋を精神的に支え、彼の腹心たちの心を癒やすことで、目に見えない形で軍を支えていることを悟りました。戦は、力だけでは勝てない。人の心が、どれほど重要であるかを、馬氏は身をもって示してくれていました。
夜が更け、彼らは別れの時を迎えました。朱元璋の自宅を出る時、冷たい夜風が心地よく感じられました。彼らの心には、温かい余韻が残っていました。
この日の宴は、朱元璋軍の結束をより一層強めるものとなりました。馬氏の温かいもてなしと、そこで交わされた昔話や身の上話は、彼らが単なる兵士の集団ではなく、互いを深く思いやる「家族」のような存在であることを、彼らに改めて認識させたのです。彼らは、この温かい絆を胸に、明日からの激しい戦いを乗り越えていく覚悟を新たにしたのでした。
〇郭子興の死と、朱元璋の台頭
1355年(至正15年)の春、安徽省は、冷たい雨に打たれていました。この年は、元王朝の支配が完全に形骸化し、各地の反乱軍が互いに覇権を争う、まさに血生臭い時代となっていました。朱元璋の軍は、和州を拠点として、その勢力を着実に拡大していましたが、彼がかつて身を寄せていた紅巾軍の指導者、郭子興の軍では、不穏な空気が漂っていました。
郭子興は、元々民のために立ち上がった正義感の強い人物でしたが、次第にその猜疑心――人を疑う気持ち――が強まり、周りの意見に耳を傾けなくなっていました。軍の内部では、派閥争いが激化し、士気も低迷していました。そんな中、ついに、郭子興が病に倒れたという報せが、朱元璋の元にも届きました。そして、春の雨が降り続くある日、郭子興が息を引き取ったという訃報が、長江の南にまで伝わってきました。
朱元璋の幕舎では、徐達、常遇春、湯和といった信頼できる腹心たちが集まっていました。朱元璋の表情は、どこか複雑でした。かつての恩人とはいえ、彼らの進む道はすでに異なっていたからです。
「郭子興殿が亡くなられたか……」
朱元璋は静かに呟きました。彼の声には、僅かながらも感慨が込められているようでした。
「兄貴分、これは我々にとって、大きな好機となるやもしれません」
湯和が、先を見据えるように言いました。彼の言葉に、常遇春も力強く頷きました。
徐達は、冷静に状況を分析していました。
「郭子興殿の死により、彼の軍勢は、必ずや内紛――組織内部での争い――に直面するでしょう。彼の配下にあった武将たちは、それぞれが自身の勢力を拡大しようと動き、まとまりを失うはずです。さらに、長年彼に仕えてきた兵士たちの士気も、大きく揺らぐでしょう。これは、彼らの軍が弱体化する良い機会です」
徐達の言葉は、その後の展開を正確に予測していました。郭子興の死後、彼の軍は、まさに徐達の予見した通り、混乱の極みへと陥っていきました。郭子興の息子や甥、そして有力な武将たちが、それぞれの権力を主張し、醜い争いを繰り広げました。規律は乱れ、兵士たちは食料や給料を求めて不平を言い、中には離反する者も少なくありませんでした。かつて恐れられた郭子興の軍は、見る見るうちにその力を失っていったのです。
この混乱の隙を、朱元璋は決して見逃しませんでした。彼は、好機を捉えることに長けていました。朱元璋は、自らの兵士たちに、決して油断しないよう命じながらも、郭子興軍の内部状況を詳しく探らせました。そして、彼らが完全に分裂し、弱体化したと判断するや否や、迅速な行動を起こしました。
「今こそ、動く時だ! 徐達、常遇春、湯和、各自、持ち場につけ! 我々は、混乱する郭子興の軍を収め、民のために、彼らの兵と土地を味方につける!」
朱元璋の号令は、雷鳴のように響き渡りました。彼の声には、揺るぎない自信と、圧倒的な決意が込められていました。
徐達は、朱元璋の命を受け、冷静に部隊を指揮しました。彼は、郭子興軍の内部事情に詳しい者たちを先導させ、混乱している兵士たちに降伏を呼びかけました。
「我々は、郭子興殿の遺志を継ぐ者ではない! しかし、民のために戦う志は同じだ! 朱元璋殿は、決して私欲のために戦う者ではない。皆が安心して暮らせる世を築くために、共に戦おうではないか!」
徐達の言葉は、郭子興軍の兵士たちの心に響きました。彼らは、長年の疲弊と、内紛による絶望の中で、真の指導者を求めていたからです。朱元璋の軍が、規律正しく、民に優しいことを知っていた者も少なくありませんでした。
常遇春は、その武勇で、抵抗する者を制圧しつつも、決して無益な殺生はしませんでした。湯和もまた、巧みな交渉術で、郭子興の配下にあった一部の有力武将たちを、朱元璋の元に引き入れました。
結果として、朱元璋は、郭子興軍の混乱と弱体化を巧みに利用し、ほとんど血を流すことなく、その実権――実際の権力や支配力のこと――を掌握することに成功しました。郭子興の広大な勢力は、まるごと朱元璋の力となったのです。
この出来事は、朱元璋の歴史における大きな転換点となりました。彼は、単なる紅巾軍の一派の指導者から、真に天下を目指す一大勢力の主へと成長したのです。そして、徐達は、朱元璋のこの実権掌握において、その冷静な判断力と、的確な指揮能力で、極めて重要な役割を果たしたのでした。
朱元璋の軍は、郭子興の遺産を引き継ぐことで、その規模と実力を飛躍的に向上させました。彼らの天下統一への道のりは、ここからさらに加速していくこととなるのです。
〇長江を渡る、集慶路の光芒
1355年(至正15年)の夏、中国南部の長江流域には、熱い風が吹き荒れていました。朱元璋は、前年に郭子興の勢力を吸収し、その軍を大きく成長させていました。彼の次なる目標は、長江を渡り、南の大都市、集慶路――現在の南京にあたる、当時非常に重要な都市――を攻略することでした。
集慶路は、元王朝の江南における重要拠点であり、堅固な城壁と、地の利を活かした守りで知られていました。ここを落とすことは、朱元璋の天下統一への道を大きく開くことを意味しました。
朱元璋の幕舎では、徐達と常遇春が、長江を渡るための作戦会議に臨んでいました。彼らの表情は真剣で、集慶路攻略の重責をひしひしと感じていました。
「集慶路は、元軍の精鋭が守る堅城だ。しかも、長江という大河を渡らなければならない。これまでの戦とは、わけが違う」
朱元璋は、そう言って地図の集慶路のあたりを指差しました。彼の言葉には、この戦いの難しさへの認識と、それでも必ずやり遂げるという強い決意が込められていました。
徐達は、冷静に答えます。
「ご命令とあれば、この徐達、必ずや道を切り開きます。常遇春殿と共に、先鋒を務めさせていただきます」
常遇春もまた、力強く頷きました。
「もちろんです、兄貴! 私の突撃で、敵の防衛線を突破してみせましょう!」
彼らの言葉に、朱元璋は深く頷きました。徐達の慎重かつ的確な判断力と、常遇春の勇猛果敢な突進力。この二人が揃えば、どんな難攻不落の城も落とせると、朱元璋は確信していました。
渡河――川を渡ること――作戦は、夜陰に紛れて行われました。数百隻の小舟が、静かに長江を渡ります。徐達は、自らも船に乗り込み、兵士たちを鼓舞しながら、対岸へと向かいました。常遇春は、その隣で、いつでも敵と切り結べるよう、槍を構えていました。
対岸に到着すると、元軍の警戒網を突破し、城へと迫ります。徐達は、敵の偵察兵の動きを読み、見つからないよう慎重に進みました。そして、城壁の一部が手薄になっている場所を見つけると、常遇春に合図を送りました。
「常遇春殿、あそこだ! あの場所から、一気に攻め込む!」
徐達の指示に、常遇春は雄叫び(おたけび)を上げながら、先頭に立って城壁に駆け上がりました。彼は、怪力で敵兵を薙ぎ倒し、その武勇で兵士たちの道を切り開いていきました。徐達の部隊も、その後を追うように次々と城壁を乗り越えていきます。
城内では、激しい白兵戦――武器を持って敵と直接切り結ぶ戦い――が繰り広げられました。徐達は、冷静に兵士たちを指揮し、敵の反撃を抑えながら、着実に城の奥深くへと進んでいきました。彼の指揮は的確で、兵士たちは迷うことなく、彼の指示に従って戦いました。常遇春もまた、常に徐達の先を進み、敵の抵抗を粉砕していきました。彼の槍は、まるで嵐のように舞い、行く手を阻むもの全てを打ち砕いていきました。
朱元璋の本隊が城門を突破し、城内に突入する頃には、すでに徐達と常遇春の部隊は、城の要衝を抑えていました。混乱した元軍は、指揮系統を失い、次々と降伏していきました。
こうして、朱元璋の軍は、長江を渡り、難攻不落と思われた集慶路の攻略に快勝しました。この勝利は、朱元璋の軍の勢いを決定づけるものでした。そして、その勝利の立役者となったのが、先鋒として誰よりも早く敵陣に切り込み、武功を立てた徐達と常遇春でした。
戦いが終わった後、朱元璋は、傷を負いながらも誇らしげな顔をしている徐達と常遇春の元に歩み寄りました。
「徐達、常遇春! お前たちの働きは、まさに天下に比類なきものだった! よくぞ、この集慶路を落としてくれた!」
朱元璋の言葉に、徐達は謙虚に頭を下げました。
「これも兄貴分の的確なご采配と、兵士たちの奮戦あってこその勝利です」
常遇春もまた、高揚した表情で言いました。
「兄貴分! これからも、この命ある限り、あなたのために戦いましょう!」
この集慶路の攻略は、朱元璋が天下統一を目指す上での大きな足がかりとなりました。そして、徐達は、この戦いを通して、自身の軍事的な才能と、朱元璋からの揺るぎない信頼を、内外に知らしめることとなったのです。彼らは、ここ集慶路を新たな拠点として、さらなる飛躍を遂げていくこととなるのです。